この話はのどかさんの「ぼっち企画(お題は死者の日)」に乗らせてもらって書きました。
 例によって「クイズ付き小説」ですが、今回の答えとなる言葉は、知っている人は知っているが、知らない人は知らない(当たり前ですが)つまり、子供から大人まで誰もが知っているような言葉ではないかもしれません、どうかご了承下さい(そして、今回も長いです、約1万字。地の文ばかり多くて会話文が少ないという読みにくい作品になってしまいました。スミマセン)。

 では、また《あとがき》でお会いしましょう。


 …………

 

 


  クイズ付き小説「古賀と里緒の音楽鑑賞会」

 


      マルティン☆ティモリ作

 


 《登場人物》

 古賀…語り手(私)、初老の男
 里緒さん…古賀の憧れの女性


 ☆   ☆   ☆


 レクイエム《requiem(ラテン語)》…鎮魂曲。ミサ曲の一種。キリスト教で、死者の魂を鎮めるために捧げる音楽。

 (金田一晴彦、池田弥三郎=編、学研「国語大事典」より)


 ☆   ☆   ☆


 そのコンサートホールは台形の姿をした小高い山の上にあった。

 秋の日、旅先で音楽鑑賞会に招かれた私たちは、バスを降りると渡された地図を頼りにホールへの道を辿った。
 台形の山の頂、上底部分にこんもり繁る木々の中を進んで行くと、いきなり視界が開け、動物除けなのだろうか太い丸太を垂直に組み合わせて作ったやたら頑丈そうな高い塀が現れる。見上げるとその奥に、目指すホールの巨大な大屋根が天へ届かんばかりに高く聳(そび)えていた。


 里緒さんが言う。

 

 「わあ、すごいわね。まるで西洋のお城みたい!」

 

 確かにそう…なのだが、城といってもこれは普通にイメージするようなメルヘンチックな城ではない。周囲の塀ともども、むしろ城塞と呼びたくなるような実に厳(いか)つい外観なのである。

 

 「ほんとだね。しかもこのホール、こんなに大きいのに外側から内部まで全部が木で出来てるんだってさ」

 

 言いながら私は振り返り、大屋根を見上げている里緒さんの方へと視線を移す。

 目に映るのは「美しい」というのとは少し違うかもしれない里緒さんの大柄な身体…しかし今の私には、彼女のそんな体型さえもがこの上なく愛(いと)おしい。人生も下り坂に差し掛かろうという年齢となった私と里緒さんは、実を言えば互いに配偶者を持つ身…即ち、私たちは目下不倫旅行の最中(さなか)というわけなのだ。


 高い塀に開けられた不自然なほどに狭小な門をくぐり、会場入り口へと続く石畳を歩く。
 正面に見るホールの外観は大屋根を支える木組みが四隅で突き抜け、微妙なカーヴを描きつつ高く伸び上がって、見る者に両手を空へ向け差し出しているかのような印象を抱(いだ)かせる。チケットを提示し玄関を通ると、檜材の香り漂うロビーの内部は大勢の老若男女であふれていた。

 

 「カップルが多いわね、ていうか、ここにいる人たちって全部カップルなんじゃない?」

 

 「そのようだな。どうやらここに招待されたのは私たちと同じく旅行中の男女二人連ればかりらしい」

 

 と言っても、見たところ特に音楽愛好家ばかりを招待したというわけでもないようで、中には肩を抱き合ったり、さらには人目もはばからずキスを交わすカップルもいる。不倫旅行中という立場からすれば私たちも威張れたものではないのだけれど、それでもクラシックのコンサートには不似合いな雰囲気に不快になった私は、里緒さんの手を引いてロビーを横切ると、音楽ホール内へと続く両開きのドアを足早に潜り抜けた。

 

 と…

 

 「おおおっ!」

 

 思わず声が出てしまった。

 眼前にひろがっているのは、とてつもなく広大な空間。
 湾曲した木組みの壁面を持つ内部を見渡せば、上は最も高いところで数十メートルはあろうかという天井、前方のステージは左右に翼を広げたような造りで舞台中央には巨大なパイプオルガン、ステージ上には既に大人数のオーケストラと合唱団が待機している。

