日本は「完全な属国」日本が米国と交わしたヤバすぎる3つの密約/日米合同委員会廃止 3月抗議街宣

2024年4月8日

 

じつは日本は「完全な属国」だった…日本が米国と交わした「ヤバすぎる3つの密約」

4/5(金)現代ビジネス

 

日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。

【写真】なぜアメリカ軍は「日本人」だけ軽視するのか…その「衝撃的な理由」

 

そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。

『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。

※本記事は矢部宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』から抜粋・再編集したものです。

 

大きな歪みの根底

ここまでは、問題を調べ始めてから、4年ほどでわかったことでした。

つまり「戦後日本」という国が持つ大きな歪みの根底には、日米のあいだで結ばれた「法的な関係」が存在する。しかしその姿が、日本人には全く見えていない。

最大の問題は、そもそも1952年に日本の占領を終わらせた「サンフランシスコ平和条約」が、じつは普通の平和条約ではなかったことだ。

たしかにそれは、「政治」と「経済」においては占領状態を終わらせた「寛大な」条約だったが、逆に「軍事」に関しては、安保条約と連動するかたちで日本の占領を法的に継続し、固定するためのものだった。

その結果、「戦後日本」という国は21世紀になってもなお、

「軍事面での占領状態がつづく半分主権国家」であり続けている──。

多くの著者の皆さんとの共同研究により、そのことはほぼ証明できたと思っています。これまで精神面から語られることの多かった「対米従属」の問題を、軍事面での法的な構造から、論理的に説明できるようにもなりました。

けれども、最後までどうしてもわからなかったのは、

「なぜ日本だけが、そこまでひどい状態になってしまったのか」ということでした。

「戦争で負けたから」という答えは明らかな間違いです。

世界中に戦争で負けた国はたくさんある。けれども現在の日本ほど、21世紀の地球上で、他国と屈辱的な従属関係を結んでいる国はどこにも存在しないからです。

そのことは第三章で紹介した、イラクが敗戦後にアメリカと結んだ地位協定の条文を読めば、誰にでもすぐにわかってもらえるはずです。

 

「密約の歴史について書いてくれ」

その点について、ずっとモヤモヤしたものが残っていました。もうひとつウラの構造があることは確かなのですが、それが何かが、よくわからなかったのです。

そんなある日、「密約の歴史について書いてくれませんか」

という出版社からのオファーがあったので、喜んで引き受けることにしました。以前からずっと、調べてみたいと思っていたことがあったからです。

じつは戦後の日本とアメリカのあいだには、第五章で書いた、

裁判権密約

基地権密約

のほかに、もうひとつ重要な密約のあることが、わかっていたのです。それが、

指揮権密約」です。

その問題について一度歴史を遡って、きちんと調べてみたいと思っていたのです。

指揮権密約とは、一言でいってしまえば、

戦争になったら、自衛隊は米軍の指揮のもとで戦う」という密約のことです。

「バカなことをいうな。そんなものが、あるはずないだろう」とお怒りの方も、いらっしゃるかもしれません。

しかし、日米両国の間に「指揮権密約」が存在するということは、すでに36年前に明らかになっているのです。その事実を裏付けるアメリカの公文書を発見したのは、現在、獨協大学名誉教授の古関彰一氏で、1981年に雑誌『朝日ジャーナル』で発表されました。

それによれば、占領終結直後の1952年7月23日と、1954年2月8日の二度、当時の吉田茂首相が米軍の司令官と、口頭でその密約を結んでいたのです。

 

 

「指揮権密約」の成立

次ページに載せたのは、その一度目の口頭密約を結んだマーク・クラーク大将が、本国の統合参謀本部へ送った機密報告書です。前置きは一切なしで、いきなり本題の報告に入っています。

「私は7月23日の夕方、吉田氏、岡崎氏〔外務大臣〕、マーフィー駐日大使と自宅で夕食をともにしたあと、会談をした」

まずこの報告書を読んで何より驚かされるのは、米軍の司令官が日本の首相や外務大臣を自宅に呼びつけて、そこで非常に重要な会談をしていたという点です。占領はもう終わっているのに、ですよ。

