※(A・1979)※…記憶をなくしたアツキ、何故かキリスト教らしき集団と行動を共にしている。
 ※(B・2020)「記憶」※…精神病の父を持つ亜月の物語。老人によって書かれた回想風のもの。



 《第七章》





 ※※※(A・1979)《承前》※※※


 ………


 寮の食堂で朝食を取った後、アツキとチカは集合場所である旧神学校校舎前のグラウンドへと向かった。集合時間の七時にはまだ少し間があったが、グラウンドのあちこちには既に多くの若者たちが屯(たむろ)している。そこへ牧師団のグループがやって来て、名前のアルファベットに従い所定の列に並ぶよう指示を始めた。この指示によって出来た十二人ずつ八本の列(つまり信徒作業員は全部で九十六人いた事になる)がこの日から始まる「作業」の班分けになるという訳だ。

 アツキとチカは五班の列だった。牧師長を除いた牧師団は九人、その内のひとりは主任(前日の礼拝でオルガンを弾いていた例の牧師)で、残りの八人がそれぞれ班の担当牧師に割り当てられていた。全員が整列を終えると、主任牧師が作業を始めるに当たっての祈りを、意外にも深く穏やかな声で時間をかけて祈った。

 午前中は皆でグラウンドの整備や草取りを行った。
 午後からは整備したばかりのグラウンドを、班毎に隊列を組んで行進せよとの主任からの指示。しかも行進しながら自分たちの歩調に合わせ、

 アー!・デー!

 ゲー!・ツェー!

 エフ、ベー、エス、アス!

 ツィス、フィス、ハー、エー!シュティメン!!!

 と、叫ばなければならない(このドイツ音名の連なりらしき掛け声の意味を皆は後日知る事となる)。これを最初は常歩、次に速歩、最後はランニングの早さで、短い休憩を挟みながら全員の息が合うまで何度も繰り返させられる。まるで軍隊のよう…だが、若者たちは(アツキやチカも含め)上からの指示には驚くほどに従順だった。それは彼らの中に、自分たちが記憶をなくしている以上、取りあえずは、この集団のやり方に従ってやって行くより仕方がないといった考えがあったからだろう。

 陽が大きく西に傾く時分になり、漸く皆は、この奇妙な行進練習から解放された。
 その後、次の日から始まる「本来の作業」に備える為、旧校舎内の教室へと移動する。旧校舎の地下と一階、及び五階にある八つの教室が明日からの作業場となるらしい。アツキたち五班の作業場は旧校舎地下の一番奥にある教室だった。五班の担当牧師(牧師団の中でも一番年長で穏やかそうな人物)に連れられ中に入ると、教室の床には大小様々の鐘が並べられている。鐘といっても仏教寺院のそれではなく、全てが教会の鐘楼に設置されているようなカリヨン、即ち幾つかの鐘が連なった「組み鐘」だった。
 「カリヨン」…その名を聞いて即座に、例の《記憶》と題されたノートの事がアツキの脳裏を掠める。そこには「亜月」の実家の家業(=「借り四」)についての記述があり、その客室のそれぞれに様々な「組み鐘(カリヨン)」が設置されていると書かれていたのだ(☆第一章《記憶①》参照)。ノートの存在をアツキはまだチカには話していない。特に隠す意図もなかったが、アツキには、このノートが果たして自分の過去を記したものなのか、また、このノートの存在が自分にとって一体どういう意味を持っているのか、もう少しひとりで探ってみたいという思いがあった。
 教室に置かれている鐘は古いものばかりだった。嘗ては美しく滑らかあったであろう表面の光沢も今は消え、多くの鐘は所々に錆が浮いている。どうやら信徒作業員の皆は、これからここで、これらの鐘の修理をさせられるという事らしい。
 担当牧師が明日からの集合場所と時間等を告知し五班はその場で直ぐに解散となった。

 チカがいつもの女友達と連れだって夕食に向かった為、アツキはひとりで寮の部屋へと帰ってきた。簡易ベッドの上に身体を投げ出すと早速傍らに置いているボストンバッグを探り例のノートを取り出す。チカの居ないときに少しずつ読み進めているため挟んだ栞はまだそれ程には移動していないが、物語の中の「亜月」の年齢が次第に現在の自分のそれに近づきつつあり、アツキはその先を読み進む事に妙な緊張を覚えていた。