 

 「こりゃ驚いた。演奏者だけで五、六百人は居るな。一体何の曲を演奏するんだろうね?」

 

 言うと、里緒さんが「はい、これ」と入口で受け取ったプログラムを差し出してくれる。私は表紙に印刷された文字に目を落とした。

 


    『レクイエム』 

 (ユウ・フォン・ミッテルプンクト作曲)

 


 んんっ?よりによってカップルばかりを招待したコンサートでレクイエム???…と思ったが、すぐに、今日11月2日が万霊節であることを思い出した。「万霊節」とはキリスト教で死者の霊に祈りを捧げる日、「死者の日」とも呼ばれている。何故そんな事を知っているかといえば、実は私は若い頃にキリスト教の洗礼を…

 

 …「ねえ、どこに座る?」 

 

 里緒さんの声が私の意識に割り込んできた。客席には空席がまだ十分にある。私たちは一階席中央の少し後方あたりに適当な席を選んで腰を下ろす。

 

 程なく開演のブザーが鳴った。
 ロビーにいた客達がぞろぞろ場内に入ってくると空席はきれいに埋まり照明が落ちる。
 拍手に迎えられ、ステージ下手(しもて)からはソプラノ、アルト、テナー、バスの四人の独唱者に続いて燕尾服に身を包んだ指揮者が登場、かなり歳取った長身痩躯の爺さんだ。指揮者と言うより老練なマジシャンを思わせる風貌。盛大な拍手のなか深く一礼すると、床に置かれていたマイクを取り上げスイッチを入れる。

 

 「ご来場の紳士淑女の皆しゃま!本日はこの万霊節コンシャートにようこしょおいでくだしゃいました。しゃて、本日演奏いたしましゅる音楽は、現代ドイツの作曲家ミッテルプンクト氏がこのコンシャートの為に作ってくだしゃいました『新曲』(!)。その名も「○クイエム」でごじゃいましゅ…」

 

 爺さん、いや、老指揮者の発音は入れ歯の調子でも悪いのかとても不明瞭で、息の漏れる音がいちいちマイクに入って煩(うるさ)い上に、曲名の「レクイエム」も「テクイエム」と聞こえてしまう。

 

 「……しょれでは、演奏に移る事にいたしましょう。(ここで老指揮者は客席をぐるりと見回し、)敬愛しゅる皆しゃま?ワタクシは自信を持って皆しゃまにお約束いたしましゅるぞ!今から演奏いたしましゅる音楽…この(テ)クイエムが、必ず、必ずや皆しゃまを素晴らしい別世界へとお連れしゅるでありましょう事を!」

 

 そんな『断定』で前口上を締めくくると、老指揮者は意外にも身体を軽やかに反転させ、サッと指揮台に飛び乗った。そして暫し頭(こうべ)を垂れ、場内に完全な静寂が訪れるのを待った後、徐(おもむろ)に指揮棒を振り下ろす…

 

 


 ☆   ☆   ☆

 


 

 ………四十年前


 「古賀(こが)さん、古賀さんね?」
 
 それは受験を控えた高3の、雪がチラチラ舞う年の暮れの事。実家近くの書店にふらりと出かけた私はその店の一隅で声をかけられる。振り返るとそこには、以前から密かに思いを寄せていた里緒さんが立っていた。

 

 当時、私はミッション系の進学校=聖ピエトロ学院高校部に通っており、里緒さんも同じ高校の同学年。高校部の生徒は各学年にそれぞれ二百人近くはいたかと思うが、高校の3年間で里緒さんとは一度も一緒のクラスになったことがない。だから、高1のころは顔すら知らず、彼女のことをはっきりと意識し始めたのは高2の秋、時間つぶしに立ち寄った校内の図書室がその発端だった。

 

