このお話はのどかさん主催の和歌企画に合わせて書いたものです。

 

 

 

 

 『火星にいる夫から送られてきた和歌…その中に隠された暗号とは

 

 クイズ付き小説第です

 

 「①」と「②(エピローグ)」の二つのブログに分かれてます、

 

 

 

 

 


 

 

 クイズ付き和歌小説

『そして火星には誰もいなくなった』

 

  マルティン☆ティモリ作

 

 

 

 

 

  《 Ⅰ.Earth 》
 

 

 

 あさ、

 

 スズメの声がチュンチュン、そして、

 

 trrrr… trrrr…

 

 心地よいまどろみの向こう、固定電話の呼び出し音が鳴っている。

 

 trrrr…trrrr…

 

 もうっ、休みの日だってのに何なのよぉ~

 

 夢うつつのままウウーンと唸って身体を起こそうとするあたし。と、電話器が無機的な女の声を発した。

 

 「FAXを受信しますFAXを受信します

 

 なあんだ、FAXかぁ…そう思い再び眠りに落ちようとしてハッと気がついた。

 

 「んんんひょっとして今日って…ああっ、しまったうっかりしてたぜ

 

 布団をはねのけ電話器の傍へと飛んでいく。

 

 電話の前面からは、ジジジという機械音とともに見慣れた文字の並んだ記録紙がゆっくりと吐き出されている。

 

 


 

 

 …愛するマドカさん、元気にしていますか

 

 


 

 

 思った通り、それは最愛の夫=修(おさむ)さんからのFAXだった。

 

 修さん…彼は今、三人の同僚とともに火星へ向う小さな宇宙船に乗り、地球を離れ遙か4000万キロメートルの彼方にいる。

 

 そして、今日は…そう、今日こそはまさに夫たちが火星に到着する日

 

 そのFAXは、宇宙船が無事火星の表面に着陸したことを伝えてきた夫からの記念すべきメッセージだったのだ…

 

         ※   ※

 

 修さんが火星へと旅立ったのは、もうかれこれ九ヶ月前のこと。

 

 夫の勤める宇宙開発系企業=ダイモス社(以下D社)は、ライバルの同系企業フォボス社とともに、人類初の火星着陸の実現に向け十数年にもわたって鎬(しのぎ)を削ってきた。

 

 二年前…

 

 「社の命運がかかっているんだ、絶対に負けるわけにはいかないよ

 

 言って夫は、定員がたったの四名という火星への先発隊に自ら志願すると、数々の審査も難なくくぐり抜け見事合格…といってもD社極東支部の営業部長である夫、宇宙船の操縦やら火星の環境に関する知識なんて皆無に等しい…ってことは、並々ならぬ熱意を買われての採用

 いえいえ、あとから漏れ聞こえた来たウワサによれば、どうやら志願者自体が四人しか居なかったらしく、残りの志願者も何と夫の部下三人。それでも採用されたのは、宇宙船の行程のほぼ全てが自動操縦となっているからで、何らかの対処を必要とされる局面では、D社の誇る優秀な技術スタッフが地上から遠隔操作を行うという万全の体勢が取られている。

 

 (う~ん、でもね、火星まではとっても遠くて、今、地球から火星に向けて電波を送ったとしてもあちらに届くのに十数分かかるんだよね。よって緊急事態には対応できず、会社からは「その際は覚悟を決めてください」って家族への事前通告があったりした…)。

 

 と、まぁ、何にせよ、どうやら四名の乗組員については普通に健康な人なら誰でもよかったみたい…あ、だけど、だけどね、あたしはそんな夫の事、とっても素敵だと思ってます。だって、何たって修さんは、人類初の火星着陸隊の一員なんだもの

 

    ※    ※

 

 で、話を戻して、修さんからのFAXの中身について、(メールじゃなくってFAXなのは、家族にとって液晶の電子文字より直筆の印字の方が温かみがあって良いだろうっていう会社側の配慮らしい)…火星からの4000万キロの距離を遙々(はるばる)越えて送られてきたそのFAXは、長さにしてA4の記録紙が六枚分。

 

 

 『…愛するマドカさん、元気にしていますか…』

 

 

 そんな呼びかけと火星到着の報告に続いて、あたしへの愛の言葉が延々何十行も書き連ねてある(ここまでで記録紙五枚を消費)。

 

