マルティン☆ティモリのクイズ付き小説(ぜんぶよみきり)
生物がまだ生まれていなかった頃の地球の何処かに雷が落ちた。その時の雷鳴、大地を揺るがせた轟音は当然、誰にも聞かれなかった。
とすればその音は、ほんとうに「音」なのだろうか?

地球にひとり生き残った者が小説を書いた。その小説、決して誰にも読まれることのない小説は果たして「小説」なのだろうか?

‥‥だが、今、地球には生物がいる。そして人類は未だ滅びに到っていない。だから皆さん、良かったら僕の小説、読んでみてくださいね(^_-)










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  • 01Apr
    • 24の小創作とエッセイ

        「24の小創作とエッセイ」        マルティン☆ティモリ …今回はクイズつき小説ではありません。昨年中に某アプリで呟いた短文をまとめてアップしたものです…  1,無題 物質もエネルギーも、この世の全ては実は「自分」という得体のしれない「何か」が見ている幻だ、とする説がある。だがその幻は超現実的な夢物語というわけではなく、翼を持たない人間は生身のままでは空を飛べないし山に向かって動けと命じても山は静止したまま。即ちこの幻は、我々に取ってお馴染みの因果律や論理性に厳密に従う幻なのだ。 それでは結局は現実と何ら変わらないではないか? いや現実と違って幻には客観的事実というものが存在しない。今自分に見えていないもの、例えば部屋のドアの外には何もない、「無」さえない。  2,「RHYTHM創世記」 太古の昔、唯一存在する楽器は太鼓だった。吐く息、吸う息の発想から先ず2拍子が生まれ、それは表現を広げた4拍子へと進化する。 やがて真面目くさった2拍子や4拍子に飽き足りないお調子者が3拍子のステップを踏み始める。2、4拍子の信望者達もこの動きを従来の拍子に取り入れ3連符を考案、これが常態化して8分の6、8分の12、更には8分の9拍子まで誕生した。 ところでこの進化には傍流も存在した。 そう、暗い森の奥深くでは、世の拗ね者達が5拍子、7拍子の奇妙な舞踏を密かに舞い続けていたのだ!  3,無題  A子が嬉しそうな顔で言う。 「彼が長い旅から帰ってくるの。明日向こうを発つって」 A子はわたしの学生時代からの友人。でも彼女はわたしと違って理系専攻だった。 「えっ?彼がいたの?何て名前?」 「う~ん、ジュンジ‥かな?」 「かな、って…もうっ、真面目に答えてよ!こっちにはいつ着くの?」 「来年の12月」 「ええっ!で、お土産は?」 「石ころがいくつか」 と、ここでわたしは気がついた。 A子は理系。 A子の勤め先はJAXA(宇宙航空研究開発機構)。 …って事は‥ジュンジ‥隼二………はやぶさ2!   4,「輪廻転生」 現在、宇宙のあちこちに生命の可能性のある地球タイプの惑星が次々と見つかっている。 だから輪廻があるとして、また生まれ変わるのだとしても、次に自分が生まれ出る場所は地球であるとは限らないよ。 次は遠い銀河のどこかの星、空に巨大な赤い陽が輝き、夜にはいびつな形の四個の月が空に浮かぶ。 生まれ変わりの自分は両目の上に開いた口から食物を取り、三種の異性と同時に交配して子孫をつくる。 そしてある日、僕はふと前世を思い出してこう思うんだ、 目の下の口?異性がたったの一種類? オエッ、気持ちわるい!って   5.「同棲の彼」 あたしは言った。 「約束よ。これからは何もかも包み隠さずに話してね」 彼は冷蔵庫(一緒に住むことになった時に彼が持って来た、とっても冷えすぎる冷蔵庫)を覗き込みながら困惑顔で言う。 「何もかもかい?」 あたしは答えず振り向いた彼の目を真っ直ぐに見つめ、ゆっくり頷いた。 「分かったよ」 彼は再び冷蔵庫に向き直り、 「そう‥実はね、僕は火星人なんだ。で、これは冷蔵庫じゃなくて火星表面へと続くワームホールの入口ドア。火星の平均気温は-43度だから、まぁ冷えすぎるのも無理はない」 言って扉を開け、彼は冷蔵庫の中へと消えてしまった。   6.「素朴な疑問」 不思議に感じる事がふたつある。 ひとつは何故にこの世界があるのか?世界などなくて、時間もなくて、ただただ無のみというのが自然な事じゃないのか? もうひとつはこの宇宙に何故生命が生まれたのか?という事。 生命現象やその生命に宿る意識は、無味乾燥な物理法則の支配するこの宇宙の凡ゆる動きの中にあってはとても特殊だ。 他の動きと全く似ていないし、秩序への志向は物理現象とは真逆であるとさえ言える。 そしてこれらの謎への答えを知らない人間存在など、いくら偉そうにしてみたところで所詮は砂粒の様なもの。 7,「不思議なアリバイ」 ある男が窃盗犯として逮捕された。 ちょっとよそ見をしている間に、マダムの指から高価な指輪が消え、その指輪が彼の服のポケットから出て来たのだ。 だが彼にはアリバイがあった。指輪が消えた前後の時刻に彼は少し離れた街にいる所を目撃されていた。 取調官がおや?という顔をする。 「おい、お前の腕時計2時間も進んでるぜ」 男はニヤリと笑う。 「気づいたね、そうさ、俺はあんた達より2時間多く生きた。俺以外の宇宙全体の時間が何故か2時間のあいだ止まっていたんだ。それでその時間を使って俺はマダムの指輪を盗んだのさ」 8,「QUEEN/MOZART」 「Don't stop me now」はモーツァルトの交響曲第39番と似ている。 ゆったり広々としたメロディで始まり、途中から音楽が走り始める‥走り始めるともう止まらない、天才だけが作り得るノリのいい音楽が曲の終わりまで躍動を続ける。 フレディ・マーキュリーもモーツァルトも、そんな風に短い人生を駆け抜けていった。   9.「卒業式」 「君たちは無限の可能性を秘めている!」 壇上の校長が言う。 (ケッ、陳腐な言葉だぜ)と誰かが呟いた。 だが校長は続ける。 「そう、宇宙は無限なんだ、恐らくね。では空間的に、そして時間的に無限とはどういう事だろう。それは全てが存在し全てが起こるという事。ただ我々の脳はその内のたったひと通りの空間、たったひとつの時間の流れしか認識できない。だが覚えておいて欲しい、見えはしないが君達の周りには、無限個の別の現実が存在している。そして意識を変えればいつでも、別の現実に乗り換えられると言う事を!」   10,無題 138億年前に宇宙が出来た後の初期の頃、もちろん宇宙に生命はいなかった。原子といえば水素とヘリウムしかなかったのだから生命が生まれる筈もない。1億年後にやっと最初の恒星が輝き出し、炭素など生命の元となる原子が出揃ったのが5億年後くらい?では少なくともその間、宇宙は誰にも知られずにただ存在していた?まさか! 寧ろ宇宙は生まれた時から超意識に包まれて存在していた。宇宙に生命が生まれ、知性を持った生物が生まれた為に、その生物の脳を通して超意識の一部が漏れ出してしまったというのが正解。 (…というちょっとした思いつき)   11,無題 僕らはどうやら自動運転の車に乗ってる様なものらしいね。というのも、行き先(人生の目的地)についてはじっくり考えて決められるけれど、ある研究によれば日常の細かな振る舞いについては、僕らの意識が決断を下す一瞬前から既に行動を起こしてるとの事なんだ。 即ち僕らが自由意志と思い込んでるものは実は錯覚で、後付けの理屈に過ぎない。僕らの行動をを起こさせているのは意識ではない他のもの。 ああ、どうしてあんな事をしてしまった?なぜあんな事を言ってしまった? 僕らは多分、何か得体のしれないものに翻弄されているんだろうな。 12,「無意識(その1)」 無意識は神の領域。 無意識の海に神様は住んでおられる。 無意識の漆黒の海を神様は泳いでおられる。 神様は僕たちが危機に出会った時、無意識の海からの声のない叫びを発し、咄嗟の判断を与えて救って下さる。 僕たちが絶望した時には慰めを与え、また、創作の時に霊感を授けて下さる。 僕らは夢を見ない眠りで無意識の海と出会う。神様と出会う。 夢を見ない眠り、そこにあるのは無ではなくて神様のおられる豊穣の世界。 それなら神様は自分の一部かって?馬鹿を言うんじゃないよ。自分が広大な無意識の海を漂っているだけなんだ。   13,「無意識(その2)」 夜、海に板を浮かべる。 ロウソクに火を点け、板にロウを垂らしてロウソクを立てる。 ロウソクを立てた板は夜の海を沖へと流れて行く。 ロウソクのぼうっとした明かりには、板の周囲ほんの数十センチほどの海面が照らされている。 その光の中に浮かび上がるのは夜光虫に彩られた海面だったり、油にまみれ汚物の浮かんだ海面だったり。 照らされている範囲の海は僕らの意識。どこまでもひろがる広大な海は無意識の闇。 意識は無常、意識は移ろうが無意識もまた自分。自分とは思っている処をはるかに超えて得体の知れないもの。   14,「好きなもの(その1)」 大島弓子さんの漫画が好き。 「綿の国星」が有名だけど、一番心に残っているのは短編の「四月怪談」です。 死の国に赴いた女の子が、とても長い年月、生きかえる事を強く望みながら果たせない男の子の霊と出会って2つの霊が一体となってこの世に帰ってくる物語。 その生き返った後の彼女の瑞々しい感性の発露が余りにも素敵!何を見ても嬉しい、この世は美しく、驚きと不思議で満ちている! 彼女は本当にいい笑顔で、ニコニコしながらこの世を見る様になるんですね。 僕らの目は日常に慣れすぎて曇ってしまってるのかもしれません。   15,「好きなもの(その2)」 一番好きな音楽はシューベルトの「冬の旅」です。 かつて愛し合ったはずの女性に拒否され、冬景色の中をさすらう男の絶望の歌。 この辛さは普遍的だし、この苦しみを知らない人は不幸と言っていいんじゃないか。 書き間違いじゃありません、拒否される辛さを知らない人は(そんな人がいるとは思えないのですが)この世の真実に触れていない、だから不幸。 第5曲の「菩提樹」。前奏でピアノが表現する木漏れ日の煌めき。この安らかな響きを味わえるだけでも、生きていて良かったと思えます。 それは辛さを知ってればこその事。   16.「月」 月は四十億年前に出来た。 それまでの、地球が生まれて以後の六億年の間、地球には衛星がなかった。地球はパートナーを持たない淋しい惑星だったのだ。 だがそこに、地球の半分くらいの大きさの惑星がぶつかって来た。地球は大きくえぐられて傷つき、無数の破片が周囲に飛び散る。そして数千年の後に、破片はひとつにまとまり、あの丸い月が出来たのだ。 地球はえぐられ大きく傷ついた故に月を得た。傷つかなければあの美しいパートナーを得ることもなかった。 傷つきたくはないけれど、傷つく事を恐れ過ぎるのはやめようぜ。   17.「QUEEN/HESSE」 「Bohemian Rhapsody」の、「ママ、人を殺しちゃった」という歌詞。 どこかでよく似た言葉に出会った事がある。 ヘルマンヘッセの小説、「知と愛」の中で、修道院を飛び出したゴルトムントが放浪の最中に仲間を殺してしまう。その時のゴルトムントの言った言葉が、「聖母さま、殺しちゃった!」 人を殺さないまでも、齢を重ねるごとに子供の頃の無垢な自分ではなくなっていく。 幼稚園の頃の、マリアさまに愛された自分はいなくなってしまったと悲しくなる。 「聖母さま、僕、こんなに情けないオトナになっちゃった!」   18,「暴走自転車」    西から東から、自転車が弾丸のようにやってくる。 歩道という字を見てみろよ、 このエリアは人が歩く為の道なんだぜ。 だがそんな正論は弾丸自転車には通じない。 正論が冷笑されるこの世だからだ。 若い男に若い女、年配者に令夫人、 サドルの上には様々な男女の丸くて横柄な尻がのっている。 人々の身体をかすめ、すり抜けてゆく弾丸自転車に、速度を緩めるという発想はない。 ブレーキなんて知らない。 選択はいつもハンドル回避。 そして、東へ西へと、 弾丸自転車は振り向きもせずに去って行く。   19,無題 物質にはレギュラーな物質と反物質とがあるらしい。 そして物質と反物質が出会うと光を放って消滅してしまう。そんな反物質だけで出来た世界が宇宙のどこかにあるかもしれないとのこと。ならば、その反物質世界が、何かの間違いで僕らの物質世界に近づいて来ないとも限らない。 ある日、夜空のどこかに小さな光が輝く。それは反物質世界が僕らの世界と対消滅を始める兆し。 光は瞬く間に夜空いっぱいに広がり最早昼の明るさ。空の一点で眩い光の爆発が起こる。土星が消滅し木星も消えた。 僕らはただ呆然と空を見上げるのみ‥   20.「その《場所》へ」  未来のある日、僕は音声自動操縦装置を備えた自家用機の運転席に座り、これからどこへ行けばよいのか思案に耽っていた。友達と、機への「たった一言の命令」でどちらが長時間、機を飛ばせ続けられるかの賭けをしたのだ。 「北極へ」?「南極へ」?いや地球上で最も遠い場所に行きたければ「地球の裏側へ」が正解。だがそれ位の事は誰でも思いつく。 でも僕は閃いた。そしてあの21世紀前半から続くお馴染みの合言葉を口にしたのだ。 「OK Google 東へ行ってくれ!」 機は地球の自転方向へ向け永遠の旅に出発した。   21.「地学」 海は荒れ、風が強さを増し始める。 舳先に立ったバイスバロット氏は風を背に受け、左腕を自らの斜め前方に突き出し叫んだ。 「さあ、おれの指差す先を見ろ!あそこに怪物がいる。下手すれば俺たちの生命を奪いかねない、凶暴で、とんでもなく巨大な灰色の怪物がな!」 その時、左前方、船乗りたちの目に映ったのは不吉な色の雲の柱、海面上を反時計回りに回転する化け物のような積乱雲だ。 「面舵いっぱい!」  操舵手が慌てて舵を右に切ると、船は大きく傾きながらその進路を変える。 ‥バイスバロットの法則 (注)バイスバロットの法則とは、北半球で台風による風が吹いている時、その風を背に受けて立つと、台風の中心は常に体の左斜め前方にあるというもの。19世紀オランダの気象学者バイスバロットによって提唱されたためにこの名がある。   22.「恐怖に寄せて」 恐怖とは抑圧された怒りであると言われている。 確かにそうだ。 今朝みた夢でその事を思い出した。 恐怖を感じる相手に対して僕はいつも、 怒ってはいけない、 怒るべきではないと、 自分を諌め続けてきたのだった。   23.「シュバルツシルトの半径」 遠い未来、ひとりの宇宙冒険家がいた。 彼は人類で初めてブラックホールを探検しようとしていた。 宇宙服を着てブラックホールに突っ込んで行くという計画。当然、強い重力に体は引き裂かれ、彼は命を落とす。 だが彼は英雄になる事を選んだ。 交信の際、家族はせめて最後の姿を写真に撮っておくよう望んだが、彼はその必要はないと断った。 そしてハッチを開けブラックホールへとダイブ! 彼は落ちて行く。 だが強い重力の為、見ている者にとっての彼の時間は止まった。彼の姿はブラックホールの上空に凍りついた。 家族の前に彼の遺影が残った。   24.「創世の痕跡」 宇宙開びゃくの頃の事、最初に神は「光あれ」と言われた。そして光があった。 それから138億年の時が流れ、宇宙は様々に変化を続けた。 だが、ひとつ変わらないものがあった。 それは光。 光とは光子。 光子には質量がない。 光子は光速で移動するが光速で移動するものに時間はない。 よって光子には時間がない。 光子は神が造られたまま、そのままの姿で、宇宙を飛び続けている。 光は神の瑞瑞しいいぶきを、今もそのままに保っている。 神の創造の輝きをそのまま今に伝えている。 光は生まれた、神を知らせるために。          (終わり) 「あとがき」 更新が一年以上滞っていました。その間、文章を何も書いていなかった訳ではなく、時々、或るアプリにちょっとした思いつきを投稿したりはしていたんです。ここにアップしたのは昨年の9月頃から暮れにかけて、そのアプリに「ルメートル」名義で投稿したもののうち多少創作っぽいものとエッセイ風の文章を抜き出してまとめたもの。とにかく久々に何か投稿したくなって、それで今回はこれをアップする事にしたのでした。 (因みに「ルメートル」とは「ジョルジュ・ルメートル」の事。宇宙膨張の法則をエドウィン・ハッブルに先行して発表した天文学者の名前です。彼は天文学者であると同時にカトリックの司祭でもあります) 昨年の11月に肉親を亡くしました。さらに今年はご存じの通り人類にとっての試練の年となっています。とにかく日々気が滅入るばかりです。本を読んでも集中できず、創作にも気持ちが向かいません。でも、そんな毎日の中でも音楽!そう、音楽だけは本当にしみじみと心に語りかけてくれています。 音楽とは何て素晴らしいものなのでしょう! マルティン☆ティモリ

  • 16Mar
    • クイズ付き小説「He is 魚類!」の画像

      クイズ付き小説「He is 魚類!」

       こんにちは、今回はいつもより少し短めの6500字です。 よろしかったら《あとがき》で、またお会いしましょう。(この物語の語り手って結局最後はどうなってしまったのかな(・・?)) クイズ付き小説「He is 魚類!」      マルティン☆ティモリ作 僕は訊く。 「それで、彼って一体何ていう名の魚なの?」 「そう、彼はね…」 言い掛けてカズヨさんは、何故か英語で言い直した。 「He is …」    ☆  ☆  ☆ 穏やかな春の日の昼下がりのこと、僕は二階の自室の窓辺に腰掛け、我が家に同居する雄猫=ジェネラルと一緒にひなたぼっこをしていた。 大型連休の途中の一日。妻は先刻、友人と映画を観に出かけていったから、家の中にいるのは僕とジェネラルのひとりと一匹のみ。 「ねえ、ジェネラル。どうしてきみが猫で僕の方が人間なんだろうね?もしその逆だったとしたって全然かまわないのにね」 そんなことを問いかけてみたところで、ジェネラルはただ大儀そうに視線だけこちらに向け、ひとつ欠伸をするとまた直ぐに眠りに落ちる。いやいや、僕だってそこに何らかの解答があるなどと思っているわけじゃないんだ。生きているとは実に不可思議なこと。僕らがそれぞれ別々の種に生まれつき、しかも同時にこの時代を生きているってのはとっても奇妙…そんな感覚を、ジェネラル、きみと一緒に分かち合いたかっただけなのさ。 間欠的に頬を撫でるそよ風。こんな至福の午後には、窓外からの街の音に聞き入りながら、ウトウトするのが僕にとってのここ最近のちょっとした楽しみになっている。 うたた寝でみる夢は決まって若い日の夢だ。 柔らかな春の日差しは今や人生の秋を迎えつつあるこんな僕にも、光と憧れに満ちた季節があったことを思い出させてくれる。だから、みる夢の多くは恋の夢…でも、夢に現れてくるのは実際に恋人としてつき合った女性や若い頃の妻じゃない。そうではなくて大抵は、若い日に、ほんの一場面ですれ違った程度の少女たち…すなわち、恋にまで発展しなかった蕾(つぼみ)のような小さな感情が、夢という仮想空間の中で幾分理想的な形となって開花するってわけ。その舞台は当時通っていた高校からの帰り道だったり、大学近くのカフェだったりする。 だが、この日にみた夢は、いつもとは違ってかなり非現実的なものだった… ☆   ☆   ☆  この日の夢に僕の相手役として登場したのは高校一年の時に同じクラスだったカズヨさん…ちっちゃい背に小作りな顔を包みこむような短めの髪、一重瞼(ひとえまぶた)の普通にまじめな女子生徒…ところがその夢の中では、何故だか僕と彼女はタヒチの海辺を歩いていたんだ。 夢の中の十六歳の僕たち。 カズヨさんはゴーギャンの絵に出てくるような原色のパレオを身にまとい、僕はといえばチェック柄のバミューダパンツ姿。亜熱帯の目映い光の中、海からの風が彼女の髪をもてあそんでる。 と、 「お魚になるよ!」 いきなり宣言する彼女。そして僕の手を引いて走り出した。彼女の言葉に僕は高校の頃に流行っていた昭和のCMソングを思い出す。 ♪お魚になった、ワ・タ・シ カズヨさんは僕の手を引き浜辺にある岩場の坂をずんずん上って遂には頂点へと到着する。そこは垂直に切り立った目もくらむような崖、鉛直遙か下方に青く透き通った海面が見える。 「さ、行きましょ」 言って躊躇なく飛び降りるカズヨさん。 「うあああっ」 しっかり手を引かれていたが故に、僕も一緒に遙かな海面へと真っ逆さま、落ちていく恐怖と突然訪れた無重力感に僕は手足をばたつかせずにはいられない。途方もなく長く感じられた落下の後、やっと着水したと思ったら、海面を突き抜けた衝撃で身につけていたものは全部脱げてしまい、ふたりは天使みたいに真っ裸。そのまま海中深くへと沈んでゆく。 (ああ、そうか。お魚になるんだったな。これは夢、だからそのうちにきっと僕らの体表は鱗で覆われ、身体のあちこちからは鰭(ひれ)が生え始めて…) そんなことを思いながら、すぐ目の前にいるカズヨさんの、決して豊満とはいえない全裸に目を凝らしていたんだけど、彼女の身体には何の変化も起こらない。カズヨさんの全裸はやはり人間であるカズヨさんの全裸そのままだ。 「…み、見ないで下さい」 「あ、ごめん」 あわてて僕は目をそらす。でもカズヨさんは特に怒った風もなく、いたずらっぽい目をして僕の顔をのぞき込んだ。  「ね、お魚になったでしょう?」 ええっ!?どう見たって人間のままなんですけど~なんて思いつつも僕は、今、自分が水中にいるにもかかわらず、普通に話せて呼吸もしっかりできているという事実に気がついた。それがすなわち『お魚になった』って事を意味しているのだろう、ま、夢なんて大概そんなものだ。 水面という名の果てしなく続く大天井に覆われたここは魚社会。上下左右を、僕らを取り囲むように小さな魚の群れが行き交っている。 「ふ~ん、僕たちって、どっちかって言えば大型魚の部類に属しているみたいだね」 のんびりつぶやいてみる。と、突然頭上に巨大な影が… 「何言ってるの、ほら、急いで!」 カズヨさんが叫んだ。 よくわからないままに僕は先を行く彼女を水を切って追いかける。今や巨大な影は、水面という大天井の下のもうひとつの天井となって僕たちの頭上を悠然と進んでいた。 「さあ、頭を反らして!」 言われた通りにその白い天井に思いっきり頭を押し当てる、と、後頭部はそのまま頭上の巨大な生き物に固定され、急に泳ぎが楽になった。 「ってことは、僕たちは…」 「そう、わたしたちコバンザメなの。ね、素敵でしょ!」 「う~ん、でも…(素敵かどうかは別として)どうして、よりによって僕らはコバンザメなんだろう?」 先にジェネラルに問いかけたと同じ様な問いをつぶやいてしまう僕。 だが、夢が脳の作り出したイリュージョンであるのなら、どんなに気まぐれに思えることにも意外な理由があるものだ。このときの僕の脳裏に浮かんでいたのは、子供の頃の愛読書のひとつ=原色魚類図鑑の中に書かれていたある記述だった… ☆   ☆   ☆  《カズヨさんの思い出》 今から四十数年前の高一の秋。放課後、大事なノートを机の中に忘れたことに気づいて学校に取って返した僕は、人気(ひとけ)のない校内のクラスルームにひとり残って掃除をしているカズヨさんと遭遇した。 「あ、鈴木さん…」 カズヨさんはフルネームを鈴木和代(スズキ・カズヨ)という。 高校に入学してからもう半年近くが経っていたが、同じクラスであるにもかかわらず、この日まで僕はカズヨさんとはほとんど言葉を交わしたことがなかった。 印象としてはとっても地味でまじめな女子生徒…教室の掃除をしていたのは、名簿順からいってこの日が彼女の当番だったのだろう、他の当番たちが掃除をすっぽかして帰ってしまったために、彼女だけがひとり、律儀に義務を果たしていたってことらしい。 「…忘れ物しちゃったんだ。鈴木さんは、掃除当番?」 「うん、そう」 「ふうん、真面目だなぁ」 「そうかな?……あ、あの…よかったら、掃除……手伝って下さい!」 ん、何だろ?この感じ。他の女子なら「手伝ってよ」とか何とか軽く言うような言葉を、カズヨさんはちょっとためらった後に絞り出すような口調で言った。 「えっ、あ、いや、今日は家の用事があって、早く帰らなくちゃいけないから」 本当は用事なんてなかった。ただ、咄嗟(とっさ)に僕が恐れたのは、ひっそり静かな教室にカズヨさんと二人でいるところを友人に見られてしまう事。 この頃の僕は、友人たちと好きな女の子について話すときにはいつも、隣のクラスにいる美少女系の女子生徒(当時のイギリスの人気女優=Maisie・Eraに似ていたので『メイジー』ってあだ名で呼ばれてた)の名前を挙げる事にしていた。だけど、本当はメイジーの事が特別好きだったって訳でもない。隣のクラスだから性格とかもわからないし、だいいち僕とメイジーとでは顔面の偏差値が違いすぎる。ただ友人同士で女の子の話をするときには、取りあえず誰かの名前を言っとかないと盛り上がらないし、変に秘密めかしたりすると何かと面倒。だから友人たちの前では、一応メイジーを意中の人ってことにしていただけだった。 そんなわけで、当番でもない僕がカズヨさんと一緒に掃除しているところを友人に見られでもしたら、彼らはきっとニヤニヤ笑って、『ふ~ん、ショウジ(昭時=僕の名前です)、お前、ホントは鈴木さんとそういうことになってたんだ~』なんて冷やかされ、以後の高校生活がとってもやりにくくなる。 「じゃ、ごめん、お先に!」 言って僕はカズヨさんを残し教室を出た。 カズヨさんは僅かにほほえんでいたけれど、何も言わなかった。 帰り道、僕は、箒を持ってひとりで教室に残っているカズヨさんの姿を想い少し後悔した。 (手伝うくらいしてもよかったのにな…) もしも手伝っていたらどうだったろう、と考えた。  友人に見つかることもなく掃除を終えた僕たちは、学校からの帰り道を一緒に歩いたかもしれない…そしてその時、ひょっとしたら僕たちの間に何か暖かい感情が流れたのではないか…並んで歩く制服姿の僕たちは、(背の高さはずいぶんと違うけれど)道行く人から見て、結構お似合いのふたりと映ったのではないか… だが、カズヨさんとはそれ以降、特に親しく会話する事もなかったし、高二になって以後はもう同じクラスになることすらなかったのだった。 ☆   ☆   ☆ …さてさて、話は再び夢の中の海の中。 それで?どうして僕らはコバンザメになったのかって? それはね、きっとカズヨさんの姓からの、僕の無意識下に於いての連想によるものだったんだと思う。というのも、実はコバンザメは鮫の仲間じゃなくって分類すれば何と何と『鱸(すずき)』の仲間(昔の人がいい加減な命名をしたんですね)。子供の頃に図鑑でそんな記述を読んだことがあったから、それがかすかに僕の記憶に残っていたのだろう。 大きな魚の腹にくっついて、夢の中の僕たちはとっても快適だった。泳がなくても移動できるのはもちろんの事、その魚が食い散らしたエサのおこぼれにも預かることができる。 おいしそうに小魚を飲み込んだカズヨさん、にっこり笑って「彼のお陰よね」って言う。 「彼?でもひょっとしたら『彼女』かもしれないよ」と僕。 カズヨさんは黙って僕らのいる斜め上辺りを指さした…そこには大きくて白い腹があり、その後方に突起しているのは一対の交尾器。 「ああ、な~るほど!ところで僕らがくっついてるこの魚って、一体何て名前なんだろうね?」 「え?わからない?彼の名前はね…」言い掛けてカズヨさんは何故か英語で言い直す。 「He is ○○.」 ……………………… 階下に人の気配。妻が帰宅したようだ。うたた寝から覚め切らない僕はまだ夢の余韻に浸っている。 (…そうかぁ…彼は○○だったんだ…たしかに…魚類であるには違いないよね…ムニャムニャ) 「ショウジさん?…ショウジさんってば!居るんでしょ?もうっ、返事くらいしてよ!で、言いつけておいたお風呂掃除、ちゃんとやっておいてくれたんでしょうね?」 一気に現実に引き戻される。 「ああ、ごめん!まだなんだ。今すぐやるよ」 窓外を見れば現し(うつし)世は既に夕刻、今日という日が暮れようとしている。ヨッコラショっと立ち上がった僕は、今見た夢の続きがまた見られるようにと、夢の中でカズヨさんが最後に言った言葉、「He is ○○」を、手の甲に小さくサインペンで書き取っておいた。 ☆   ☆   ☆ さて、一夜が明けて今日からは五月。 この年=2019年のこの朝は、ひとの人生においてそうは何度も経験できない、ちょっと晴れがましくてモニュメンタルな朝…にもかかわらず、昨日のうたた寝がいけなかったのか、僕は風邪気味で寝床に伏している。 パジャマの袖からのぞいた腕時計を見ればもう昼近い時刻、妻はまた別の友人とランチに出かけたらしい。僕も何か食べなくちゃと身体を起こす… と、 (んっ?) 先刻、腕時計を見たときに何か意識に引っかかるものがあった。 もういちど左の手首に視線を移す。 (ない、消えている) そう、昨日の夕方、うたた寝から覚めた時に書いておいた手の甲の文字が消えているのだ。 使ったのは水に強い油性のサインペン、それに昨晩は風邪気味だったから風呂には入っていない。風呂掃除はしたけれど(でないと妻にこっぴどく叱られる)ちゃんとゴム手袋をはめてやっている。いやいや、何より昨夜は早めに床に就いたのだったが、就寝前に僕は、まだ手の甲の文字が残っていたのをしっかり覚えているのだ。それが朝になって消えているというのは…これはちょっとしたミステリーではないか。 取りあえず起き出してトーストをかじり新聞を開く… そして…ピーン!…僕はすべてを理解した。 「な~るほど、そういうことだったのか。確かに…妙なことではあるけれど、一応、納得はできるなぁ」 さて、では、そろそろ恒例の… ※※※※※※※※ 【読者への質問】 夢の中で、 ふたりのコバンザメを運んでくれた 『彼』とは 一体、何という名の 魚類だったのでしょう? 日本名です。 でも、英語で言っても 同じ様な響きの名前かも!? ただ、英語で言うと ちょっと眩しい感じになりますね。 ※※※※※※※※※ ☆   ☆   ☆ あのモニュメンタルな朝から数日がたった日の昼下がり、僕は今日も自室でジェネラルと一緒にひなたぼっこをしている。 連休は続いていて、妻は昨日から友人と旅行に出かけている。家を出るときの妻の様子から、どうやらその友人とは男性のようだ。まだ風邪の治りきらない僕は、窓辺に座って毛布にくるまり街の音を聞いている。 そして、眠りに落ちた… ☆   ☆   ☆ 先日の夢の続きをみた。 カズヨさんと僕、ふたつの人間の姿をしたコバンザメが、大きな魚の腹にくっついているあの夢の続き。 「さあ、もうお腹も一杯になったことだし、」 「そうね、じゃ、そろそろ離脱しましょう!」 カズヨさんの言った『離脱』って言葉が何だか可笑しくて、僕は笑う。何が可笑しいの?って顔をしながら、カズヨさんも釣られて笑った。 魚の腹から後頭部の吸盤を外すと、僕らは『彼』から離れ深く潜る。 見上げると頭上はるか、海面を背景に『彼』の大きな影が見えている。 まるで未来志向の宇宙船のような姿…ひし形をした体と長い尾部、目の下から前方に突起しているふたつの頭鰭…その『彼』の名前とは? 思い出してほしい、前の夢から覚める直前にカズヨさんは『He is ○○.』と言い、目覚めた後に僕はそれを手の甲に書きとめた。でも次の朝、その文字が消えていたんだ。 手の甲に書いた文字が消えたのはなぜ? 2019年五月の初めの朝に消えたものといえば? …2019年の五月に消えたもの、それは元号『平成』だ。 …消えたのは『平成』 …消えたのは『HEISEI』 …消えたのは『He is Ei.』!!! そう、彼は『エイ』!…しかもエイの中でも最大の、体盤幅が七メートルにも及ぶオニイトマキエイ(=別名マンタ)だったのだ! …去っていく『彼』の勇姿を、僕とカズヨさんは感謝のまなざしで見送った。一瞬、彼は身を反転させ、僕らの方を振り向いたようにも見えた。彼の両目に映った僕たちふたりは、お似合いのふたりと映っただろうか。 これからも、お腹が空けば僕たちはまた、大きな魚を見つけその腹にくっつくだろう。そして食欲が満たされれば離脱する。来る日も来る日も、これを繰り返すことだろう。 ゆっくりと水を切って泳ぎながら、カズヨさんと向き合い、僕は言った。  「僕と結婚してほしいんだ」 カズヨさんは優しい一重(ひとえ)の目を細め、小さくうなずく。そして笑い声をあげながら、逃げるように素早く泳ぎだした。僕も笑って後を追いかける。カズヨさんの身体から海中に放たれるのは無数の卵(らん)、僕はそれへ向けて放精する。カズヨさんに追いつき彼女を腕の中にとらえる、そして僕たちは長くて熱いキスをかわす。 頭上には海面での全反射のために丸く切り取られた青い空。僕はもうすっかりこの世界の住人だ。目覚めたくない…あのリアル世界へは戻りたくない。いや、絶対に戻らない! (ごめんよ、ジェネラル、さようなら。いつかこの宇宙のどこかで、同じ時間軸のどこかで、また、きみと出会いたいな…) 波の向こうに揺れているタヒチの夕日。眼下にたゆたう海草の群。仲良く手をつないで泳ぎながら、僕はカズヨさんに訊いた。 「ねえ、僕が『彼』の名前について訊いたとき、カズヨさんは『彼は…』って言い掛けて『He is …』って言い直したよね。どうしてそんな風に言い直したの?」 カズヨさんが答える。 「それはね、わたしたちの会話のこと、彼にもわかってほしかったからよ」 「???」 「だってあの時、彼にはお世話になりっぱなしだったんだもの。だから彼に分かってもらえるようにと思って言い直したの…」  …エイ語でね。        《終わり》 【あとがき】 読んで下さってありがとうございました! クイズの答えは『エイ』でした。 今回は一応時事ネタ。でも、もちろんそれを先に言ってしまうとネタバレになるので作中にヒントを潜ませてあります。 ①僕とカズヨさんの名前、「ショウジ(昭時)」と「カズヨ(和代)」を組み合わせると「昭和時代」になる。 ②僕と同居している雄猫の名前はジェネラル。ジェネラル(general)とは「(陸軍)大将」→「大正」。 ③僕が高校時代に、友人の前で意中の人としてあげていた女子生徒のあだ名は「メイジー」。その由来はイギリスの女優「Maisie・Era」。「era」は「時代」の意なので「明治時代」。 …と、明治・大正・昭和とくれば「平成(HEISEI)」に何か仕掛けがあると思っていただけるんじゃないか…なんて。 また、読者への質問のところに、答えの魚類は日本語で言っても英語で言っても同じような響きの名前、と書いておきましたが、「エイ」は英語で「レイ(ray)」なんですね、たしかにちょっと眩しそうな(ray=光線)名前ではあります。 それと、作中にあるようにコバンザメは魚類だから体外受精、でもサメ類やエイ類は体内受精で、しかも、今回調べて知ったんだけどオスの交尾器は一対(二本)あるんだそうです、ビックリでした。 ではまたね、  マルティン☆ティモリ   