これこそまさに、独立後も軍事面での占領体制が継続していたことの証明といえるようなシーンです。しかも、そこに顔を揃えたのは、日本側が首相と外務大臣、アメリカ側が米軍司令官と駐日大使。まるで日米合同委員会の「超ハイレベル・バージョン」とでもいうべき肩書きの人たちなのです。

「私は、わが国の政府が有事〔=戦争や武力衝突〕の際の軍隊の投入にあたり、指揮権の関係について、日本政府とのあいだに明確な了解が不可欠であると考えている理由を、かなり詳しく説明した」

つまり、この会談でクラークは、

「戦争になったら、日本の軍隊(当時は警察予備隊)は米軍の指揮下に入って戦うことを、はっきり了承してほしい」

と吉田に申し入れているのです。そのことは、次の吉田の答えを見ても明らかです。

「吉田氏はすぐに、有事の際に単一の司令官は不可欠であり、現状ではその司令官は合衆国によって任命されるべきであるということに同意した。同氏は続けて、この合意は日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきであるとの考えを示し、マーフィー〔駐日大使〕と私はその意見に同意した」

戦争になったら、誰かが最高司令官になるのは当然だから、現状ではその人物が米軍司令官であることに異論はない。そういう表現で、吉田は日本の軍隊に対する米軍の指揮権を認めたわけです。こうして独立から3ヵ月後の1952年7月23日、口頭での「指揮権密約」が成立することになりました。

 

徹底的に隠された取り決め

ここで記憶にとどめておいていただきたいのは、吉田もクラークもマーフィーも、この密約は、

「日本国民に与える政治的衝撃を考えると、当分のあいだ秘密にされるべきである」

という意見で一致していたということです。

結局、その後も国民にはまったく知らされないまま、これまで60年以上経ってしまったわけですが、考えてみるとそれも当然です。

外国軍への基地の提供については、同じく国家の独立を危うくするものではありますが、まだ弁解の余地がある。基地を提供し駐留経費まで日本が支払ったとしても、それで国が守れるなら安いものじゃないか──。要するに、それはお金の問題だといって、ごまかすことができるからです。

しかし、軍隊の指揮権をあらかじめ他国が持っているとなると、これはなんの言い訳もできない完全な「属国」ですので、絶対に公表できない。

そもそも日本は、わずか5年前(1947年)にできた憲法9条で、「戦争」も「軍隊」もはっきりと放棄していたわけですから、米軍のもとで軍事行動を行うことなど、公に約束できるはずがないのです。

ですから、1951年1月から始まった日本の独立へ向けての日米交渉のなかでも、この軍隊の指揮権の問題だけは、徹底的に闇のなかに隠されていきました。

この「戦時に米軍司令官が日本軍を指揮する権利」というのは、アメリカ側が同年2月2日、最初に出してきた旧安保条約の草案にすでに条文として書かれていたもので、その後もずっと交渉のなかで要求し続けていたものでした。

しかし、日本国民の目に見える形で正式に条文化することはついにできず、結局独立後にこうして密約を結ぶことになったのです。

その後アメリカは、占領中の日本につくらせた「警察予備隊」を、この指揮権密約にもとづいて3ヵ月後、「保安隊」に格上げさせ(1952年10月15日)、さらにその2年後には2度目の口頭密約(1954年2月8日:吉田首相とジョン・ハル大将による)を結び、それにもとづいて「保安隊」を「自衛隊」に格上げさせ(同年7月1日)、日本の再軍備を着々と進めていきました。

それほど重大な指揮権密約ではありましたが、古関氏が雑誌に発表した時は、とくに反響らしい反響もなく、ただ編集部に、

「そんな誰でも知っていることを記事に書いて、どうするんだ」

などという嫌みったらしいハガキが、一枚来ただけだったそうです。

その2年前(1979年)にやはり公文書が発掘された「天皇メッセージ」(昭和天皇が1947年9月、側近を通してGHQに対し、沖縄の長期占領を希望することなどを伝えた口頭でのメッセージ)の時もそうだったようですが、問題が大きければ大きいほど、スルーされる。あまりにも大きな問題に対しては、そういうシニカルな態度で「なんでもないことだ」と受け流すしか、精神の安定を保つ方法がないということなのでしょうか。

しかしすでに述べた通り、この密約を結んだ日米両国の要人たちは、それが日本の主権を侵害する、いかに重大な取り決めであるかをよくわかっていたわけです。

事実私も、戦後の日米関係のなかで最も闇の奥に隠された、この「指揮権密約」の歴史をたどることで、それまでわからなかった日米間の法的な関係の全体像を理解することが、ようやくできるようになったのです。

矢部 宏治

じつは「日本」は「完全な属国」だった…日本が米国と交わした「ヤバすぎる3つの密約」(現代ビジネス)

 

 

日本が渡してしまった「ヤバすぎる特権」…なんとアメリカ軍にとって、日本は「国境が存在しない国」だった!