 そして最後の一枚に、

 

 『…じゃ、おわりに火星からキミに向けて古い和歌を送ります。頭を使ってよーく読むんだよ。

 

【三、いにしへの、鹿鳴く野邊のいほりにも、心の月はくもらざりけり(慈円)】 

 

  ね、分かるだろ、

 それじゃ、またね。 修 』

 

 


 

 

 …って書かれていた。

 

 


 

 

 あたしは思う。

 

 (な~るほど、この和歌が修さんの言ってた「例のアレ」ね)

 

 あたしは手にしていたFAX用紙の束を一旦テーブルの上に置き、傍にあった煙草の箱に手を伸ばす。

 

 と、

 

 パジャマの両胸のあたりに妙な感触が。

 

 

 

 

 …むんずっ…

 

 

 「ギャーッ!!!

 

 「何だよ、大きな声出して、ご近所さんがビックリするじゃないか

 

 「り、律(りつ)くん、どうしてここに

 

 「どうして!?何言ってんだよ。昨晩(ゆうべ)はふたりであんなに楽しい時間を過ごしたってのに」

 

 ああ、そう、そうだった。彼は昨晩から泊まりがけであたしのところへ遊びに来ていたのだ。

 

 律くんはあたしの可愛い年下の恋人、いわゆる「若いツバメ」ってやつね(…あら、これってもう死語かしら)。えっ…もっ、もちろん夫のことは愛しているわ。でも、よく言われるように愛と恋とは別のもの。ギリシャ語で言えば「アガペー」と「エロス」ってやつだわよ。

 

 まだ上半身裸のままの律くん(つい、ウットリ見とれてしまう…)が、テーブルからFAX用紙の束をすくい上げ、パラパラとめくって書かれている文字を拾い読む。

 

 「ふ~ん、火星のダンナからのメッセージかあ。へええ、あんた、ダンナから愛されてんだなぁ。んでも最後に何で和歌が書いてあるんだよ

 

 (ふふふ、そりゃあ律くんには分からないでしょうよ、この和歌は修さんからのあたしへの秘密の通信なのだから)

 

 でも、あたしは律くんのギリシャ彫刻みたいな美しい肉体に敬意を表して、夫との秘密の伝言についてあっさりバラしちゃう事にする。

 

 


 

 

 「実はね、この和歌はね…」

 

 


 

 

    ※    ※

 

 そう、夫のFAXに和歌が書いてあるのには訳があった。でも、その説明のためには、ちょっと長くなるけど、まずは数年前にD社の技術スタッフが開発した画期的な装置について言っておかなきゃならない。

 

 その装置「レプリケータ(←スタートレックのファンの方にはお馴染みですね)」は、ある意味Dプリンタに似ているかも。でも、Dプリンタがその物体の「形」を再現するだけなのに対して、レプリケータはその物体の「全て」を再現する…すなわち「形」だけではなく使われている「材質」も

 夫は言っていた…この世に存在する物質は全て原子で出来ているだろ(ダークマターについては言いっこなし)ってことはいろいろな種類の原子さえあれば、それらを組み合わせて何だって作れる事になる。そしてそんなあらゆる物体の再現を可能にしたのがこの装置=「レプリケータ」なんだよ、って。

 

 火星のような遠い星に行くには宇宙船に積んでいける物資は限られている。だから、(あまり大きなものは作れないけど)火星での生活のための日用品や乗組員の食事まで何でも再現できるこの装置はとても重宝なのだ。何しろ何かを作って要らなくなったら、原子に分解してまた新たに別のものを作ればいいのだから…例えば、えー、あのですね、お尻から○○○をプリッと排泄した後、原子に分解してもう一度新しい食料に作り直すとかね、オエ~

 

   ※    ※

 

 律くんが言う。

 

 「レプリケータについてはよく分かったよ。でもそれが和歌とどんな関係があるんだい

 

 自分で煙草をくわえて火を点けた後、あたしに回してくれる律くん。あたしは唇の裏側で、律くんの間接キッスをこっそり味わう。

 