 里緒さんは当時から大柄で色白、癖のない髪を額の真ん中で分けて長くのばしていた。
 大柄……そう、確かに里緒さんは顔も身体も総じて大きめのサイズだったけれど、目鼻立ちはどちらかと云えば小ぢんまりとしていたし、胸も特に大きいということはない。中肉中背の女子生徒を、パーツの大きさはそのままに全体の輪郭だけ少し大きく膨らませたような感じと言えばよいだろうか。少なくとも里緒さんは、年頃の高校生男子が一目見て心惹かれるというような、そんな容姿の持ち主でなかったことは確かである。

 

 だが、その日、彼女を見た瞬間に私の心は不思議にも波立った。それは午後の図書室というシチュエーションも影響していたのかもしれない。と云うのも、私は小学校高学年の頃から読書好きの少女に惹かれるという傾向があったし、実際、読書をしている彼女の姿には、本好きの少女等に共通するある種の清潔さといった気配が漂っていた。

 

 午後の日差しが斜めに差し込む中、里緒さんは図書室の椅子に姿勢良く座って、何やら外国の小説を一心に読んでいた。そばを通るときにこっそり目をやると、カバーの取れたエンジ色の表紙には飾り文字で「HESSE」と書かれている。私はそのときまで一度も、Hesseの書いた小説を読んだことがなかった。

 

 この日を境に、私は、学内にいるときにはいつも無意識に里緒さんの姿を探すようになった。そしてその姿を見いだしたときには、目の端でそっと彼女の姿を追った。そんな日々の中で、私は、木曜の放課後に図書室に行けば必ず彼女に会える事を知った。図書室の遠い席から本に集中している彼女の背中を見、その肉厚の背中を強く自分の腕の中に抱き込むさまを想い描き夢に見た。

 

 声をかけたりはしない、そんな勇気は私にはなかった。ただ、いつも、遠くから見ているだけ…

 

 高校最後の年になると、私は自然とHesseの本を愛読するようになっていた。そればかりか彼女の一家がクリスチャンで、この学院にも幼稚園から通っていると漏れ聞くと、私も教会に通い始め終(つい)には洗礼を受けるまでの信仰を持つに至った。…いや、これは何も共通の話題を増やして彼女に近づこうなどという下心からではない。私はただ彼女が良いと感じているもの、彼女が幼い日から信じているものを、自分もまた常に身近なものとして感じていたいと願ったからなのだった。


 そして、高3の冬…


 「古賀(こが)さん、古賀さんね?」

 

 書店の片隅、淡いピンクのセーターにコートを羽織った私服姿の彼女は、大柄な身体にもかかわらず掛け値なしに可愛らしかった。

 

 「あ…こんにちは…」

 

 緊張して言葉が続かない。結局、その時の私は最もありきたりの返しをしてしまう。

 

 「…僕の名前、『こが』じゃないんだ、『ふるが』って読むんだ」

 

 彼女はちょっと驚いた表情をした後、申し訳なさそうに言う。

 

 「あ、ごめんなさい。そうだったのね、知らなかったから…」

 

 その後、彼女は「変わった読み方ね」とか何とか言ったように思うがよく覚えていない。私の方も「いや、いいんだ、みんな間違えるんだよ」などと言って会話はそこで終わってしまった。

 

 これが高校時代に私と里緒さんが交わした唯一の会話となった。

 

 年が明け、冬も終りに近づくころには否も応もなく受験の季節が到来する。私は彼女がどこの大学を受験したのか、どんな道に進んだのかも知らないままで高校を卒業した。大学進学と同時に故郷を離れ、教会にも行かなくなった。職場で知り合った女性と結婚し家庭を持った…

 

 そして月日は流れ、最早初老と呼ばれる年齢となった私は、ある日、我が家のポストに同窓会の開催を知らせるハガキを見つける。これまで同窓会など敬遠していた私だったが、歳を取ったせいか「出席してみようかな」という思いがふと心に上ってきた…

 

 


 ☆   ☆   ☆

 

 


 ………新曲「レクイエム」は弦楽のみによる序奏で始まった。
 
 老指揮者が振り下ろした指揮棒に合わせ、弦楽器群が静かに弓の動きを開始する。

 ステージから流れてきたのは木造のホールに特有の柔らかい響き。

 現代の作曲家が作った曲であるにもかかわらず、使われている和声は意外にもルネサンス期の教会音楽家=パレストリーナを思わせる晴朗さで、ひとしきりの弦合奏の後、そこへ木管楽器が対位法的に絡み始める。
 フレーズが一段落したところで男声合唱が低くユニゾンで入ってきた。


 Requiem aeternam dona eis,Domine,

 (主よ、彼らに永遠の安息を与え給え)

  et lux perpetua luceat eis.