4/7(日) 現代ビジネス

 

日本には、国民はもちろん、首相や官僚でさえもよくわかっていない「ウラの掟」が存在し、社会全体の構造を歪めている。

 

そうした「ウラの掟」のほとんどは、アメリカ政府そのものと日本とのあいだではなく、じつは米軍と日本のエリート官僚とのあいだで直接結ばれた、占領期以来の軍事上の密約を起源としている。

『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』では、最高裁・検察・外務省の「裏マニュアル」を参照しながら、日米合同委員会の実態に迫り、日本の権力構造を徹底解明する。

※本記事は矢部宏治『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』から抜粋・再編集したものです。

 

研究の成果をひとことでまとめると

ここまで見てきた、「戦後日本」という国のあまりにもおかしな現実。約7年間、多くの研究者の皆さんと一緒に、その謎を解くための研究を続けてきました。

一体なぜ、日本はここまでおかしなことになっているのか。そしてその背後には、どのような歴史の闇が隠されているのか……。

この間に、私が書いたり企画編集した本を刊行順に並べると、次のようになります。

『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』(矢部宏治 書籍情報社)

『戦後史の正体』(孫崎享 創元社)

『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(前泊博盛編著 矢部宏治共著 創元社)

『検証・法治国家崩壊』(吉田敏浩・新原昭治・末浪靖司共著 創元社)

『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治 集英社インターナショナル)

『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』(矢部宏治 小学館)

『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』(矢部宏治 集英社インターナショナル)

『「日米合同委員会」の研究』(吉田敏浩 創元社)

これら8冊のすべてのエッセンスを凝縮させるかたちで、今この本を書いているのですが、もし誰かに、

「それらの研究の成果をひとことでまとめると、どうなりますか」と聞かれたら、私は次のように答えます。

「旧安保条約の第1条を読んでください。そこにすべてが書かれています」

 

「条文」を読むおもしろさ

条文というのは読みなれていないと、かなりとっつきにくく、文中にひとつ入っているだけでも、

「うわっ、ちょっと読む気がしないな」と思ってしまう方が多いかもしれません。

しかし、少し読み慣れてくると、それはとてもおもしろいものです。

その魅力はなんといっても、たったひとつの条文だけで、ものすごく大きな現象をスパッと明快に説明できてしまうところにあります。

あるいはそれは、数式のもつおもしろさに似ているのかもしれません。

本書の第1章と第2章では、それぞれの章の最後で、私たちが知らないうちに結ばれていた、左のようなとんでもない法律や密約についてご説明しました。

■米軍による日本の空の支配を正当化する「航空法の適用除外条項」(第一章)

■米軍の日本全土における治外法権を正当化する「日米合同委員会での密約」(第二章)

皆さんもおそらくその内容に憤慨しながらも、これまで不可解に思われていたさまざまな現実が、すっきりと整理できることに驚かれたのではないかと思います。

そうした日米間に存在する無数の「数式」(=隠された法的取り決め)の大元こそ、この「旧安保条約・第1条」なのです。

 

「旧安保条約・第1条」

では、問題のその条文を見てみましょう。旧安保条約の第1条には次のように書かれています。

「平和条約および安保条約の効力が発生すると同時に、米軍を日本国内およびその周辺に配備する権利を、日本は認め、アメリカは受け入れる」(前半部 英文からの著者訳)

日本が独立を回復するにあたって結ばれた平和条約(=サンフランシスコ講和条約)と旧安保条約は、どちらも1951年9月に調印され、翌1952年4月に発効しました。

その時から日本はアメリカに対して、非常に大きな軍事上の特権を与えることになったわけですが、ここで注目していただきたいのは、日本が旧安保条約のなかの、もっとも重要な「第1条」で認めたその特権とは、アメリカが米軍を、