 「うん、それがね、乗組員が装置を無制限に使ってエネルギーを無駄に消費しないようにって、レプリケータの操作は完全に地球のD社の側でしか出来ないシステムになってるのよ。つまり何か欲しいものがあれば、宇宙船からD社にリクエストを送り、それが了承されないと作ってもらえないってこと…でもね、修さんは旅立つ直前に、何とウチのPCからD社のメインコンピュータに侵入する方法を見つけたの。だからあたしが家のPCから情報を送れば、火星にある宇宙船内のレプリケータがピピッと作動するわ。もちろん我が家に送られてくるFAXはD社でもチェックしているから、欲しいものを露骨に書いてくる訳には行かないけれど、暗号にすれば気づかれないでしょ。その暗号に当たるのがこのFAXに書かれた和歌っていう訳よ」

 

 一気に話すと、フウーッと紫の煙を吐き出した。

 

 和歌を暗号に使うことにしたのは、夫が世にも珍しい「和歌オタク」だったからだ。それも筋金入りの和歌オタクで万葉集から古今和歌集、新古今和歌集あたりは全ての歌をソラで言えてしまうという程の「超」が付く強者(ツワモノ)よって夫婦で協議し、秘密の通信には、そんな夫の和歌に関する非凡な知識を利用しようって話になったのだった。

 

 「それでこの和歌が示しているダンナの欲しがっているものって何なの

 

 「うーん、それは…分からない」

 

 「へ

 

 「だって、夫がD社のメインコンピュータへの侵入に成功したの、火星に出発する前日だったんだもの。夫は『じゃ、和歌で暗号を送るからよろしくね』って言い残して出発しちゃった…だから暗号の解き方なんて打ち合わせるヒマがなかったのよ。解き方はあたしが自分の頭で考えるしかないってわけ」

 

 「…………」

 

 聞いて律くんは、無言のまま、FAX用紙に印字された和歌をじっと見つめている(ああ、何て、何て素敵な横顔なの

 

 そして言った。

 

 「なるほど、仕方ないな、それじゃ、この律サマが分かる範囲で考えてやるとするか……で、まず、この和歌なんだけど、これは新古今和歌集の中の一首だね。仏教思想に基づいて詠まれた釈教歌(しゃっきょうか)で作者の慈円(じえん)は平安末期から鎌倉初期に生きた天台宗の坊さん。この歌の意味するところは、遠い昔、仏弟子の富楼那(ブンナ)が庵にいて鹿の悲しい鳴き声を聞いたけれど、仏道を歩む彼の心の晴朗さには微塵(みじん)の曇りも生じなかったっていう、まぁ、そんな感じの歌だ。でも、多分、今言った歌の意味はあんたのダンナの欲しいものとは何の関係もないと思う。やはりこの和歌に秘められた伝言は、純粋に暗号として解くべきものなんだろうな」

 

 聞きながら、あたしの目がテンになっていく。

 

 「…あ、あの、律くん、ど、ど、どうしてそんなに詳しいの!?

 

 「だって、オレ、和歌オタクだもん」

 

 「!!!

 

 (ひえー、事実は小説より奇なりあたしの周りに和歌オタクが二人も居たんだ、これってすごい確率!!!修さんと律くん、もしこのふたりを会わせたりしたら、ソッコーその場で意気投合しちゃうのかも!?

 

 あたしは気を取り直して会話を続ける。

 

 「じゃ、じゃあ、この中には和歌の意味とは全然別の暗号が隠されているってわけね…あっ、ねえ、和歌の前に『三、』って書いてあるけど、これには何か意味があるのかしら。ひょっとして、この歌が新古今和歌集の三番目に載っている歌だとか

 

 言い終わるや、即座に答えが返ってきた。

 

 「いいや、そんなことはないね。新古今和歌集の三番目の歌なら『山ふかみ、春とも知らぬ松の戸に、たえだえかかる雪の玉水』さ

 

 言って、律くん、バチッとウインク。

 

 (うわ、やっぱしこの人、本物のオタクだわ

 

 あたしは再び気を取り直し、

 

 「そ、それじゃ、和歌をに分けたときの三文字目を読むとか

 

 言いながらFAX用紙の裏にこんな風に書いてみる。

 

 

 

 いに「し」への 

 

 しか「な」くのべの 

 

 いほ「り」にも 

 

 ここ「ろ」のつきは 

 

 くも「ら」ざりけり

 

 

 

 


 

 

 

 書いた文字を眺め、あたしはふうっとため息をついた。 

 

 「し・な・り・ろ・ら……あ~ん、何の意味にもならないわ」

 

 


 

 

