最貧困女子
鈴木大介
2019/06/17
★ひとことまとめ★
日本の中の格差を感じる本でした
↓以下ネタバレ含みます↓
作品読みたい方は見ないほうがいいかも
【内容紹介】
今や働く単身女性の3分の1が年収114万円未満。中でも10~20代女性を特に「貧困女子」と呼んでいる。しかし、目も当てられないような地獄でもがき苦しむ女性たちがいる。それが、家族・地域・制度(社会保障制度)という三つの縁をなくし、セックスワーク(売春や性風俗)で日銭を稼ぐしかない「最貧困女子」だ。可視化されにくい彼女らの抱えた苦しみや痛みを、最底辺フィールドワーカーが活写、問題をえぐり出す!
【感想】
働く世代の単身女性の3人に1人が年収114万円以下ってほんとなの~??って思って、まずそこに驚いた。ただ、クローズアップ現代でとりあげられていた内容を引用しているだけから、一体どういう集計のとり方でそうなったのかが謎です。
特に10~20代に貧困が集中って書いてあったけれど、18~26歳くらいまでは学生でバイトしかしていない人もいるよね??
それなら114万円以下は当たり前なんじゃないかと思うけれど…。問題は27歳以降が114万円以下なのかどうかだと思うんだけど。
内容としては、通常の貧困は3つの無縁・3つの障害から陥ることが多く、それらは「家族の無縁・地域の無縁・制度の無縁」「精神障害・発達障害・知的障害」だと考えられる。家族からの援助が受けられなかったり、障害を持っているがゆえに働くことが著しく困難など。
「貧乏でも頑張っている人はいるし、貧困とかいう人間は自己責任」という意見もあると思うが、生まれながらにして上記の無縁が揃っていたりすると、本人の努力だけではどうにもできない。
いろいろな番組などでも貧困の当事者の苦しみについて散々取り上げられているが、それでも「本人が悪い」というような風当たりが弱まっているような気がしないのは、同じ低所得(114万円以下)だとしても、充実した生活を送ることができている人もいるからだという。
同じ月収10万円ほどだとしても、家族や地域との関係が良好で、助け合いつつワイワイ生きている人と、家族や地域などのあらゆる関係が無く、精神的にも困窮している人。ただ”年収”という数字だけでくくってしまうから、「同じ低所得でも幸せに暮らしている人はいるだろう。」「努力が足りない。」という意見が出てきてしまう。
また、”貧困”と似た言葉で”貧乏”もあるが、上記の例でいくと前者は”貧乏”。後者は”貧困”であるという。貧乏で幸せな人はいるが、貧困で幸せな人はいない。
貧乏な人と、貧困な人をごっちゃにして考えてはいけないってことだよね。
ただ、作者の言う「最貧困女子」とは貧困のさらに上を行くものであり、それは売春や性風俗産業で働く未成年の少女や、貧困の地獄でもがく女性のことを指している。
高所得なのでは?自分で選んだのだから自己責任、女はいいよねなどの意見もあるけれど、その中には無縁や障害もいくつも抱え、貧困で苦しんでいる女性たちがいる。
なぜ問題にならないかというと、まずそういった職業だと差別されたり、批難のまなざしにさらされることがほとんどであり、そのさらに根底の本人たちの無縁や貧困にまで目が向けられず、その苦しみが可視化されないからであると考えられる。
なぜ売春や性風俗産業に行き着くかというと、まず育った環境が劣悪な場合、少女たちは家から出て夜の繁華街や路上などをうろつく。ただ、昨今は警察からの注意や補導も多く、そうなると少女たちはまた家に帰らないといけない。
少女たちにとって望むものは、寝る場所や休むことのできる場所である。売春や性風俗産業はそれを叶えることができる。とりあえずホテルに行けばお風呂にも入れて寝ることもできる。
住むアパートなどを斡旋してくれるようなところであれば、稼いだお金で住むこともできる。
(と言ってもピンハネされたりして彼女たちには全然お金が行き渡らないこともある。)
必要な衣食住のために、生きていくために沈んでいく感じかな。