「日本国内およびその周辺に」「配備する権利」

だったということです。

 

米軍を「配備する権利」

それは一体、どういう意味なのか。まず「配備する権利」の方から見てみましょう。

この条約で日本が認めたのは、アメリカが日本に「基地を置く権利」ではなく、「米軍を配備する権利」だと書かれています。

しかし、これは普通の条約では、絶対ありえないはずの言葉なのです。

私たち日本人はそのあたりの感覚がほとんど麻痺してしまっているのですが、世界の常識からいえば、そもそも自国のなかに外国軍が駐留しているということ自体が完全に異常な状態であって、本来ならそれだけでもう独立国とはいえません。

万一やむをえず駐留させる時でも、ギリギリまで外国軍の権利を条文でしばっておかなければ、国家としての主権が侵害されかねない。そうした非常に危険な状態だということを、そもそもよく認識しておく必要があります。

そのことは、第二次大戦以前はアメリカの本当の植民地だったフィリピンが、戦後、アメリカとどのような取り決めにもとづいて基地を提供していたかを見れば、すぐにわかるのです。

1947年に結ばれた「米比軍事基地協定」(1991年に失効)には、米軍がフィリピン国内に基地を置いていいのは次の23ヵ所であると、その場所がすべて具体的に明記されているからです。

ところが日本の場合は、特定の場所を基地として提供する取り決めではなく、どこにでも米軍を「配備」できることになっている。これを「全土基地方式」といいます。

いま初めてこの言葉を聞いた方は信じられないかもしれませんが、これはすでに沖縄を中心とした長い研究の積み重ねによって証明されている、紛れもない事実なのです。

 

三重構造の「安保法体系」

「はじめに」にも書いた通り、米軍は日本の国土をどこでも基地にしたいと要求することができます。そして日本はその要求を事実上、断れない。

そうした現状をもたらす根拠となったのが、旧安保条約時代のこの第1条なのです。

さらにはこの「軍を配備できる」という言葉には、「どこにでも基地を置くことができる」という以上の意味があって、その基地を拠点に自由に軍事行動(戦争や軍事演習)を行うことができるという意味も含んでいるのです。

この旧安保条約・第1条を根拠として、米軍が日本の国土のなかで、日本の憲法も国内法も無視して、

「自由にどこにでも基地を置き」

「自由に軍事行動をおこなう」

ことを可能にする法的な仕組みが、つくられることになりました。

それが次ページの、

「旧安保条約」⇨「行政協定」⇨「日米合同委員会」

という三重構造をもつ、「安保法体系」だったのです(「行政協定」とは「旧安保条約」の下で米軍が、日本国内で持つ特権について定めた協定。1952年4月の占領終結とともに発効し、1960年の安保改定で「地位協定」に変更された)。

 

国境がない国、日本

さらに「旧安保条約・第1条」に書かれたもうひとつの重要なポイントは、そうしてアメリカが米軍を「配備する」ことを許された場所が、

「日本国内およびその周辺(in and about Japan)」だったということです。

私も最初にこの条文を読んだ時は、

「その周辺っていっても、国外のことまで日本が決める権利はないはずだけどな」

と不思議に思っていたのですが、第1章で見た「横田空域」について調べていくうちに、その本当の意味がわかりました。

たとえば日本の首都圏には、横田、座間、厚木、横須賀と、沖縄なみの巨大な米軍基地が、首都東京を取り囲むように四つも存在しています。

そしてそれらの基地の上空は、太平洋の洋上から「横田空域」によってすべて覆われています。

ですから米軍とその関係者は、日本政府から一切チェックを受けることなく、いつでも首都圏の米軍基地に降り立つことができるのです。

しかも到着後、米軍基地からフェンスの外に出て日本に「入国」する時も、日本側のチェックは一切ありません。なので、たとえば横田基地に到着した米軍関係者が軍用ヘリを使えば、東京のど真ん中にある六本木の軍事ヘリポートまで、わずか二十数分で飛んでいくことができるのです。

つまり、米軍やその関係者にとって、日本は「国境が存在しない国」ということなのです。そして「旧安保条約・第1条」に書かれた「米軍を日本国内およびその周辺に配備する権利」とは、米軍が「日本の国境を越えて自由に軍事行動できる権利」という意味だったのです!