 と、律くんが目を爛々(らんらん)と輝かせ、あたしを見ている。

 

 (んもうっ、律くんったらまたまた、あたしとイチャイチャしたくなっちゃったのねン)

 

 でも、それは単なるあたしの思い過ごしだった。

 

 

 

 律くんが叫ぶように言う。

 

 「わ、分かったぞそうか、そうだったんだ、これ、やっぱりあんたのダンナが書いてた通りに『頭を使って』読むんだよ。それも、最初の『三、』に続けてね

 

 律くんの言葉に、あたしはひとり置いてけぼりを食った気分になる。

 

 「えーっ、何のことか分かんない。教えてよ」

 

 「んダンナの作った暗号だろ、自分で考えてみな。でも昨夜のふたりの楽しい思い出に免じて、あんたにひとつだけ、ヒントをあげることにするよ…大きな入れ物にコーヒーを一杯分欲しいな…」

 

 「えあっ、あたしも今、コーヒー飲みたいなって思ってたとこよ。待ってて、淹れてくるから」

 

 立ち上がりかけるあたしを律くんは手で制し、

 

 「もお、違うよ~、今のがヒント今言った言葉を英語に直すとね…」

 

 律くんはFAX用紙の裏にサラサラとこんな英文を書いた。

 

 

 

 

  May I have a large container of coffee?

 

 

 

 

 「実を言うと、この英文の指し示すものが、FAXに書いてあるダンナの暗号の示すものと同じなんだ」  

 

 「えーっ、もうっ、ますます分からなくなっちゃったじゃないの

 

 

 

 

 

 

 さてさて、では、このあたりで恒例の…

 

  ※※※※※※※※

 

  読者への質問

 

 和歌の暗号が指し示すものとは何でしょう

 

 (答えはカタカナで文字です)

 

  ※※※※※※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 …しばらく考えたが、答えは見つからなかった(泣)。

 

 「気分転換に、ドライブにでも行こうか

 

 言って、あたしは、律くんの顔の前で車のキイを振ってみせる。

 

 助手席に律くん、運転はあたし。

 ハイウェイを西へ。

 空は快晴、五月の緑が目に眩しい

 

 ICを降りて、すぐ近くの小さな遊園地に入った。

 

 観覧車にコーヒーカップ、メリーゴーランドに空中ブランコ…

 園内のレストランで律くんとスパゲッティを食べながら、あたしは思う。

 

 (あたしの名前はマドカ(円)だけど、遊園地にも円いものが多いなあ。ま、回転するものが多いんだから当たり前か)

 

 でも、何かが心に引っかかる。

 

 「あの、律くん…」

 

 「ん何だい

 

 「さっきの和歌の暗号なんだけど、律くん、『三、』に続けて『頭を使って』読むんだ、って言ったよね。それって和歌の頭の文字を拾って読むってことなのかなぁ

 

 言ってあたしは持っていた手帳にこんな風に書いてみる。

 

 三、

 

 「い」にしへの

 

 「し」かなくのべの

 

 「い」ほりにも

 

 「こ」ころのつきは

 

 「く」もらざりけり

 

 

 そして、最初の『三』と頭の文字だけ抜き出してみた。

 

 

 『三、い・し・い・こ・く』

 

 

 律くんがあたしの耳元に唇を近づけそっとささやく…「それ、正解だよ」

 

 耳の入り口がくすぐったくてゾクゾクする。でも、あたしは律くんのそんな振る舞いにも、呑気に喜んでいる訳にはいかなかった。

 

 「待ってよ、その事だったら家を出る前からとっくに思いついてたわ。でも、あたし、まだ何にも分かってないよ『三いしいこく』…この言葉に一体どんな意味があるのかが分からないの。どこかで聞いたことがあるような気はするんだけど」

 

 「どこで聞いた気がするんだい

 

 「子供の頃よ。多分、学校で数学の先生が言ってたような…」

 

 

 律くんの表情がパッと輝いた。

 

 「おおーそこまで分かってりゃ十分だよ。じゃ、そっから先はオレがレクチャーしてやるとするか…実はね、その『三、いしいこく』ってのは、こんな文の最初のところと同じなんだ」

 

 あたしの手からペンを取り上げると、律くんは手帳に不思議な文章を記し始める。

 

 

 

 

 『産医師、異国に向う。産後厄(やく)なく産児み社(やしろ)に。虫さんざん闇に鳴く頃にゃ』

 

