笠山荒神社/明治の修験禁止令に負けず修験道(山伏)は生き残ってきた

2024年3月27日

 

奈良県桜井市の笠山荒神社

 

日本は奈良時代から神仏習合でやってきた。こちらがその証拠(下写真)

しかし、明治元年の神仏分離令により神道と仏教を分離させられ、明治5年には修験禁止令(修験道を禁止)が出され、さらには廃仏毀釈まで行われてしまった。

 

 

修験道とは

修験道 - Wikipedia

修験道(しゅげんどう)とは、古代日本において山岳信仰に仏教(密教)や道教(九字切り)等の要素が混ざりながら成立した、日本独自の宗教・信仰形態。

山へ籠もって厳しい修行を行うことで、悟りを得ることを目的とする。仏教(密教)の一派として扱われて、修験宗と表現されることもある。修験道の実践者を、修験者または山伏という。

 

明治元年(1868年)の神仏分離令に続き、明治5年、修験禁止令(11)が出され、修験道は禁止された。里山伏(末派修験)は強制的に還俗させられた。また廃仏毀釈により、修験道の信仰に関するものも破壊された。修験系の講団体のなかには、明治以降、仏教色を薄めて教派神道となったものもある。御嶽教、扶桑教、実行教、丸山教などが主で、教派神道にもかかわらず不動尊の真言や般若心経の読誦など神仏習合時代の名残も見られる。

明治以降、修験禁止になっても、修験道の気合術を民間療法に活かした修験浜口熊嶽、気合術の気合・合気を武術に活かした大東流合気柔術の創始者武田惣角がいる。武田は理論の気合ノ術・合気ノ術、実技鍛錬法の気合の法・合気法を残した。合気の極意「音無きに聞き姿無きに見る」は修験の鍛錬の意味がある。

※11  明治5年9月15日太政官布告第273号(『法令全書 明治5年』内閣官報局、pp.194-195

 

八咫烏 - Wikipedia

 

【動画】

笠山荒神参拝動画