  • 02Nov
    • クイズ付き小説「古賀と里緒の音楽鑑賞会」

      この話はのどかさんの「ぼっち企画(お題は死者の日)」に乗らせてもらって書きました。 例によって「クイズ付き小説」ですが、今回の答えとなる言葉は、知っている人は知っているが、知らない人は知らない(当たり前ですが)つまり、子供から大人まで誰もが知っているような言葉ではないかもしれません、どうかご了承下さい(そして、今回も長いです、約1万字。地の文ばかり多くて会話文が少ないという読みにくい作品になってしまいました。スミマセン)。 では、また《あとがき》でお会いしましょう。 …………  クイズ付き小説「古賀と里緒の音楽鑑賞会」      マルティン☆ティモリ作 《登場人物》 古賀…語り手(私)、初老の男 里緒さん…古賀の憧れの女性 ☆   ☆   ☆ レクイエム《requiem(ラテン語)》…鎮魂曲。ミサ曲の一種。キリスト教で、死者の魂を鎮めるために捧げる音楽。 (金田一晴彦、池田弥三郎=編、学研「国語大事典」より) ☆   ☆   ☆ そのコンサートホールは台形の姿をした小高い山の上にあった。 秋の日、旅先で音楽鑑賞会に招かれた私たちは、バスを降りると渡された地図を頼りにホールへの道を辿った。 台形の山の頂、上底部分にこんもり繁る木々の中を進んで行くと、いきなり視界が開け、動物除けなのだろうか太い丸太を垂直に組み合わせて作ったやたら頑丈そうな高い塀が現れる。見上げるとその奥に、目指すホールの巨大な大屋根が天へ届かんばかりに高く聳(そび)えていた。 里緒さんが言う。 「わあ、すごいわね。まるで西洋のお城みたい!」 確かにそう…なのだが、城といってもこれは普通にイメージするようなメルヘンチックな城ではない。周囲の塀ともども、むしろ城塞と呼びたくなるような実に厳(いか)つい外観なのである。 「ほんとだね。しかもこのホール、こんなに大きいのに外側から内部まで全部が木で出来てるんだってさ」 言いながら私は振り返り、大屋根を見上げている里緒さんの方へと視線を移す。 目に映るのは「美しい」というのとは少し違うかもしれない里緒さんの大柄な身体…しかし今の私には、彼女のそんな体型さえもがこの上なく愛(いと)おしい。人生も下り坂に差し掛かろうという年齢となった私と里緒さんは、実を言えば互いに配偶者を持つ身…即ち、私たちは目下不倫旅行の最中(さなか)というわけなのだ。 高い塀に開けられた不自然なほどに狭小な門をくぐり、会場入り口へと続く石畳を歩く。 正面に見るホールの外観は大屋根を支える木組みが四隅で突き抜け、微妙なカーヴを描きつつ高く伸び上がって、見る者に両手を空へ向け差し出しているかのような印象を抱(いだ)かせる。チケットを提示し玄関を通ると、檜材の香り漂うロビーの内部は大勢の老若男女であふれていた。 「カップルが多いわね、ていうか、ここにいる人たちって全部カップルなんじゃない?」 「そのようだな。どうやらここに招待されたのは私たちと同じく旅行中の男女二人連ればかりらしい」 と言っても、見たところ特に音楽愛好家ばかりを招待したというわけでもないようで、中には肩を抱き合ったり、さらには人目もはばからずキスを交わすカップルもいる。不倫旅行中という立場からすれば私たちも威張れたものではないのだけれど、それでもクラシックのコンサートには不似合いな雰囲気に不快になった私は、里緒さんの手を引いてロビーを横切ると、音楽ホール内へと続く両開きのドアを足早に潜り抜けた。 と… 「おおおっ!」 思わず声が出てしまった。 眼前にひろがっているのは、とてつもなく広大な空間。 湾曲した木組みの壁面を持つ内部を見渡せば、上は最も高いところで数十メートルはあろうかという天井、前方のステージは左右に翼を広げたような造りで舞台中央には巨大なパイプオルガン、ステージ上には既に大人数のオーケストラと合唱団が待機している。 「こりゃ驚いた。演奏者だけで五、六百人は居るな。一体何の曲を演奏するんだろうね?」 言うと、里緒さんが「はい、これ」と入口で受け取ったプログラムを差し出してくれる。私は表紙に印刷された文字に目を落とした。    『レクイエム』  (ユウ・フォン・ミッテルプンクト作曲) んんっ?よりによってカップルばかりを招待したコンサートでレクイエム???…と思ったが、すぐに、今日11月2日が万霊節であることを思い出した。「万霊節」とはキリスト教で死者の霊に祈りを捧げる日、「死者の日」とも呼ばれている。何故そんな事を知っているかといえば、実は私は若い頃にキリスト教の洗礼を… …「ねえ、どこに座る?」  里緒さんの声が私の意識に割り込んできた。客席には空席がまだ十分にある。私たちは一階席中央の少し後方あたりに適当な席を選んで腰を下ろす。 程なく開演のブザーが鳴った。 ロビーにいた客達がぞろぞろ場内に入ってくると空席はきれいに埋まり照明が落ちる。 拍手に迎えられ、ステージ下手(しもて)からはソプラノ、アルト、テナー、バスの四人の独唱者に続いて燕尾服に身を包んだ指揮者が登場、かなり歳取った長身痩躯の爺さんだ。指揮者と言うより老練なマジシャンを思わせる風貌。盛大な拍手のなか深く一礼すると、床に置かれていたマイクを取り上げスイッチを入れる。 「ご来場の紳士淑女の皆しゃま!本日はこの万霊節コンシャートにようこしょおいでくだしゃいました。しゃて、本日演奏いたしましゅる音楽は、現代ドイツの作曲家ミッテルプンクト氏がこのコンシャートの為に作ってくだしゃいました『新曲』(!)。その名も「○クイエム」でごじゃいましゅ…」 爺さん、いや、老指揮者の発音は入れ歯の調子でも悪いのかとても不明瞭で、息の漏れる音がいちいちマイクに入って煩(うるさ)い上に、曲名の「レクイエム」も「テクイエム」と聞こえてしまう。 「……しょれでは、演奏に移る事にいたしましょう。(ここで老指揮者は客席をぐるりと見回し、)敬愛しゅる皆しゃま?ワタクシは自信を持って皆しゃまにお約束いたしましゅるぞ!今から演奏いたしましゅる音楽…この(テ)クイエムが、必ず、必ずや皆しゃまを素晴らしい別世界へとお連れしゅるでありましょう事を!」 そんな『断定』で前口上を締めくくると、老指揮者は意外にも身体を軽やかに反転させ、サッと指揮台に飛び乗った。そして暫し頭(こうべ)を垂れ、場内に完全な静寂が訪れるのを待った後、徐(おもむろ)に指揮棒を振り下ろす… ☆   ☆   ☆  ………四十年前 「古賀(こが)さん、古賀さんね?」  それは受験を控えた高3の、雪がチラチラ舞う年の暮れの事。実家近くの書店にふらりと出かけた私はその店の一隅で声をかけられる。振り返るとそこには、以前から密かに思いを寄せていた里緒さんが立っていた。 当時、私はミッション系の進学校=聖ピエトロ学院高校部に通っており、里緒さんも同じ高校の同学年。高校部の生徒は各学年にそれぞれ二百人近くはいたかと思うが、高校の3年間で里緒さんとは一度も一緒のクラスになったことがない。だから、高1のころは顔すら知らず、彼女のことをはっきりと意識し始めたのは高2の秋、時間つぶしに立ち寄った校内の図書室がその発端だった。 里緒さんは当時から大柄で色白、癖のない髪を額の真ん中で分けて長くのばしていた。 大柄……そう、確かに里緒さんは顔も身体も総じて大きめのサイズだったけれど、目鼻立ちはどちらかと云えば小ぢんまりとしていたし、胸も特に大きいということはない。中肉中背の女子生徒を、パーツの大きさはそのままに全体の輪郭だけ少し大きく膨らませたような感じと言えばよいだろうか。少なくとも里緒さんは、年頃の高校生男子が一目見て心惹かれるというような、そんな容姿の持ち主でなかったことは確かである。 だが、その日、彼女を見た瞬間に私の心は不思議にも波立った。それは午後の図書室というシチュエーションも影響していたのかもしれない。と云うのも、私は小学校高学年の頃から読書好きの少女に惹かれるという傾向があったし、実際、読書をしている彼女の姿には、本好きの少女等に共通するある種の清潔さといった気配が漂っていた。 午後の日差しが斜めに差し込む中、里緒さんは図書室の椅子に姿勢良く座って、何やら外国の小説を一心に読んでいた。そばを通るときにこっそり目をやると、カバーの取れたエンジ色の表紙には飾り文字で「HESSE」と書かれている。私はそのときまで一度も、Hesseの書いた小説を読んだことがなかった。 この日を境に、私は、学内にいるときにはいつも無意識に里緒さんの姿を探すようになった。そしてその姿を見いだしたときには、目の端でそっと彼女の姿を追った。そんな日々の中で、私は、木曜の放課後に図書室に行けば必ず彼女に会える事を知った。図書室の遠い席から本に集中している彼女の背中を見、その肉厚の背中を強く自分の腕の中に抱き込むさまを想い描き夢に見た。 声をかけたりはしない、そんな勇気は私にはなかった。ただ、いつも、遠くから見ているだけ… 高校最後の年になると、私は自然とHesseの本を愛読するようになっていた。そればかりか彼女の一家がクリスチャンで、この学院にも幼稚園から通っていると漏れ聞くと、私も教会に通い始め終(つい)には洗礼を受けるまでの信仰を持つに至った。…いや、これは何も共通の話題を増やして彼女に近づこうなどという下心からではない。私はただ彼女が良いと感じているもの、彼女が幼い日から信じているものを、自分もまた常に身近なものとして感じていたいと願ったからなのだった。 そして、高3の冬… 「古賀(こが)さん、古賀さんね?」 書店の片隅、淡いピンクのセーターにコートを羽織った私服姿の彼女は、大柄な身体にもかかわらず掛け値なしに可愛らしかった。 「あ…こんにちは…」 緊張して言葉が続かない。結局、その時の私は最もありきたりの返しをしてしまう。 「…僕の名前、『こが』じゃないんだ、『ふるが』って読むんだ」 彼女はちょっと驚いた表情をした後、申し訳なさそうに言う。 「あ、ごめんなさい。そうだったのね、知らなかったから…」 その後、彼女は「変わった読み方ね」とか何とか言ったように思うがよく覚えていない。私の方も「いや、いいんだ、みんな間違えるんだよ」などと言って会話はそこで終わってしまった。 これが高校時代に私と里緒さんが交わした唯一の会話となった。 年が明け、冬も終りに近づくころには否も応もなく受験の季節が到来する。私は彼女がどこの大学を受験したのか、どんな道に進んだのかも知らないままで高校を卒業した。大学進学と同時に故郷を離れ、教会にも行かなくなった。職場で知り合った女性と結婚し家庭を持った… そして月日は流れ、最早初老と呼ばれる年齢となった私は、ある日、我が家のポストに同窓会の開催を知らせるハガキを見つける。これまで同窓会など敬遠していた私だったが、歳を取ったせいか「出席してみようかな」という思いがふと心に上ってきた… ☆   ☆   ☆ ………新曲「レクイエム」は弦楽のみによる序奏で始まった。  老指揮者が振り下ろした指揮棒に合わせ、弦楽器群が静かに弓の動きを開始する。 ステージから流れてきたのは木造のホールに特有の柔らかい響き。 現代の作曲家が作った曲であるにもかかわらず、使われている和声は意外にもルネサンス期の教会音楽家=パレストリーナを思わせる晴朗さで、ひとしきりの弦合奏の後、そこへ木管楽器が対位法的に絡み始める。 フレーズが一段落したところで男声合唱が低くユニゾンで入ってきた。 Requiem aeternam dona eis,Domine, (主よ、彼らに永遠の安息を与え給え) et lux perpetua luceat eis. (絶えざる光で彼らを照らし給え) その後、二部に分離したバスとテナーは、同じ歌詞につけられた旋律を何度も何度も繰り返し積み重ねていく… 聴きながら、私は、おや?と思った。 膝の上で音を立てないようプログラムを開くと、印刷されている歌詞を確認する。 (やはり、おかしい…) 死者のためのミサ曲=「レクイエム」は、古来モーツァルトを始めとする多くの作曲家が手がけているが、その題名は歌い出しの歌詞(ラテン語の典礼文)「Requiem」に由来している。今、私の眼前で演奏されている「レクイエム」の歌詞も、プログラムを見る限り歌い出しの単語はやはり「Requiem」となっている。ところが、この「Reqiem(レクイエム)」という歌詞が、何故か私の耳には時々、最初に老指揮者が発音したような「テクイエム」に聞こえるのだ。 (「レ」が「テ」になって聞こえる…耳が遠くなってしまったせいだろうか?) そんなことを思ううちにも音楽は進行し、男声の声部の上に女声合唱が加わった。何百人もの合唱団が放つ圧倒的な朗唱…だが、このあたりから使われている和声にも少しずつ不協和音程が加わり始め、音楽は現代風の苦みを含んだ響きへと移行する。現代曲の苦手な私は、そんな曲想の変化を、まるで清い流れの中に濁り水が混じり込んでいくかの様だなと、少しがっかりした気分を抱えながら聴いていた。 ☆   ☆   ☆ …三ヶ月前、夏。 「行ってらっしゃい!」 同窓会当日の朝、私は妻に見送られ家を出た。 会場は隣の県にあるホテル。電車に乗ればほんの一時間ほどの距離…だと高を括っていたら、お陰で少しだけ遅刻をしてしまった。 会場に着く。 ホテルの従業員に案内され大宴会場への入り口を潜るや、いきなり目に飛び込んできたのは何と四十年ぶりに見た里緒さんの姿! 白っぽい夏服を着た彼女は、絢爛と輝く逆円錐形の大シャンデリアの下、周囲の誰と話すでもなくひとりぽつねんと席に着いていた。 高校時代とほとんど変わっていない…いや、顔にはやはり小皺が目立ち、左手の薬指には指輪が見える。髪もあの頃より少し短くしているが、実年齢よりはずっと若く見え、驚いたことに文学少女っぽい雰囲気は私の記憶の中の彼女そのままだった。 思えば四十年前の書店での遭遇の日、帰宅するなりそそくさと自分の部屋へ引っ込んだ私は、彼女が私の名の読みを間違えた事について何度も思いを巡らせたものだった。 《…里緒さんは別のクラスであるにもかかわらず、僕の名前を知っていた…しかし名前の読みを知らなかった…つまり里緒さんは活字で僕の名前を知ったのだ…》 《…普通、最初に他人の名前を知る時にはまず音で知る…だが彼女は活字で知った…それは学校の配布物を見るなどして意識して知ろうと心掛けたからではないのか?》 《…ってことは、あるいは…ひょっとして…里緒さんも僕のことを…僕のことを!》  そんな思考が心によみがえった。 私は意を決し、彼女の席の方へとまっすぐに歩みを進める。気づいた里緒さんがわたしを見た。そして……… …………… ………それから三ヶ月の時を経た昨夜、私たちは旅先のホテルで初めて結ばれたのだった。 背後から彼女の浴衣をはだけ、白くて丸っこい裸の背に私の頬を押しつける。里緒さんの肌はしっとりと湿り気を帯びて微かに汗の匂いがした。 不倫は初めてだった。だが、私はこの秘密の恋を「不倫」などという背徳的な響きの言葉で呼びたくはなかった、もっと純粋で特別なものと考えたかった。しかし… (何と呼ぼうが、不倫が不倫である事には変わりはないのじゃないか?)  そんな問いかけが、旅の間じゅう私を苦しめ続けていた‥   ☆   ☆   ☆ ……少しウトウトしてしまっていたようだ、気が付くと、舞台上ではオーケストラと合唱団の奏でる音楽がとんでもない異様さを帯び始めていた。 とても宗教曲とは思えない通俗的で艶めかしいメロディに、所々で発せられる楽器初心者が出すような不快な雑音、歌詞などほとんど聞き取れないソプラノ歌手のキーキーと耳障りな発声。プログラムの順序からいえば今は多分第5曲の「アニュスデイ」あたりを演奏しているのだろうが、展開されている音楽は第1曲の頃の晴朗な響きとはあまりにもかけ離れたものとなっている。 一体、この濁った響きは?…これがそのまま楽譜に書かれているものなのだろうか? さらに、楽章の切れ目が来て6曲目の「リベラメ」が始まると、最早、聞こえてくるのは音楽とすら呼べない混沌としたものになった。 老指揮者は相変わらず熱心に指揮棒を振っているが、数百人に及ぶ楽団員、合唱団員はひとりひとりがてんでに勝手な音楽を奏でており、中にはあちこち歩き回る者や大声で奇声を発する者など、ステージ上はまるで学級崩壊のような様相を呈している。異常な事態に客席の聴衆もざわめき始めた。 (一体どうなってるんだ!こんな音楽鑑賞会があっていいものか!) …だが、私は、ここで奇妙な事に思い至った。 この音楽鑑賞会に私たちは「招かれて」やってきた。それは確かなのだけれど、では誰が私たちを招待したのか? 昨夜に宿泊したホテルの支配人? あるいは里緒さんの知り合いの誰か? いや待てよ、そもそも私と里緒さんはどういう経緯で一緒に旅行をする事になったのだったろう? 私が誘った? 彼女が誘った? そして同窓会で再会した後の私たちの恋は、一体どんな風に始まったのだった?  …三ヶ月間の記憶がすっかり抜け落ちていた。 まるで夢をみていたかのよう、今も夢をみているかのよう。ただ昨日の、里緒さんと過ごしたふたりの夜の記憶だけが妙に生々しい… 私は横目で隣席の里緒さんをそっと盗み見る。里緒さんは強(こわ)ばった能面のような表情でステージを見つめていた。 と、いきなり首をくるりとこちらに向け話しかけてくる。 「あなたはまだ気づいてないのね…」  私は里緒さんに問う。 古「気づいてないって何が?」 里「今、私たちがいるこの演奏会場が、本当はどこかって事」 古「山の上のコンサートホールだろ?」 里「違うわ、それは多分仮の姿よ」 古「じゃあ、本当はどこなの?」 里「ここはね、本当は、大切な書物には載っていないのだけれど、今から数百年前の十五、六世紀頃になって初めて、私たちにとっての現実となった場所よ。場所の名前?それはね……「なぞなぞ」にして出してあげるわ、当ててみて」 里緒さんはプログラムの余白にペンを走らせる。 【WWⅡ】US+GB+FR+SU+CN,etc-U&KO アルファベットを使った暗号のようだ。唐突に出題された「なぞなぞ」に戸惑いながらも、私は思考を巡らせる。 (…この最初の「WWⅡ」っていうのはきっと×××××××の略だろうな。ってことは、後の「US」とか「GB」とかは××の略号に違いない。だけど、最後の「U&KO」ってのは何なのだろう?) その時だ、周囲で悲鳴があがり、頬に熱気を感じたと思ったら、客席の側面に炎がみえる。何と木造のホールが燃えているのだ! 炎の勢いは強く、瞬く間に客席の周囲をぐるりと包んで既にもうどこに逃げればよいのかさえ分からない状況、ホール全体に戦慄が走る。客席は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。 (ああっ!) 思わず声が漏れる。 私も衝撃を受けた。突然の火事に驚いて…ではない。燃えさかる炎を目にしたことで、たった今、この場所が持つ本当の意味を知ったのだ! (ああ、そうか、そうなのか…ここは「○○○○」だったのだ。ということは私はもう…) 表情を読んで里緒さんが訊いてくる「分かったのね…」 私は答える「ああ…分かったよ…」 ※※※※※※※※※ 読者への質問 さて、この演奏会場とは 本当はどこ(何という場所)なのでしょう? 名称は漢字で2文字、ひらがなだと4文字です。  (注…ごめんなさい、その4文字は誰もが知っているというほどポピュラーな言葉(場所)ではないのかもしれません、ご存じでなかったらすみません) ※※※※※※※※※ …炎はさらに勢いを増し、客席の周囲を取り巻いて燃えさかる。 広いホール内に激しい上昇気流が生じると、壁を伝って天井に達した熱風は空間の中央で対流となって下降気流に転じ、夥しい火の粉を伴って客席へと吹き降りる。 ああ、これでもう、自分は死んでしまうのか… いいや、違う。 私は決して死ぬことはない。 なぜなら… 私は、既に死んでいたのだから! 降りかかる火の粉を浴びながら、里緒さんに話しかける。 《つまりは、あの日だったんだね》 里緒さんが答える。 《ええ、そうよ、あの日よ、あの同窓会の日がそうだったの。あの日、少し遅れてやってきたあなたはホテルの宴会場でわたしを見つけると、まっすぐに私の方へと近づいてきた。そして、わたしに話しかけようと顔を近づけたんだったわ、その時、天井から…》 …ガラスの砕ける音と一瞬の強い痛み、周囲にわき起こる同窓生たちの悲鳴… 《そうだ…シャンデリアが落下して私たちふたりの頭を直撃したんだったな。今思い出したよ。あの時に私たちは命を落としたんだ》 その後のことは全て、私と里緒さんというふたりの死者の間で起こった冥界での出来事だった。何だか私はホッとする。 (当然だ……生前、私は妻を愛していた、里緒さんもきっと心から夫を愛していたことだろう。私たちは現世で配偶者を裏切るようなことはしなかった。私たちは…私と里緒さんは死後の世界に来た後に初めて結ばれたんだ!) 彼女が告白する…高校の頃、毎週、学校の図書室で自分の方をチラチラ見ている男子がとても気になっていた事。 《……嬉しかったわ、わたしのこと見ていてくれる人がいるなんて。それで、わたしもあなたのことが気になりだしたの。わたしはいつしか夢見るようになった、あなたの胸に抱かれ、そしてわたしの初めての……あなたと…》 四十年前、高校生だった私たちは胸の内で両思いの恋をしていたのだった。 激しい爆発音とともにホール全体が炎に包まれる。それは恰(あたか)も火葬炉に入れられたの巨大な木棺のよう。だが身体を舐める炎は左程の熱さでもない。その不思議さに私はいよいよここが「その場所」である事を確信する。 里緒さんの出したなぞなぞ… …【WWⅡ】US+GB+FR+SU+CN,etc-U&KO… 【WWⅡ】とは「World WarⅡ(第二次世界大戦)」の略。 US、GB、FR、SU、CN,etcは国名の略号で「米+英+仏+ソ+中、etc」とは第二次大戦における「連合国」の事を指している…その「れんごうこく」から「U&KO(「う」と「こ」)」の文字を引くと…… ここは人間が現世で犯した罪の浄化を行うために設けられた場所、汚れた魂が神の炎で焼き清められる場所、即ちここは… 「煉獄(れんごく)」だったのだ! 「すべて情慾をいだきて異性を見る者は、既に心のうちに姦淫したるなり(マタイ伝第五章28)」。ならば、神の視点から見て、情慾を根っこに持つ恋愛という感情もまた罪ということになるのだろう。だから万霊節のこの日、生者たちが死者の為に祈ってくれるこの日に、私たちはここ「煉獄」に招待された。現世で「恋の罪」に陥ったたくさんの人たちとともに、炎による罪の清めを受けるために! 私はつぶやく。 《煉獄って、本当にあったんだなぁ》 《そうね、きっと、あると信じる人には煉獄は「ある」のよ。私たちは若い日に信仰を持っていた。だからわたしたちは今、ここにこうしているんだわ》 凄まじい轟音とともに頭上の大天井が焼け落ちる。しかし、私たちがその下敷きになることはない。大屋根は落ちてくるまでのほんの一瞬の間に見事に燃え尽きて、後には細かな灰が舞うばかり。屋根を失った客席の上には今や夜空が広がり、前方の空に明けの明星=金星が清冽な光を放ちながら高く輝いている。 炎は治まった。ステージ上で騒音劇を繰り広げていた音楽家たちの姿も陽炎のように消失。私たちの魂は夜空を静かに上昇し始める。 遠くに美しい音楽が聞こえていた。 レクイエムの最終楽章「イン・パラディスム」だ。 In paridism deducant te Anggeli;  ……… Chorus Angelorum te suscipiat,  ……… aeternam habeas recuiem. (天使があなたを楽園に導きますように…輪になった天使達の合唱があなたを出迎え…永遠の安息を得られますように) 思えば、合唱団の歌う歌詞の「レ」が「テ」に変わって聞こえたのも、私の意識に潜むある種の予感の現れだったのかもしれない…「レクイエム」が「テクイエム」と変わって聞こえたように、今、まさに『れんごく(煉獄)』が『てんごく(天国)』へと変わるその時が訪れようとしていた。 私は、演奏を始める前に老指揮者が言った言葉を思い出す…これから演奏する音楽は、必ずや皆さんを素晴らしい別世界へと導いてくれるでしょう… 空のどこかから老指揮者の声が響いてきた。 《ほうらね、ワタクシの言った通りになったでごじゃりましょう?》 やがて周囲の空に夜明けが訪れる。 未だ星影の残る朝空の中、私たち音楽会の聴衆は、天使たちの合唱に囲まれながら上昇を続ける。……と、前方、雲の向こうに、中空に浮かぶ都市が現れた。それは天の国、我らが心の故郷、その名も麗しい約束の都(みやこ)の姿。 都市の門の前で両手を広げ、私たちを迎え入れようと待っているのは聖ペトロを筆頭とする古今の聖者たちだ。 …聖セシリア……聖フランチェスコ……聖アントニウス……聖… (おや?) 見ると、聖者たちの中にひとり、特徴的な鼻を持った赤ら顔の男が混じっている。  《ん?あれは例の日本の山の神じゃないか、それがどうしてここに?》 里緒さんが笑う。 《ウフフ、さっき言ったでしょ、ここは生前に信じていたものが現れる場所なのよ。あなた、ひょっとして、キリスト教の洗礼を受ける前には別の神様も信じていたんじゃないかしら?》 言われて思い当たることがあった。小学生の頃、祖父に連れられ実家近くの山に登ったとき、突然、近くの木々がガサゴソと音を立てることがあった。祖父が言う。 『あれはの、この山に住む山神=天狗じゃ。天狗はの、いつも、ああやって山の中を駆け回っておるのじゃ…』 本当はつむじ風が枝を揺らしただけだったのかもしれない。だが、まだ子供だった私は、その時の祖父の言葉を素直に信じたのだった。 私は首を傾げる。 《う~ん、それにしても、ここは西洋の神様が支配する都市だよね。なのに、ここに、日本の山神が居てもいいのかなぁ?》  そんな私の言葉に、里緒さんはニンマリ笑いながら言う。 《そんなのオッケーに決まってるでしょ!もちろん天狗もOKよ、だって、ここは…》 ……テンゴク(TENG・OK)なんだもの! 【終わり】 《あとがき》 読んでくださってありがとうございました! クイズの答えは『煉獄』でした。この言葉ってよく知られたものなのでしょうか?ご存じじゃなかった方がいらっしゃったら、ごめんなさい。  作中に出てくる音楽「レクイエム」には特にモデルとなる曲はないのですけれど、最後の「インパラディスム」の部分だけはフォーレ作曲レクイエムの最終楽章をイメージしています。 ここで本文中に触れられなかった色々な謎について少し解説しておきます。(ここからは完全に私の自己満足のためだけの屁理屈ですので興味がおありでしたら読んで下さい) 先ずは、クイズを出したときの里緒さんのナゾの言葉…『この場所は大切な書物には載っていないけれど、十五、六世紀の頃に私たちにとっての現実となった場所よ』…ここで里緒さんが言う大切な書物とは、彼女は幼いときからのクリスチャンなので「聖書」を指しています。ところが、煉獄という場所に関しては実は新旧約聖書のどこにも載っていなくて、十五、六世紀頃になって、ようやく正式にキリスト教(旧教)の教義に加えられたものなんですね。そのために前述ような里緒さんのセリフとなったわけなのです。 次に、作中に出てくる音楽「レクイエム」を書いたドイツ人作曲者の名前『ユウ・フォン・ミッテルプンクト』に隠された秘密…ドイツ語でミッテルプンクト(Mittelpunkt)は『中点』即ち、真ん中の点の意味です。で、一体何の真ん中なのかというと…『フォン(von)』が英語の『of』にあたるから『ユウ・フォン・ミッテルプンクト』とは『「ちゅうてん」の「ゆう」』という意味になる。『ゆう』という文字は『ち(ゆう)てん』の『ち』と『てん』の間にあります、つまり地と天の間、地獄と天国の真ん中、即ち煉獄!…という実に回りくどいオチなのでした。 ところで『地獄、煉獄、天国』というこの並びはイタリアの詩人ダンテの著作『神曲』を思い起こさせますね。そこで、作中に(たぶん全然ヒントにはならなかったとは思うんですけど)、神曲ならぬ『新曲』、ダンテならぬ『断定』という二単語を二重かっこに入れておいたんですが、気づかれた方はいらっしゃったでしょうか? 最後に題名のナゾ…『古賀(ふるが)と里緒(りお)の音楽鑑賞会』ですが、煉獄はイタリア語でいうと『プルガトリオ』(作曲家グスタフ・マーラーが交響曲第10番の第三楽章にこの単語を標題として使ってるのでちょっとだけ有名)。よって『古賀と里緒の音楽鑑賞会』は即ち『プルガトリオ(煉獄)の音楽鑑賞会』となって、何と何と、これはこのお話の本質を実に巧みに表現した題名になっているではありませんか!(…という自己満足でありました)。 のどかさん、今回も魅力的なお題の提供をありがとうございました! 今回は「ぼっち企画」ということですので、楽しく便乗させていただきました。今度こそ短く書こうと思いながら、結局、のどかさんの「書きたいものを書きたい長さで」というお言葉(これは至言です)に勇気を得て、またまた一万字超えの作品となってしまいました。でも(本人は)とても楽しんで書けましたよ。これからも是非よろしくお願いいたします! マルティン☆テイモリブロトピ:更新情報を共有しよう!