 

 

 「ああっ、これって…」

 

 「そうだよ、思い出したみたいだね」

 

 それでも律くんは念のため、これをひらがな文に書き直す。

 

 

 

 

 『さんいしいこくにむこうさんごやくなくさんじみやしろにむしさんざんやみになくころにゃ』

 


 

 

 そして、それぞれのひらがなに該当する数字を当てはめた。

 

 

 

 

 3,1415926535897932384626433832795628

 

 


 

 

 そうだった、これは『円周率』を覚えるための語呂合わせだったんだ

 

 「でも、律くんがヒントだって言ってたあの英文は

 

 「ああ、あれね」

 

 律くん、今度は手帳に例の英文を書く。

 

 

 May I have a large container of coffee?

 

 

 「じゃ、それぞれの単語の文字数を数えてみるよ…」

 

 

 

 

 

 「あっ

 

 「ね、英語では語呂合わせはできないから、あちらでは円周率をこうやって覚えるんだ」

 

 「ってことは、夫が欲しかったものっていうのは…」

 

 


 

 

   ※    ※

 

 


 

 

 バックミラーに映るきれいな夕焼け。

 帰り道、あたしたちはショッピングセンターに立ち寄り、件の暗号が指し示す「それ」を買い求めた。

 

 帰宅し、「それ」を早速スキャナにかける(レプリケータ用のスキャナは、夫が前もって一台、会社から無断で持ち帰っていた)。スキャナから得た情報を、家のPCからD社のメインコンピュータを通して火星のレプリケータへとこっそり送信。十数分後には向こうのレプリケータが作動して、装置内の空間に「それ」がボワンと実体化するはずだ。

 

 (火星の夫は喜んでくれるかしらでもヘンねえ、修さんって、甘いもの、そんなに好きじゃなかったような気がするんだけど…)

 

 

 

   ※    ※

 

 

 

 とっぷりと日も暮れ、ベランダに出てひとり夜空を見上げている、と、あたしの腰に律くんの逞しい腕が巻き付いてきた。

 

 「今日はちょっと疲れたよ。今夜も泊まっていくことにしようかな。ね、いいだろ

 

 言いながらあたしにならって顔を夜空に向ける。

 

 子供の頃から星が大好きだったあたし。ここは市街地からは少し離れているから、空にはたくさんの輝く星を見る事ができる。

 

 「ふーん、あんたのダンナ、今、あそこにいるんだな…」

 

 律くんが南東の山の端に瞬(またた)く赤い星を指さして言った。

 

 (いいえ、違うわ。星の瞬き具合から考えてもあれは火星じゃなくて蠍座のアンタレス。火星は今、この時刻には西の空にいるんじゃなかったかな、このベランダからは見えないけれど)

 

 でも、あたしは律くんの間違いを正そうとはしなかった。そんなのは別にどうだっていい事。夜空を見上げて思うのはいつもただひとつ…

 

 

 『今度、修さんと会えるのは、一体、何年後になるのだろうか

 

 

 今、火星に着陸している宇宙船には地球へ帰還するための装備がなく、修さんと再会したければ、①あたしがロケットに乗って火星に行く、②D社が地球~火星間を往復できる装備をそなえたロケットを打ち上げてくれるのを待つ、の二つの方法しかない。でもあたしはちょっとバスに乗っただけですぐに酔っちゃうから、何ヶ月もロケットに乗っているのなんてとても無理。よって、②の復路で修さんが帰還してくるのを待つより仕方がない…けれど、それはきっと何十年も先のことになるのだろう。

 

 あたしは火星の代わりにアンタレスに向けて誓った。

 

 (いいわ、待つわよ何年でも待ってみせる。そして修さんが地球に帰ってきたら、星がきれいに見える田舎に家を買って、そこで、あたしと修さん、律くんの三人で仲良く暮らすのよ

 

 


 

 

 あたしは目を閉じ、想像する…

 

 


 

 

 遠い未来、静かな秋の夜、

 

 丘の上の小さなお家(うち)、

 

 見上げれば夜空を埋め尽くす無数の星たち、

 

 北東から南西へ、たなびく雲のようにアーチを描く天の川、

 

 

 

 庭先のテラスでは、お爺さんになった修さんと初老を迎えた律くんが、虫の声を聞きながら大好きな和歌の話に興じている。

 