 (絶えざる光で彼らを照らし給え)


 その後、二部に分離したバスとテナーは、同じ歌詞につけられた旋律を何度も何度も繰り返し積み重ねていく…


 聴きながら、私は、おや?と思った。

 

 膝の上で音を立てないようプログラムを開くと、印刷されている歌詞を確認する。

 

 (やはり、おかしい…)

 

 死者のためのミサ曲=「レクイエム」は、古来モーツァルトを始めとする多くの作曲家が手がけているが、その題名は歌い出しの歌詞(ラテン語の典礼文)「Requiem」に由来している。今、私の眼前で演奏されている「レクイエム」の歌詞も、プログラムを見る限り歌い出しの単語はやはり「Requiem」となっている。ところが、この「Reqiem(レクイエム)」という歌詞が、何故か私の耳には時々、最初に老指揮者が発音したような「テクイエム」に聞こえるのだ。

 

 (「レ」が「テ」になって聞こえる…耳が遠くなってしまったせいだろうか?)

 

 そんなことを思ううちにも音楽は進行し、男声の声部の上に女声合唱が加わった。何百人もの合唱団が放つ圧倒的な朗唱…だが、このあたりから使われている和声にも少しずつ不協和音程が加わり始め、音楽は現代風の苦みを含んだ響きへと移行する。現代曲の苦手な私は、そんな曲想の変化を、まるで清い流れの中に濁り水が混じり込んでいくかの様だなと、少しがっかりした気分を抱えながら聴いていた。

 


 ☆   ☆   ☆

 


 …三ヶ月前、夏。

 

 「行ってらっしゃい!」

 

 同窓会当日の朝、私は妻に見送られ家を出た。
 会場は隣の県にあるホテル。電車に乗ればほんの一時間ほどの距離…だと高を括っていたら、お陰で少しだけ遅刻をしてしまった。

 

 会場に着く。
 ホテルの従業員に案内され大宴会場への入り口を潜るや、いきなり目に飛び込んできたのは何と四十年ぶりに見た里緒さんの姿!
 白っぽい夏服を着た彼女は、絢爛と輝く逆円錐形の大シャンデリアの下、周囲の誰と話すでもなくひとりぽつねんと席に着いていた。
 高校時代とほとんど変わっていない…いや、顔にはやはり小皺が目立ち、左手の薬指には指輪が見える。髪もあの頃より少し短くしているが、実年齢よりはずっと若く見え、驚いたことに文学少女っぽい雰囲気は私の記憶の中の彼女そのままだった。

 

 思えば四十年前の書店での遭遇の日、帰宅するなりそそくさと自分の部屋へ引っ込んだ私は、彼女が私の名の読みを間違えた事について何度も思いを巡らせたものだった。

 

 《…里緒さんは別のクラスであるにもかかわらず、僕の名前を知っていた…しかし名前の読みを知らなかった…つまり里緒さんは活字で僕の名前を知ったのだ…》
 《…普通、最初に他人の名前を知る時にはまず音で知る…だが彼女は活字で知った…それは学校の配布物を見るなどして意識して知ろうと心掛けたからではないのか?》
 《…ってことは、あるいは…ひょっとして…里緒さんも僕のことを…僕のことを!》
 
 そんな思考が心によみがえった。
 私は意を決し、彼女の席の方へとまっすぐに歩みを進める。気づいた里緒さんがわたしを見た。そして………

 


 ……………

 


 ………それから三ヶ月の時を経た昨夜、私たちは旅先のホテルで初めて結ばれたのだった。
 背後から彼女の浴衣をはだけ、白くて丸っこい裸の背に私の頬を押しつける。里緒さんの肌はしっとりと湿り気を帯びて微かに汗の匂いがした。

 不倫は初めてだった。だが、私はこの秘密の恋を「不倫」などという背徳的な響きの言葉で呼びたくはなかった、もっと純粋で特別なものと考えたかった。しかし…

 

 (何と呼ぼうが、不倫が不倫である事には変わりはないのじゃないか?)
 