 ノートを手に取り、挟んでいた栞のページを開く。

 そのページは大学生になった「亜月」がピアノを習い始めるところから始まっていた。そしてそこから始まる最初の部分にこれまでには付される事のなかった題がつけられていた。


 即ち、そこには『理弓とのこと』と記されていたのだった。








 ※※※「記憶⑦」(B・2020)※※※




 【理弓とのこと①】



 亜月が通う事になったピアノ教室の講師は加津井先生といった。
 学者の夫とはとうに死別し子供は無く、教室を開いているその家に独りで暮らしている。昔に上野の音楽学校を出たとの事だったが、「いえね、それがあなた、あの頃は今と違ってましてね、誰それのソナタをちょろろっと弾いたらそれで受かるくらいのものだったんですのよ」と、笑いながら話した。既に七十歳を大きく越えていたろうが、表情や立ち居振る舞いはどこかオマセな少女の様でもあった。
 
 このピアノ教室に亜月は毎週木曜の夕方通う事になった。レッスン時間は一回三十分で月謝は六千円、その程度の出費なら母からの仕送りで充分だったが、亜月は自分の独立の証(などと言うと世間からは大笑いされそうだが)として、これをアルバイト代で賄う事にした。さらにその収入で当時はまだ珍しかった電子ピアノを購入したいと考えもした。だがそれを先生に告げると、「あら、何も急いで買わなくったって、弾きたくなったらいつでもウチに弾きにいらっしゃいな。使っていない時なら好きなだけお弾きになってもよろしくてよ」と有り難い言葉を頂いた。

 アルバイトは週一回の家庭教師に加えて、単発で催し物会場の設営や工場内の清掃等も行った。アルバイト先の従業員達は亜月の不器用な手付きを眺めるにつけ「あんた、これまで親の手伝いなんて何んにもしてこなかっただろ」と笑ったが、そんなからかいの言葉も亜月は甘んじて受けた。事実には違いなかったし、それでも自分はあの一度として働いた事のないであろう父親より少しは増しなのだと思えば、そういった言葉が嬉しくさえあったのだ。

 アルバイトのない日、亜月はピアノを借りるため頻繁に加津井先生の教室を訪ねた(但し先生が他の生徒を教えている時間帯と重ならない様に気をつけた)。練習を終えると先生は亜月を応接間に招き入れ、紅茶を淹れてくれた。そしていつ果てるとも知れない熱心さで古典音楽についての豊かな知見を語ってくれた。
 先生は、自分の好きな作曲家はバッハで、取り分け和声の繋がりの妙に心惹かれるのだと話した。時にはピアノでバッハの曲を弾いて聴かせてくれたが、その多くは鍵盤の曲ではなく受難曲やカンタータの一節で、自分は昔にキリスト教の洗礼を受けているのだと云うような事もさり気なく口にした。

 亜月が熱心に通ったお陰で、レッスンの方は三ヶ月もするとバイエルも三分の二の辺りまで進んだ。その頃から先生は彼にバッハの簡単な曲を与える様になった。曲を習う(さらう)うち亜月もバッハが好きになった。そして、先生の言う「和声の繋がりの妙」についても少し分かる様な気がしてきた。いや、分かってきたというより、それまで朧気(おぼろげ)に感じていたものをはっきり意識できる様になったと言った方が正確かもしれない。バッハの音楽には確かに「それ」が有ったのだ。

 さて、亜月がバッハを習う様になった頃の或る日の事、レッスンの時刻より少し早目に教室に着くと、これまでは空いていた筈のその時間に新しい生徒が居てピアノの前に座り先生のレッスンを受けていた。生徒は高校一年生位に見える少女で、バイエルのほぼ最初に近い辺りのページを先生に見守られながら辿々しく弾いていた。後に、亜月は、少女のちょっと珍しい名前と、(「少女」と書きはしたが)実は彼女が彼と同じ年の生まれである事を知った。

 その「少女」が、亜月に取っての初めての恋人となる女性…理弓だった。





 《続く》