 そばでロッキングチェアに腰掛け煙草をふかしてるのはお婆さんのあたし。

 

 夜も深まって、時が経つにつれ二人の和歌談義は次第に熱を帯びていく…そのとき、あたしはきっとそんな彼らを、ニコニコと微笑みながら眺めていることだろう。

 

 

 

 

 

 

 若い日に愛し、また愛された二人の男たちを…

 

 

 

 


 

 

 

  ☆   ☆   ☆

 

 

 

  《 Ⅱ.Mars 》


 

 

 さてさて、場面は変わって、こちらは火星。

 

 宇宙船の内部、六畳一間ほどの手狭な船室内には、D社極東支部営業部長にしてマドカさんの夫であるオサム氏とその部下が三人、床の中央に据え付けられた四角い机の周囲に所在なげな様子で腰掛けている。

 

 男たちは待っている。

 

 いや、正確には、待ちくたびれている。

 

 すると、

 

 今しもレプリケータがブゥーンという音とともに作動を始めた。

 

 「おお、やっと来たようだぞ

 

 ひとりが声をあげ、火星先発隊の四人は急いで、船内の壁に埋め込まれたレプリケータの周囲に集まった。

 

 「部長、やっと来ましたね。これで退屈しのぎができますね

 

 そんな部下の言葉に、

 

 「ああ、そうだな。何しろ火星に来てまでこんな船内に、一週間もカンヅメになるとは思ってもいなかったからな。だがね、『永らへば、またこのごろやしのばれむ、憂しと見し世ぞ今は恋しき』だよ。どんな状況だって時が経ってしまえば、きっといつかは懐かしい思い出になるものさ」

 

 早速、和歌オタクの本領発揮オサム氏はさりげなく新古今集の歌を引用しながら部下たちに向かって微笑みかけた。

 

 宇宙船の窓から見える外は薄青い空、小さくて頼りなげな太陽、点在する大きな岩とどこまでも広がる極寒の赤い砂漠…だが、四人の男たちが宇宙船のハッチを開けてそんな光景の中へと繰り出していくことはまだ許されていない。

 着陸直後、船の外部に取り付けられたセンサーが、船外に、人体にとって危険と思われる微生物の存在の可能性をキャッチしたのだ。もちろん、恐らくそれはセンサーの誤作動であって、火星表面にそんな微生物がいる可能性はほとんどゼロと言ってよいのだが、そこはD社の命運を賭けた一大プロジェクトであるだけに、慎重の上にも慎重を期する必要がある。その安全確認のために、先発隊は一週間の足止めを食らっているという訳であった。

 

 

 「おお、どんどん形になってきたぞ

 

 四人の男たちの目前、一見、大型のオーブンレンジを思わせる外見のレプリケータの内部に「それ」が実体化されていく。だが、形がはっきりするに従い、男たちの表情は困惑したものへと変化した。

 

 そして…実体化が完了した時、そこに現れたのは『アップルパイ』。

 

 オサム氏は思う。

 

 (なるほど、暗号の答えとしては正解だったんだが、マドカさん、こっちの方を連想してしまったんだな。ま、無理もないか)

 

 …着陸に成功して間もなく、先発隊の四人は一週間のあいだ宇宙船内に足止めされる事を知らされた。退屈を持て余すこととなった四人、船内の中央には四角い机…部下のひとりがつぶやく『ああ、せめて麻雀牌(マージャンパイ)でもあれば退屈がしのげるんだがなあ』…これを聞いてオサム氏は、マドカさんに例の和歌の暗号を送った。

 

 

 【牌…パイ…π…円周率…3.14159…三、いしいこく】

 

 

 だが、そのあげく送られてきたのが『アップルパイ』だったという悲しい結末。男たちは仕方なく、仲良くパイを分け合い味わったのだった。コーヒーも紅茶もない船室で…

 

 

 

 

 

 【というわけでクイズの答えは『パイ(どちらの意味でもOK)』でした

 

 


 

 

   ☆   ☆   ☆

 

 

 

  《 Ⅲ. EPILOGUE 》



  着陸からちょうど一週間経ったある日、地球のD社から微生物の存在が…


 

 

     ………



 

※エピローグは「そして火星には誰もいなくなった②」(ひとつ前のブログ)へと続きます。

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…(長くてすみません(^^))