  • 16Jun
    • クイズ付き小説「わたしの《彼》はハ長調」

       この話は企画非参加作品です。 (いえ、実を言うと昨年の秋に、例によってのどかさんの立てられた「人外企画」に参加するつもりで着手したのですが、モタモタしているうちに締め切りの期間が過ぎてしまって、途中まで書いたまま置いていたのを今回何とか完成させたという次第。季節の設定が秋の初め頃なのもそんな事情です) 一見、昔の少女マンガにありそうな題名ですが、中身はそうじゃなくて歳相応にシニア恋愛小説(よって閲覧注意!)の要素を含んでいたりします。 題名の意味については《あとがき》にて明かされる予定。 企画参加ではないので(それに結構恥ずかしい作品でもあるので)コメント欄は閉めています…と思ったんですが、後になって結局開けました(^_^;) 「わたしの《彼》はハ長調」        マルティン☆ティモリ作 【登場人物】 ☆志芳(しほう)…「わたし(語り手①)」初老の女 ☆阿見野(あみの)…「僕(語り手②)」初老の男 ☆《彼》…人ではない「何か」 わたしは見つけた。 書き物机の中央にいつも置いてるノート、そのノートの新しいページに書かれていたのは《サヨウナラ》の文字…  ☆   ☆   ☆ 【志芳(語り)】  朝、目覚める。そして、いつも思う。 ああ、そうだった、わたしは老女だったんだわ、って。 いいえ、まだまだ老女と言うほどの歳では無いのかもしれない…たぶん老女の入口あたり。でも眠りの夢の中では、わたしはいつも十七歳なのだ。 手を伸ばせばパジャマの袖から覗くのは枯れ枝のような細い手首。 年齢なんて気にしやしない、気にする必要もない。ムリに若く見せたりするのもイヤ。歳月はわたしを変えたりしない、変わっていくのはいつも世の中の方。だからそれを「老い」なんていう言葉で呼びたくはないわ! 布団をはねのけ、勢いをつけてベッドを降りる。 恒例のミックス野菜ジュースを口に含んで眺めた外は曇り空。雲の流れが速いのは台風が近づいているから。でも今日は阿見野(あみの)さんと会う約束の日だ。嵐が来たって会いに行かなくっちゃ! ミノさん(わたしは彼のことをそう呼んでいる)はわたしの年相応のボーイフレンドだ。彼と会うのは…2ヶ月ぶりになるのかな。若い頃に奥さんを亡くされ、そのあとはずっと独り身のミノさん。ひょろりと高い背に、いつも優しげな表情、かなり白くなってはいるけれどまだまだフサフサしている長めの髪。彼の家に行ったことはなくて、わたしの家に呼んだこともない。たまに喫茶店で会ってお話するだけ… ☆   ☆   ☆ 《スキダヨ》 《ええっ?…もうっ、何言ってるのよ》 《ダッテ、スキナンダモン》 《でもあなた、わたしよりずっと年下じゃない》 《ソンナコトナイサ、ジツヲ言エバボクハ、モウ百億年以上モ生キテイルンダゼ》 《アハハハ、それはまた随分とお爺さんなのね!……ええ、わたしも…好き…好きよ…あなたのことが大好き!》 ☆   ☆   ☆ 「どうかしましたか?」 「えっ?」 「何だか元気がありませんよ」 「そうでしょうか」  喫茶店のちいさなテーブルを挟んでミノさんと向かい合っている。 わたしの返答に頷いたミノさんの視線が、一瞬、わたしの鎖骨のあたりをさまよう。今日は襟刳りの大きなシャツを着てきたのだ。 元気がない…それはわたしが一番よく分かっている。でも希望がないというわけでもない。一縷(いちる)の望みってやつだけど。 わたしは話を途切れさせないだけのために訊いてみる。 「ねえミノさん、ミノさんは何か落ち込むようなことがあったとき、どうされてるの?」 「んっ?僕ですか?何か辛いことがあったら?…そうだなあ、僕なら取りあえずは宇宙の始まりのことを考えますね」 「えっ、宇宙の始まり…ですか?」 「そう、宇宙って最近の科学では『無』から始まったって言われてるでしょう?だったら僕たちが今見ている現実は全部幻で宇宙全体も幻…宇宙は今もやっぱり『無』なんじゃないかってね。『無』つまりゼロ。だから辛い日をマイナスの日だとすれば、元のゼロの位置に戻すためには、いつかは必ずプラスの日がやって来なければならないはずなんだって。何しろ宇宙の総和はゼロなんですから!この世の出来事のすべては、結果的にはプラスマイナスゼロってわけなんです」 ミノさんはいつだってこんな調子だ。ちょっと不思議な物言いの後に俯(うつむ)いてはにかむ笑顔はまるで少年のよう。わたしはそんなミノさんが好きだったんだと思う。いや、今も多分…好きかもしれない。 喫茶店の大きな窓の外では、強風にあおられたヤナギの木が狂ったようにダンスを踊っている。   ☆   ☆   ☆ 《ミノサンッテ誰?》 《ミノさんは…阿見野さんよ、去年に知り合ったわたしのボーイフレンド。時々会ってお話しするの》 《フーン、ソウナンダ。ジャ、モシモ、ボクガアンタニ、ソノミノサンッテ奴ニ会ワナイデッテ頼ンダラ、会ワナイデクレル?》 《エエッ、いきなり何言い出すの!?》 …わたしの夢の中に《彼》が現れるようになったのはいつの頃からだったろうか?たぶん半年前よりは後のことだったと思う。 夢の中の十七歳のわたしに対して、《彼》は生意気だけどちょっとかわいい一学年下の後輩男子というシチュエーションで登場してきた。 《あなたは?》 《ボクハ、ボクダヨ》 《名前、教えてよ》 《サアネ、名前ナンカドウデモイイダロ…ン?ナニ怒ッタ顔シテンダヨ。了解、ワカッタヨ。ジャ、ボクノ名前、教エテアゲルネ。デモ簡単二ハ教エナイゼ、《ナゾナゾ》ニスルカラ解イテミナ…ボクノ名前ハネ…「車ノ骨」サ…アアット、ダメダ。ソレジャ「ホ」ノ音ガ余分ニナッチャウナ》 …結局《彼》は名前を教えてはくれなかった。  夕焼け。夢の世界での学校からの帰り道、制服姿のわたしたちは人気(ひとけ)のない川岸の土手に腰掛けて、他愛ないおしゃべりを交わしながら、さりげなくお互いの体に触れたり軽いキスを交わしたりした。 歳を取ってからだれもが思うことのひとつに、現在の分別のついた心のままで、もう一度若い自分に戻って新しく恋愛をやりなおしたいというものがある。そして、これは夢というものの不思議な性質なのだけれど、わたしは夢の中での十七歳のわたしであるにもかかわらず、意識は現実の歳を重ねた者のそれであった。すなわち《彼》が夢に現れて以後、わたしは自分の若い日々を、理想的な形で生き直していたということになるのかもしれない。 いつしか《彼》は、夜毎(よごと)の夢に現れる様になった。 幸せだった。 わたしは眠りにつくのが楽しみでたまらなくなっていた。 《ミノさんに会わないでって?》 《ソウ、今ノアンタニハボクガイルカラ》 《何言ってるのよ、ミノさんはわたしの大切なお友達よ。あなたなんて夢に出てくるだけで、全然現実の存在じゃないじゃないの》 言ってすぐに、夢の中で「しまった!」と思った。強い言葉で言い返してくるのだろうと覚悟したが、《彼》はしばらく何か考えるような素振りをしている。そして次の朝、目覚めるととても不思議なことが起きていた。 わたしが書き物机の上に置いている覚え書き用のノート、その新しいページに、 《オハヨウ!ボクダヨ》 …《彼》からのメッセージが書かれていたのだ。  以来《彼》は毎朝そのノートに、自分が実在であることを証明するかのようにメッセージを残していくようになった。  ☆    ☆    ☆ 窓の外はいよいよ風が激しい。 ミノさんが言う。 「さあ、今日はもうこのくらいで帰りましょう。台風はどうやらこの街を直撃するようだ」 「あ、あの…これからわたしの家にいらっしゃいません?」 「えっ!?」 ミノさんは心底驚いた声を出した。 「そ、それはちょっと…」 「いえ、いいです。言ってみただけですから、わたし」 わたしは素早く立ち上がった。 テーブルにコーヒー代を置いてひとりさっさと店を出る。 街路樹の葉が大きく風に揺れていた。 雨は降っていない。 背広を着た若いサラリーマン風の二人連れが、高いテンションで会話しながらわたしを追い越していった。嵐の中を仕事で動き回るのが、逆に面白くって仕方がないといった様子。 と、 「待って、志芳(しほう)さん!」 背後にわたしを追ってくる足音が… ☆ ☆ ☆ …《ボクノ名前ハネ、「車ノ骨」サ》… 自宅の、わたしがひとり眠るベッドの斜め上の棚には、古くなって色のあせたクマのぬいぐるみが乗っている。 フランネルで出来たぬいぐるみ…子供の頃からずっとその場所に置いてあった。 いつ誰に買ってもらったものなのか覚えていない。 そのぬいぐるみを抱いて遊んだ記憶もない。ただ、昔からそこに置いてあるだけ。 《彼》がノートに文字を残すようになってしばらく経ったある日の朝、ふとそのぬいぐるみを見あげ、気づいた事があった。 フランネル製のクマ…『ネルのクマ』 そういえば、夢の中で《彼》が出してきた「名前当てのなぞなぞ」は確かこんなものだったわ……『車の骨』…クルマのホネ…そして《彼》は言ったのだった、 《ア、デモ、ソレダト『ホ』ノ音ガ余分ニナッチャウナ…》 (…そうか、そうだったんだ) わたしは想像してみる。夜明け前、クマのぬいぐるみが棚から下りて来て机をよじ上り、両手にペンをはさんでノートにメッセージを書いている姿を。その様子は滑稽なような不気味なような。 いやいや、そんなバカなことがあるわけはない。《彼》はわたしの心が作り出した夢の中だけの存在なのだ。それが小さい頃から見慣れているクマのぬいぐるみに投影されたってだけのこと。わたしはきっと、夜明けが近づく頃、夢遊病者のように起き上がっては、無意識のままノートに自分へのメッセージを書いているんだわ。 わたしは夢の中で訊いてみる。 《…あなたって、クマさんだったのね》 《???》 《フランネルで出来たぬいぐるみのクマさん…あなたが出した名前当てのなぞなぞ、わかったわよ。「クルマのホネ」…あのときあなたは「ホ」の音が余分だって言った。だから「ホ」の文字を除いて残った文字を並べ替えれば「ネルのクマ」…そうよ、あれはアナグラムだったの。あなたはネルのクマさん、いいえ、本当はわたしの心の一部なのだけれど、少なくともあなた自身は、自分の事をぬいぐるみのクマさんって思いこんでいるんだわ》 わたしの言葉を聞いて《彼》は、いかにも失望したという顔をする。  《チガウヨ》  そして怒ったようにまくし立てた。 《チガウンダ!チガウ!チガウ!チガウ!!!ボクノ正体ハソンナモノジャナイ。ボクハヒトツデアリナガラ無数ノモノノ一部。ボクハ男ダッタシ女ダッタ。少年ダッタシ老人ダッタ。アルトキハ画家、アルトキハ音楽家。人間ダッタ猫ダッタ。花ダッタ草ダッタ。大気ヲ漂イ海ニ溶ケテ貝殻ニモナッタ……ツマリボクハ……ボクハ……》 目がつり上がり口元は醜く歪んでいる。そのときの《彼》の顔は最早いつものかわいい後輩男子のそれではなくなっていた。その口調の異常な激しさに夢の中のわたしは怖くなって耳をふさぐ。 《やめて!もういいから!》 …そんな夢から覚めての次の朝の事だった。 明け方、夢うつつのわたしは、吐息と一緒に《彼》が体の外へと出て行くのを感じた。そして例のノートに書かれていたのは《サヨウナラ》の五文字。 以来《彼》は二度と、わたしの夢に現れることはなかった… ※※※※※※※※ 読者への質問 《彼》の正体とは何でしょう? ※※※※※※※※ ☆   ☆   ☆ 【阿見野(語り)】 …志芳(しほう)さんの家は、バス停を少し上った高台にある古い住宅地の端にあった。 強風の中、バスを降り、坂道を登る。  「あそこよ」 志芳さんが指さす先にあるのは赤い屋根の小じんまりした平屋。 と、突然の雷鳴とともに叩きつけるような雨が降り出す。 強風にあおられての横殴りの雨では傘はほとんど役に立ちそうにない、僕たちは赤屋根までの数十メートルの距離を、出来うる限りの早足で駆け抜ける。 ドアの前までたどり着き、志芳さんが急いで鍵を開ける。ふたりくっつくようになりながら三和土(たたき)へ体を滑り込ませホッと一息つくと、志芳さんは僕を見上げてゆったりと微笑んだ。 大きな目を細めながら、閉じたままの唇の端を軽く持ち上げるチャーミングな微笑…僕は思う、娘時代の彼女はとりたててきれいという程ではないにせよ、きっと利発そうな容姿を持った少女だったんだろうなと。 ドアの右手にあるスイッチをカチカチやった後、 「点かないわ。停電してるみたい」 言って志芳さんは、僕に靴を脱いで上がるよう促した。 他の部屋は殆ど物置になっているからと通されたのは、入って一番奥の彼女が寝起きに使っていると思われる一室。明かりのない部屋の中は薄暗かったが、次第に目が慣れてきて内部の様子が見て取れるようになる。 とても簡素な部屋だった。 ベッドのそばに書き物机が置かれているだけで装飾的な要素は殆どない。そんな中、壁に設えられた棚の上にはぬいぐるみのクマが置かれている。少し意外に思ったが、色あせた古いものであるところから恐らく子供の頃の思い出の品でもあるのだろう。部屋の隅には大きな楽器ケースが立てかけられていた。 「チェロ、弾くんですか?」 「学生時代に部活で少し。でも今はあまりさわっていないの」 言いながらくるりと後ろを向くと、志芳さんはいきなり着ていたシャツを脱ぎ始めた。 「濡れたでしょ、さ、あなたも脱いでください」 (む、これは…) 瞬間、頭をよぎったのは昔の妻の事。だが、それは亡き妻の肌への郷愁であるとか、増してや後ろめたさなどというものでは全くない。感情を伴うことのない、ただ単に頭をよぎったというだけの気まぐれな意識の彷徨…  粗暴な性格だった妻とは折り合いがよくなかった。再婚しなかったのも、結婚生活などというものに何ほどの希望も持てなくなってしまっていたから。日常のこまごました雑事については、ずっと独り身を通している妹が、時々僕のところにやって来てはあれこれと世話を焼いてくれる。そんな生活に安住しながら僕は、もう何十年も気楽な一人暮らしを続けてきたのだ。 と見るうち、志芳さんはシャツばかりでなく淡い色の下着までも外してしまっていた。露わになった上半身は痩せているとは云え、肩の線は女性らしい優しい曲線を描いており、薄暗い中、浮かび上がった彼女の背中の白さに僕の内部で久しく忘れていたものが高まってくる。ふるえる指でボタンを外すと、僕も着ていたシャツを脱ぐ。そして背後から彼女を抱きすくめた。 志芳さんは一瞬、身体を固くするも、すぐに力を緩めたのが廻した腕を通し伝わってくる。その体勢のままで、僕は彼女のうなじにキスをする。 一度、…二度、…三度、  僕は思う。 (ああ、そうだ、このひとときなんだ!この一瞬、この刹那!これこそが、やはり、僕が生きていることの証(あかし)なのだ!長年繰り返してきたお定まりの日常…慣れきった仕事、休日の散歩と読書、妹を伴っての年に一度の旅行も、何もかもがこの一瞬に比べれば何と無価値に思えることだろう!) 戸外で風が唸っている。雨が激しく窓を叩く。今夜は帰れない、そんなことはここへ来る前から分かっていた事じゃないか! 彼女をこちらに向き直らせさらに強く抱きしめると、控えめに凹凸(おうとつ)した身体が密着してくる。僕は感じる…湿気を含んだ髪の匂いと乱れた呼吸に合わせ上下している胸の双丘。今、僕の腕の中にいるのは歳を重ねた現在の志芳さんでありながら、同時に先に僕の想像の中に現れた利発な少女、そして僕の知らない二十代の、三十代の、四十代の志芳さん…その全てを包含した優しくて懐かしい肉体が今、僕の腕の中で生き生きと息づいている! ふたりして傍のベッドに倒れ込んだ。 ゴウゴウと鳴って途絶えることのない風の音。 何度も交わす口づけ、熱い息。 突然襲い来る雷鳴、一瞬の閃光に青白く浮かび上がる彼女の裸身。  もういちど、深いキスを。 そして僕たちは………。 ………知らない間に雷鳴は遠くなっている。僕は快い疲労とともに、眠りについた。  ☆   ☆   ☆ 【志芳(語り)】  キッチンの方から、低く、冷蔵庫のモーター音が響いてくる。 どうやら電気は復旧したようだ。  台風は去りつつあった。 ミノさんはわたしのお腹に腕を置き、額をわたしの肩にくっつけ眠っている。 わたしは静かに目を閉じ、もう一度、身体に残る彼の感触を味わう。 これはわたしの望んでいたこと。 本当に?  今夜のことは、確かに《彼》を失った空虚感を癒してはくれたけれど… 数日前の朝。わたしは久しぶりに気が向いて、チェロを弾いた。 ミの音を出そうとD線に1の指(人差し指)を乗せたとき、バチンという音とともに弦が切れた…その瞬間、突然、私は《彼》の正体に思い至った。 今度こそ本当に分かった…例の「名前のなぞなぞ」が解けたのだ。 《…アア、ソレダト「ホ」ノ音ガ余分ニナッチャウナ…》  《彼》は「ネルのクマ」なんかじゃなかった。あのとき、《彼》は「ホの文字」とは言わなかった…「ホの音」と言ったのだ! 余分なのは「ホ」の音…音楽では「ホ」の音とはドレミの「ミ」の音のこと、英語で言えば「E」の音だ。 《彼》がわたしの中から去って行った日、自分の事を「ひとつでありながら無数のものの一部」なのだと言った。「人間だったり動物だったり植物だったり」…「大気に溶けて貝殻にもなり」…そのもっと前には「百億年以上存在している」とも言っていた。 「車の骨」の「車」は「CAR」で「骨」は「BONE」、だからこれをつないて「E」を取ると…   ☆   ☆   ☆ 台風の日から十日がたった。 あれ以降、ミノさんからは頻繁にメールが来るようになった。 メールには何度も「僕たちは結婚しましょう」と書かれていた。 三日前、外で一緒にご飯を食べた。 ミノさんが言う。 「今度、妹に紹介するね…」 ミノさんに妹が居ることは聞いて知っていた。 「…妹も音楽が好きなんだ、きっとあなたとは気が合うと思うな」 そうだろうか? わたしはこれまでミノさんに、自分が音楽好きだと言ったことは一度もない。ミノさんはきっとあの日に、わたしの部屋にチェロがあったのを見てそう思ったのだろう。確かに、わたしは音楽が好きだ。でも、だからといって音楽が好きなすべての人と親しくなれるというわけではない… 今日、その妹という人と会った。 残暑の厳しい暑い日だった。 ミノさんの家で三人で食事をした。 ミノさんが子供だった頃の話(すなわち自分たち兄妹が子供だった頃の話)を笑いながらあれこれと聞かせてくれる彼女。 ミノさんはそんな妹の話をニコニコ頷きながら聞いている。 会話の内容が、音楽の方へと向かうことは一度もなかった。  帰り道、わたしは何だか煩わしくなってきている自分を発見した。 あの日、台風の夜が明けてふたりベッドで目覚め、ミノさんが結婚を口にしたとき、わたしは嬉しかった。 少なくともミノさんと家族になれる事に素直な喜びがあって、わたしは若い娘に戻ったような気分でクスクス笑いながらミノさんと何度もキスをかわした。 でも今は………煩わしいだけ。 家に帰り着くとすぐに服を脱ぎシャワーを浴びた。 髪を乾かしそのまま(裸のままで)ベッドに横たわると、シーツの冷たさが心地よい。 同じ裸でもあの夜は横にミノさんが居たけれど、今はわたしひとりきりだわ…と思ってみる。 もしこれから後の人生を、両親が残してくれたこの家で、傍に話しかける相手もいないまま、ひとり暮らして死んでいくのだとしたら…日々感じたり思ったりする様々なこと…喜びや悲しみ、それに苦しみとか不安…そんなすべてを包含しているわたしの中の小さな宇宙も、いつか、閉ざされたままで無に帰ってしまうのだろうか? 暗闇へ放り込まれたような不安がわたしを襲う。 (ああ、わたしはやっぱりミノさんに傍にいてほしいんだわ。もう一度…ううん、生きている限り何度も、何度でもわたしを愛してほしい!あの台風の夜みたいに!) と、 《ソレハ違ウナ》 …頭の中で声がする。 《えっ!?あなた…あなたなのね、戻ってきてくれたのね!大切なあなた、わたしの可愛い「車の骨」さん!》   一体、それはどれほどの確率なのだろうか?《彼》が再びわたしの脳の細胞に入り込むなんて! 《彼》は「車の骨」…「car」と「bone」から「e」を取って「carbon」。 …ひとつでありながら無数のものの一部、百億年以上も存在していて、人間だったり動物だったり植物だったり、大気に溶け貝殻にもなって…  《ソウサ、ボクハ「carbon」、即チ「炭素原子」サ。ヤット分カッテクレタンダナ…》 言うと《彼》は自分の生い立ちについて語り始める。 …今から百億年以上前、宇宙が今よりもずっと若かった頃に《彼》は生まれた。 宇宙に漂うガスが集まって恒星が生まれ、恒星の中心に強い圧力が生じると水素やヘリウムの原子核は核融合を起して炭素原子核へと生まれ変わる…《彼》もそうやって生まれたのだ。 やがて恒星は重力崩壊による超新星爆発を起こし《彼》は宇宙空間に放出される。その後、恐ろしく長い旅の末にたどり着いたのがこの地球。酸素原子と結合して二酸化炭素となった《彼》は、やがて植物に取り込まれ有機物に、そして動物によって分解され再び二酸化炭素にと自然のサイクルを繰り返して、ある日、わたしの脳の神経細胞に入り込んだ。  《じゃ、あなたはあの朝、炭酸ガスになってわたしの口から出て行ったってことなのね。それなのに何日も経ってからまたわたしの体の中に取り込まれ、血液に運ばれて脳の中に戻ってきた。そんな奇跡みたいなことが起こるなんて!それって、きっとすごい偶然だと思うわ》 《彼》はしばらく間を取った後、静かにわたしの意識に話しかける。 《イヤ、トコロガ、ソウジャナインダナ。実ハボクハ、ドコニ行クニモ意ノママナノサ。原子ッテイウノハネ、個別ニ存在シナガラモ、ソノヒトツヒトツハ個性ヲ持タナイ。ヨッテボクハ自分ガ望ミサエスレバ、百億光年の彼方ニアル一個ノ炭素原子トモ、一瞬ニシテ入レ変ワル事ガ出来ルンダ。即チ、ボクハ、アル意味、宇宙全体ニ広ガッタ霧ノヨウナ存在……ダカラ…》 …だから、あんたも死んだ後に無になったりはしないよ。死ぬとあんたの体を構成している原子は散り散りになる。そして宇宙にあるすべての原子と交信できるようになるんだ。それは宇宙そのものになるのと同じって思ってもいい。あんたは忘れているけど、あんたも生まれる前にはそうやって宇宙とひとつになっていたんだぜ。もちろんぼくともひとつになっていた。そしてぼくはその頃からあんたのことを… 《…ズット好キダッタ》  嘘でしょう、そんなこと! 生まれる前のわたしって何?それって一体どういう存在? そんなこと、信じられるわけがないわ! でも、わたしは聞きながら涙を流していた。 何なんだろう、本当にワケがわからない。でも嬉しくってたまらない… 《じゃあ、どうしてもっと早くわたしの中に帰ってきてくれなかったのよ!あなたは一瞬で宇宙のどこにでも行けるんでしょ?わたしの脳細胞の中の原子といつでも好きなときに入れ替われるんでしょ?わたし、ずっと待ってたのよ。でも…でもあなたとはもう二度と逢えないって思ってた!》 すかさず《彼》が言う。 《ソレデ、「ミノサン」ッテ奴ニ抱カレタッテ訳カ》 意地悪ね!もうっ!ここでそれを言うんじゃないわよ! わたしは言い返してやる。 《へ~え、あなた、百億年も生きてるくせに、そんなあなたでも嫉妬するんだね!》 《ソリャスルサ。アンタダッテ何十年生キテルカラッテ、今モ生キル苦シミハ消エテナイダロ?》 そう…たしかにそうだ。存在し続けるという事はそれだけで苦しいことだ。年月なんて関係ない。わたしにしてみたって、この歳になってもひとに感じる嫉妬心は若い頃とそんなには変わっていない…だから、《彼》だってわたしがミノさんと仲良くしている間は、当然、わたしの脳の中になんか帰りたくもなかった事だろう。 わたしがしばらく返事をせずにいると、《彼》はこんな言葉を投げかけてくる。 《デモネ、言ットクケド、アンタ、アノ「ミノサン」ッテ奴トハ結婚シナイ方ガイイゼ》 《えっ、どうして?》 《ダッテ、アイツハ…》 《彼》は語る… 三十年前のこと、炭素原子である《彼》は当時、《彼》を含む21個の炭素原子と22個の水素原子、2個の窒素原子、そして同じく2個の酸素原子と結合して「ある有機化合物」を形成していた。ある日、《彼》を含んだ化合物は贈り物のチョコレートの中に溶かし込まれ、ある男から誕生日のお祝いとして男の奥さんに手渡される… 《…ボクヲ含ンダソノ化合物ノ名ハ「ストリキニーネ」。ボクハ、チョコレートトイッショニ奥サンノクチニ入ッタ》 《ええっ!?ストリキニーネ?…ストリキニーネってアガサ・クリスティの小説によく出てくる毒薬の名前じゃないの!》 《ソノヨウダナ。チョコレートヲ手渡シタ「アル男」トハ…オ察シノ通リ、アンタト仲良シノ「ミノサン」サ!彼ノ奥サンハ、チョコヲクチニシタ直後ニ、イキナリ苦シミダシテ…》  ☆   ☆   ☆   ミノさんとの関係を解消した後、わたしは長年住んでいた両親の家を売り払い、海のそばにある遠い街へと移り住んだ。 潮風と青い空…わたしはまたひとり。でもわたしの中には《彼》がいる。《彼》はもう夢の中の存在じゃない。普通に起きているときも始終語りかけてくるし、沈黙しているときでもいつもその存在を感じていられる。潮風と青い空!そう、わたしは気づいたんだ。この世界は輝きに満ちている!《彼》が居ないときとは比べものにならないくらいに!!! その街でわたしはとても長く生きた。そして長い年月の後の夏の最中(さなか)に、降るような蝉の声を聞きながら「時間の外」へと旅立った。 わたしは宇宙に還ったのだ。  そこは時間のない世界…なのに、わたしを取り巻く無数の星たちが不思議な音楽を奏でている。 「ああ、懐かしい宇宙!これは夢でしょうか?いいえ、実は、今まで現実だと思っていた世界の方が夢だったのよ!」 宇宙に向かって思いっきり自分を解放する。全宇宙を覆ってわたしを傘のように大きく広げる。 そこには《彼》がいる。 当然だ、《彼》はわたしを構成していた原子のうちのひとつなのだから。《彼》はわたしの内側を漂っている。《彼》はわたしで、わたしは《彼》。わたしたちは風と風がそよぎ戯れるように思いを交わす。 …忘れて…たけど…ひとつ…訊きたい…ことが…あったのよ… わたしがまだ時間の中の存在だった頃、宇宙に興味を持つようになっていたわたしは、海辺の街の公民館に大学の先生の講演を聞きに出かけたことがあった。 そのとき講師の先生はこんな話をした…原子や電子のような「ミクロの世界」に属するものを、人間にとっての日常世界、即ち「マクロの世界」で起こる現象を扱うように扱ってはいけない。なぜなら、その両者の間には物理法則上の断絶があるからだ、と。 …なのに…あなた……ミクロの世界のあなたは…マクロの世界にいるわたしの意識に…入り込めたのね……それは…なぜ? 《彼》が応える。 …ダッテ…ボクハ…炭素原子ダカラ…サ……炭素原子ニハ…ソレガ…デキル……ナゼッテ…炭素ハ……ミクロ…ト……マクロ…ノ……両面ヲモツ…存在…ダカラ… …ん?…?…?… …ダッテソウダロ?……炭素ハ…炭(スミ)ナンダゼ……ダカラ… …炭素ハ…「ミクロ」デアルト…同時ニ… …「マックロ」ナノサ!!!  【おわり】  【あとがき】 読んでくださってありがとうございました。 クイズの答えは「炭素(原子)」でした。(登場人物の名前は、阿見野さん=「アミノ酸」、志芳さん=「脂肪酸」、と、栄養成分(炭素を含む有機化合物)の名前から取っています) まえがきでのお約束通り、題名「わたしの《彼》はハ長調」の意味を明かしておきますと…「ハ長調」は英語では「C」…つまり炭素の原子記号「C」を表していたんですね! ではまた マルティン☆ティモリ(追…やっぱりさみしいからコメント開けときます。今更もう遅いけど…)     