 そんな問いかけが、旅の間じゅう私を苦しめ続けていた‥
 
 
 ☆   ☆   ☆

 


 ……少しウトウトしてしまっていたようだ、気が付くと、舞台上ではオーケストラと合唱団の奏でる音楽がとんでもない異様さを帯び始めていた。

 とても宗教曲とは思えない通俗的で艶めかしいメロディに、所々で発せられる楽器初心者が出すような不快な雑音、歌詞などほとんど聞き取れないソプラノ歌手のキーキーと耳障りな発声。プログラムの順序からいえば今は多分第5曲の「アニュスデイ」あたりを演奏しているのだろうが、展開されている音楽は第1曲の頃の晴朗な響きとはあまりにもかけ離れたものとなっている。
 一体、この濁った響きは?…これがそのまま楽譜に書かれているものなのだろうか?

 

 さらに、楽章の切れ目が来て6曲目の「リベラメ」が始まると、最早、聞こえてくるのは音楽とすら呼べない混沌としたものになった。
 老指揮者は相変わらず熱心に指揮棒を振っているが、数百人に及ぶ楽団員、合唱団員はひとりひとりがてんでに勝手な音楽を奏でており、中にはあちこち歩き回る者や大声で奇声を発する者など、ステージ上はまるで学級崩壊のような様相を呈している。異常な事態に客席の聴衆もざわめき始めた。

 

 (一体どうなってるんだ!こんな音楽鑑賞会があっていいものか!)

 

 …だが、私は、ここで奇妙な事に思い至った。

 

 この音楽鑑賞会に私たちは「招かれて」やってきた。それは確かなのだけれど、では誰が私たちを招待したのか?

 

 昨夜に宿泊したホテルの支配人?
 あるいは里緒さんの知り合いの誰か?

 

 いや待てよ、そもそも私と里緒さんはどういう経緯で一緒に旅行をする事になったのだったろう?

 

 私が誘った?
 彼女が誘った?

 

 そして同窓会で再会した後の私たちの恋は、一体どんな風に始まったのだった?
 

 …三ヶ月間の記憶がすっかり抜け落ちていた。
 まるで夢をみていたかのよう、今も夢をみているかのよう。ただ昨日の、里緒さんと過ごしたふたりの夜の記憶だけが妙に生々しい…


 私は横目で隣席の里緒さんをそっと盗み見る。里緒さんは強(こわ)ばった能面のような表情でステージを見つめていた。


 と、いきなり首をくるりとこちらに向け話しかけてくる。

 


 「あなたはまだ気づいてないのね…」

 

 
 私は里緒さんに問う。

 

 古「気づいてないって何が?」

 

 里「今、私たちがいるこの演奏会場が、本当はどこかって事」

 

 古「山の上のコンサートホールだろ?」

 

 里「違うわ、それは多分仮の姿よ」

 

 古「じゃあ、本当はどこなの?」

 

 里「ここはね、本当は、大切な書物には載っていないのだけれど、今から数百年前の十五、六世紀頃になって初めて、私たちにとっての現実となった場所よ。場所の名前?それはね……「なぞなぞ」にして出してあげるわ、当ててみて」

 

 里緒さんはプログラムの余白にペンを走らせる。

 

 

 【WWⅡ】US+GB+FR+SU+CN,etc-U&KO

 

 

 アルファベットを使った暗号のようだ。唐突に出題された「なぞなぞ」に戸惑いながらも、私は思考を巡らせる。


 (…この最初の「WWⅡ」っていうのはきっと×××××××の略だろうな。ってことは、後の「US」とか「GB」とかは××の略号に違いない。だけど、最後の「U&KO」ってのは何なのだろう?)

