Perfume/レーザービームのサビ後半が良すぎる件
レーザービームのフル音源を聴いた印象。
まだラジオで解禁されただけで、高音質で聴いてないから詳細はつかめてない。
でもこれだけははっきり感じた。
サビ前半と後半で雰囲気というか色が変わった感覚になる。
間違いなくストリングスが後半から入ってくるからだと思う。
チップチューン系の曲のアレンジにストリングスを合わせてくるあたりが、中田ヤスタカらしい。
定位はまだはっきりと分からないけど、2010年からのレンジの広がりを受け継いでる感じ。
最近のPerfume曲を聴くとき、迷わずオープン/セミオープンのヘッドホンを使っているぐらい(笑)。
2008年を思えば、確実に次の次ぐらいのステップに進んで来ているような。
VOICEやねぇ、そしてレーザービームに共通して感じるのは「デジタル的なアナログ感」だと思う。
上手く言葉で表せないが、クールで洗練された音の中に生身感があるというか。
以前からそういう作り方はされていたと思うが、やはり2008~2009年の頃とは違う感覚になる。
中田氏本人も語っていたようにヴォーカルアレンジ(3人のユニゾンの良さやエフェクト処理方法)
の変化も一つの要因だと思う。
ねぇのサビ終わりの「君といると行先は~」あたりが特徴的。今までの曲にはないカタルシスを
感じる事ができる。
よりシンプルかつスタイリッシュな音楽になっている傍ら、ヴォーカルで得られるアナログ感との
ギャップがPerfumeの新たな魅力を引き出している。
微かなカオリだけでなく、次回のアルバムに期待感が膨らむばかりである。
ヘッドホンで聴きクラーベ
バチカンギャグはさておき、密閉型のヘッドホンを買った。
今回はベタにオーテクのATH-PRO700。
いわゆるDJヘッドホンってやつかな。
ヘッドホンの楽しみ方や用途は人それぞれだけど、今は聴き比べ。
AKGの開放型 K530 とでいろいろ比較しながら聴くのが楽しい。
capsuleをエレクトロ期から現在までを追うような感じで聴いて行くと面白い。
サウンドやミックス、音の変化が分かりやすい。
基本コンプ感やアタックの強いサウンドだけど、最新作のPLAYERに関してはレンジが広いというか
奥行きや艶っぽさなどが如実なので、開放型で聴いたほうが楽しめる曲が増えた気がする。
あと、不思議とPerfumeに関してはどっちでも楽しめる。
まぁPerfumeは中田さんがリスナー層を幅広く設定しているかもしれないと考えると納得。
密閉型でコンピューターシティ聴くとあのMステでの低音のなさったらなかったな。
低音とその周りで戯れてる音との絡み、そこを中和するような3人のヴォーカルがキモなのにな。
テレビも高音質でいいスピーカーなら低音出るのかな?そこらへん興味なかったんで分からないけど、
将来的にはこだわるであろうことなので、調べようかな。まぁそれまでにテレビがあるか分からないや。(笑)
あとオーテク特有の変な高音は曲によるかも。
エージングされてくうちにもう少し丸くなるとは思うけど。
ケミカルブラザーズは開放型で聴くほうがよいかも。あまり張り付いてる感が出ては楽しめないな。
あと9mmはヘッドホンではなくスピーカーのほうがいいと思ったのが一番の収穫かも。
ってことは、夜になんかむかつくことがあっても聴けないってことだな・・・・・よし。(笑)
あっ。9mmの使い方は自由なのでいいですよね?
あと、一番感じたのは音源によっては品がなくなる。
オーテクの密閉型を品を良くしたモデルが出たら即買いだな。
もう一度個性について考える。
最近、冬の足音が近づいてる感をむりやり出してる影響で
デザートブーツが欲しくなるという副作用が出てしまった。
そもそもなぜ冬感を出してるかというとただ単に好きだから。
暑いとこに住んでるのに、冬が好き。冬生まれだしね。笑
タイトルとかなり違うこと言っちゃってるね。
「個性」について度々考えてる。
みんな個性を出そうとしてるけどその時点で個性がないと思う。
みんながみんな自分ばっかり主張してる。そんな世の中は怖い。
でも一番怖いのは、個性を出そうとしないと意識しつつも個性を出そうとすると
心理的な無限ループに陥っちゃうんだよね。
人って過剰な意識をすると不自然さだけが浮き彫りになる。
そういう意味では、自意識過剰な時代になっているのかも。
だから、細かくジャンルやカテゴリ分けがされて、内輪が構成される。
確かに価値観や外観が同じ、共同的な場所にいると安心感は満たされる。
でも、世界は急速的に小さく、閉ざされたものになっちゃうよね。
自分は何を考えるときにも、どこかで音楽とリンクしながら考えてるときが多い。
メディアのフィルターを通して音楽を考えたら、現代が抱える「個性」の危うさを感じた。
基本的に音楽でもほかの芸術でも、ほとんどが資本主義的なことをベースに作られている。
それでお金を稼いだりするんだから当然だけど、そこをちゃんと捉えなきゃ何も見えてこない。
音楽シーンにおいて行われているものは、「個性を希釈する記号的で商業的な謳い文句」。
要するに現代で売れている要素だけを取り入れつつ、分かりやすい記号的な個性だけを
前面に押し出したメディア戦略やイメージの合成。
こういう嘘っぽいものだけで作られた人達を見ると空虚感と多大な不安に襲われる。
テレビに出てる人は本当に”人”なのかと。
科学や医療の発展によって、人が遺伝子や細胞を操作して自由自在に生命を扱える時代が
目前に迫っているけど、それとは別に”こころ”が問われる時代が間違いなく訪れているように思える。
自分のリアリティーを放棄したとも思える、他人まかせの価値観や生き方をしている人が多い。
価値が細分化されるのはいい反面、そこに帰属していれば安心感が得られるがために、
自分自身の信念や知識を使って物事を一つ一つゆっくりちゃんと捉えずに、それをただ機械的に
こなしている人が多いと思えてならない。
それを繰り返すことでたどり着く先は、非常に疲弊した世界だと思う。
しかも明らかにそれを望んでいる人達がいるようにも思う。
なんか大げさな話に聞こえるかもしれないけど、それぐらい現代において「個性」という概念は
個人を形作るうえで、注意しなければならないし、簡単に考えちゃいけないもの。
それは音楽とかの芸術でも、経済でも、政治でも同じ。
これからは、「あなたの持った隠れた才能や生き方を見つけてあげますよ」というビジネスが流行るかもね。
そういうときはご注意を。