  • 12May
    • クイズ付き和歌小説「そして火星には誰もいなくなった」①の画像

      クイズ付き和歌小説「そして火星には誰もいなくなった」①

      このお話はのどかさん主催の和歌企画に合わせて書いたものです。 『火星にいる夫から送られてきた和歌…その中に隠された暗号とは?』 クイズ付き小説第5弾です! 「①」と「②(エピローグ)」の二つのブログに分かれてます、   クイズ付き和歌小説『そして火星には誰もいなくなった』  マルティン☆ティモリ作  《 Ⅰ.Earth 》 あさ、 スズメの声がチュンチュン、そして、 trrrr… trrrr… 心地よいまどろみの向こう、固定電話の呼び出し音が鳴っている。 trrrr…trrrr… もうっ、休みの日だってのに何なのよぉ~ 夢うつつのままウウーンと唸って身体を起こそうとするあたし。と、電話器が無機的な女の声を発した。 「FAXを受信します!FAXを受信します!」 なあんだ、FAXかぁ…そう思い再び眠りに落ちようとしてハッと気がついた。 「んんん?ひょっとして今日って…ああっ、しまった!うっかりしてたぜ!」 布団をはねのけ電話器の傍へと飛んでいく。 電話の前面からは、ジジジという機械音とともに見慣れた文字の並んだ記録紙がゆっくりと吐き出されている。 …愛するマドカさん、元気にしていますか?… 思った通り、それは最愛の夫=修(おさむ)さんからのFAXだった。 修さん…彼は今、三人の同僚とともに火星へ向う小さな宇宙船に乗り、地球を離れ遙か2億4000万キロメートルの彼方にいる。 そして、今日は…そう、今日こそはまさに夫たちが火星に到着する日! そのFAXは、宇宙船が無事火星の表面に着陸したことを伝えてきた夫からの記念すべきメッセージだったのだ…         ※   ※ 修さんが火星へと旅立ったのは、もうかれこれ九ヶ月前のこと。 夫の勤める宇宙開発系企業=ダイモス社(以下D社)は、ライバルの同系企業フォボス社とともに、人類初の火星着陸の実現に向け十数年にもわたって鎬(しのぎ)を削ってきた。 二年前… 「社の命運がかかっているんだ、絶対に負けるわけにはいかないよ!」 言って夫は、定員がたったの四名という火星への先発隊に自ら志願すると、数々の審査も難なくくぐり抜け見事合格!…といってもD社極東支部の営業部長である夫、宇宙船の操縦やら火星の環境に関する知識なんて皆無に等しい…ってことは、並々ならぬ熱意を買われての採用? いえいえ、あとから漏れ聞こえた来たウワサによれば、どうやら志願者自体が四人しか居なかったらしく、残りの志願者も何と夫の部下三人。それでも採用されたのは、宇宙船の行程のほぼ全てが自動操縦となっているからで、何らかの対処を必要とされる局面では、D社の誇る優秀な技術スタッフが地上から遠隔操作を行うという万全の体勢が取られている。 (う~ん、でもね、火星まではとっても遠くて、今、地球から火星に向けて電波を送ったとしてもあちらに届くのに十数分かかるんだよね。よって緊急事態には対応できず、会社からは「その際は覚悟を決めてください」って家族への事前通告があったりした…)。 と、まぁ、何にせよ、どうやら四名の乗組員については普通に健康な人なら誰でもよかったみたい…あ、だけど、だけどね、あたしはそんな夫の事、とっても素敵だと思ってます。だって、何たって修さんは、人類初の火星着陸隊の一員なんだもの!    ※    ※ で、話を戻して、修さんからのFAXの中身について、(メールじゃなくってFAXなのは、家族にとって液晶の電子文字より直筆の印字の方が温かみがあって良いだろうっていう会社側の配慮らしい)…火星からの2億4000万キロの距離を遙々(はるばる)越えて送られてきたそのFAXは、長さにしてA4の記録紙が六枚分。 『…愛するマドカさん、元気にしていますか…』  そんな呼びかけと火星到着の報告に続いて、あたしへの愛の言葉が延々何十行も書き連ねてある(ここまでで記録紙五枚を消費)。 そして最後の一枚に、 『…じゃ、おわりに火星からキミに向けて古い和歌を送ります。頭を使ってよーく読むんだよ。【三、いにしへの、鹿鳴く野邊のいほりにも、心の月はくもらざりけり(慈円)】  ね、分かるだろ、それじゃ、またね。 修 』 …って書かれていた。 あたしは思う。 (な~るほど、この和歌が修さんの言ってた「例のアレ」ね) あたしは手にしていたFAX用紙の束を一旦テーブルの上に置き、傍にあった煙草の箱に手を伸ばす。 と、 パジャマの両胸のあたりに妙な感触が。 …むんずっ… 「ギャーッ!!!」 「何だよ、大きな声出して、ご近所さんがビックリするじゃないか!」 「り、律(りつ)くん、どうしてここに?」 「どうして!?何言ってんだよ。昨晩(ゆうべ)はふたりであんなに楽しい時間を過ごしたってのに」 ああ、そう、そうだった。彼は昨晩から泊まりがけであたしのところへ遊びに来ていたのだ。 律くんはあたしの可愛い年下の恋人、いわゆる「若いツバメ」ってやつね(…あら、これってもう死語かしら?)。えっ?…もっ、もちろん夫のことは愛しているわ。でも、よく言われるように愛と恋とは別のもの。ギリシャ語で言えば「アガペー」と「エロス」ってやつだわよ。 まだ上半身裸のままの律くん(つい、ウットリ見とれてしまう…)が、テーブルからFAX用紙の束をすくい上げ、パラパラとめくって書かれている文字を拾い読む。 「ふ~ん、火星のダンナからのメッセージかあ。へええ、あんた、ダンナから愛されてんだなぁ。ん?でも最後に何で和歌が書いてあるんだよ?」 (ふふふ、そりゃあ律くんには分からないでしょうよ、この和歌は修さんからのあたしへの秘密の通信なのだから)  でも、あたしは律くんのギリシャ彫刻みたいな美しい肉体に敬意を表して、夫との秘密の伝言についてあっさりバラしちゃう事にする。 「実はね、この和歌はね…」    ※    ※ そう、夫のFAXに和歌が書いてあるのには訳があった。でも、その説明のためには、ちょっと長くなるけど、まずは数年前にD社の技術スタッフが開発した画期的な装置について言っておかなきゃならない。 その装置「レプリケータ(←スタートレックのファンの方にはお馴染みですね!)」は、ある意味3Dプリンタに似ているかも。でも、3Dプリンタがその物体の「形」を再現するだけなのに対して、レプリケータはその物体の「全て」を再現する…すなわち「形」だけではなく使われている「材質」も! 夫は言っていた…この世に存在する物質は全て原子で出来ているだろ?(ダークマターについては言いっこなし!)ってことはいろいろな種類の原子さえあれば、それらを組み合わせて何だって作れる事になる。そしてそんなあらゆる物体の再現を可能にしたのがこの装置=「レプリケータ」なんだよ、って。 火星のような遠い星に行くには宇宙船に積んでいける物資は限られている。だから、(あまり大きなものは作れないけど)火星での生活のための日用品や乗組員の食事まで何でも再現できるこの装置はとても重宝なのだ。何しろ何かを作って要らなくなったら、原子に分解してまた新たに別のものを作ればいいのだから…例えば、えー、あのですね、お尻から○○○をプリッと排泄した後、原子に分解してもう一度新しい食料に作り直すとかね、オエ~   ※    ※ 律くんが言う。 「レプリケータについてはよく分かったよ。でもそれが和歌とどんな関係があるんだい?」 自分で煙草をくわえて火を点けた後、あたしに回してくれる律くん。あたしは唇の裏側で、律くんの間接キッスをこっそり味わう。 「うん、それがね、乗組員が装置を無制限に使ってエネルギーを無駄に消費しないようにって、レプリケータの操作は完全に地球のD社の側でしか出来ないシステムになってるのよ。つまり何か欲しいものがあれば、宇宙船からD社にリクエストを送り、それが了承されないと作ってもらえないってこと…でもね、修さんは旅立つ直前に、何とウチのPCからD社のメインコンピュータに侵入する方法を見つけたの。だからあたしが家のPCから情報を送れば、火星にある宇宙船内のレプリケータがピピッと作動するわ。もちろん我が家に送られてくるFAXはD社でもチェックしているから、欲しいものを露骨に書いてくる訳には行かないけれど、暗号にすれば気づかれないでしょ。その暗号に当たるのがこのFAXに書かれた和歌っていう訳よ」 一気に話すと、フウーッと紫の煙を吐き出した。 和歌を暗号に使うことにしたのは、夫が世にも珍しい「和歌オタク」だったからだ。それも筋金入りの和歌オタクで万葉集から古今和歌集、新古今和歌集あたりは全ての歌をソラで言えてしまうという程の「超」が付く強者(ツワモノ)!よって夫婦で協議し、秘密の通信には、そんな夫の和歌に関する非凡な知識を利用しようって話になったのだった。 「それで?この和歌が示しているダンナの欲しがっているものって何なの?」 「うーん、それは…分からない」 「へ?」 「だって、夫がD社のメインコンピュータへの侵入に成功したの、火星に出発する前日だったんだもの。夫は『じゃ、和歌で暗号を送るからよろしくね!』って言い残して出発しちゃった…だから暗号の解き方なんて打ち合わせるヒマがなかったのよ。解き方はあたしが自分の頭で考えるしかないってわけ」 「…………」 聞いて律くんは、無言のまま、FAX用紙に印字された和歌をじっと見つめている(ああ、何て、何て素敵な横顔なの!) そして言った。 「なるほど、仕方ないな、それじゃ、この律サマが分かる範囲で考えてやるとするか……で、まず、この和歌なんだけど、これは新古今和歌集の中の一首だね。仏教思想に基づいて詠まれた釈教歌(しゃっきょうか)で作者の慈円(じえん)は平安末期から鎌倉初期に生きた天台宗の坊さん。この歌の意味するところは、遠い昔、仏弟子の富楼那(ブンナ)が庵にいて鹿の悲しい鳴き声を聞いたけれど、仏道を歩む彼の心の晴朗さには微塵(みじん)の曇りも生じなかったっていう、まぁ、そんな感じの歌だ。でも、多分、今言った歌の意味はあんたのダンナの欲しいものとは何の関係もないと思う。やはりこの和歌に秘められた伝言は、純粋に暗号として解くべきものなんだろうな」 聞きながら、あたしの目がテンになっていく。 「…あ、あの、律くん、ど、ど、どうしてそんなに詳しいの!?」 「だって、オレ、和歌オタクだもん」 「!!!」 (ひえー、事実は小説より奇なり!あたしの周りに和歌オタクが二人も居たんだ、これってすごい確率!!!修さんと律くん、もしこのふたりを会わせたりしたら、ソッコーその場で意気投合しちゃうのかも!?) あたしは気を取り直して会話を続ける。 「じゃ、じゃあ、この中には和歌の意味とは全然別の暗号が隠されているってわけね…あっ、ねえ、和歌の前に『三、』って書いてあるけど、これには何か意味があるのかしら。ひょっとして、この歌が新古今和歌集の三番目に載っている歌だとか?」 言い終わるや、即座に答えが返ってきた。 「いいや、そんなことはないね。新古今和歌集の三番目の歌なら『山ふかみ、春とも知らぬ松の戸に、たえだえかかる雪の玉水』さ!」 言って、律くん、バチッとウインク。 (うわ、やっぱしこの人、本物のオタクだわ!) あたしは再び気を取り直し、 「そ、それじゃ、和歌を5・7・5・7・7に分けたときの三文字目を読むとか?」 言いながらFAX用紙の裏にこんな風に書いてみる。  いに「し」への  しか「な」くのべの  いほ「り」にも  ここ「ろ」のつきは  くも「ら」ざりけり 書いた文字を眺め、あたしはふうっとため息をついた。  「し・な・り・ろ・ら……あ~ん、何の意味にもならないわ」 と、律くんが目を爛々(らんらん)と輝かせ、あたしを見ている。 (んもうっ、律くんったら!またまた、あたしとイチャイチャしたくなっちゃったのねン) でも、それは単なるあたしの思い過ごしだった。 律くんが叫ぶように言う。 「わ、分かったぞ!そうか、そうだったんだ、これ、やっぱりあんたのダンナが書いてた通りに『頭を使って』読むんだよ。それも、最初の『三、』に続けてね!」 律くんの言葉に、あたしはひとり置いてけぼりを食った気分になる。 「えーっ、何のことか分かんない。教えてよ」 「ん?ダンナの作った暗号だろ、自分で考えてみな。でも昨夜のふたりの楽しい思い出に免じて、あんたにひとつだけ、ヒントをあげることにするよ…大きな入れ物にコーヒーを一杯分欲しいな…」 「え?あっ、あたしも今、コーヒー飲みたいなって思ってたとこよ。待ってて、淹れてくるから」 立ち上がりかけるあたしを律くんは手で制し、 「もお、違うよ~、今のがヒント!今言った言葉を英語に直すとね…」 律くんはFAX用紙の裏にサラサラとこんな英文を書いた。  May I have a large container of coffee?  「実を言うと、この英文の指し示すものが、FAXに書いてあるダンナの暗号の示すものと同じなんだ」   「えーっ、もうっ、ますます分からなくなっちゃったじゃないの!」 さてさて、では、このあたりで恒例の…  ※※※※※※※※  読者への質問 和歌の暗号が指し示すものとは何でしょう? (答えはカタカナで2文字です)  ※※※※※※※※ …しばらく考えたが、答えは見つからなかった(泣)。 「気分転換に、ドライブにでも行こうか?」 言って、あたしは、律くんの顔の前で車のキイを振ってみせる。 助手席に律くん、運転はあたし。 ハイウェイを西へ。 空は快晴、五月の緑が目に眩しい! ICを降りて、すぐ近くの小さな遊園地に入った。 観覧車にコーヒーカップ、メリーゴーランドに空中ブランコ… 園内のレストランで律くんとスパゲッティを食べながら、あたしは思う。 (あたしの名前はマドカ(円)だけど、遊園地にも円いものが多いなあ。ま、回転するものが多いんだから当たり前か) でも、何かが心に引っかかる。 「あの、律くん…」 「ん?何だい?」 「さっきの和歌の暗号なんだけど、律くん、『三、』に続けて『頭を使って』読むんだ、って言ったよね。それって和歌の頭の文字を拾って読むってことなのかなぁ?」 言ってあたしは持っていた手帳にこんな風に書いてみる。 三、 「い」にしへの 「し」かなくのべの 「い」ほりにも 「こ」ころのつきは 「く」もらざりけり  そして、最初の『三』と頭の文字だけ抜き出してみた。 『三、い・し・い・こ・く』 律くんがあたしの耳元に唇を近づけそっとささやく…「それ、正解だよ」 耳の入り口がくすぐったくてゾクゾクする。でも、あたしは律くんのそんな振る舞いにも、呑気に喜んでいる訳にはいかなかった。 「待ってよ、その事だったら家を出る前からとっくに思いついてたわ。でも、あたし、まだ何にも分かってないよ!『三いしいこく』…この言葉に一体どんな意味があるのかが分からないの。どこかで聞いたことがあるような気はするんだけど」 「どこで聞いた気がするんだい?」 「子供の頃よ。多分、学校で数学の先生が言ってたような…」  律くんの表情がパッと輝いた。 「おおー!そこまで分かってりゃ十分だよ。じゃ、そっから先はオレがレクチャーしてやるとするか…実はね、その『三、いしいこく』ってのは、こんな文の最初のところと同じなんだ」 あたしの手からペンを取り上げると、律くんは手帳に不思議な文章を記し始める。 『産医師、異国に向う。産後厄(やく)なく産児み社(やしろ)に。虫さんざん闇に鳴く頃にゃ』  「ああっ、これって…」 「そうだよ、思い出したみたいだね」 それでも律くんは念のため、これをひらがな文に書き直す。 『さんいしいこくにむこうさんごやくなくさんじみやしろにむしさんざんやみになくころにゃ』 そして、それぞれのひらがなに該当する数字を当てはめた。 3,1415926535897932384626433832795628 そうだった、これは『円周率』を覚えるための語呂合わせだったんだ! 「でも、律くんがヒントだって言ってたあの英文は?」 「ああ、あれね」 律くん、今度は手帳に例の英文を書く。 May I have a large container of coffee? 「じゃ、それぞれの単語の文字数を数えてみるよ…」 3・1・4・1・5・9・2・6 「あっ!」 「ね、英語では語呂合わせはできないから、あちらでは円周率をこうやって覚えるんだ」 「ってことは、夫が欲しかったものっていうのは…」   ※    ※ バックミラーに映るきれいな夕焼け。 帰り道、あたしたちはショッピングセンターに立ち寄り、件の暗号が指し示す「それ」を買い求めた。 帰宅し、「それ」を早速スキャナにかける(レプリケータ用のスキャナは、夫が前もって一台、会社から無断で持ち帰っていた)。スキャナから得た情報を、家のPCからD社のメインコンピュータを通して火星のレプリケータへとこっそり送信。十数分後には向こうのレプリケータが作動して、装置内の空間に「それ」がボワンと実体化するはずだ。 (火星の夫は喜んでくれるかしら?でもヘンねえ、修さんって、甘いもの、そんなに好きじゃなかったような気がするんだけど…)   ※    ※ とっぷりと日も暮れ、ベランダに出てひとり夜空を見上げている、と、あたしの腰に律くんの逞しい腕が巻き付いてきた。 「今日はちょっと疲れたよ。今夜も泊まっていくことにしようかな。ね、いいだろ?」 言いながらあたしにならって顔を夜空に向ける。 子供の頃から星が大好きだったあたし。ここは市街地からは少し離れているから、空にはたくさんの輝く星を見る事ができる。 「ふーん、あんたのダンナ、今、あそこにいるんだな…」 律くんが南東の山の端に瞬(またた)く赤い星を指さして言った。 (いいえ、違うわ。星の瞬き具合から考えてもあれは火星じゃなくて蠍座のアンタレス。火星は今、この時刻には西の空にいるんじゃなかったかな、このベランダからは見えないけれど) でも、あたしは律くんの間違いを正そうとはしなかった。そんなのは別にどうだっていい事。夜空を見上げて思うのはいつもただひとつ… 『今度、修さんと会えるのは、一体、何年後になるのだろうか?』 今、火星に着陸している宇宙船には地球へ帰還するための装備がなく、修さんと再会したければ、①あたしがロケットに乗って火星に行く、②D社が地球~火星間を往復できる装備をそなえたロケットを打ち上げてくれるのを待つ、の二つの方法しかない。でもあたしはちょっとバスに乗っただけですぐに酔っちゃうから、何ヶ月もロケットに乗っているのなんてとても無理。よって、②の復路で修さんが帰還してくるのを待つより仕方がない…けれど、それはきっと何十年も先のことになるのだろう。 あたしは火星の代わりにアンタレスに向けて誓った。 (いいわ、待つわよ!何年でも待ってみせる。そして修さんが地球に帰ってきたら、星がきれいに見える田舎に家を買って、そこで、あたしと修さん、律くんの三人で仲良く暮らすのよ!) あたしは目を閉じ、想像する… 遠い未来、静かな秋の夜、 丘の上の小さなお家(うち)、 見上げれば夜空を埋め尽くす無数の星たち、 北東から南西へ、たなびく雲のようにアーチを描く天の川、  庭先のテラスでは、お爺さんになった修さんと初老を迎えた律くんが、虫の声を聞きながら大好きな和歌の話に興じている。 そばでロッキングチェアに腰掛け煙草をふかしてるのはお婆さんのあたし。 夜も深まって、時が経つにつれ二人の和歌談義は次第に熱を帯びていく…そのとき、あたしはきっとそんな彼らを、ニコニコと微笑みながら眺めていることだろう。 若い日に愛し、また愛された二人の男たちを…  ☆   ☆   ☆  《 Ⅱ.Mars 》 さてさて、場面は変わって、こちらは火星。 宇宙船の内部、六畳一間ほどの手狭な船室内には、D社極東支部営業部長にしてマドカさんの夫であるオサム氏とその部下が三人、床の中央に据え付けられた四角い机の周囲に所在なげな様子で腰掛けている。 男たちは待っている。 いや、正確には、待ちくたびれている。 すると、 今しもレプリケータがブゥーンという音とともに作動を始めた。 「おお、やっと来たようだぞ!」 ひとりが声をあげ、火星先発隊の四人は急いで、船内の壁に埋め込まれたレプリケータの周囲に集まった。 「部長、やっと来ましたね。これで退屈しのぎができますね!」 そんな部下の言葉に、 「ああ、そうだな。何しろ火星に来てまでこんな船内に、一週間もカンヅメになるとは思ってもいなかったからな。だがね、『永らへば、またこのごろやしのばれむ、憂しと見し世ぞ今は恋しき』だよ。どんな状況だって時が経ってしまえば、きっといつかは懐かしい思い出になるものさ」 早速、和歌オタクの本領発揮!オサム氏はさりげなく新古今集の歌を引用しながら部下たちに向かって微笑みかけた。 宇宙船の窓から見える外は薄青い空、小さくて頼りなげな太陽、点在する大きな岩とどこまでも広がる極寒の赤い砂漠…だが、四人の男たちが宇宙船のハッチを開けてそんな光景の中へと繰り出していくことはまだ許されていない。 着陸直後、船の外部に取り付けられたセンサーが、船外に、人体にとって危険と思われる微生物の存在の可能性をキャッチしたのだ。もちろん、恐らくそれはセンサーの誤作動であって、火星表面にそんな微生物がいる可能性はほとんどゼロと言ってよいのだが、そこはD社の命運を賭けた一大プロジェクトであるだけに、慎重の上にも慎重を期する必要がある。その安全確認のために、先発隊は一週間の足止めを食らっているという訳であった。 「おお、どんどん形になってきたぞ!」 四人の男たちの目前、一見、大型のオーブンレンジを思わせる外見のレプリケータの内部に「それ」が実体化されていく。だが、形がはっきりするに従い、男たちの表情は困惑したものへと変化した。 そして…実体化が完了した時、そこに現れたのは『アップルパイ』。 オサム氏は思う。 (なるほど、暗号の答えとしては正解だったんだが、マドカさん、こっちの方を連想してしまったんだな。ま、無理もないか) …着陸に成功して間もなく、先発隊の四人は一週間のあいだ宇宙船内に足止めされる事を知らされた。退屈を持て余すこととなった四人、船内の中央には四角い机…部下のひとりがつぶやく『ああ、せめて麻雀牌(マージャンパイ)でもあれば退屈がしのげるんだがなあ』…これを聞いてオサム氏は、マドカさんに例の和歌の暗号を送った。 【牌…パイ…π…円周率…3.14159…三、いしいこく】 だが、そのあげく送られてきたのが『アップルパイ』だったという悲しい結末。男たちは仕方なく、仲良くパイを分け合い味わったのだった。コーヒーも紅茶もない船室で… 【というわけでクイズの答えは『パイ(どちらの意味でもOK)』でした!】   ☆   ☆   ☆  《 Ⅲ. EPILOGUE 》 着陸からちょうど一週間経ったある日、地球のD社から微生物の存在が…     ………※エピローグは「そして火星には誰もいなくなった②」(ひとつ前のブログ)へと続きます。ここをクリック…(長くてすみません(^^))

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      クイズ付き和歌小説「そして火星には誰もいなくなった」②