 

 その時だ、周囲で悲鳴があがり、頬に熱気を感じたと思ったら、客席の側面に炎がみえる。何と木造のホールが燃えているのだ!
 炎の勢いは強く、瞬く間に客席の周囲をぐるりと包んで既にもうどこに逃げればよいのかさえ分からない状況、ホール全体に戦慄が走る。客席は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。

 

 (ああっ!)

 

 思わず声が漏れる。
 私も衝撃を受けた。突然の火事に驚いて…ではない。燃えさかる炎を目にしたことで、たった今、この場所が持つ本当の意味を知ったのだ!

 


 (ああ、そうか、そうなのか…ここは「○○○○」だったのだ。ということは私はもう…)

 


 表情を読んで里緒さんが訊いてくる「分かったのね…」

 

 私は答える「ああ…分かったよ…」

 

 

 

 

 

 ※※※※※※※※※

 

 読者への質問

 

 さて、この演奏会場とは
 本当はどこ(何という場所)なのでしょう?

 名称は漢字で2文字、ひらがなだと4文字です。
 

 (注…ごめんなさい、その4文字は誰もが知っているというほどポピュラーな言葉(場所)ではないのかもしれません、ご存じでなかったらすみません)

 

 ※※※※※※※※※

 

 

 

 

 


 …炎はさらに勢いを増し、客席の周囲を取り巻いて燃えさかる。

 広いホール内に激しい上昇気流が生じると、壁を伝って天井に達した熱風は空間の中央で対流となって下降気流に転じ、夥しい火の粉を伴って客席へと吹き降りる。

 

 

 

 ああ、これでもう、自分は死んでしまうのか…

 

 

 

 

 いいや、違う。


 私は決して死ぬことはない。


 なぜなら…

 

 

 

 


 私は、既に死んでいたのだから!

 

 

 

 


 降りかかる火の粉を浴びながら、里緒さんに話しかける。

 

 《つまりは、あの日だったんだね》

 

 里緒さんが答える。

 

 《ええ、そうよ、あの日よ、あの同窓会の日がそうだったの。あの日、少し遅れてやってきたあなたはホテルの宴会場でわたしを見つけると、まっすぐに私の方へと近づいてきた。そして、わたしに話しかけようと顔を近づけたんだったわ、その時、天井から…》


 …ガラスの砕ける音と一瞬の強い痛み、周囲にわき起こる同窓生たちの悲鳴…


 《そうだ…シャンデリアが落下して私たちふたりの頭を直撃したんだったな。今思い出したよ。あの時に私たちは命を落としたんだ》


 その後のことは全て、私と里緒さんというふたりの死者の間で起こった冥界での出来事だった。何だか私はホッとする。

 

 (当然だ……生前、私は妻を愛していた、里緒さんもきっと心から夫を愛していたことだろう。私たちは現世で配偶者を裏切るようなことはしなかった。私たちは…私と里緒さんは死後の世界に来た後に初めて結ばれたんだ!)

 

 彼女が告白する…高校の頃、毎週、学校の図書室で自分の方をチラチラ見ている男子がとても気になっていた事。

 

 《……嬉しかったわ、わたしのこと見ていてくれる人がいるなんて。それで、わたしもあなたのことが気になりだしたの。わたしはいつしか夢見るようになった、あなたの胸に抱かれ、そしてわたしの初めての……あなたと…》

 

 

 四十年前、高校生だった私たちは胸の内で両思いの恋をしていたのだった。

 


 激しい爆発音とともにホール全体が炎に包まれる。それは恰(あたか)も火葬炉に入れられたの巨大な木棺のよう。だが身体を舐める炎は左程の熱さでもない。その不思議さに私はいよいよここが「その場所」である事を確信する。


 里緒さんの出したなぞなぞ…

 

 …【WWⅡ】US+GB+FR+SU+CN,etc-U&KO…

 

 【WWⅡ】とは「World WarⅡ(第二次世界大戦)」の略。
 US、GB、FR、SU、CN,etcは国名の略号で「米+英+仏+ソ+中、etc」とは第二次大戦における「連合国」の事を指している…その「れんごうこく」から「U&KO(「う」と「こ」)」の文字を引くと……

 ここは人間が現世で犯した罪の浄化を行うために設けられた場所、汚れた魂が神の炎で焼き清められる場所、即ちここは…

 


 「煉獄(れんごく)」だったのだ!