 

憲法9条が見逃しているもの

それがどれだけ異常な特権であるかに気づいたのは、2003年に勃発したイラク戦争の後、アメリカとイラクが結んだ「イラク・アメリカ地位協定」(2008年)の条文を読んでいた時のことでした。

2003年3月にアメリカと開戦したものの、ほとんど戦闘らしい戦闘もないまま、わずか1ヵ月で全土を占領されてしまったイラク。しかし、そのイラクが敗戦後のアメリカとの交渉では素晴らしい粘り腰を発揮し、アメリカが提案してきた地位協定の草案に、なんと110ヵ所もの訂正を求めていたのです。

なかでも、もっとも大きな訂正の一つが、

「イラクに駐留する米軍が、イラクの国境を越えて周辺国を攻撃することを禁じる」

という条文を、新たに加えたことでした。

この条文を読んだ時、まさに目からウロコが落ちるような思いがしたことを今でもはっきりと覚えています。

「驚いたなあ。イラクはこんな条文をアメリカに認めさせたのか。でも、じゃあどうして憲法9条をもつ日本には、それができなかったんだろう」と。

ほかの国の軍事協定を読んでいるとよくわかるのですが、主権国家にとって「他国の軍隊が自国の国境を越えて移動する権利」というのは、なにより厳重にコントロールしなければならないものなのです。

戦争で一方的にボロ負けしたあと、崩壊した国家のなかでそうした「主権国家としての正論」をアメリカに堂々とぶつけ、しかも了承させたイラクの外交官たちに大きな拍手を送りたいと思います。

しかし、同時に私たち日本人は、深く反省もしなければなりません。

こうしたイラクの地位協定を読むと、私自身も以前はあまり抵抗がなかった、

「憲法9条にノーベル平和賞を」などという耳触りのいい主張が、いかに現実からかけ離れたものであるかが一瞬で理解できるからです。なにしろ、その憲法9条のもとで私たち日本人は、世界一戦争をよくする米軍に対して、

「国内に自由に基地を置く権利」と、

「そこから飛びたって、自由に国境を越えて他国を攻撃する権利」

を、両方与えてしまっているのですから。

 

安保条約に「在日米軍」という概念はない

そしてもうひとつ。

旧安保条約・第1条が米軍に対して、「自由に基地を置く権利」だけでなく、「自由に国境を越えて他国を攻撃する権利」も与えていることがわかると、いわゆる「在日米軍」という存在についても、日本国内から見ているだけではわからないそのダイナミックな本質が浮かび上がってくるのです。

そもそも意外なことですが、「在日米軍」などという言葉や概念は、安保条約や地位協定のなかには、一切存在しないのです。そうした条約や協定の対象となっているのは、あくまで「日本国内にいるあいだの米軍」のことで、それは外務省自身がはっきり認めているのです(「日米地位協定の考え方 増補版」)。

簡単に説明すると、日本がこれまで安保条約や地位協定によって巨大な特権を与え続けてきたのは、

「日本の基地に駐留している米軍」だけではなく、

「一時的に日本の基地に立ち寄った米軍」や、

「たんに日本の領空や領海を通過中の米軍」

など、すべての米軍に対してだった、ということです。

つまり、日本の防衛に1ミリも関係のない、100%アメリカの必要性だけで行動している部隊に対しても、それが日本の領土や領空内に「存在」している限り、安保条約や地位協定によって大きな特権が与えられるということです。

その事実だけから考えてみても、日米安保の本質が「日本の防衛」などではなく、あくまでも、米軍による「日本の国土の軍事利用」にあることは明らかでしょう。

矢部 宏治

 

日本が渡してしまった「ヤバすぎる特権」…なんとアメリカ軍にとって、日本は「国境が存在しない国」だった!

 

 

日米合同委員会廃止!抗議街宣(3/28)
国民の手でこの秘密会議を暴いてやりましょう。
絶対に、絶対に諦めない。
甲斐まさやす

 

【動画】3月28日

ニュー山王米軍センター(ニュー山王ホテル)前「日米合同委員会廃止」抗議街宣