       ※(注)…ひとつ後のブログ「そして火星には誰もいなくなった①」からの続きです。恐れ入りますが①の方を先に読んでください。  《 Ⅲ.EPILOGUE 》 着陸からちょうど一週間が経った日、地球のD社から微生物の存在が否定されたとの連絡が入り、先発隊の四人はようやく火星の土を踏むことができた。 次の第二陣がやってくるのはこの二年あまり後、さらに地球と火星を往復できる装備をそなえたロケットの到着となると一体何年後の事になるやら分からない。その長い期間を、四人は、前もって無人で火星に送り込んであった居住ユニットで過ごす事になる。 居住ユニットの中は小さな体育館ほどの広さがあって、この後もユニットは地球から次々と送り込まれてくる事になっているから、ユニット同士を気密性のある通路でつなげば、十年もすれば火星の表面にちょっとした集落ができる事になるだろう。 宇宙服に身を包んだ四人が宇宙船のハッチを開けると目の前に広がるのは赤い平原。その向こうには、あらかじめ送り込まれていた居住ユニットが、目立ったトラブルもなしに着陸している様子が見て取れた。 オサム氏の若い部下三人は喜び勇んでユニット目指し歩き出す。 だが、オサム氏はふと振り返って立ち止まり、自分たちが宇宙空間を旅しながら九ヶ月の時を過ごした宇宙船…今となっては無用の存在となってしまった有人火星探査ロケットの勇姿を感慨深げに眺めていた。 ずんぐりした円筒形のボディの上にタマネギ型の先端部を戴くその姿は、どこかインドの仏教寺院を思わせる。そしてオサム氏はといえば、特定の信仰こそ持たないものの、神社やお寺の前を通ったときには決まって本殿に向け手を合わせるという神仏を敬う心の持ち主であった。 (これからの火星での生活には、きっと辛いことや苦しいことがたくさん待ち受けている事だろう。そんなとき何かに向かって祈りたくなったら、私はこの宇宙船を礼拝堂に見立て、ここで祈ることにしよう) そこでオサム氏は、立ち去る前にこの宇宙船=礼拝堂を一週間前に妻に向けて送った和歌の作者、慈円(じえん)の名にちなんで「慈円堂」と名付け、ボディの一部にその名を刻み込んでおくことにした。  ※    ※ さて、さらに三ヶ月の時が経ち、(即ち火星上の日数で三ヶ月弱の時が過ぎて)隊員たちが火星での生活にもすっかり馴染んだある日の事、これは居住ユニットの片隅でのオサム氏と部下との会話である… (部下)「部長、部長はいつか奥様も火星に呼び寄せられるお積もりなんですか?」 (オサム氏)「いや、それはないと思う。妻は宇宙酔いするからと言って宇宙船に乗るのをいやがっていたからね」  (部下)「えっ、でも、それじゃ部長が地球にお帰りになるまで会えないから、再会は何十年も先ってことになりますよね。それだと、あの…浮気とか…ご心配じゃないですか?」 (オサム氏)「アハハハハ、馬鹿を言うんじゃないよ。私たち夫婦のお互いの気持ちは、万葉集の歌で例えれば『常人の、恋ふといふよりは余りにて、我は死ぬべくなりにたらず』さ。私たち夫婦はカーボンナノチューブみたいな強い愛情で結ばれているんだ。浮気については絶対にないと断言できるね!」 だが……部下にはそう言ったものの、オサム氏はその夜から眠れなくなってしまった。 (妻が浮気?…そんなバカな…でもひょっとして…いやいや、ありえない!) そしてある明け方の事、眠れぬ夜を過ごしたオサム氏は、気が付くと宇宙服を着込んで、彼が「慈円堂」と名付けたあの宇宙船=礼拝堂の前までやってきていた。 空に目を向ければ、夜明けが近いため火星の東の空はわずかに白み始めており、山の端より少し高いところで、ひときわ明るい星=地球が、傍らに月を従え青く輝いている。 オサム氏の心にふと浮かんだのは寂然法師の歌… 『わかれにし、その面影のこひしきに、夢にもみえよ山の端の月』 (ああ、あそこにマドカさんがいるんだ…愛しいマドカさんがあの青い星の上で、今、この時もきっと私の帰りを待ってくれている……はず。なのに、そのマドカさんが浮気だなんて!) オサム氏はいてもたっても居られなくなって、その場にひざまずき、気密ヘルメットをつけているのも構わず、声に出して祈った。 「ああ、神様、どうか妻が…マドカさんが浮気などする事がありませんように…」 と、突然、 ボンッ!  煙とともに現れたのは、宇宙服も着ないで白い衣を一枚まとっただけの髭面の老人…いや、その頭上に光輪を戴いているところを見れば、どうやらこの老人は何と神様(!) でも、どうして神様がここに? いやいや、神様は神出鬼没であるが故に神様なのであって、この宇宙においてひとたび祈りの声を聞けば、何をさしおいても駆けつけなければならないと云う国際救助隊のようなポジションのお方。それでも地球においては、自らの神秘性を高める必要から、極力、姿を見られないよう努めておられるのだが、人口がたったの四人というこの火星では神様もついつい気が緩んでしまったという事らしい。 呆気に取られ立ち尽くしているオサム氏を前に、神様が言う。 「おやおや、これはまた随分と軽々しく姿を現してしまったわい。ま、それもよかろう。すべてはワシの…神の思し召しじゃ。ところで、のう、お主(ぬし)、実は神様界においては、神の姿を見た者に対しては、サービス特典としてひとつだけ願いを叶えてやってもよいという取り決めが成されておるのじゃが…ほれ、もし何か願い事があるなら言ってみなされ。天地を統べ治めるこのワシが、どんな願いでも叶えて進ぜようぞ」 聞いて、オサム氏は飛び上がらんばかりの喜びよう。 「ほ、本当ですか!それじゃ、神様、どうか地球にいるマドカさんが、この先も、未来永劫、絶対に浮気心など抱くことがないようにしてください、お願いしますっ!」 さてさて困った…なぜなら神様は全知全能であられるがゆえに、オサム氏が旅立って以後の、地球でのマドカさんの『お盛んな行状』をもしっかりと把握しておられる。 「う~む、その願いは、今となっては最早手遅れかも…」 「エエッ?かっ、神様…ってことは、マドカさんはもうすでに浮気してしまっていると!?ハッ、何てこったい。こん畜生、もうこの世の男なんか皆、ひとり残らず消え失せちまえ!」 声を荒らげ、叫ぶオサム氏。 すると… そう、お察しの通りである。オサム氏の口からその言葉が発せられた瞬間に、3億2000万キロ離れた地球では人口がほぼ半分に減少した。 当然、マドカさんの若い恋人=律くんも消滅し、火星にいるオサム氏の部下たちも消えた。 願いを叫んだ当のオサム氏も神様の目前に跡形もなく消え去り、仕事を終えられた神様はため息をひとつ漏らされると、夜明けの薄明の中にその神々しいお姿をお隠しになった。 そして……誰もいなくなった火星の大地のその場所には、ボディに「慈円堂」と刻まれた宇宙船=礼拝堂だけが、昇り始めた陽の光に照らされ静かに佇んでいたのだった… ※    ※ さて、読者のみなさん、ここまでの読書、どうもお疲れさまでした。無駄に長かった物語も、このシーンに行きついたところでやっと終わりを迎えることができそうです。 ええ、ここで終わるしかありません… そう、何が何でも、ここで終わらせなければならないのです! なぜなら、 その最後のシーンに立っていた礼拝堂の名は「慈円堂(じえんど~)」… 即ち、  ……ジ・エンド(THE END)だから!!! (終わり) 火星の大地《あとがき》 読んでくださってありがとうございました! くっそ長くてごめんなさいm(__)mお疲れ様でした! 本文にもあるとおりクイズの答えは「パイ」でした。 一応、裏ヒントもありまして、お話に登場する三人の人物の名は「マドカ(円)さん」、「修さん」、「律くん」…三人の名前の漢字を並べると「円修律」…「えんしゅうりつ」…「円周率」となります。 さらに、お話の最初は「あさ、スズメがチュンチュン…」と始まりますが「あさ、スズメ」を漢字にして…「麻雀(マージャン!)」…なんてのもあったりしました。アハハ、相変わらず全然ヒントになってないですね、ごめんなさい!  ところで、作中には和歌がいくつも登場しますが、和歌に詳しい方の目には、「その歌をここで使うのはちょっと違うんじゃない?」という風に映るものがあったかもしれません、どうかお目こぼしを… あと、作中に出てくる「レプリケータ」に関しては、これはもういろんな意味でツッコミどころ満載だと思います。ハードSFというわけではないのでお許しください。 地球と火星の距離や位置関係については、一応、修さんたちを乗せた宇宙船が2022年8月頃に地球を出発し、ホーマン軌道に乗って2023年5月頃に火星に着いた、という想定で書きました(火星までの距離を表す数値が前半とエピローグで違っているのは、その間に三ヶ月の時が経過しているためです)。こちらもおかしいところが多々あるかもしれません、ご指摘いただければ幸いです。。 最後にのどかさん、今回も魅力的なお題をありがとうございました。「和歌」というのは私には余りにも縁のない分野でしたけれど、何か書きたいなと思って和歌の本を買ってきてパラパラ見ているうちに、自然とあれこれアイデアが浮かんできて何とか完成することができました。お陰で和歌にもちょっとだけ詳しくなれたし、今年も創作三昧のGWでした。企画の趣旨から大分と脇道に逸れた作品ですみません(^_^;)本人自身は書いていてとっても楽しかったです!ありがとうございました!!! ではまた マルティン☆ティモリ小説ランキング

  • 26Aug
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      クイズ付き短篇小説『葉月(8月/夏)の花嫁』

      この話は[のどかさん]のお題企画『葉月』に合わせて書いたものです。 『理恵さんと婚約した「僕」、でも僕の実家には独自の結婚の風習が…それは何と裏山の祠(ほこら)の中にある御神体を覗きこむというものだった。果たしてその御神体とは一体何!?』  クイズ付き短篇小説としては4作目。 今回も長いです、スミマセン。「あとがき」も入れると9000字!『葉月(8月/夏)の花嫁』(クイズ付き)    マルティン☆ティモリ作 帰省、実家の庭に立って裏山を見上げると、僕の脳内にいつも決まって立ち上がってくるひとつのイメージがある。  『…季節は新緑が目にまぶしい五月。頂(いただき)に近い山腹の、木立に囲まれた古い祠(ほこら)の前に佇んでいるのは白いタキシードに身を包んだ僕自身。その隣にはウエディングドレス姿の女性が寄り添って、僕はポケットから鍵を取り出し、ゆっくりとした動作で祠(ほこら)の扉の錠前を外す…』 ☆   ☆   ☆ 「ん?サンジョウコン!?…って何よ、それ」 理恵さんが素っ頓狂な声をあげた。 「あ、うん、山の上で挙げる結婚式のことだよ、『山上婚』。それでね、あの…ごめん、今まで言ってなかったんだけどさ、実は僕の実家っていうのがね…」 理恵さんは僕のフィアンセだ。 フルネームを富宇理恵(ふう・りえ)という。 一年前、職場の義理で参加したパーティの席上で知り合った。 同じテーブルで、僕の隣席に座ったのが理恵さん。 僕の指先から筆記用具が滑り落ちて咄嗟(とっさ)に身体を傾けたとき、理恵さんがすかさず手を伸ばしキャッチしてくれた。 そのとき危うく身体がくっつきそうになって、ふわっと漂ってきたいい香り… 以後、僕らはふたりで逢うようになり、次の年が明けたのとほぼ同時に結婚の約束を取り交わしたんだ。 で、その理恵さん、僕の最初の印象としては、背はちっちゃくてショートヘア。目が細めで一見ちょっと地味な感じかなと思ってた。 ところが、よくよく見るとメリハリのあるキュッと引き締まったボディ。さらに会話を始めれば、これまたエネルギー溢れるハキハキとした物言いで、聞けばそれもそのはず、何と理恵さんは私立の男子校で教壇に立ち、受験学年の高校生たちに理系数学を教えているという。 …ん?…んんんっ?私立の男子校!? う~ん、かつては僕も男子高校生をやってたわけだから想像できてしまうんだけど、理恵さんは日々、教室で、何十人にも及ぶハイティーン男たちの、いわゆる『そういった視線』にさらされているってことなのか… 付き合い初めた頃、僕は遠慮がちに言ってみたことがある。 「あの…あのさ、やっぱり女子校とかで教える方がいいんじゃないのかなぁ。理恵さんの学園って系列の女子高校もあるんだろ?同性の方が気持ちが通じ合って授業もやりやすいと思うんだけど…ね、試しに一度、移動申請をしてみたら?」 聞いて理恵さんはアハハハと笑った。 「もうっ、わかってないのよね~。女子高生たちの女教師に対するチェックの厳しさといったら、そりゃあもう地獄のエンマ様も真っ青だわよ!でも…アドヴァイス・サンキュ!お気遣いはうれしいけど、わたしは今の職場で十分満足よ。こう見えてもわたし、毎日けっこう楽しくやってるんだから!」 …ま、理恵さんがそう言うんだから、僕がとやかく言う筋合いはないってことですね。 で、話を戻して…『山上婚』である。 実は、僕の実家は少しばかり変わっている。 いや、もちろんどこの家庭でも多少は他と違った部分を持っているものなのだが、何が変わっているって、僕の生まれ育った実家には何と独自の『宗教』が存在しているのだ。 『御梅(おんうめ)教』…それが僕の実家の宗教の名前。信者は祖父母、父、母、そしてひとり息子の僕自身と、たったの5人である。 「…でね、この『御梅教』なんだけど、僕の祖父である源三郎じいさんが始めたんだ…」 僕は理恵さんに変な印象を持たれないようにと、顔色をうかがいながら説明する。 我が家の宗教=『御梅教』の始まりはこうだ… 源三郎爺さんが子供の頃、裏山(…といってもちょっとした丘という程度のもの。一応は僕の実家の所有なわけだけど、ド田舎のことだし資産と呼ぶほどのものじゃない)に登ってひとり、遊んでいると、斜面のくぼみで何かが光っているのを見つけた。 何だろう?とくぼみを覗き込んだ爺さんは、その瞬間『腰を抜かすほどびっくりした』のだという。 早速『そのもの』をくぼみから取り出し、大事に家へと持ち帰った爺さん。日々、眺めるうち『そのもの』には何らかの霊力が備わっていると確信するようになる。 爺さんはやがて裏山に簡素な祠(ほこら)を建て、その奥に『そのもの』を御神体として安置し拝むようになった。 この習慣が父母へと受け継がれ、現在、僕で三代目。ま、宗教といっても身内だけのもので、お金も集めないし布教活動もない。ただ気の向いたときに祠(ほこら)を拝むだけのものだから、他の家庭で仏壇を拝んだり、神棚に手をあわせたりするのと何ら変わらない。でも、ただひとつだけ『御梅教』には特有の儀式があった… 「そう…結婚式だけはちょっと変わった形になるんだよ。それが先に僕が言った『山上婚(さんじょうこん)』。新しく夫婦となった二人で裏山に登り、頂上近くにある祠(ほこら)の扉を開けて、御神体、即ち爺さんが子供の時に拾った『そのもの』が入れてある箱の中を覗き込む。つまり、爺さんと『そのもの』との出会いを再現する儀式ってわけなんだけど…」 ありがたいことに理恵さんは、我が家の『宗教』についての話を特別変な風に受け取ることもなく、興味津々の表情で聞いてくれていた。 「それで?祠(ほこら)の中の、お爺さんが見つけたっていう『そのもの』って一体何だったの?」 理恵さんが訊く。 「うん、それがね、実は僕も知らないんだ。祠(ほこら)の扉は普段施錠されていて、結婚式を挙げたカップルのみが、たった一度だけ、結婚の儀式として開けることが許される。だから僕の父母も、結婚したその日に一度見たきりらしい。中身については、子供の頃に母に訊いてみたけど、『あんたも結婚したら分かるよ』って言って教えてくれなかったなぁ…」 話しながら僕は少々不安になってきた。こんな話、やっぱり一般の家庭で育った女の子にはちょっとおかしな風に聞こえるんじゃないだろうか。僕はついつい早口になる。 「あ、あの…理恵さん。もちろん僕らがこの儀式通りにしなけりゃいけないってわけじゃないんだよ。普通の結婚式場で、神前式でもキリスト教式でも全然オッケー!『御梅教』は他宗教を排除しないんだ。父も好きなようにしなさいって言ってくれてるし、大体、僕自身にしても、進んで信者になったってわけじゃない。爺さんが泣いて頼み込むから仕方なく…」 「いいわよ」 「えっ?」 「わたし、あなたと結婚するって決めたんだもの。儀式通りのやりかたで式を挙げて、結婚後はわたしも『御梅教』の信者になるわ」 「い、いいの?」 「うん。もちろん!わたしね、結婚って『死』に似ているって思ってるの」 「えっ『死』!?」 「そう、『死』。つまりそれまでの自分とは全然違った存在になるって事。しかもその時自分に起こる変化が一体どんなものなのか、そこに飛び込んでみるまでは全く分からない、女の子だと特にそんな思いが強いかもしれないわね…でもね、わたし、あなたとならそうなってもいいかなって思ったの。だから、オッケーよ。でもひとつだけ…その結婚の儀式、できれば八月にしてほしいな」 ん?なぜだろう、僕は昔から、『山上婚』といえば山がきれいに見える新緑の季節とずっとイメージし続けてきたんだけど、何か八月じゃないといけない理由でもあるのだろうか? だが僕はその理由を尋ねたりはしなかった。 理恵さんは『山上婚』を受け入れてくれたんだ。それ以上に一体何を望むことがあるというのか。季節なんか何月だってかまわない!  「もちろんオッケーだよ!ありがとう理恵さん!僕たち、八月に結婚式を挙げようねっ!」    ☆   ☆   ☆ …八月 手を携(たずさ)え、理恵さんと蝉しぐれの山道を登る。 実家の裏山の、頂近くにある祠(ほこら)を目指し歩みを進める。 今日、僕たちは婚礼の日を迎えた。 裏山の麓には友人や親類たち、そして理恵さんが教える高校の生徒たち何人かも祝福に駆けつけてくれている。だが、彼らがともに裏山に登ることはない。この儀式…裏山に登り、祠(ほこら)の扉を開けるのは、この日に将来を誓い合ったふたりだけに許されたことなのだ。 木陰を選んで進むも、真夏の山の斜面からは熱気が立ちのぼり、純白のウエディングドレスに身を包んだ理恵さんの開いた背中や胸元には大粒の汗が浮いている。 タキシード姿の僕も汗だくだ。 それにしても…と僕は思う…なぜ理恵さんは結婚の儀式を、この暑い八月にしてほしいと望んだのかな? これまで僕は一度もその理由を尋ねることはしなかった。それは、この様な奇妙な儀式を受け入れてくれ、さらに結婚後は『御梅教』の信者になるとまで言ってくれた理恵さんの気持ちに水を差してはいけないと思っていたからだ…ま、信者になるといっても年に一度の帰省の折りに祠(ほこら)の前で手を合わせるというだけの、いたってハードルの低いものなのだけれども。 (でも…今日は訊いてみようかな、理恵さんが八月にこだわった理由。特に訊いていけないって感じでもなかったし…) そんなことを考えている内に道は頂(いただき)に近づいて、いきなり目の前に眺望が開ける。やがて登っていく道のその先に、梅林に囲まれて古い祠(ほこら)が現れた。  「あっ、やっぱりそうなんだ!『御梅教』っていう名前、祠(ほこら)のまわりに梅林があるところからから来ているのね」 息を弾ませ理恵さんが言う。 「あ、うん、それもあるけど…正確に言うと本当のネーミングの由来はそうじゃなかったみたいだよ。もともとは違う名前だったらしいんだ」 源三郎爺さんが祠(ほこら)を作った時点、つまり『御梅教』のスタート時につけた名前は、元来、もっとストレートに祠(ほこら)の中の御神体そのままを表したものだったようだ。 だが、僕の父が若かった頃に大ヒットした海外のホラー映画の題名が、何と爺さんがこの宗教につけた名前とあまりにそっくりだったため、父が名前の変更を進言し、爺さんもそれを了承したとのことである。 「あははっ、そりゃ、ホラー映画の題名とそっくりな名前の宗教だったら、名前を聞いただけでみんな引いちゃうものね!」 無邪気に笑う理恵さん。  「そうなんだよ、でも爺さん、元の名前にも相当に思い入れがあったらしくて、新しい名前は元の名前をほんの少し変えるだけにしたんだ。で、たまたま祠(ほこら)の周りに梅林があったことも考慮に入れて『御梅教(おんうめきょう)』って名前にしたみたいだね」 話す内に僕らは祠(ほこら)の前に到着。鍵を開ける儀式に取りかかるその前に、僕は理恵さんに、例の以前から懸案の疑問について訊いてみることにする。 「ね、理恵さん、どうして結婚式、八月が良いって思ったの?」 理恵さんはちょっと謎めいた微笑を浮かべ、言う。 「それはね、『山上婚』ならやっぱり『八月』っていうのが一番エレガントな答えだなって思ったからよ。といっても実数に限った場合なんだけど…」 「…………???」  ※   ※   ※ 頭上に広がる夏空の碧(あお)。 僕はポケットから鍵を取り出す。 そして僕らは祠(ほこら)の前でキスをした。 軽いキスのつもりだったが最後は熱い抱擁となり、流れる汗がタキシードの内側を首から胸へ、そして腹へと落ちていく…そんな感覚さえも快いと感じながら、僕はしばしの間、心に湧き上がる無上の幸福感に酔いしれていたんだ。 祠(ほこら)の扉に掛けられた錠前は少し錆びが浮いているが、鍵を差し込んで捻ると、キイーッと金属的な軋み音を立てて回る。 人がひとり入れるくらいの祠(ほこら)の内部は薄暗いが、奥の壁に明かり取りの小窓があり、そこからわずかに外の光が差し込んでいる。 僕は理恵さんを扉の外に残し、中へと一歩、踏み込んだ。 中央に設置されているのは上部が観音開きになった、思いのほか小さな箱…この中に御神体が安置されている。 箱の上部についた取っ手に指を掛け、僕は思い出す。子供だった源三郎爺さんが初めてこの中の『もの』を見たとき、腰を抜かすほどにびっくりしたという話を… 瞬間、恐怖心がわき上がる。  でも、扉のうしろに控えている理恵さんのことを思い、勇気を奮い起こして箱の観音開きを引きあけ、顔を近づけ覗き込んだ… と、そこには… ……箱の中……とても大きな……ギョロリ……見開いて……こちらを見上げ…… 「ヒエエエエエエーッ!!!」 ※※※※※※※※※※※ さて、ここで…  読者への質問 ①祠(ほこら)の箱に入っていたもの(=御神体)とは一体何だったのでしょう? そして、 ②理恵さんが結婚の時期を八月に指定した理由は? (注)①と②の謎に関連はありません。よって、片方が分からなければもう一方も分からないということはないです。 ※※※※※※※※※※※ …気がつくと、実家の客間に寝かされていた。 どうやら祠(ほこら)の中の箱を開けた時、気を失ってしまったらしい。 後で聞いた話だが、僕が気を失ったのを見て理恵さんは麓(ふもと)で待っていた父に連絡、下にいた人たちのうち、数人の男たちが祠(ほこら)のところまで登って来て、気絶している僕を麓まで降ろしてくれたとのこと。 交代で僕を背負い山を降りてくれた男たちの中には、理恵さんの生徒である高校生たちも混じっていたようだ。 今、僕が寝かされている隣の部屋には理恵さんが居るらしく、教え子達との会話が漏れ聞こえてくる。 …あ~あ、それにしても、結婚式の日に気絶するなんて、先生のダンナさん、ちょっとカッコ悪いよね… …そうだよぉ、先生よぉ、もちっとイイ男、いなかったのかよぉ。何なら、あと五年も待ってくれりゃ、オレが先生のこと、嫁さんにしてやっても良かったんだぜ… (うううっ、ま、コイツらも僕のこと助けるのに手を貸してくれたんだから、今のは聞かなかったってことにしといてやるさ) そんな事を思っていると、 「あら、気がついたのね!」 隣室との間の襖(ふすま)が開いて、普段着に着替えた理恵さんが顔を覗かせた。 理恵さん(おお、今や僕の妻だ!)の顔を見ると安堵感が胸に広がる…と同時に、あの祠(ほこら)の中での恐怖の体験もよみがえって、僕は思わず布団を顔のあたりまで引き上げた。 「あの…ね…理恵さん?ひょっとして理恵さんもあの箱の中のものを見たの?」 「ええ、見たわよ」 「こ、怖くなかった?」 「ええ、大丈夫。だってわたし、あなたが気を失う直前につぶやいた言葉を聞いて、箱の中に何が入ってるか、分かっちゃったんだもの」 「えっ?僕がつぶやいた言葉…」 たしかあの時、僕はこんな事をつぶやいたのだったと思う…『大きな目がギョロリとこちらを見上げてる』とかなんとか。 「じゃ、じゃあ、中にはやっぱり大きな目玉が…」 「違うわよ!それはあなたの錯覚!入っていたのはね、ただの『○○○○○○○』よ!」  『そのもの(御神体)』の名前を聞いて僕には思い当たる節(ふし)があった。 子供の頃、父は箱の中身については教えてくれなかったが、『そのもの』からつけられたという宗教の名前が、あまりにもホラー映画に似ているというので名前を変えざるをえなかったという、そのホラー映画の題名については口にしていた。 それは1970年代に第一作が作られたというアメリカのホラー映画、『オーメン』。この映画は公開されるや大ヒットし、以後、続編が第四作まで作られたそうだ。 僕はその題名まで知っておきながら、当時、子供だったために『ふ~ん、オーメンかぁ。じゃあ、怖い顔のお面(おめん)か何かがはいってるのかな?』くらいにしか思っていなかった。 だが、お面じゃなくてオーメン。そして宗教の名前に似ているというのだからおしりに『教』をつければ…『オーメン教』。 そうなのだ、入っていたのはオーメン教…じゃなくて『凹面鏡(おうめんきょう)』(!!!)。そして爺さんが最初につけた宗教の名前も『凹面教(おうめんきょう)』だったんだ! (だから、後に爺さんは父のアドヴァイスを受け、この名前のうちの三つの文字の順序を変えて、その宗教名を『御梅教(おんうめきょう)』と変更した事になる) 理恵さんが言う。 「…そうよ、入っていたのは凹面鏡。凹面鏡はその焦点より内側に置かれたものに対しては、実物より大きな正立虚像をつくる…つまり凹面鏡をすぐ近くからのぞき込むと自分の顔が拡大されて映るわけ。祠(ほこら)の奥には明かり取りの小窓があってあなたの顔にはかすかに外からの光が当たっていた。そんな状況で、あなたがいきなり目を近づけて箱をのぞき込んだために、あなたは箱の中に『拡大された自分の目』の像を見たの。それで、大きな目玉が入っていると勘違い、ショックを受けて気を失ったんだわ。あなたのお爺さんも子供の頃、きっと同じ体験をして腰を抜かしそうになったのね!」  ☆   ☆   ☆ …万物流転…万物流転… 月日は流れ、あの婚礼の日から十数年が過ぎた。 その間、僕と理恵さんの間には娘が生まれ、さらに娘が5歳になったその年に、僕は不慮の事故に遭って命を落とす。 わけが分からぬままに僕の人生はあっけなく終わってしまった。 無念だったけれど、これも寿命というものなのだろう。僕は理恵さんと出会い、その上、可愛い娘にも恵まれた。決して長くはなかったが、それでも自分では望み得る限りの幸せな一生だったと思っている。 まだ理恵さんと婚約していた頃の事、理恵さんは結婚は死に似ていると言っていた。どちらも、いざ飛び込んでみるまでは自分がどうなってしまうのか全く想像がつかないから、と。 死の後に僕自身に起こったこと…それが何だったのか、本当のところは僕にはよく分からない。ただそれは、種々の『宗教』が語っていることとある意味イコールであったような気もするし、『宗教』の教えるところは死の、そのほんの一部分を切り取ったものの比喩であったに過ぎないと言えばより正確なのかもしれない。 そう…恐らく『僕』という『情報の集積』は、死と同時に肉体を離れ、僕の意識、僕の個性、僕の記憶は、コップの水面に落ちたインクの一滴(ひとしずく)のように、宇宙全体へと拡散し、宇宙にとけ込み、ついには宇宙そのものと一体になってしまったのだ。 では、僕はいなくなってしまったのか? そんなことはない。 太陽と地球を結ぶ半直線のその先に山羊座の東端が位置する頃…即ち、太陽が黄道上の獅子座を横切る季節の一時期には、宇宙に散らばった死者たちの意識エネルギーは再び統合され、生前と同様の知覚を獲得する。 その季節が八月…先人はこの時期を『お盆』と呼んで亡くなった者の魂が一時的に此岸へ戻る日としてきた。 今年もその季節が巡り来て、僕は今、球状のエネルギー体となって、理恵さんと娘の住む我が家の、吹き抜けの天井に近い空間を漂っている。  理恵さんは再婚することもなく、今も高校の数学教師を続けながらひとり頑張って娘を育ててくれている。その娘も成長し、今年で中学の3年生になった。 そんな我が家のリビングには僕の遺影が飾られ、その上部には件(くだん)の凹面鏡のレプリカが置かれている。 今、ダイニングからは娘と理恵さんのこんな会話がもれ聞こえてきた…(※略号…娘→ム、理恵さん→リ) ム「ねえ、ママ、亡くなったパパと結婚したのも夏だったんでしょ?その日も今日みたいに暑い日だったの?」 リ「うん、とっても!それはもう汗だくで大変だったのよ」 ム「ふ~ん、それなのに、パパとママ、どうしてそんな時期に結婚式をしようなんて思ったのかなぁ」 リ「それはね、ママがそう望んだからなの。わたしたち、パパの実家の風習で『山上婚』っていうのをする事になって、それを聞いたときママはね、これはもう絶対に結婚式は八月じゃないといけないなって思ったのよ。それが何よりもエレガントな答えだからって」 ム「???」 リ「ねぇ、あなたは中3だから、学校の数学でもう『平方根』を習っているでしょ。たとえば9の平方根は何かしら?」 ム「3!」 リ「そう!正解よ(ま、正確には±3だけどね)。つまり9の平方根っていうのは二乗すると9になる数ってことよね。じゃあ立方根って知ってるのかな?」 ム「あ、それ先生が言ってた。こっちは三乗するとその数になる元の数のことだよね」 リ「そうよ、だから立方根を答えるなら27が3。64が4、1000なら10ってことになるわ(この場合は三乗で、奇数回掛けることになるから『±』はつけなくてもいいのね)。ところで、立方根には『三乗根』っていう呼び方もあるの。64が4、1000が10。じゃあ8の三乗根は?」 ム「ええっと、三乗して8になる数なら2だよね」 …その瞬間、我が家のダイニングに理恵さんの上気した声が響いた。  リ「そう!そう!!!そうなのよ~。『8の三乗根は2』、だからママにとって『山上婚(さんじょうこん)』は絶対に、何が何でも『八月』でなければいけなかったの。なぜって『三乗根(さんじょうこん)』を考えると『八月』…『はちがつ』…『8が2…ハチがツー(two)』なんだもの!ねっねっ、エレガントでしょ?」 [終わり]   [あとがき] 読んで下さってありがとうございました! いつも通りの無理矢理なオチで失礼をいたしました(最後の理恵さんと娘の会話の「」の前の略号が、縦につないでみるとムリムリムリ…と読めるのは、作者の自嘲の心が現れたものと思って下さい)。 クイズの正解は読んでいただいた通り、①が『凹面鏡』、②は…『理恵さんが数学教師であり、また8の三乗根(さんじょうこん)は2(実数限定で)だから「8がツー」…よってエレガントですねっ!』…みたいな感じでした。 後、理恵さんのフルネームが『富宇理恵(ふう・りえ)』となっているのは『フーリエ変換』で有名なフランスの数学者・物理学者=ジャン・バティスト・ジョゼフ・フーリエから取っています…といっても私自身は(大学の授業で習った気はするのだけれど)『フーリエ変換』の何たるかを全く分かっていません!ついでに言いますと、(理恵さんも本文の中で触れているように)8の三乗根は虚数解を含めれば「2」以外にもあと二つの解があるのですが、もうこのあたりが私の数学知識の限界でして、これ以上ボロが出ないうちにオシマイに致しますね。 今回も[のどかさん]の企画に応じて書かかせていただきました。 私、毎年夏は仕事がムチャクチャ忙しくて仕事オンリー、仕事漬けの毎日になってしまうことが多いんですけど、今年は、「いや、忙しい故にこそ日々の楽しみ(創作!)が欲しい!」と思い、[のどかさん]の企画に参加の名乗りをあげさせていただきました。おかげで仕事の合間もアイデアを練るなどシンドイ日々を楽しく乗り切ることができました(実際に書く作業はお盆休み中心でしたが)。  のどかさん、今回もお世話になりありがとうございました! こんなに長いものを最後まで読んで下さった皆様にも改めて心よりの感謝を申し上げます。 ありがとうございました!    マルティン☆ティモリ短編小説ランキング

  • 11Jun
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      短篇クイズ小説「梅雨の終わりに遠出っ!」