 


 「すべて情慾をいだきて異性を見る者は、既に心のうちに姦淫したるなり(マタイ伝第五章28)」。ならば、神の視点から見て、情慾を根っこに持つ恋愛という感情もまた罪ということになるのだろう。だから万霊節のこの日、生者たちが死者の為に祈ってくれるこの日に、私たちはここ「煉獄」に招待された。現世で「恋の罪」に陥ったたくさんの人たちとともに、炎による罪の清めを受けるために!

 


 私はつぶやく。

 

 《煉獄って、本当にあったんだなぁ》

 

 《そうね、きっと、あると信じる人には煉獄は「ある」のよ。私たちは若い日に信仰を持っていた。だからわたしたちは今、ここにこうしているんだわ》

 

 凄まじい轟音とともに頭上の大天井が焼け落ちる。しかし、私たちがその下敷きになることはない。大屋根は落ちてくるまでのほんの一瞬の間に見事に燃え尽きて、後には細かな灰が舞うばかり。屋根を失った客席の上には今や夜空が広がり、前方の空に明けの明星=金星が清冽な光を放ちながら高く輝いている。
 炎は治まった。ステージ上で騒音劇を繰り広げていた音楽家たちの姿も陽炎のように消失。私たちの魂は夜空を静かに上昇し始める。

 

 

 

 遠くに美しい音楽が聞こえていた。

 


 レクイエムの最終楽章「イン・パラディスム」だ。


 In paridism deducant te Anggeli;
   ………
  Chorus Angelorum te suscipiat,
  ………
  aeternam habeas recuiem.

 

 (天使があなたを楽園に導きますように…輪になった天使達の合唱があなたを出迎え…永遠の安息を得られますように)

 

 

 思えば、合唱団の歌う歌詞の「レ」が「テ」に変わって聞こえたのも、私の意識に潜むある種の予感の現れだったのかもしれない…「レクイエム」が「テクイエム」と変わって聞こえたように、今、まさに『れんごく(煉獄)』が『てんごく(天国)』へと変わるその時が訪れようとしていた。
 私は、演奏を始める前に老指揮者が言った言葉を思い出す…これから演奏する音楽は、必ずや皆さんを素晴らしい別世界へと導いてくれるでしょう…

 

 空のどこかから老指揮者の声が響いてきた。

 

 《ほうらね、ワタクシの言った通りになったでごじゃりましょう?》

 


 やがて周囲の空に夜明けが訪れる。
 未だ星影の残る朝空の中、私たち音楽会の聴衆は、天使たちの合唱に囲まれながら上昇を続ける。……と、前方、雲の向こうに、中空に浮かぶ都市が現れた。それは天の国、我らが心の故郷、その名も麗しい約束の都(みやこ)の姿。
 都市の門の前で両手を広げ、私たちを迎え入れようと待っているのは聖ペトロを筆頭とする古今の聖者たちだ。

 

 …聖セシリア……聖フランチェスコ……聖アントニウス……聖…


 (おや?)


 見ると、聖者たちの中にひとり、特徴的な鼻を持った赤ら顔の男が混じっている。 

 

 《ん?あれは例の日本の山の神じゃないか、それがどうしてここに?》

 

 里緒さんが笑う。

 

 《ウフフ、さっき言ったでしょ、ここは生前に信じていたものが現れる場所なのよ。あなた、ひょっとして、キリスト教の洗礼を受ける前には別の神様も信じていたんじゃないかしら?》

 

 言われて思い当たることがあった。小学生の頃、祖父に連れられ実家近くの山に登ったとき、突然、近くの木々がガサゴソと音を立てることがあった。祖父が言う。

 

 『あれはの、この山に住む山神=天狗じゃ。天狗はの、いつも、ああやって山の中を駆け回っておるのじゃ…』

 