何人かの女性へのインタビューなどが続くのだけれど、生まれた環境・育った環境が劣悪なことにはとても同情する。(こんな言い方は不快かもしれないけれど、味わったことない自分からしたらそう表現することしかできない。)
愛されたり、大事に育てられるはずの幼少期に虐待をされたり、学校にも行かせてもらえなかったり、医療機関にも行かせてもらえなかったり。そんな所業ができる人間がいるということが非常に恐ろしいんだけど。
そういう鬼畜かよという親のもとで育って、必要な教育も受けられず、文章の読み書きも難しいような人たちに、「甘え、普通に仕事探して働け」って言うのは、やっぱり違うよなと思う。
ただ、難しいのは貧困と貧乏の線引きなんだよね。
数字だけで見たら同じわけだし。
私の元知り合いに、複雑な家庭環境で育ったけれど多くは自分の怠惰によるもので”貧乏”になった人がいたけれど、そういう人が「援助が必要」「補助金が必要」とか、いかに自分が辛いかみたいなことを語っていても、自業自得だろと思ってしまう。
貧乏や貧困で苦しむ人達を制度で助けるって言っても、じゃあ貧困と呼ばれていない人たちが苦しみもなく幸せなのかって言ったら、そうではないこともあるし。
良い学校行くまでにはそれなりのお金や本人の努力だってあって、社会に出てそれなりの給料貰えるのも本人の毎日の頑張りとか精神的に耐えてる部分があるわけで。
中には複雑な家庭環境や虐待があっても、反面教師にして努力して勉強をして学校にも行って、就職したって人もいると思うし。
本人が選択できない環境の問題などによる、どうしようもなく苦しんでいる貧困の人たちにはきちんと支援するべきだと思うけれど、本人に努力する気もないのにそれでいて”貧困”と声高に言う人には手厚い支援・保護とか言われてもなんだかな~と思ってしまう。
正直に言うと、自分が毎月しんどい思いして働いて納税した税金の一部をそういう人には使ってほしくないよ~って思ってしまう。。。
それも含めて、可視化が難しいんだろうなあ。本人のやる気・努力なんて見えないわけだし。
まあこの本に書いてあるのは本当にどうしようもなく苦しむ人たちだから、その人たちに支援をするなとは読んでいて思わなかったけどね。
でも、自分の生活も維持できないのになぜ子供を生むのか?とは思ったけれどね。そもそも障害があるのでそういう考えにもなれないんですよと言われればそこまでかもしれないけど。
子供がかわいそうだよ~。
生きていくために風俗とか売春でお金を稼ぐのは仕方ないかもしれないけれど、それが子供の同級生の親にばれたり、子供の友達にバレたりしたら、いじめられるのは子供だし。
そして学校にいけなくなって、人との交流が嫌になって…じゃまた不幸の連鎖だもんなあ。
大切なのは、今すでに貧困で苦しんでいる人を救うには結局補助金とかでしかないけれど、将来貧困に陥りそうな子供を早い段階で救済するってことなんだよね。
けれど、じゃあ誰が救済するんだって話だしね~。
難しい手続きとか制度はなくて、逃げたいときにいつでも逃げてこられて、家に帰れないときは泊まることもできて、お金がかかったりしなくて、居心地がいい環境で、ゲームとかもできて、お腹が空いたらご飯もでてきて…
そんなの誰が運営するんだって感じだし、親から誘拐とかいって訴えられそうな気もするし…。
なかなか自分とは関係のない次元の話だと思って考えたことはなかったけれど、ニュースで子供の虐待死とかを見ていると、国とか民間がもっと真剣に考えていかないといけないし、他人事と思っていたらいけない問題だよな~と思いました…。
まあでも難しいよね!
もし、近所の子が虐待されてる!って思って通報したり、助けてあげたとしても、最悪親から報復とかされる可能性あるしね。せっかく保護されても親元に返されたりもしちゃうし。
見て見ぬふりというか、かかわらないでおこうと思う人がいても仕方ないのかなとは思うよね。虐待してる親の精神状態は普通ではないし。
考えさせられる内容でした