      この話はのどかさん主催の梅雨企画に合わせて書いたものです。こちらバナー 内容は今回も「クイズ小説」。クイズ小説の第3弾です!……旅先でふと耳にした老人のつぶやき、その意味するところは?果たしてアナタはどこまで真相に迫る事ができるでしょうか?(いえいえ、迫れなくてもそれは書き手の作文がマズいだけなんですけどね)ヒント:[ ]の所に注目。 7000字くらい。 マルティン☆ティモリ作   短編クイズ小説「梅雨の終わりに遠出っ!」 朝、目覚めると、マツオさんはいつものように鏡の前に立った。  鏡に映るマツオさんの髪は寝癖で[乱れ]、白髪にフケが混じってまるで[霜が]降りたよう。顔の皮膚はたるみ、目の下にはくっきりとしたクマも出来ている。ここ数日、根(こん)を[詰めて]仕事に取り組んでいたため、疲労がピークに達しているのだ。 「ひどいもんだ。これじゃ、もう[身が]もたないよ~」 ため息とともにつぶやくマツオさん。 だが、鏡にうつるこの朝のマツオさんの表情は、いつになくリラックスしていた。 それもそのはず、この日はほぼひと月ぶりのお休み。 (よーし、今日は一日中布団にくるまってダラダラするぞ~。いやいや、ちょっと待て、せっかくのお休みだ、もっと有意義に過ごさなくちゃな。さあて何をしようか、楽しみにしていたDVDを観ようか、それとも前から読みたかったミステリ小説を買い込んで、終日読書三昧といこうかな)   そんなことを思っていた矢先、鏡の中のマツオさんの背後に人影が… 「アナタァ、今日は仕事に行かないのぉ?」 妻のサダエさんである。 不吉な予感を抱きながらもマツオさんが応じる。 「あ…うん、ひ、ひさしぶりに休みが取れてね」 サダエさんの顔に広がる満面の笑み、そして大きくガッツポーズ! 「やったあ!それじゃ今日こそは一緒に遠出をしましょうね?え?もちろん行くんでしょ?当たり前よね、この一ヶ月、アナタは仕事!仕事!残業!残業!で、カワイイ妻のワタシをずっと放ったらかしにしてきたんだもの」 マツオさんは考える… 自分は尊厳ある自由意志を持った一個の人格である。 よって、このサダエさんの一方的な決めつけを突っぱねる権利を有していることは明白だ。 だが、ここでサダエさんの意見にしたがわなかった場合、今日という貴重な一日を彼女のイヤミと不機嫌の嵐に耐えて過ごすことを覚悟しなければならない。 果たしてそのような状況下において、DVD鑑賞もしくは読書の時を持ったところで楽しめるのだろうか?いや、とてもそうは思えない。 その上、彼女の不機嫌が今日一日でおさまるという保証もなく、そうなるとまた明日から始まる過酷な仕事の日々にも影響を及ぼしかねない。  《結論》よってサダエさんに従う方がまだしも賢明な選択と言える…   「何ブツブツ言ってるのよ?さ、早く乗ってよ!出発するわよ~」 運転席からサダエさんが大声で呼びかける。 「ああ、分かったよ、ヨッコラショっと」 マツオさんはせめてもの抵抗としてワザとゆっくりした動作で腰を上げると、しぶしぶ助手席へと乗り込んだ…  ☆   ☆   ☆ …さて、ここは日本のどこか。 「こりゃ凄いなあ」 マツオさんとサダエさんのふたりは、今、増水し音を立てて流れる川の岸辺に立っている。  それは7月も半ばに差しかかろうとする梅雨の末期。 太平洋高気圧の縁を回り込んでやってきた暖かく湿った空気が、日本列島にたすきを掛けたような雲をつくって居座る梅雨前線を刺激し、東日本の一部に激しい雨をもたらしたという、そんな時期のことであった。 今は雨はやんでおり、雲も消え降り注ぐ強い日差しは既に真夏のよう。快い風が吹く川べりの[涼し]げなロケーションとはいえ、その水量は圧倒的で、うねる川面はずっと見入っていると思わず引き込まれそうな感覚に襲われる。 サダエさんが言う。 「ねえ、一体いつまでこうしているつもりなの?折角遠くまで来たんだもの、ちょっとはそこいらを観て回りましょうよ」 わずかに顔をしかめるマツオさん。 「いや、いいよ、一人で行っておいで。ボクはここでずっと川を見てるから」 言って、持ってきた缶コーヒーのプルタブを引いた。 (…フン、じっとしてれば少しは身体を休めることも出来るってもんだ。絶対にここから動くもんか!この川べりこそがボクの居るべき場所……尊厳ある一個の人格としての[マツオ様の場所]なんだ!)  マツオさんのささやかな抵抗なのである。 「もうっ、アナタっていつもそうなんだから、つまんない男!いいわよ、ワタシ、ひとりであちこちうろつき回って、思いっきりイケメンウォッチングを楽しんでやるわ。そのあげくにイイ男に誘惑されちゃったりしたって、知らないからねっ!」 捨てぜりふを残し、その場を後にするサダエさん。  川べりには一軒の民家と大きな寺、向こうに杉林。 マツオさんたちのいる[場所]からは[杉林の奥へ向かってかすかにそれと分かる程度の細い道が続いている。]その道を、サダエさんはプリプリした足取りで進み、やがて彼女の姿は林の奥へと消えた…  ★   ★   ★ …数時間後。 陽は傾き西日がまぶしい。 川べりにある寺の火灯窓の奥にも西日が射し込み、マツオさんの立つ位置からは窓の木格子を通して中の様子がうかがえる。窓の奥、寺の本堂には木彫りの仏像や阿修羅の像が鎮座し、赤い[夕]日の差し込む中、穏やかな[仏]の御顔や戦闘的な阿修羅の[魔神(ましん)]めいた姿が、異様に神々しい様子で浮かび上がっていた。 マツオさんがそんな光景をぼんやり眺めていると、 「…アナタ、ただいま」 いつの間にかサダエさんが側に立っている。  「やあ、(楽しかったかい…)」 言い掛けてマツオさんは言葉の末尾を飲み込んだ。  見たところ、どうやらイケメンに誘惑されるというような出来事もなかった様子。浮かない顔をして視線はあらぬ方向を向いている。つまらなさそうなサダエさんの顔を見ると、旅先で妻をひとり放っておいたという後ろめたさがマツオさんを襲った。 (ここは気分を変えてもらうためにも、さっき自分が経験したちょっとした出会いの話でも披露するかな) マツオさんは笑顔を作り、サダエさんの顔をのぞき込むようにして話しかける。 「…良いところに帰ってきてくれたよ。聞かせたい話があったからキミのこと、ずっと待ってたんだぜ。実は、さっき不思議な爺さんに出会ってね…」 ……………  それはサダエさんが林の奥へと消えて間もなくのことだった。 寺のそばの民家から小柄な老人がひょっこり現れ、マツオさんのいる場所からは少し離れた川岸に立った。 見ていると老人は川面に目をやり、何やらブツブツつぶやいている。言葉の内容は川音にかき消されてよく聞こえなかったが、それでもいくつか単語が、風に乗って切れ切れにマツオさんの耳にも届く。 その単語とは、 [乱れ]、[詰めて]、[霜が]、[身が] 「ん?これってどこかで聞いたような…」 そこで意識に上ったのが今朝目覚めた直後の自分の姿。 (……この一ヶ月の間、根を[詰めて]仕事をしたため、寝癖で髪は[乱れ]白髪にフケが混じってまるで[霜が]おりたよう。もう、こんなに働きづめじゃ[身が]もたないよ~……) 「ぐ、ぐえええっ!」 (こ、これはボクが起き抜けの鏡の前で、心でつぶやいた単語そのままじゃないか!) まるで思考を読まれたかのような感覚に、マツオさんはこの不思議な老人と話してみようと、老人の立つ川岸の方へと一歩を踏み出す… と、 ドタッ! 「イテテッ!」 地面に落ちていた枯れ木に足を取られ、転んでしまった。 「おや?どうなされたかな?」 気づいた老人が近寄ってくる。 「あ、はい、転んじゃって」 「どれどれ?おお、膝小僧を擦りむいておられるな、血が出ておりますぞ」 言って老人は(いや、よく見ると老人と言うほどの歳ではないのかもしれないが)、血のにじんだマツオさんの膝小僧にそっと手を当て、立ち上がれるよう肩を貸すなどあれこれと優しくケア(care)してくれた… ……………… 「…でね、ボクは結局、何故その爺さんが今朝のボクの思考を読めたのか、その理由を聞きそびれちゃったんだけど……ね、なんだかちょっと不思議な話だろ?」 さて、サダエさんはナゾが大好きなのである。マツオさんと一緒に2時間ドラマを見ているときでも、大抵はサダエさんの方が先に犯人を言い当ててしまう。   マツオさんの話にサダエさんはちょっと考えるような表情をしていたが、しばらくの後、その顔が突然パッと輝いた。 「あっ、分かったわ!…うん、なるほどね、たしかにそれですべての辻褄が合うわ…」 「えっ?何が分かったんだい?」と、マツオさん。  サダエさんが快活に答える。 「そのお爺さんのつぶやきの正体よ。アナタは先入観を持って聞いたせいで、無理やり変な風に聞き取っちゃったんだわ。それとね、ひょっとしたらそのお爺さん、アナタとは遠いところで血がつながってるヒトかもしれないわよ」 ナゾの言葉を口にしてニコッと笑うサダエさん。 とにもかくにも、マツオさんが提示した謎のおかげで、どうやらサダエさんの機嫌もすっかり直ったようだった。 メデタシメデタシ…   ※※※※※※※※※ さて、ここで☆読者への質問☆ マツオさんとサダエさんが遠出をしたその[行き先]とは、一体、日本のどのあたりだったのでしょう?  ※※※※※※※※※ 【解答編】 それは遠い旅であった。 とてつもなく遠い旅… といっても、この夫婦が住んでいるのは日本のどこかであり、その旅の行き先も本文にあるように日本のどこか。 というのならば、遠いといったところで2千キロ以内の話ではないのか、とてつもなく遠い旅というのはちょっと大げさなのでは?…確かに「距離的には」その通りである。 だが… あ、いや、ここからは、さらにこの話の続きを読んでいただく事といたしましょう… ☆   ☆   ☆ シャッキーン! 派手派手しい機械音と同時に、マツオさんとサダエさんの夫婦は自宅へと帰り着いた。 「遠い旅だったね」 マツオさんが言う。 「そうね、遠い旅だったわ」 サダエさんが応じる。 マツオさんは緊張が解けたようにホッと息をはく。 「ま、たまにはこんな旅も悪くないかな。でも、ボクはやっぱり我が家が一番だよ。うん、何と言ってもこの時代……22世紀にある自分の家が一番さ!」 そう…そうなのだ。 夫婦が暮らしている時代、即ち彼らにとっての現代とは22世紀の事。夫婦は今、タイムマシンのハッチを開け、住み慣れた自宅の中庭へと降り立ったのだった。 22世紀においてタイムマシンが完成しているという事実は、その時代からやって来た「D」という名の猫型ロボットが、読者の方々が住んでおられる21世紀にも現れ、情けない少年「N」を手助けする姿がたびたび目撃されている事からも疑う余地がない。 この時代においては、タイムマシンはどこの家庭にも普通に普及しており、特にマツオ夫妻の所有するマシンは時間ばかりでなく、空間的にも瞬時に移動出来るという「どこでもドア」の機能も兼ね備えたスグレモノなのであった。 「でもさ、どうしてあの時代に行こうなんて思ったんだい?『元禄2年(1689年)』なんてさ」 マツオさんの問いかけに、マシンの運転者だったサダエさんが答える。 「どうしてもこうしてもないわよ。出発の時、アナタがあんまりモタモタしてたから、こっちは何だかイライラしちゃって、適当に時間ダイアルをセットしたら着いたのが偶然あの時代のあの場所だったんだもの。でもおかげでワタシたち、時間を500年もさかのぼる旅をしちゃったって事になるんだわ…」 いくらタイムマシンの普及した22世紀とはいえ、この時代の人たちが普通に旅するのは、子供時代の自分に会いに行く程度のせいぜい数十年前の世界。何百年も前の過去に行くなどという事はまれで、これはかなりの「遠出」に当たる。 話の最初に夫婦が言っていた「遠出」とは、即ち「遠い過去への旅」という意味だったのだ。 「…それで?あの爺さんのつぶやきの正体って、一体何だったんだい?」 マツオさんが訊く。 「ああ、あれね。あれはあのお爺さんが誰かって事さえ分かればすぐに分かることなのよ。でも、とりあえず、アナタが変な風に聞き取った4つの「単語」がキーワードなの。風に乗って切れ切れに耳に届いたっていうあの4つの「単語」を思い出してね。試しにひらがなで書いてみると、こうなるわ」 サダエさんは部屋にあったチラシの裏にこんな風に書き込んだ。 …みだれ…つめて…しもが…みが… 「うん、それで?」 マツオさんはまだキョトンとした顔をしている。 「んもうっ、まだ分からないかなー、元禄2年というその年に、『あるお爺さん』が川岸に立ってつぶやいた言葉よ。それじゃもうちょっと分かりやすくしてあげるね…」 ○みだれ○、○つめて○○し、もがみが○ 書き足して、サダエさんはマツオさんの顔を「どう?」と言う目でのぞき込む。 「あっ、あああっ!」 「ね、わかったでしょ!」  「うん、分かったよ…でも………エッ!?…ってことは、あ、あの爺さんって、何と、まさかの…」 ☆   ☆   ☆ 遠い昔…元禄2年5月半ば(旧暦の3月の末)に、希代の俳諧師、松尾芭蕉は門弟の曾良を従え、みちのくの旅へと出発する。これがいわゆる「奥の細道」の旅で、この時、芭蕉は46歳。だがその外見は実際よりはるかに年老いて見えたようだ。 江戸深川を起点とし、まず太平洋側を北上した芭蕉と曾良は、やがて石巻から松島、平泉とルートを西に向け、この年の7月半ば(旧暦の5月末)梅雨の末期に山形に達して大石田に旅宿、ここであの有名な句が詠まれたのであった。 さ[みだれ]を、あ[つめて]すず[し、もが][みが]わ 即ち、 五月雨をあつめて涼し最上川 ([注]もちろん、ここでの「五月」は「旧暦の五月」であり季節としては梅雨時に相当する。また、芭蕉はこの時、最上川の岸辺において「あつめて涼し」と詠んだが、後日、舟で最上川を下った折りに、その感覚を生かして「涼し」の部分を現在広く知られている形の「早し」に書き改めた) ……ということ。 即ち、マツオさんはどうやら、偶然、この句を創作中の芭蕉(爺さん)に遭遇したという事のようなのだ。 【よってクイズの答えは「山形県(大石田)」または「最上川」ということになります】 ※  ※  ※ さて、ここで作者からの注釈をいくつか…  ①サダエさんが言ったナゾの言葉…≪ひょっとしたらそのお爺さん、アナタとは遠いところで血がつながっているヒトかもしれないわ≫ これは皆さんお気づきの通り、マツオさんと松尾(芭蕉)さんは同じ名字であるという事から発せられた言葉である。 …え?『マツオ』って下の名前だと思ってたって? 本文のどこにもそんなこと書いてないんだけどな~。 (ついでに言うとマツオさんのフルネームはマツオ・シンノスケ。その妻サダエさんはマツオ・サダエなのです)  さらに、文章中にも真相を解明するためのキーワードが…  ↓ ↓ ↓ ②≪…フン、じっとしてれば少しは身体を休めることも出来るってもんだ。絶対にここから動くもんか!この川べりこそがボクの居るべき場所……尊厳ある一個の人格としての[マツオ様の場所]なんだ!…≫  →マツオ様の場所 →まつお・ばしょ →松尾芭蕉 ③≪…マツオさんたちのいる[(場所)]からは[杉林の(奥)へ向かってかすかにそれと分かる程度(の細)い(道)が続いている…]≫ →芭蕉、奥の細道 ④≪…窓の奥、寺の本堂には木彫りの仏像や阿修羅の像が鎮座し、赤い[夕]日の差し込む中、穏やかな[仏]の御顔や戦闘的な阿修羅の[魔神(ましん)]めいた姿が、異様に神々しい様子で浮かび上がっていた…≫ →夕・仏・魔神 →夕仏ましん →タイムマシン!!! (いや、全くヒントになってないですね、スミマセン…) ※  ※  ※  …さて、ここは再び22世紀の世界。 日もとっぷりと暮れ、夕飯を終えて今はマツオ夫妻のくつろぎタイム。茶の間からはふたりのこんな会話が聞こえてきます… 「…でもアナタ、凄いじゃない。あの天下の芭蕉さんに傷の手当て、してもらったなんて」 「そうなんだよ!今思い出したんだけど、ボクが膝小僧を擦りむいたとき、芭蕉爺さん、何とひざまづいて出血してるボクの膝に顔を近づけ、傷口をペロペロッてなめてくれたんだ」 「オエ~、それは…ちょ、ちょっと、すごいわね。でも、唾液の中には殺菌成分も含まれているし、ま、当時は消毒薬もなかったわけだから理にかなった処置とはいえるわ。それにしても芭蕉さん、随分とアナタのこと、優しくケア(care)してくれたものだわね…」 マツオさん、ここでニヤリと笑って言った。 「そうだね、ま、芭蕉さんだけに、さすがにちょっと[古いケア~]だったけどね!」 [終わり]青空の下を流れる最上川  [あとがき] 読んで下さってありがとうございました!  最後のオチはお分かりいただけたでしょうか? [芭蕉さんだけに「古いケア~」→→→「古いケア~」と、「古池や~」(古池や、蛙飛び込む、水の音)をかけていたりしています] さて、今回は「小説」と言うよりは、もう殆ど「クイズ!」という気持ちで書きました。 クイズの真相については、簡単だったのか難しかったのか?作者としては全く予測がつかないのですが、僭越ながら点数をつけさせていただくとすれば… ①クイズはわからなかったけど、とにかく最後まで読んで下さったという方…79点!!! (ありがとうございました!) ②「どうやら松尾芭蕉に関係がありそうだな」と思われた方…80点! ③例の俳句(五月雨を…)にまで思い至ったぜ!(よってクイズの答え=「山形県」もしくは「最上川」が分かった)という方…95点! ④(③の条件を満たした上で)「爺さん」が芭蕉本人だと気づき、よってこれは「過去への旅」であると見抜かれた方…99点! ⑤(③④の条件を満たした上で)「夕」・「仏」・「魔神」→「タイムマシン!」の暗号まで解かれた方…100点満点!!!(凄いっ!完敗です) (ただし④⑤に当てはまるにもかかわらず、カッコ内の条件を満たしていない場合はひとつ前の番号の点数といたします) …と言う感じでしょうか。 えっ?こんな独りよがりなナゾでもって読んで下さった方に点数をつけようなんて、そんな不遜な作者は0点じゃっ!!!って!?…ごもっともです。どうかお赦しを。 ところで小説の方は今回もツッコミどころ満載で、22世紀なのにまだ「DVD鑑賞」とか、最後の方でサダエさんがメモ書きするのが「チラシの裏」とか…でも、22世紀に「DVD」や「チラシ」がないとも言い切れないし…きっと22世紀までの100年間、地球上のすべての科学者たちはタイムマシンの開発一点に全力を投入したから、他の分野の技術はあまり発達しなかったんだろう…ってことにしておいて下さい! 最後に、のどかさん、梅雨企画をありがとうございました!ムッチャ楽しんで書いてしまいました!(話に登場する夫婦の名前が、偶然(?)にも日曜の夕方6時台にアップするのにピッタシだったり…) いつもブログを読ませていただき、陰ながら応援させていただいております。企画のリーダー、今回もお疲れさまでした! では、気候のうっとうしい時期ですが、皆さん、明日からの人生もがんばっていきましょう!    マルティン☆ティモリ  

  • 12May
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      クイズ付き短編小説「遠い昔のお花見のお話」

       この話は花守くぅさんのお花見企画に合わせて書いたものです。 こちらヘッダー 内容はファンタジーのようなミステリのような…とりあえず、クイズ付き短編小説と呼んでおく事にしますね。 文字通り遠い昔のお花見についてのお話がクイズになってます。真相はちょっと意外性があるかも!?(6000字くらい) マルティン☆ティモリ作クイズ付き短編小説「遠い昔のお花見のお話」 お花見に行ってきた。 サクラは見頃、天気もよかったので前から気になっていた職場の女性を誘ったのだ。  彼女は僕の誘いを断らなかった。それでワクワクして出かけたのだったが、僕が他愛ない会話の中に彼女への気持ちをほんの少し混ぜ込んでほのめかそうとしても、彼女はのらりくらり話題をそらして遠回しにそれを拒んだ。 すなわち、単にヒマだからついて来たというだけのようだった。  日が暮れる頃には僕は彼女と別れ、自分の部屋へと帰ってきた。 春の生ぬるい空気が淀んだ薄暗い部屋…  と、  なぜか部屋の片隅がぼうっと光っている。 そして驚いたことには、そのほのかな光が僕に話しかけてきたのだ。 「お花見に行ってきたんだな?」  恐らく昼間の惨めさに感覚が鈍麻していたのだろう、僕はそんな異常な状況にもさほどには恐怖を感じなかった。 「キミはだれ?」 さして動揺することもなく、僕はその光に向かって訊き返す。 「オレかい?オレは…霊さ」 その言葉の通り、彼は霊だった。何かのたとえではなくて本物の、正真正銘の霊(ゴースト)。彼の言うには死んでから[しばらく経つ]とのこと…ここより遙かに遠い土地で、現在我々がチューセイやらなんやら呼んでいる時代に生き、二十代の半ばに死んで霊になったとのことだ。  ん?…チューセイって中世?…中世と言えばこれはまたずいぶんと昔だ。[しばらく経つ]どころではない。でも、ま、霊の身にしてみれば何百年なんて[しばらく前]みたいなものなのかもしれない。 その霊が言う。 「あんた、見たところちょっと落ち込んでるようだね。どうやらお花見、あんまり楽しくなかったみたいだな」 青白い光が小刻みに揺れて、それが僕には何だか、まるでこちらをあざ笑っているかのようにも見えた。 ムッとして僕は言い返す。 「よけいなお世話だよ!だいたいキミ、お花見って何のことだか知ってるのかい?」 僕の問いかけに霊は胸を張るかのように光を強める。 「ああ、知ってるさ。いや、それどころかあんた、オレは昔、あんたたちからみれば歴史的と呼んでいいような凄いお花見をしたんだぜ…」   言うと霊は、生前に彼が経験したお花見についての思い出話を、問わず語りに語り始めたのだった… ☆   ☆   ☆ 「霊が語った話」  では、オレが生きていた時の話をしようか。  春になるとオレはいつも、ついあのころ…あの「運命の日」にガールフレンドと一緒に出かけた、生涯でたった一度の「お花見」の事を思い出さずにはいられないんだ。霊になってからずっとそう、毎年春が巡ってくるたびごとにいつもね… あの頃、オレには複数のガールフレンドがいた。  美しいイルサ、可愛いテス、そして年上で落ち着いた雰囲気をもったウラノさん… え?そのウラノさんってのは日本人なのかって?  バカ言うんじゃないよ。そんな訳ないじゃないか。大体あんたとオレとでは背負ってる文化が根本的に違ってるんだから、いちいち質問を挟まないで黙って聞いてくれないかな。 …そう、あれはよく晴れ渡った、そよ風の吹くすがすがしい春の日のことだった。食事のあと腹一杯になって、オレはいい気分で川べりの野原を歩いていたんだ。 と、向こうからガールフレンドのひとり、美形のイルサが歩いてくるじゃないか。しかもオレの姿を見るや嬉しそうな様子でこんな風に話しかけてきた。 「いい天気ね!ねえ、今からわたしとお散歩しない?」 美しいイルサの誘いとあればもちろんオレに異存のあろうはずがない。オレはイルサと肩を並べ、彼女のリクエストに応えて川べりを下流の方へと歩いた。 さて、最初はオレも今日の昼間のあんたみたいに、この突発的に始まったデートにウキウキしながら彼女との会話を楽しんでいたんだが、小一時間も過ぎるとさすがに話すこともなくなってくる。 「おい、一体どこまで行くんだよ、もう歩き疲れちゃったよ。そろそろ引き返さないか」 歩みをゆるめオレの言葉に振り向くイルサ。彼女は大柄で、並んで歩くとオレよりもわずかに背が高かった。 「ウフフ、あともう少しよ」 「え?どこか目指してる場所でもあるのかい?」 「ええ、あなたにイイものを見せてあげようと思って!」 …しばらくの後、オレたちはその「イイもの」を前にして立っていた。 「おいイルサ、イイものってこれなのか?」 「そうよ、素敵でしょ?これ、珍しい花なの」 そこは、オレたちの住処(すみか)がある辺りからすれば遙かに下流の川幅が広くなった場所。その淀んだ水辺の一角に、ひょろりと伸びて波打つように風に揺れている植物の一群があった。見ると、それぞれの茎の先端には、白っぽい色のふわっとしたものがついている。それこそがイルサ嬢オススメの「花」だったというわけだ。 「とっても可愛いわ。ちょっと前にわたしが見つけたの、本当に珍しいお花…」 イルサは腰を落とし、大柄なからだに不釣り合いなほど小さく可愛い手で(いや、実はオレの手も同じようなものなのだが)その茎を手折って「花」のひとつをオレの方へと差し出した。 ん?…これが珍しい「花」?…そうなのか?いや、イルサがそういうんだから多分そうなのだろう。 手に取ってしげしげと眺めてみたが特に感心するというほどでもない。それよりもオレはその時、オレのすぐそば、息を感じるほどの距離に佇むイルサの傑出した美しさにすっかり心を奪われてしまっていた。  彫りの深い顔だち、澄んだ青い瞳と野生味を感じさせる口元。大柄でグラマラスなボディ、そして、ああ、こちらの気持ちをそそらずにはおかないむき出しの肩、むき出しの脚! その時のオレはきっと、群れ咲く「花」が放つむせるような香りに酔っていたのだろうな。知らない間にからだが反応して、気付いた時にはオレはイルサに飛びかかっていた。 「イルサ!…す、好きだよ…」 だが… バコッ! 股間に激しい痛み、イルサの鋭い蹴りが入ったのだ。 「もうっ、何すんのよっ!」 地に倒れ、痛みにのたうつオレをイルサの冷やかな目が見下ろしている。やがてクルリと背を向けるや、痛がるオレをその場に残しイルサは怒りの足取りで去っていってしまった… ☆   ☆   ☆ 「…と、まあ、これがオレの生涯でたった一度の「お花見」ってことになるんだがね」  霊の話が一段落。僕はと言えば、もうさっきからひとこと言いたくてウズウズしていた。 ニヤッと笑って僕は言う。 「あははっ、なあんだ、結局はキミもガールフレンドに振られたんじゃないか~」 だが霊は、まあ聞けよ、とでも言うかのように、仄かな光を陽炎(かげろう)のように揺らして言葉をつなぐ。 「いやいや、早まっちゃいけないよ。話はまだ終わりじゃないんだ、よく聞きな。その時のオレはしばらく地面に倒れたままでいたから、視界には空がいっぱいに広がっていたんだが………見たんだ。そう、見たんだよ、何か途轍もなく大きなものが静かに空を横切って行くのを。それは赤く燃えていて、青い空を背景に白く長い尾を引いていた。そしてそいつが海のある方へと消えていったと思ったら、その後すぐに物凄い衝撃がやってきた……それですべては終わった。あの瞬間にすべては終わったんだ。オレは…いや、オレだけじゃない。美しいイルサも、可愛いテスも、年上のウラノさんも、皆、一瞬にしてこの世のものではなくなった。みんな霊になってしまったんだ」 聞いて、僕の思考の中で何かがはじける。 「えっ?お、おい、キミってまさか、ひょっとして…」 「おやおや、どうやらあんた、やっとオレの正体に気づいたようだな」 「ああ、多分…でも念のため、そのときにキミが見たという「花」の名前を教えてくれないか?」 霊は言う。  ん?「花」の名前かい?  なるほどね、それが分かればオレの正体がはっきりするってわけか。 たしかにオレの正体は[大きなナゾ]だもんな。 いいだろう、教えてやるよ。  イルサと一緒に見た「花」 オレが生涯でたった一度のお花見をした「花」  その花の名は、アルカエアン…   ※ ※ ※ ※ ※ ※ さて、ここで☆読者への質問☆この「霊」の正体とは何だろうか?   ※ ※ ※ ※ ※ ※ …僕の顔をのぞき込むようにしながら、彼女が訊く。 「で?その霊の正体って一体なんだったの?」 霊と出会ったあの日から早1ヶ月。僕は今、ここ、川べりにある小さな喫茶店の窓際の席に彼女と並んで腰掛け、おいしいコーヒーを飲んでいる。 え?その彼女って、話の最初に出てきた職場の女性のことかって? 残念でした。あの女性とはそれっきり。 今、僕の隣りに座ってる彼女は浦野(うらの)さん(…ん?どっかで聞いたような名前ですね)、大学時代のバイト先の先輩で僕より2つ年上。この前、道で偶然に再会して意気投合(!)し、それ以後、僕と浦野さんは何だかとってもいい雰囲気で連絡を取り合っているのです。 (曇りの日だってあるけれど、いつかは晴れ間もやってくる…人生ってのもまんざら捨てたもんじゃない!) で、僕はさっきから浦野さんにあの霊に出会った時の話を聞いてもらっている。話はいよいよ佳境に入り、まさにこれから霊の正体を明かそうというところ。浦野さんは大きな二重(ふたえ)の目をさらに大きくして、一心に僕の話に聞き入っていた。 そんな彼女に多少ドギマギしながらも、僕は話を続ける。 「…うん、その正体なんだけどね、高校の時、地学の時間にこんな話を聞いた覚えがあるんだ…」 メキシコ、ユカタン半島沖合の海底にチクシュルーブ・クレーターという名の巨大なクレーターがある。それは遠い昔、地球に飛来した直径10キロメートルほどの小惑星が衝突して出来たものであるとのこと。 霊の話を聞いてまず思いついたのは、話の最後に出てきた「空を横切った巨大な火の玉」っていうのが、このクレーターをつくる原因となった小惑星なのではないかという事だった。  だが、この小惑星がメキシコ湾に落下したのは中世の出来事ではない。 「…で、僕は確認のために、霊が生涯でたった一度のお花見をしたというその「花」の名前を訊いたんだ…」 霊は言う。その「花」の名前はアルカエアン… 皆まで聞かず、僕はスマホの検索サイトを叩く。 【アルカエアントゥス…花弁状のものを持ち果実をつくる「花」としては歴史上最初期の被子植物。その化石は白亜紀後期の地層で発見され…】 白亜紀後期…その当時、花びら状の部分がある「花らしい花」は、まだ地上に出現したばかりだった。その中でも特に状態の良い化石として残っている最古のものがアルカエアントゥス。因みに白亜紀後期とは今から約1億年前~6500万年前の時期に当たるという。  そこでハッと気が付いた。 そうだ、僕は初めの段階でとても大きな誤解をしていたのだ。  霊は最初に[我々(現代人)がチューセイやらなんやら呼んでいる時代を生きて二十代で死んだ]と言った。それを聞いて僕は「チューセイ」を「中世」だと思いこんだ。それが間違いの始まり。 「中世」じゃなかった。あれは、ジュラ紀や白亜紀を含む時代区分を表す「中生代」の事だったんだ!  僕の気づきを受けて霊は言う…そうだよ、オレは中生代白亜紀の生き物。その中生代白亜紀は今から6千5百万年前、小惑星の衝突によって突然に終わった。あの日を境に大型爬虫類の時代は終わりを告げ、代わってあんたたち哺乳類の時代=新生代が幕を開けたんだ。さあ、もうここまで言えばオレの正体は分かるよな? 思い出すのは霊の話に出てきた彼のガールフレンド=イルサの容姿を描写した部分…[大柄なからだに不釣り合いなほど小さな可愛い手(霊自身の手も同様)]そんな特徴を持った白亜紀の生き物と言えば…? ここで浦野さんがハイッと手を挙げる。 「わかったわ!T・レックスね、ティラノサウルス・レックス!霊の正体は何とまさかのティラノサウルスだったんだわ!」 僕は浦野さんの口調に合わせ大きくうなずく。 「うん、正解!それとね、実は後で気づいたんだけど、わざとなのか偶然なのか、霊の語った話の中にはさらにあとふたつ、彼の正体につながる意外なヒントが隠されてたんだ」 そのふたつのヒント… ①ひとつ目は…覚えてるかな?話の最後に霊が言った「オレの正体は[大きなナゾ]だもんな」って言葉。 大きなナゾ …大ナゾ …ダイナソー、即ち「恐竜」!!!(ちょっと苦しいな…) ②もうひとつは、霊のガールフレンドの名前が3つ、 「イルサ・テス・ウラノ」  これらの文字を並べ替えると………ね!(う~ん、これは果たして偶然なのか?)  浦野さんが言う。  「でもね、霊の正体がティラノサウルスだったとすると、ちょっとおかしなところがあるんじゃない?だって、霊さん、あのトカゲみたいな口で、どうやってイルサと会話を交わすことが出来たのかしら?」 僕はカップの底にわずかに残るコーヒーを飲み干し、言った。  「うん、それについては僕も霊に聞いてみた。そしたらこんな答えが返ってきたよ…何言ってんだい、今だってオレ、あんたとちゃんと会話してるじゃないか。何千万年も地上に君臨したオレたちなんだぜ。精神活動は人間なんかよりずっと進んでるんだ。テレパシーだよ、決まってるだろ!…ってね」   ☆   ☆   ☆ 店を出て浦野さんと桜並木の道を歩く。 「ね、手、つなごうよ」 そう言って浦野さんが僕の手を取った。手と手が触れ合い、僕の全身に幸せの感覚が広がっていく。ひと月前と違い、桜の花はもうすっかり散り終わって今は葉桜。でもこの瑞々しい緑の方が、今の僕の気持ちにはピッタリ合ってるような気もしている。ピンク色一色のお花見ならまた次の春を待てばいいだけのこと。僕らの行く手にはまだまだたくさんの明日が待っているんだ! 霊はあの日以来、僕の部屋に現れることもない。 たった一度きりのお花見しか経験できなかった霊。 イルサと結ばれなかったのが一番の心残りだと語っていた霊… でも、そう言えば霊のやつ、部屋から消える間際にはこんな強がりも言っていたっけ。 「…ああ、確かに、イルサの容姿はとっても魅力的なものだったよ。美しい顔、美しい腕、美しい脚。だがね、実は一カ所だけ残念な部分もあったんだ」 「残念な部分?」 「うん、そう。イルサがオレに蹴りを食らわせ行ってしまうときの事なんだがね、去っていくイルサの後ろ姿を見て、オレはこう思ったな… …残念なことに、尾は並み(おはなみ)だ、ってね」  [終わり] アルカエアントゥスの子孫と言われているモクレンの花  【あとがき】 読んでくださってありがとうございました! クイズのネタ、もう初めの方で(チューセイの所あたりで)バレバレだったんじゃないかなんて思ってます。 あと、「アルカエアントゥス」について…この花は、大ざっぱには白亜紀中期以降に生育した「花や実をつける最初期の被子植物」であり、またT・レックスも白亜紀の終わり頃に繁栄した最後の恐竜…よって作中では両者は同時代の生き物!みたいに扱ってますけど、実は白亜紀は後半だけでも何千万年にも亘っている(!)。だから本当は両者が生きて(生育して)いた時期は重なっていなかった可能性が高いかもしれません。 ただ、古代の植物というのは、もともと化石自体の数が少なくて詳しいことはよく分かっていないらしいんですね…ってことで、そこらあたりのアバウトさについては何とか目を瞑っていただきたく思っております(読まれた方の中にそこらへんの事情に詳しい方がいらっしゃったらごめんなさい)。 最後に、主催者の花守くぅさん、いつも楽しい企画をありがとうございます。今回も私のような場違いな者の参加を許してくださって感謝します(参加者の平均年齢をグイッとあげてしまってすみません)。 何かと大変かと思いますが、お疲れのないようになさってください。  ここ半年はほとんど花守さんたちの企画をキッカケに書いており、さらに若い参加者さんたちの生き生きとした作品に楽しく触れさせていただく事で、また次の創作へのエネルギーをいただいております。今回もGWの間、ずっと楽しんで書くことが出来ました。  お花見企画、ありがとうございました!