 本当はつむじ風が枝を揺らしただけだったのかもしれない。だが、まだ子供だった私は、その時の祖父の言葉を素直に信じたのだった。

 

 

 私は首を傾げる。

 

 《う~ん、それにしても、ここは西洋の神様が支配する都市だよね。なのに、ここに、日本の山神が居てもいいのかなぁ?》

 
 そんな私の言葉に、里緒さんはニンマリ笑いながら言う。

 


 《そんなのオッケーに決まってるでしょ!もちろん天狗もOKよ、だって、ここは…》

 

 

 

 

 

 

 


 ……テンゴク(TENG・OK)なんだもの!

 

 

 

 

 

 

 

 

 【終わり】

 

 

 

 

 


 《あとがき》

 

 読んでくださってありがとうございました!

 クイズの答えは『煉獄』でした。この言葉ってよく知られたものなのでしょうか?ご存じじゃなかった方がいらっしゃったら、ごめんなさい。
 
 作中に出てくる音楽「レクイエム」には特にモデルとなる曲はないのですけれど、最後の「インパラディスム」の部分だけはフォーレ作曲レクイエムの最終楽章をイメージしています。

 

 ここで本文中に触れられなかった色々な謎について少し解説しておきます。

 

(ここからは完全に私の自己満足のためだけの屁理屈ですので興味がおありでしたら読んで下さい)

 

 

 先ずは、クイズを出したときの里緒さんのナゾの言葉…『この場所は大切な書物には載っていないけれど、十五、六世紀の頃に私たちにとっての現実となった場所よ』…ここで里緒さんが言う大切な書物とは、彼女は幼いときからのクリスチャンなので「聖書」を指しています。ところが、煉獄という場所に関しては実は新旧約聖書のどこにも載っていなくて、十五、六世紀頃になって、ようやく正式にキリスト教(旧教)の教義に加えられたものなんですね。そのために前述ような里緒さんのセリフとなったわけなのです。

 

 次に、作中に出てくる音楽「レクイエム」を書いたドイツ人作曲者の名前『ユウ・フォン・ミッテルプンクト』に隠された秘密…ドイツ語でミッテルプンクト(Mittelpunkt)は『中点』即ち、真ん中の点の意味です。で、一体何の真ん中なのかというと…『フォン(von)』が英語の『of』にあたるから『ユウ・フォン・ミッテルプンクト』とは『「ちゅうてん」の「ゆう」』という意味になる。『ゆう』という文字は『ち(ゆう)てん』の『ち』と『てん』の間にあります、つまり地と天の間、地獄と天国の真ん中、即ち煉獄!…という実に回りくどいオチなのでした。
 ところで『地獄、煉獄、天国』というこの並びはイタリアの詩人ダンテの著作『神曲』を思い起こさせますね。そこで、作中に(たぶん全然ヒントにはならなかったとは思うんですけど)、神曲ならぬ『新曲』、ダンテならぬ『断定』という二単語を二重かっこに入れておいたんですが、気づかれた方はいらっしゃったでしょうか?

 

 最後に題名のナゾ…『古賀(ふるが)と里緒(りお)の音楽鑑賞会』ですが、煉獄はイタリア語でいうと『プルガトリオ』(作曲家グスタフ・マーラーが交響曲第10番の第三楽章にこの単語を標題として使ってるのでちょっとだけ有名)。よって『古賀と里緒の音楽鑑賞会』は即ち『プルガトリオ(煉獄)の音楽鑑賞会』となって、何と何と、これはこのお話の本質を実に巧みに表現した題名になっているではありませんか!(…という自己満足でありました)。

 

 

 

 

 のどかさん、今回も魅力的なお題の提供をありがとうございました!
 今回は「ぼっち企画」ということですので、楽しく便乗させていただきました。今度こそ短く書こうと思いながら、結局、のどかさんの「書きたいものを書きたい長さで」というお言葉(これは至言です)に勇気を得て、またまた一万字超えの作品となってしまいました。でも(本人は)とても楽しんで書けましたよ。これからも是非よろしくお願いいたします!

 

 マルティン☆テイモリ

 

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