Facebookに

不適切な投稿をし

 

 

殺人事件の遺族を侮辱したとして

懲戒を申し立てられていた

岡口基一裁判官が

 

 

Facebookの投稿が

裁判官の品位を辱める行状

にあたるという理由で

 

 

最高裁判所から

戒告処分を受けました。

 

 

 

岡口裁判官は、2018年にも

Twitterの投稿を理由に

戒告を受けていて

 

 

今回が2度目の戒告処分です。

 

 

 

ちょっと長いですが

投稿内容をそのまま

紹介します。

 

 

 

2018年のTwitterは

 

犬の所有権が争われている

裁判記事のURLを貼り付けたうえで

 

 

「公園に放置されていた犬を保護し

育てていたら、3か月くらい経って

もとの飼い主が名乗り出てきて

 

『返してください』

 

『え?あなた?この犬を捨てたんでしょ?
3か月も放置しておきながら』」

 

との投稿をし、戒告処分を受けています。


 

 

今回は,Twitterで

 

殺人事件の判決文のURLを

貼り付けた上で

 

 

「首を絞められて苦しむ女性の姿に

性的興奮を覚える性癖を持った男

 

そんな男に,無残にも

殺されてしまった17歳の女性」

 

 

と投稿していましたが

 

遺族から批判があったことから

Facebookで

 

「遺族の方々は,俺を非難するようにと

東京高裁事務局などに

洗脳されてしまい

 

いまだにそれを

続けられています」

 

 

と投稿していました。

 

 

 

最後のFacebookの投稿は

たしかに品位がない投稿で

 

戒告を受けるのは

仕方がないかもしれません。

 

 

しかし、Twitterの投稿は

裁判官が投稿したとしても

全く問題のあるものではありません。

 

 

 

2018年の犬の裁判の

Twitterは

「確かに,3か月も放っておいて

いまさら…?」

と思う人はたくさんいるはずです。
 

 

 

また,殺人事件のTwitterについても


裁判所がアップしている

裁判のURLを示し

事件の紹介をしているだけで

 

被害者を貶めるような

ものではありません。

 

 

 

なので,裁判官以外の人が

これらの投稿をしていたとしても

 

問題とされることは

なかったでしょう。

 

 

 

そうすると,これらの投稿は

「一般人が投稿するなら許されるが

裁判官であれば許されないもの」

 

ということになります。

 

 

ただ,一般人が抱く感情や感想は
当然裁判官だって同じように

抱くものです。


それはわかっていながら

「裁判官が」SNSで

それを発信することは許されない

ということなのでしょうか。

 

 

 

自分の担当する事件であれば別ですが

担当していない事件に裁判官が

上記のような投稿をしたところで

 

 

裁判の公正さが失われることは

ありません。

 

単純に,「そう考える裁判官も

いるんだね」と思って済む話です。

 

 

 

言うまでもありませんが

裁判官はプロとして事件に

向き合っています。

 

 

 

裁判は,個人の感想や感情に

流されず,証拠と事実に基づいて

判断され

個人の思想信条や感情に

基づいて判断するなんてことは

最もやってはいけないことですし

 

そんなことは、日本の裁判官

全員にとって百も承知です。

 

 

確かに、裁判官の中には偉そうで

頭の固い人もいますが


ふざけた一面をもっていて

面白い人もいますし


博識で深い見識を持っていて

尊敬できる人もたくさんいます。

 


それにもかかわらず

国民は,裁判官に対し

 

裁判官は感情を抱くことなく
感情を抱いても表現することはない

ただただ法律の勉強ができる

 

まるで機械のようなものとでも

思っているのではないでしょうか。
 

 

そして,今回の件で最も問題なのは

最高裁の対応です。

 

 

 

岡口裁判官の言動について

批判を受けたとしても

 

最高裁としては,自信をもって


「我々裁判官は,個人の思想信条がいかなる

ものであったとしても

 

あくまでも事実と証拠に基づいて

判断するもので,裁判官個人の考えに

左右されることはなく


仮に思想信条が違う100人の

裁判官がいたとしても

全員同じ判断を下します。」


と言いきればいいだけです。

もっと極端にいえば

 

「裁判所には奇人変人もいるけど
裁判(仕事)は事実と法に基づいて
極めてまじめにやっている!」

 

 

というだけでもいいです。

 

 

 

問題なのは、裁判官にも

いろんな人がいるのに
その部分に目を向けず
 

 

まるで裁判官には感情がなく

感情があっても外に出すことはなく

目立たないようひそかに生活している

 

 

という、本当に固い裁判官像を想定し
そのイメージを守ろうとしている

ことです。
 

 

それは、最高裁自身が

国民からどう見られているのか

信頼を得られているのかどうか

 

確証が持てず不安なため

過敏になっているように

みえます。

 

 


怒りのあまり、まとまりが

なくなりましたが
 

裁判官にだって様々な人がいて

そんなことはみんなわかっている

はずなのに

 


それを肯定しようとせず

許容性することができない

社会であることをとても危惧しています。
 

 

「それでもやはり裁判官が
 SNSで自由な発言をするのは

 不適切だ」

 

という方は,今後是非

AIにでも判断をしてもらって

ください。

 

ただ

 

「これは絶対に

正しい判決を出すAIで

このAIのジャッジに従えば

間違いないです」

 

なんて言われたところで

裁判の当事者が納得する

ことはないでしょう。

 

 

 

裁判はとても人間くさい場所ですし

裁判官もそこらへんの人と変わりません。