  • 25Mar
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      短篇小説「サクラ、なぜ咲くの?」(お題企画参加作品)

      この話は物書き仲間=のどかさんのお題企画(桜)に応じて書きました。こちらは企画参加者、結子さん作のバナーです。お題にぴったし!美しい… さて、本文の 内容…一言で言えば桜にちなんだおとぎ話みたいなものでしょうか。でも、のどかさんの募集の要項にBL・GL可能とか書いてあったのを見て、つい柄にもなくGL風味を入れてしまったり(よって閲覧注意!…というほどの内容でもありませんが)。 今回も少し長くなってしまいました(7000字くらい)。     マルティン☆ティモリ作   短篇小説「サクラ、なぜ咲くの?」(お題企画参加作品) これは銀河系の一角、太陽系という恒星系に属する「地球」と呼ばれる惑星でのお話です。 …地球でのお話?そんなの普通じゃん。  ええ、その通り。でも、ここでいう「地球」は、リアルの地球とはたったひとつだけ違っている点があるのです(よってパラレルワールドにある地球と思ってください。これを「偽地球」と呼ぶことにします)。  では、そのひとつだけ違うとところとは?  はい、実はお話の始まりの時点では、何とこの偽地球には「桜」…リアル地球で春の訪れを告げるあの美しい「桜の花」が、存在していなかったのでした…  ※   ※   ※  (1)「偽地球に住む少女が書いた作文」  皆さんは心に小さな夢が生まれたとき…でも、その夢を育てるには周囲の状況がどん底と言っていいくらいに良くないとき、どうしますか? 夢をあきらめる?  それとも当たって砕けろと、ダメを承知で思い切ってその夢に向かって進んでいきますか? わたしならこうします… まずはその小さな夢を捨てないまま悪い状況の中をじっと耐える。  いいえ、ただ耐えるんじゃないんですよ。どん底な状況こそ絶好のスタートライン。なぜってここからは良くなるばかりなんですから。  耐えながら少しずつ夢の実現に向けて力を貯めるんです。  そうやって待っていれば、やがては状況の好転する日がくる事でしょう。その頃には自分の中にもそこそこの力が蓄えられている筈です。  そこで、さあ夢へ向けて発進!!! …?  いえいえ、まだダメです。  状況が多少良くなったからといって、それは単なる思いこみかもしれないから。 さらにもうしばらく、時を待ちます。  そして、状況の好転が確実となったとき、貯めてきた力が飽和に達したと感じた時に、一気に勝負にでるのです。 え?いきなりこの話は何なのかって? それにはまず、わたしの大切なお友だち、花丘芽未(はなおか・めいみ)という子について話さなければなりません… ☆   ☆   ☆ わたしの家の近く、神社の裏の急な勾配の坂道を登った丘の上に、数本の木が並んで立っています。 黒ずんだ幹は不格好に曲がっていて、しかもこの木たちは花を付けない…あ、いえ、見る人が気づかないだけで、本当はスギやイチョウのように花びらのない花を咲かせているのかもしれません。  幼かった頃、 「あの木って何の木なの?」 父に問いかけると、 「名もない木だ。雑草みたいなもんさ」 父は何とも無責任な言葉で応じたものでした。 さて、わたしが高校に進学した年の春のはじめのある日のことです。  ポカポカ陽気に誘われ散歩に出たわたしは、その丘の木の下でうつむき佇(たたず)んでいる少女の姿をみとめたのです。 見覚えのある顔かたち。 あれは確か一週間前、新高1クラスの初顔合わせで自己紹介をした時に、自分の名前だけをボソッと言ってあとは何もしゃべらなかった子…それ以後は全く登校してきていない生徒…同じクラスの花丘芽未でした。 あのとき、わたしが抱いた芽未の印象をいえば、可愛い名前(そして容姿も結構可愛い)にも関わらず、ずいぶんと無愛想な子だなっていう感じだったでしょうか。 わたしは明るく芽未に話しかけます。 「こんにちは!」 でも、何も答えません…こちらを見ようともしない。 「ほら、カタクリが咲いてるよ、もうすっかり春だよね」 わたしが言うと、何かが気にさわったのか芽未は素早く振り向き、こちらをキッとにらみました。 「うるせえな!」 さて、こんな場面においても、幸いなことにわたしはいきなり気色(けしき)ばむようなことはありません。  なぜって慣れてるから。  そう、わたしは自分の夢を実現させるために、スーパーでレジ打ちのバイトをしながら高校に通っているんです。だから、まあ色んなお客様がいて色んな対応を余儀なくさせられてるって事ですね。 「ごめん、何か悪いこと言ったかも…」 言って、そこからは彼女の心をほぐそうと色々やってみました。 そのあげくに彼女からあれこれ聞き出すことはできたのですが、要約して書いてみれば、その内容は何となんとこんな感じ… 「自分、花丘芽未は火星人である」とか、 「よって今ここにいる人間の姿、即ち高1女子の姿というのは世を忍ぶ仮の姿である」とか、 「で、火星には火星をつかさどる神様がいて、神様のご意志をこの土地で実現するというのが自分の夢である」とか、 「しかし、その方法がわからなくて、生まれてからずっと、もう何年も悩み苦しんでいる」とか… (うーん、どう考えても真面目に答えてくれたとは思えないんですよね) でも、話し終えた芽未の目には涙がたまっていました。 わたしは思います。  いや、これは冗談なんかじゃない、きっと何かのたとえ話なのに違いないんだと…   わたしは思わず芽未の方へ歩み寄ると、わたしの胸あたりまでしかない小さな彼女をそっと引き寄せ抱きました。  まるで少年のように固くて骨っぽい身体…でも何だか不思議に懐かしい感覚…わたしに取ってそんな風にしていることがとても自然であるような。 「芽未ちゃん…」 そのままそのまま、ずっと芽未を胸に抱いたままで、わたしは例の話をしたのです。それがこの手記の最初に書いた話。  「心にちいさな夢が生まれたときにはね、わたしならきっとこうするよ…」 実際、それはわたし自身、いつも自分に言い聞かせている言葉でした。なぜって先にもちょっと書いたように、わたしにも夢があるからです…大人になったら「植物の研究をする人」になるんだっていう夢が。 父はそんなわたしの夢に関して、全く聞く耳を持ちません。わたしには兄弟がいないから家業を継がせるつもりのようなのです。 でも負けないよ!  状況はよくないけど今のうちから少しずつ勉強を頑張って、大学は絶対に農学部に進みたい!だから高校の3年間、頑固な父も認めてくれるくらいにバイトを頑張って、国立大学に行けるだけのお金をためておくつもりです。 わたしが話している間、芽未はわたしの腕の中で、時おり首をうなずかせながら聞いていました。そしてその日から、わたしたちは本当に親しい間柄となったのです。   以来、わたしと芽未は、あの丘の上で(わたしたちはその場所を「秘密の丘」と呼んでいました)毎日のように待ち合わせたものでした。  「ね、またあの話、聞かせて!」 芽未は会うたびごとにそう言って、わたしの胸に顔をうずめ、先に書いた「小さな夢の育てかた」の話をせがみます。だからわたしも、何度も何度も芽未に同じ話を聞かせることになったのでした。 そんな日々(おお、わたしにとって本当に幸せだった日々!)が数ヶ月続いたでしょうか。でもその年の夏のある日に、芽未は突然「秘密の丘」に来なくなってしまったのです! ここに詳しくは書かないけれど、わたしたちはお互い色んな意味でとっても良いパートナーだった…私たちの間に仲違いとか、何かそんなことがあったわけでは決してありません。ただ、今思えば芽未と会った最後の日に、彼女がこんなことを言っていたのを覚えています。 「最近わたし、夢を本当にするヒントをつかんだみたいだよ」って。 毎日会えるのが当たり前になっていたから、わたしは彼女の連絡先も何も知りませんでした。 もういちど芽未に会いたい。何としても会いたい!…こんなに激しい気持ちになったのは生まれて初めてです。騒ぐ心を持て余しながら、わたしは芽未の姿を求めて来る日も来る日も街をさまよいました。でも芽未に巡り会うことは叶わなかった。 あの日を境に、わたしはまたひとりになってしまったのです…    ☆   ☆   ☆   「春の記憶」 夢見ているのでしょう? 「秘密の丘」に舞うピンク色の雪。  いいえ、雪じゃない。  あれは花びらよ!  視界を遮ってしまうほどに夥(おびただ)しい数の花びら。 無数の小さなピンクの花びらが今、わたしの目の前を風にあおられ吹雪のように舞い踊っている…  ※   ※   ※ (2)「(数十年後)偽地球に住む初老女性のつぶやき」  …あの丘に立つ「名もない木」がうすいピンク色の花をつけるようになったのは、あの子と会えなくなった夏の、その次の年に巡ってきた春のことだった。 あれはまさに春の異変…だが、そう呼ぶのも今となっては少し大げさに過ぎるかもしれない。当時は皆が「異変」だと感じていたにしても、今ではもう誰も、あれを「異変」とは思っていないのだから。 つまりは、それほどに長い年月が経ってしまったということ。 その長い日々を経る間に、私は結婚して子供を産み、今では高校生の孫もいる。 高校生…そういえば、私、高校生の頃には、本気で植物の研究者になりたいなんて思っていたのだったっけ。 高校の3年生になったとき、意外にも父は私に農学部への受験を許してくれた。でも受験には失敗。私は夢をキッパリと諦め、家業の手伝いをすることにしたのだった。 あれからかれこれ40年、ここまで重ねてきた年月は平凡ではあっても、それなりに満ち足りた日々であったとは思っている。 ああ、だが…  同じような日常の繰り返し、退屈な会話、夫とのおざなりな交渉の中に、一体どれほどの魂の歓びがあったというのだろうか! 私はふとした瞬間に思い出す。「異変」の前の年に出会った芽未という少女のこと、「秘密の丘」で芽未とふたり過ごしたあの遠い日々のことを。 そして、そう、あの半年後にやってきた例の異変!私が初めてあれに気づいたのは、高2の春休みが始まった最初の日の朝のことだった。 あの朝も私は、会えるはずのない芽未の姿を求めて「秘密の丘」へと続く急な坂道を上った。 目前に現れるのはいつも通りの「名もない木」。ところが、見ると幹の先の細い枝にはピンク色の小さなつぼみがついている…  あの木が芽吹いているのを見たのは生まれて初めての事。家に帰って父に聞いてみたが、父もこれまでそんなことは一度もなかったと言っていた。 だが、もっと驚いたのはその数日後のこと。 そのつぼみが次第に色を濃くし、それぞれが一斉に開花をはじめると、殺風景だった「秘密の丘」全体は、たった数日の間にピンク色一色に染められてしまったのだ! しかもそれは「秘密の丘」にだけ起こった現象ではなかった。 「名もない木」は街中に、いや、この国の至る所に生えていたらしく、ピンクの花の帯は瞬く間に日本全体を覆ってしまった。 以後、春が来るごとにその花はこの国の風景をピンクの色に染めるようになった。 花は程なく「サクラ」と名付けられ、一斉に咲き一斉に散るというインパクトの強さが、それまで春を代表する花とされていた数ある花たちを完全に凌駕(りょうが)して、今ではこの季節を象徴する花と言って良いほどの存在になっている。   ☆   ☆ …さて、今年も冬が去り、わたしの住む街にもまた春が巡ってこようとしている。  この季節になると、わたしはいつも思わずにはいられない。 ああ、サクラ、サクラ…なぜ、あなたは突然に、あの年の春から花をつけるようになったのか、  まるでその花が、わたしの大切な芽未と入れ替わってしまったかのように…    ※   ※   ※   (3)「(さらに数十年後)偽地球に生息する一匹の有翅虫が語ったこと」 ブンブンブン… バカみたい、羽根をバタつかせて飛んでいるあたし。 前世を生きていたとき、あたしは人間の女だった。 日本という国の小さな街で生き、同じ街で死んだ。  死ぬや輪廻の渦に飲み込まれ、あたしの魂は今、ハナアブに生まれ変わって、有翅虫としての単純な生を生きている。  今日もまた、あたしは花へ、花へと引き寄せられる。 なぜかな、なぜだろう?…それはその「花(=サクラ)」にあたしの好む蜜のにおいがあるからだ。 でも、ほんとにそれだけ? いいえ、その結論はあたしの中ではもうでてる。 あとは直接、花に訊いてみるだけだ。 あたしは問いかける。 「ねえ花さん、あんたはかつて、あたしが人間だったとき、あたしを捨てて姿をくらましたあの少女なんだね?」 花は答えない。 ただ風に揺れているだけ。 あたしは続ける。 「言わなくったってわかってるさ。あの子は…芽未は[花の精]だった。思えば最初に会ったとき、あの子は自分を「カセイジン」だと言ったけれど、あれは「花精人」という意味だったんだ…」 花が初めて言葉を発した。 「そうよ、私は花精人(だから最初にそう言ったのに!)。あのころの私は、花精(かせい)をつかさどる神様から「春の到来を告げしらせるような何かインパクトのある存在になりなさい」って言われていて、でもその方法が分からなくって悩んでた。そこへあなたがやってきて、毎日のように例の話をしてくれたのよ」 あたしは思い出す。 毎日のように芽未に話して聞かせたあの話…「小さな夢を育てる話」  さらにあたしは思い出す。 植物学者になりたがってた前の世の若い日のあたし… そういえば前世で歳をとってからのある日に、ふと立ち寄った図書館であたしは一冊の本を見つけたんだ。本は植物の解説書で題名はたしか「サクラの開花について」だったかな? その頃にはもう、あの木が花をつけるようになってから何十年も経っていて、開花のメカニズムもすっかり解明されていたんだね。その本を読んで知ったんだけど、サクラの開花を説明する為のキーワードは2つ…それは「休眠打破」と「積算平均気温」というものらしい。 解説書いわく、  【①休眠打破…サクラの花芽は前年の夏に生まれ、厳しい冬の最中(さなか)5℃以下の日が一定期間続くと、まだ小さくて固い花芽はひっそりと開花への準備を始める。即ち、サクラのつぼみは冬の厳しい寒さをキッカケとして眠りから覚めるのであり、これが「休眠打破」とよばれるものである】  (…どん底の状況こそスタートライン、耐えながら少しずつ力を貯めるのよ…) 【②積算平均気温…休眠から醒めた花芽は、春が近づき、気温が高くなっていくにしたがって成長を加速させる。その目安となるのは積算平均気温である。これはその期間の平均気温に同じ期間の日数を掛け算したもので、この数値が360を越えると一斉に開花、460に達するころにサクラは満開となる】 (…そして、状況の好転が確実になったとき、貯めてきた力が飽和に達したと感じたときに、一気に勝負にでるの…)   「そうよ[花の精]さん=サクラさん!あたし、前世で図書館にあった解説書を読んで気づいたの。あんたは神様が望んだ、春を告げる「インパクトのある存在」となるために、あたしが話して聞かせた「小さな夢を育てる話」を開花のためのメカニズムとして応用したんだわ。あんたはそうやって、あたしを捨てて「花」になった。おかげであたしは前世で死ぬまで、あんたへの執着に苦しんだ。あんたに会えないことが苦しくて苦しくて、その思いを残したまま世を去ったために、今生ではとうとうサクラに群がるハナアブへと転生してしまったわよ!」 花は悪びれる様子もない。  「仕方なかったのよ。いつかは花と咲くのが[花の精]の宿命。あなたとのことも大切にはしたかったのだけれど、もともと私は人間じゃなかったんだもの…」 あたしは激しい怒りに羽根をブンブンいわせる。 「それってつまり、あんたはあたしを騙してたってことよ。初めての出会いの時、あんたは「秘密の丘」の木の下に立っていた。でも、あの木にしても、今思えばただ花をつけてなかっただけで、もともとが「サクラの木」だったのよね。結局、あなたが「花」になってあたしを捨てるってのは、最初から決まっていたことなのだわ。[花の精]さん、あれは「名もない木」なんかじゃない、あの木もあなた自身だったの、そうよ…きっとそういう事だったのよ!」 そよ吹く風がまた花を揺らす。  その時、[花の精]即ちかつて芽未だったサクラの花は、虫になってしまったあたしに向かって素っ気なくこう言い放ったのだった。  「いいえ違うわ、それはたぶん[き・の・せ・い]よ」  (終わり)[あとがき] 読んでくださってありがとうございました! 最後の[き・の・せ・い]というのは「気のせい」と「木の精」の両方の意味を持たせたものだったりしたのでありました。このラスト、皆様の脳内ではどのように変換されたでしょうか? ①気のせい ②木の精 ③両方が同時に浮かんだ。やっぱり①が多いかな。わかりにくいオチでどうもすみません! ところで… 話に出てくる花の精の少女の名前、「花丘芽未(はなおか・めいみ)」と言う名前を聞いて「おやっ」と思った方はいらっしゃいませんか? 実はこの名前は私の大好きだったアニメ「怪盗セイントテール」(ちょっと古いですね)の主人公「羽丘芽美(はねおか。めいみ)」から取っています。といっても最初からこの名前で行こうと思ったのではなく、話を考えている内に、この名前が突然浮かんで、あまりに設定にピッタリだったもので使ってしまったというのが本当のところ。 でもキャラクター的には全くの別人でして決して二次創作ではありません(「今回は二次創作禁止!」という主催者のどかさんの言いつけはちゃんと守っておりますよ)(^^)。 最後にのどかさん、創作企画のぐるっぽの立ち上げをありがとうございました。根が不精者なもんで、何かこんなキッカケでもないと一年以上もなにも書かなかったりするので本当に励みになります。 「桜」というお題をいただいて、締め切りまでお題と格闘いたしました。なんか最初に考えていた話からずいぶん違うものになってしまいましたけど(はじめ前回みたく理科クイズ小説にしようかなとか思ってたけど、書いてる内にいつのまにかおとぎ話風になってしまった)。でも、仕上がりはどうあれ書いていてとても楽しかった(^O^)。記念すべき第一回の企画に参加できてとってもうれしいです! これからもどうぞよろしくお願いします!    

  • 14Feb
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      短編小説「寒い国から来た娘」(理科クイズ付き)

