病室で管に繋がれた妻の横で考えていたのは、妻の回復より明日の生活のことでした。


仕事することすらままならず。

幸い会社からは働けるようになるまで休んで良いと言って頂くことができました。ただ営業であったため収入には手当が多く含まれていおり、それが得られない手取りは2割減。

また妻の収入が途絶えたことから、世帯収入は妻が倒れてから翌月には4割も悪化しました。


追い討ちを掛けたのは、多額の治療費や入院費(高額医療にて還付されます)の請求、病院で長期間生活余儀なくされる身の回り品の支出でした。

実に多い月で50〜80万が医療費関連で吹き飛び、収入はだけは減少する悪循環。

企業で言えば既に債務超過に陥っていました。


一番の恐怖は、いつまでこれが続くんだ?と言う先が見えないことだったと思います。

ただでさえ目の前にある現実を受け入れきれていない当時の私には到底無理でした。この難局を乗り切ることや、明るい明日をイメージすることが。始まったばかりの惨事に終わりは見えず。


一過性であれば、心構えがあれば、もっと社会制度や家の家計や保険の加入状況、そんなこと等々を知っていたら、もしかしたら違っていたのかも。

今振り返っても思いますが、たぶん大差はなかったと思います。なぜならその時の精神状況で、まともな思考に至ることはなく。


備えあっても憂いしかないがリアルです。


固定費は生活費、住宅ローン、私学に通う二人の学費等々。

実にその年に必要とする現金は1000万を超えると頭の中で算盤を弾いていました。常にそんな金はないが即答でしたが。

初めて自販機の飲み物を買うことに躊躇する日々を迎えた時でもありました。


脱するにはどうするか?