       この話は花守くうさんの企画に合わせて書いたものです。 劇中劇の中にさらに劇中劇があって、それが理科クイズになっているという構成。 オリキャラで書きました、というか私には特にオリキャラと呼べるようなキャラがないので、この話に出てくる「沙香さん」という理系少女が私のオリキャラということにしておきますね。読んで下さる方、すみません!ちょっと長いです(8000字くらい)。  マルティン☆ティモリ作短編小説「寒い国から来た娘」(理科クイズ付き)  旅先での憩いのひととき…  キーボードをたたく指を休め、ホテルの窓から見える世にも美しい光景に見入っていると、いきなり顔のすぐ側で声がした。 「何書いてるの?」 頬を撫でる暖かい息。 背中に、妻の柔らかな身体が密着するのを感じる。 「これだよ」 私は部屋の壁に設置された液晶ディスプレイの文字を指さした。 表示されているのはこんな文章。  「…さあ、窓の外に広がる究極の絶景を眺めながら、今、心に浮かんだ思い出を2千字以内で語って下さい。応募された作品は厳正に審査させていただき、特選となった作品を執筆された方には当社自慢の…」 最近開業したばかりのこのホテルが、宣伝用にエッセイを募集しているのだ。  「ふ~ん、で、どんなの書いてるのかな?」 顔を傾けてPC画面をのぞき込む妻…   あ、いや、いかん、いかん!「妻」じゃなくて「嫁」なのだったな。 私の言語感覚からすれば配偶者のことを「嫁」なんて呼ぶのは何か違和感があるのだけれど、最近入籍したばかりの「嫁」は私より20以上も歳が下。そんな彼女の世代では「嫁」というのが普通の呼び方であるらしい。よって私も我を通したりはせず、若い世代の流儀を受け入れることにしているのだ。 ところで、その「嫁」なのだが、私が言うのも何なのだけれどスタイルがよくって目のパッチリしたかなりの美人。その上、北国の生まれであるためか肌が透けるように白い。 なぜ私のような金もなく、パッとしない中年男と結婚してくれたのかは定かでないが、思えば私は昔から美人には妙に好かれるという傾向があった。(いや、そうは言ってもこれは本当に美人限定で、十人並みといわれるような女性からは全然そんなことはなかったんだけど…) 「あらら、自分のことを「僕」なんて書いちゃって」 書きかけのエッセイに目を走らせ、「嫁」が小さく笑った。 書いてある内容を特に気にしている風でもないのが、私としては多少物足りなくあったりもする。 (ま、大昔の話だしな。それに多少のさじ加減もあるし) 心の中でそうつぶやくと、「嫁」に倣(なら)って私も、ここまで書き進んできた自分の文章に目を落とす…        ☆    ☆    ☆ 旅のエッセイ「寒い国から来た娘」(ホテル懸賞応募用) これはもう遠い昔の、僕が中学生だったころのお話です。 季節は冬。中2の終わり、受験学年である「中3」を目前にした2月のバレンタインの日のこと、学校が終わってひとり帰り道を歩いている時、僕は、公園のそばの木にもたれて立っている人影があるのに気づきました。  よくよく見れば、それは僕と同じクラスの女子です。 女子は名を沙香(さか)といい、紛れもなく美少女なのですが痩せぎすで、髪はまるでライオンのたてがみのような極端なくせっ毛、そのくせっ毛に縁取られた小作りな顔には、レンズの枠に赤い色素の入った眼鏡をかけていました。 沙香は中2のはじめに僕の通う学校に転校して来ました。 それまでは僕が生まれ育ったこの土地よりもずっと北の、寒い地方に住んでいたと以前に聞いたように思います。 沙香はクラスの誰とも特に親しいということはなく、ただ僕とは、理科室で授業がある時に席が隣りなので、その折りにいくらか言葉を交わすくらいのことはありました。 正直、当時の僕から見れば彼女は、クラスの他の女子たちに比べ、とても静かで、あまり表情のないひとだなという印象だったのです。 沙香のいきなりの出現に、僕は思わずその場に立ち止まりました。 そんな僕を沙香はまっすぐに見つめ、 「これ、読んで」 素っ気なく言って、背中に隠していた紙片を差しだします。  僕が受け取ると、 「きっと読んでね」 念を押すように言い、沙香はあわてる風もなくクルリと背中を向け、スタスタと去っていきました。 僕の右手には、二つに折り畳まれたA4の紙片が残されました。 さて、何と言ってもこの日はバレンタインディです。 だから僕がその紙片に書かれているであろう内容について、ある種の予断を持ってしまうのも無理からぬことだったと言ってよいでしょう。ところが、帰宅して読んでみると、その紙片には予想に反して創作物語のようなものが書かれていたのです… ★   ★   ★   [寒い国から来た娘]  娘はロシアの北部、シベリアで生まれた。 娘の母は今もシベリアにいる。 母はその土地柄に相応しい気質を持っていた。 即ちクールでドライ。  よって娘もまた、その母に似て、生まれながらにクールでドライな気質であった。  さて、娘が十分に成長したある日のこと、 「エ・ザク(娘の名前)、海を渡るのよ!」  母は氷の目で娘を見つめ、言った。   「海を渡って彼(か)の国に行くの」 「彼(か)の国って?」 「ヤポーニャ(日本)っていう国。その国についたら、あなたはきっと高い山に登ることになるのだわ…」 程なく娘は、母の言うとおりに生まれ育ったシベリアの地を後にした。 娘は空を駆け海を渡る。 海を行き過ぎる途上、娘はひとりの若者(名はエ・ラガンという)と知り合った。 若者は娘とは正反対の、ホットでウエットな気質だった。 娘も若者と交流するうち、次第にウエットな性質を身につけるようになっていく。 だが、やがて別れの時がやってきた。   娘は母の言うとおりにヤポーニャへと向かう運命(さだめ)。 しかし若者は海を住処(すみか)とし、そこから離れることは叶わなかったのだ。  別離の悲しみを抱いてヤポーニャに到着した娘を、人々はまるで「冬の怪物」であるかのような名で呼んだ。 娘は気丈に、その国の中央を貫いて聳(そび)える高い山を目指す。 山々は険しく、斜面を這うように登っていく。 登るに従い心はさらに冷え、娘は凍った涙を流した。 峠を越える頃には、娘の心はまたドライなものへと戻ってしまった。 山を下ればその向こう、遙か行く手に広く大きな海が見える… 娘とは誰? 若者とは?そして娘の母の名は?   ★   ★   ★  (最後は何だかクイズみたいだな)  読み終わってそう思いました。 しかしクイズだったとしても、答えがわかりません。  いや、一読、「娘」が沙香自身のことを指しているのではないかとは思いました…沙香が自分を主人公に見立てて、短いファンタジーを書いたのではないかと。 そういえば娘の名前=エ・ザクというのも、「ザク」と「さか」とはちょっと似ているような気がしないでもありません。 でもそれ以上のことは何も思いつきませんでした。 ただ、あの表情の乏しい沙香の内部に、こんな文章を書かしめるだけの豊かさの隠れていたことが僕には意外でした。 そしてその翌日… 翌日は理科の授業のある日です。  理科室に移動すると沙香はもう来て席に着いていました。  昨日の紙片のことがあるだけにちょっと気まずい思いがあって、僕は彼女と目を合わせることなく着席します。  その日の授業は教科書の最後の方に載っている「ある単元」の中の、4つの項目についてでした。 理科教師が何の抑揚もない声で、教科書に記載されているその日の内容を、各項目に沿って順次説明していきます。 さて、説明が最後の項目のところまでたどり着いた時のことです。その話の内容に、僕は思わず「あっ」と小さく声を上げてしまいました。  理科教師がジロリとこちらを睨(にら)みます。 あわてて理科教師から目をそらし、沙香の方を盗み見ました。 沙香もやはり僕を見ていました。 僕は持っていたシャーペンで、ノートのすみっこに「分かった!」と書いて沙香の方へ向けました。 沙香も手を伸ばしてきてその横に書きこみます。 「じゃあ、答えを書いてみて!」 僕は、紙片の物語の答えとして、今思いついたばかりの「娘」「若者」「娘の母」の名を書きました。 それを見た沙香の表情が大きく綻(ほころ)びました。そしてそれは、僕がこれまでに見た彼女からは想像も出来ないような、とっても可愛い笑顔だったのです。 この日を境に僕と沙香は仲良くなりました。 僕たちは学校の帰りによく遠回りをし、まだ風の冷たい川べりを肩を並べて歩きました。一緒に土手を走り下るとき、僕は沙香が差し出す掌のひんやりした柔らかさを知りました。でも、ふたりの仲がそれ以上に発展する事もなく、やがて受験学年を迎えると自然に消滅して行ったのです。 さて、例の紙片について…後で沙香から聞いた話ですが、僕は以前、理科の時間に彼女との会話の中で「俺、理科、苦手なんだ」みたいなことを口走ったようなのです。 沙香はその言葉を覚えていて、あの物語を書いて僕に渡したとのことでした。 実際、あの物語のおかげで、その少し後にあった理科の学年末試験では、僕はいつもより少しだけ良い点を取ることが出来たのです… ☆    ☆    ☆  「ふ~ん、で、このクイズの答えって、何だったの?」 読み終わって「嫁」が言う。 「うん、答えはね、ほら、あれだよ」 私はホテルの窓の外を指さした。「嫁」はしばらくその光景に見入っていたが、ややあって大きくうなづく。 「な~るほど、沙香さん、やるわねえ」 言って「嫁」はその答えを私に告げた。  正解!  どうやら「嫁」も沙香と同じく中学時代は理科が得意だったようだ… 「読者への質問」 ①寒い国から来た娘(エ・ザク)とは? ②娘の母とは?(因みにその名は「ナディク」である) ③若者(エ・ラガン)とは? ④さらに語り手たち夫婦が逗留しているホテルのある場所は?* * * 「語り手のひとりごと」 …そう、「嫁」は見事にクイズの答えを言い当てたんだ。私は思わず「嫁」に賞賛のまなざしを送ったよ。  漆黒の長い髪に赤いセーターを着た美しい「嫁」…いや、実を言うと、私は、このエッセイが「嫁」の目に触れるであろうことを想定して、ある部分に真実ではない事を書いていた。 それは沙香との仲が中学時代のほんの短い期間で終了してしまったという記述。本当は、私と沙香との交際は中学を卒業して別々の高校に進んでからも続き、大学に入学したその初年度に別れたんだ。 別れの原因はすべて私にあったと言える。 小学生の頃からすでに講談社ブルーバックスに読みふけっていたという筋金(すじがね)入りの理科少女だった沙香に対して、それまで読書といえばミステリが中心だった私はいつも気後れを感じていた。  高校を卒業した後にふたりして同じ大学にはいったんだが、そんな沙香だから、自然、彼女のまわりには理科好きの学生たちが集まるようになる。その中には私なんかよりはるかに魅力的な容姿を持った男子学生もいた。 沙香はそんな学生たちと、私の知らない用語を使って生き生きと会話していた…ああ、そうだよ、お察しの通り私は、そういった状況に次第に耐えられなくなっていったんだ。そして結局は私から別れを申し出たのさ。 (さようなら、沙香、でも、今も大好きだよ…) 沙香と別れた後、この歳になって「嫁」に出会うまでに、私は五人の女性とつきあった。 離婚も一度経験している。 だが、現在ここにいる私という人間の本質は、まあほとんど沙香ひとりによって作られたと言ってよいだろうな。 沙香とつきあった時期が若い時代だったということもあるのだろうが、後の五人の女性との恋愛経験を振り返ってみて、それらの相手が沙香ほどに私の人格形成に影響を及ぼしたというようなことはなかった。 うん、確かに、沙香は単なる理科好きの少女ではなかったね。 いつも好奇心に満ちていて思慮深く、沙香との交際を通して私は彼女から科学の知識以外にもたくさんの事を学んだんだ。  だから沙香が遠い存在となってしまった今となっては、彼女は私の伝説の女神さま、私の観音さま…沙香さま!…そう、心の中で私はいつも彼女のことを、感謝を込めて「沙香さま」と呼んでいるのさ。 そして一年前の事、もういい歳だし、そろそろ恋愛は卒業かな…なんて思い始めたある日に私は「嫁」と出会った。  沙香とは全く違うタイプ…いやいや、それは外見がそうだっていう話。 読書好きで、無駄に大勢でいるよりは一人で居る時間を大切にするってあたりは似ていると言って良いかもしれないね。  何にせよ私は、知り合った瞬間から「嫁」に強く惹かれたんだ。  「嫁」も私を好きになってくれた(いや、実のところは「嫁」の方がずっと積極的だったと思ってる、本当だよ)。沙香がまだ私の心の大きな部分を占めていることは確かだとしても、私の心の中心に住んでいる女性は、今となっては完全に「沙香さま」から「嫁」へと移行したと言って良いだろう。  この旅行も籍を入れた後の初めての遠出だから、まあ、新婚旅行と言って良いのかもしれない。 あ、そうそう、クイズの答えだったね。 さっき私は「嫁」に答えを訊かれたとき、ホテルの窓の外を指さして「ほら、あれだよ」と言ったのだった。 窓の外にはちょうど地図で見慣れたあの形…島の連なりがまるで竜の姿のようにもみえる我らが故郷=日本列島が横たわっている。 え、そんなバカなって?いやいや、それが見えるんだな。なぜってここは日本列島の遙か上空…いわゆる宇宙空間なんだから!  そう、ここは宇宙ホテル。宇宙空間に人間が滞在する施設というとISS(国際宇宙ステーション)しかなかったのがほんの十数年前のこと。だが21世紀も3分の1を過ぎた現在、観光業界も宇宙に進出し、ホテル[宇宙]ヒルトンや[宇宙]リッツカールトンが、その高さに応じた速度で上下の軌道を通過していく…その様子を、日本企業が運営するこのホテルからも目視することができるんだ。 今、ホテルはちょうど日本上空を通過中。現在、日本列島は冬のまっただ中だ。 弧を描く青い地平線の少し下方に目を転じれば、シベリア気団から吹き出た冷たく乾いた風が日本海を渡り、すじ状の雪雲を伴って日本列島へと吹き込んでいる… ★   ★   ★  娘はロシアの北部、シベリアで生まれた。 娘の母は今もシベリアにいる。 母はその土地柄に相応しい気質を持っていた。 即ちクールでドライ。  よって娘もまた、その母に似て、生まれながらにクールでドライな気質であった。 さて、娘が十分に成長したある日のこと、 「エ・ザク(娘の名前)、海を渡るのよ!」  母は氷の目で娘を見つめ、言った。   「海を渡って彼(か)の国に行くの」 「彼(か)の国って?」 「ヤポーニャ(日本)っていう国。その国についたら、あなたはきっと高い山に登ることになるのだわ…」 程なく娘は、母の言うとおりに生まれ育ったシベリアの地を後にした。 娘は空を駆け海を渡る。 海を行き過ぎる途上、娘はひとりの若者(名はエ・ラガンという)と知り合った。 若者は娘とは正反対の、ホットでウエットな気質だった。 娘も若者と交流するうち、次第にウエットな性質を身につけるようになっていく。 だが、やがて別れの時がやってきた。   娘は母の言うとおりにヤポーニャへと向かう運命(さだめ)。 しかし若者は海を住処(すみか)とし、そこから離れることは叶わなかったのだ。  別離の悲しみを抱いてヤポーニャに到着した娘を、人々はまるで「冬の怪物」であるかのような名で呼んだ。 娘は気丈に、その国の中央を貫いて聳(そび)える高い山を目指す。 山々は険しく、斜面を這うように登っていく。 登るに従い心はさらに冷え、娘は凍った涙を流した。 峠を越える頃には、娘の心はまたドライなものへと戻ってしまった。 山を下ればその向こう、遙か行く手に広く大きな海が見える…    ★   ★   ★ 母とは「シベリア気団」、 娘とはシベリア気団から生まれ日本列島へと吹き付ける「風」。  「風」は日本海を渡る時、暖流である対馬海流=「若者」と出会い、湿り気を増しながら日本列島へとやってくる。  これが冬のモンスター…ではなくて冬のモンスーン(季節風)なのだ。  モンスーンは列島の中央を貫く山脈を這い登り、日本海で得た水分を雪に変えて降らせた後、山脈を越えて太平洋側へと吹き降りる。 かくして「娘」=冬のモンスーンは太平洋上の大気に溶けその短い生涯を終えるのだ。  私が沙香にクイズの答えを告げたあの授業で、理科教師は四季の気象についての解説をしていたのだった。 沙香はその学習内容を、理科の苦手だった私に向け「風」を擬人化した物語にして教えてくれたってわけ。それが彼女の私へのバレンタインのプレゼントだったんだな。 「風」の擬人化…いや、風に限ったことじゃないよね。 それは私のように齢(よわい)を重ねれば自然とわかること。  色不異空 空不異色(しきふいくう・くうふいしき)  生きとし生けるもの、この世界に存在するものすべては、遙かに巨(おお)きなもののほんの一部。 人もまた風と同じくひとつの現象…生まれては再び、宇宙という全体性の中へと還っていくんだ。 冬のモンスーンが太平洋上の大気に溶けて消えるようにね。  さて、話を元に戻すと、今、私たちが逗留しているこの宇宙ホテル、確かに宇宙空間に浮かんではいるんだが、客室の中も無重力というわけではもちろんない。 半径100メートルという巨大なリング状に設計されたホテルが1分弱の周期で回転を続けているため、内部の物体はすべて遠心力によって地球の6分の1ほどの力=月面上と同じくらいの力で床へと引きつけられている。  私のエッセイを読み終わった後、そんな快適な身軽さの中、室内を跳ねるように移動しながら「嫁」がこんな事を言った。 「沙香さんって素敵なひとなのね。「娘」の名前が「エ・ザク」、「若者」の名前が「エ・ラガン」なんて、ネーミングセンスがとってもファンタジーだわ」…うーん、それはちょっと違うかな。  私の知る限り、沙香はいつも明晰であることを好み、ファンタジーな性質は持っていなかった。実はこのネーミングにも明確な根拠が存在していたんだ。 「えっと、それはね…」 私は「嫁」にネーミングの由来を説明した。  「ほら、ローマ字で書いてみなよ。娘がE・ZAK、若者がE・RAGAN、母はNADIKだったよね、これを逆から読むと…」 偉そうにレクチャーしているが、実は私自身、このことに思い至ったのはほんのついさっきの事…沙香を想い「嫁」を想いながらあれこれ物思いにふけっていた時なのだ。 さっき言ったように、私の心の中心に住む女性…その女性は「沙香さま」から「嫁」へと移行した…そこに考えが及んだ瞬間、私はハッと気づいたのさ。 え?何のことか分からないって? じゃ、もう一度言うよ。 最近になって私の心の中心にいる女性が変わったんだ。  沙香さまから「嫁」…さかさまからよめ… (終わり)  [あとがき] 読んで下さってありがとうございました! この話はちょっと変わった順序で書きました。 と言うのも、まず最初に沙香さんの書いた短い創作文「シベリアで生まれた娘の話」が出来、それをどう使おうかと思案しているところに目にしたのが恒例の花守くうさんの企画を知らせるブログです。今回のお題は「バレンタインディ」。おお、それじゃこれを使ってバレンタインの話を書こうじゃないか!と前後に「沙香さんとの思い出エッセイ」の部分を付け足しました。 さらにさらに、どうせならクイズの形にしたらどうかしら、なんて思いたったりして「嫁」の話も付け足すことに…ま、そんなこんなで真ん中から周囲へと書き広げていった形になって、結局、最初考えていたものより随分と長くなってしまったわけでした。 「寒い国から来た娘」という題に基づいた話が入れ子式の三重構造になっているのもそのためです。 最後に感謝の言葉を。 花守くうさん、相変わらずお題のバレンタインディには場違いな存在であるにもかかわらず、私のような者にも参加をお許し下さってありがとうございました! 書きながらとても楽しかったです(読んで下さる方を楽しませるだけの力量のないのが残念ですが、その点どうかおゆるし下さい)。毎回楽しい企画をたてて下さるおかげで、それが書く上での大きなモチベーションとなっており、本当に感謝しています。 イラストの作画に小説執筆にと精力的に活動しておられる花守さん、企画に関わられた人たち、読んでくださった方々の益々のご発展をお祈りいたします。   マルティン☆ティモリ(ISSからの配信ライブ映像→ ここをクリック)

  • 23Sep
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      MOON(ショートショート小説)

      ★この小説は《花守くぅさん主催=お月見イベント参加作品》です。《お月見イベント》参加者の証しであるヘッダー (とってもいい感じ)内容は一言でいえばSFテイストのお伽話みたいなものです。それでは、お読みください。マルティン☆ティモリ作『MOON』(ショートショート小説)笙子(しょうこ)さんが不意に立ち止まった。見ると視線を月に向け、何かをつぶやいている…でもその声は、あまりに小さくて波音がかき消してしまった。ぼくは笙子さんに訊ねる。「今何て言ったの?」笙子さんは戸惑ったような表情をした。「あ、ううん、何でもないのよ。えーっと、ほら、あのね、お月さまの地面ってたしか、まん丸い凹(へこ)みがいっぱいあるんだよね。あの凹みの名前、何だったのかな、と思って」「ああ、あれね…」もちろん、ぼくは先の笙子さんのつぶやきがホントはそういうのじゃなくて、彼女の表情から考えてもっと別の、何か切実なものだったんじゃないかと疑った。だが、そんなそぶりを見せずに『凹み』の名前を告げると、ぼくはまた先に立って歩き出す。季節はすでに秋…ではあるのだが、それでもまだあちこちに夏の匂いの残る9月の夜の浜辺。海へと向かう風は生温(ぬる)く、空に低く浮かんだ満月が、夜がまだ若いことを教えてくれている。遠く瞬(またた)いているのは灯台の明かり。そのチカチカと規則正しいリズムがとても穏やかで、眺めているとそれは恰(あたか)も光が奏でる子守歌のようだ。(ああ、だが、ぼくは…)そう、ぼくはさっきから、心臓が口から飛び出さんばかりに緊張している。なぜって今日、ぼくは、笙子さんに愛を打ち明けると固く決心して家を出てきたのだから!笙子さんとは半年ほど前にネットを通じて知り合った。『笙子』という名前もハンドルネームとのこと。ぼくはいまだに笙子さんの本当の名前を知らない…砂浜にゆっくりと歩みを進めながら告白のタイミングを計る。それにしても今日の笙子さん、ぼくの緊張が伝染してしまったのだろうか、何だかいつもと様子が違う。(さっきの笙子さんのつぶやき、あれは本当は何だったんだろうな?)そんな風に思考を巡らせていると、笙子さんが思い立ったように声をかけてくる。「ね、見て」言っておもむろに腰をかがめ、波打ち際の濡れた砂に、人さし指でこう書いた。MOON「さて、何でしょう?」「え?ムーン…月だよね?」「違うのよ、よく見て。M○○N(エム、まる、まる、エヌ)。このまるの中にアルファベットの文字を入れて『ある言葉』を作るの。あなたとわたしの関係を言った言葉よ」(んっ?これは…)聞いてぼくは、戸惑いながらも心にムクムクと期待感がわき上がってくるのを感じた。(こ、これはひょっとして、このクイズを通じて笙子さんは、ぼくに何かを伝えようとしているのじゃないだろうか。そしてそれは、ぼくが今、笙子さんに告白しようとしている事柄と同じ種類のものではないだろうか)…あなたとわたしの関係を言った言葉よ…ぼくは期待を込めてその『まる』に入るアルファベットを探す。だが、いくら考えてもそれらしい言葉は何ひとつ思いつかなかった。「分からないよ、降参です。何の文字が入るの?」笙子さんはなぜか悲しげな目をしてふふっと笑う。「そう…実はね、わたし、今日、あなたに打ち明けなくちゃいけない事があったの。それでさっきからわたし、早くあなたに言わなくちゃって、ずっと気になってたのよ。まるに入るのは『U』と『E』…M・U・E・N…『無縁』よ!今日までありがと。じゃあね、さよなら!」言うと笙子さんは海の方へと駆けていく。「えっ?あっ、ちょ、ちょっと待ってよ!」呆気(あっけ)に取られながらも後を追おうとするぼく。と、その時だ。何とも信じられないような事が起こった…目の前に広がる夜の海、その沖合の一角に突然、大きな波が立ち始める。波の中心からは、ふたつの白い塔の様なものがせり上がってくる。円錐形のその塔は、しかし奇妙にカーブしており、せり上がるに従いその下部から、搭の土台となる黒い色をした島のようなものが現れた。…いや、島ではない。そこには何と二つの眼がついている。続いて現れたのは動物の耳、鼻、口。先に塔と見えたものは動物の角(つの)だった。そして海面の上に現れたのは、10メートルはあろうかと思われる途方もなく大きな黒牛の顔…やがて牛は肩から背、腹、そして足へと出現を続け、程なく、海上に巨大な全貌を現した。降り注ぐ月光に、海水に濡れたからだを黒く光らせ、今、その牛…巨大牛は、圧倒的な大きさにもかかわらず、軽やかに宙に浮かんでいる。見ると巨大牛の鼻先には数本の長くて赤いワイヤー、濡れて黒光りのする胴の両側には二本の太いバー。それらの先は海中へと延びて、巨大牛が上昇するにつれ、バーに続いて水面に小さなビルディングほどの直方体の構造物が現れた。構造物の両側に車輪と見える大きな円形のパーツ。ぼくは叫ぶ。「牛車(ぎっしゃ)だ!」と、いつの間に海に入っていたのだろうか、海面を泳ぎ、沖に漂っていた笙子さんが牛車の後部に開いた扉の中へと吸い込まれていく。(ありがとう、さようなら!)しばらく低い空中にとどまっていた巨大牛と牛車は、笙子さんが乗り込むや、天をさして一気に高度を上げた後、一旦、空の高みにとどまる。そして…モォォーーーン(moo―――n)浜辺の空気を揺るがし、巨大牛がひと声鳴いた。そのひと鳴きが合図であるかのように、一体となった巨大牛と牛車は向きを変え進路を東へと向ける。その行く手には煌々(こうこう)と輝く満月が!(さようなら~)精神感応現象(テレパシー)だろうか、さっきからぼくの意識の中で響いていた笙子さんの声が、たゆたいながら遠く小さくなってゆく。「ああ、これは…」ぼくはこの瞬間に、初めて笙子さんの本当の名前を知った。それは子供の頃からおとぎ話で知っているおなじみの登場人物の名…か・ぐ・や!そうだ、こうなることは少し考えれば分かることだった。ヒントは彼女のハンドルネームにあったんだ。漢字を分解してみればいい。『笙子』→『竹・生・子』→『竹から生まれた子(!)』お話の最後には、空飛ぶ牛車に乗って月へと帰ってしまう悲しい定めのお姫様…失意のぼくは、自分を奮い立たせようと夜空に向かって叫ぶ。「めげルナ~!」そして帰宅し涙にクレーター。    (終わり)《あとがき》読んでくださってありがとうございます!毎度おなじみのダジャレ落ち小説です。そして、ブログの冒頭にある通り、この作品は、〈花守くぅさん〉の『お月見イベント』参加作品でもあります。中秋の名月のこの季節、「月」をテーマにしたイラストや小説を持ち寄ろうという企画がある事を物書きつながりの〈のどかさん〉のブログで知り、知ったとたん、僕の内部に「ああっ、何か書きたいっ!」…と、書きたい気持ちがふつふつと湧き上がってきてしまいました。これは楽器をやる人が面白そうな譜面に出会って、「ああっ、弾きたい!」って思う気持ちと同じかもしれませんね。「月」には何かを表現したいと思わせる不思議な魔力があるような気がします。さて、件のイベントの趣旨は言うまでもなく「月」を書く(描く)という事…なのですが、この作品、質的にはもう小説としてほとんど破綻しておりまして、ただ量的な部分で、とにかく本文の中に「月」や「月光」、「moon」など(そして最後の2行で、さらにふたつ…ね)、月に関する単語を沢山散りばめるというあたりは頑張ってみました。本人はとても楽しんで書きましたので、読まれた方は全く楽しくなかったかもしれないけれど、どうかお赦しください。最後に、今回初めて交流させて頂いた〈花守くぅさん〉、そしてこれまで「いいね」だけのお付き合いだった〈のどかさん〉、楽しい企画に参加させていただく機会を与えてくださってありがとうございました。僕は多分お二人の倍以上の年齢の者なので、これから先もブログに絡ませていただくようなことはあまりないと思いますが、またこのような機会があれば、(ご迷惑でなければ)参加させていただけたら嬉しいです。マルティン☆ティモリ【↓シェーンベルク作曲『月に憑かれたピエロ』ジャズピアノの間奏入り】https://www.youtube.com/watch?v=KsIATAaR-X0&spfreload=10 【お月見イベント(花守くぅさんブログ)↓】http://ameblo.jp/kuu-hamnamori-happy/entrylist.html

  • 11Jul
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      時事ネタ仏教小説『理系な私とふたりの仏(ほとけ)っ!』

      『私は化学専攻の女子学生。頑張った甲斐あってなんとか憧れの理系の道には進めたんだけれど、授業内容は余りにも難しく、大学2年目にして勉強の方は早くも既にお手上げの状態(T_T)。と、そんな私がひょんなことから化学の仏様=薬師如来さまと知り合いに!そして如来さまの実験室では信じられない展開が私を待ち受けていた…。時事ネタ「ニホニウム」に擬人化された仏様たちを絡めて描く仏教・化学・ラブ(?)コメディ!!!』 《まえがき》 今年2016年は日本の科学界において記念すべき年になるはずです。なぜなら、この国においてアジアで初となる新元素=〈ニホニウム〉の発見があったから。 そしてまた、2016年はオンラインゲーム界にとっても画期的な年となるに違いありません。なぜって、仏の御心に触れるスマホゲーム=『なむあみだ仏っ!』の配信が始まったからです! てなわけで、今回も前回同様、またまた『なむあみだ仏っ!』のキャラクターを用いて(さらに時事ネタの〈ニホニウム〉をプラスして)小説を書いてしまいました。 今回登場する仏はふたりですが、前回よりは本家のキャラクターに似せて書いたつもりです。 2次小説とまではいかないにせよ、2.5次小説くらいにはなったんじゃないかな、と思っています。↓本家「なむあみだ仏っ!」公式サイトここをクリック <登場人仏>私…女子大学生虚空蔵菩薩(虚空さん)…無限の知恵と知識を持った菩薩ウナちゃん…虚空蔵菩薩の使者といわれるウナギ薬師如来(薬師さん)…薬品に精通する仏 マルティン☆ティモリ作 『理系な私とふたりの仏(ほとけ)っ!』 発見…発見…不思議、発見! テレビ番組ではありません。 あれは1ヶ月前のこと、新聞の一面に大きく掲げられた見出しを見て、私はその場で飛び上がってしまった。 『〈ニホニウム〉と命名!アジアで初、日本の研究所が新元素を発見!』 子供の頃、私は科学の話が大好きだった。 宇宙の不思議、地球の不思議、生き物の不思議にミクロの世界の不思議… だから、高校の2年にあがる時、迷わず私は理系の大学を目指すことを決めたのだ。 いや、本当のところは、文系に進むには、暗記が致命的に苦手だったという消極的要因もあったかもしれない。  だが、科学の不思議をもっと知りたい、自分もアインシュタインみたいな、宇宙がひっくりかえるような発見がしてみたい!そんな一心で勉強に打ち込んだ結果、理系学部のなかでは比較的入りやすいといわれる化学系の学科に何とか入学する事が出来た。  で、今、私は大学の2年生。 もちろん理系なわけだけど、化学系となるとやはり覚えることも多く、暗記が苦手という弱点が祟(たた)って、もうすでに授業内容はチンプンカンプンという悲しい現状。 子供の頃の夢はどこへやら、キャンパスにボーッと立ち尽くしているところを誘われて、言われるままに所謂(いわゆる)インカレ系のテニスサークルに入ったあとはもう飲酒三昧(ざんまい)、恋愛三昧の日々を送っていたのです…そう、一ヶ月前までは。 だが、あの日、新聞の見出しを見て私は泣いた。 なにやってんだ私! 科学の夢はどうした? 不思議の発見はどこいった? 心に向学心のマグマがあふれだす。 私は即、その場で所属していたテニスサークルに退会のメールを送った。 さらにLINEのアカウントは削除、本棚から久しぶりに大学の教科書を引っ張り出し読み始める。  (そうよ、今、この心にたぎる気合いをもってすれば、大学の勉強内容なんて何とでもなるに違いないわ…) だが、1時間後、私の向学心は跡形もなく打ち砕かれていた。  この世には気合いだけではどうにもならない事がある。 私には教科書に書かれている言葉が日本語とは思われず、φやΣを含んだ数式に至っては、最早地球に存在する文字とすら感じられなかったのだ。 呆然として道にさまよい出た。 当てもなく歩くうち、道はいつしか山道に差し掛かり、目の前にはお寺の山門が現れる。 『煩悩寺』 門柱にはそんな寺名を書いた板が掲げられていた。 そして門柱のそばにはこんな立て札、 「この寺のご本尊、虚空蔵(こくうぞう)菩薩さまは宇宙空間のごとき無限の知恵と慈悲をお持ちなされた仏様。菩薩さまはこの寺にお参りなさる皆さまに、無尽蔵の知恵と知識をお与えくださるのでござります」 読んでもう私は、思わず「あっ」と叫んでしまったのです。  (ああっ、これはまた何という巡り会い、何というありがたさ!地獄に仏とはまさにこのことなのだわっ!) 早速お参りさせていただこうと山門の石段を駆け上がり、入り口を探すも扉という扉はすべて閉まっている。 「エッ、エッ?どうして閉まってるのよう」  と、背後に人の気配。 「今日はお寺は定休日なのじゃ」 後ろから聞こえてきたのはイキイキと張りのある素敵な声。振り向くとそこには、凄いイケメンの若い男性が立っている。 「えっ?お寺にも定休日があるの!?」  私が訊くと、  「うむ、なぜなら住職さんはさっき、テニスラケットを持っていそいそ出かけていったからのう、だから今日は…」 「はいはい、庭球日って言いたいわけね」 う~ん、何か顔に似合わず微妙な人だ。  かっこよくて、ちょっとホストみたいなデンジャラスな雰囲気を醸し出してはいるけれど、話し方は妙にレトロだし、いや、それより何よりそのいで立ちの奇抜なこと! いくら暑い日であるとはいえ、上半身裸の上にアラビアンナイトに出てくるアラジンさんみたいな赤紫色の前開きベストを着て、胸の前や手首にはジャラジャラとたくさんの装飾品をぶら下げている。 「あなたは一体誰なの?」  私は訊いた。 「おう、ワシはこの寺の本尊、虚空蔵菩薩じゃ」  思わずふきだしてしまった。 「もうやめてよね、仏像さんが動いたり喋ったりするわけないじゃない」 でもその人は真顔になって言う。 「うむ、それなんじゃが、実はこの寺にある仏像というのはワシの姿を模して造られたものでな、お主の目の前におるこのワシこそが、そのモデルとなった本物の仏なのじゃよ」 (本物の仏?一体この人ったら何いってんだか。でも、話した感じ、そんなに悪い人でもないみたい) 「ふーん、じゃあなたは虚空(こくう)さんね。私の名前は××。私立の名門、南無阿弥大学に通うちょっと利発な大学生よ」 誇大広告風に自己紹介をしてふと見上げると(何しろ虚空さんは私より大分背が高いので)、な、な、何と、虚空さんのベストを着た肩のあたりに、突然、黒くてヌメヌメした生き物が顔をのぞかせたではないか。 「キャーッ、ナ、ナマズ!」 と、その生き物が口を開き、野太い鳴き声を発する。 「イイイイイイ、イールッ!」  虚空さんは、 「こらこら、ウナちゃん、怒るでない」 そう言って生き物の頭を優しく撫でながら、私に向き直り「めっ」と睨(にら)む。 「これお主!ウナちゃんを怒らせちゃいかんぞよ、この子はナマズじゃなくてウナギなのじゃ。まさかお主、ウナギがワシ、虚空蔵菩薩の聖なる使者だっちゅう有名な言い伝えを知らぬのか?」   私は思う。  (うーん、そう言われてもなぁ。私にしてみれば、虚空蔵菩薩さんという名前さえ、ついさっきあの立て看板を読んで初めて知ったんだけど…)  でも、私は、この人がもし本当に虚空蔵菩薩さまだとすれば、それはとてもラッキーなんじゃないかという事に気がついた。なぜってあの立て看板に書いてあったではないか、『お参りするすべての人に、無尽蔵の知恵と知識を与えてくださる有難い仏さま』だと。 ダメで元々、私は虚空さんに、私が今抱えている悩みを包み隠さず打ち明けることにした。 優しく頷きながら聴いてくれる虚空さん(やっぱりいい人だ!)。 「ほうほう、そういうことじゃったのか」 私の話を聞いて、虚空さんはちょっと思案顔になる。 「ふうむ、たしかにワシの霊験は衆生に知識と知恵を授ける事…なのじゃが、お主のような自然科学系の、しかも専門知識となるとさすがのワシでも手に余るのう…じゃが安心せい!ワシの知り合いに、お主の悩みを解決するのにうってつけの仏がおる。今からお主をその仏に会わせてやるぞよ」 言うと、虚空さんは「ついて来なされ」といってずんずん山の奥へと入って行く。 ええっ!?ちょ、ちょっと、自然科学系はダメって、虚空さん、あなた無尽蔵の知識じゃなかったの?…とは思ったけれど、もう乗りかかった船、私も急いで後を追った。  ☆  ☆  ☆  山道を小一時間歩いたろうか、 「ほら、あそこじゃ」 その指さす先に見えるのは、みすぼらしい掘っ建て小屋。  虚空さんは私に振り向くと、少し小声になった。 「それでの、まあ何事も心の準備っちゅうもんがあるから、念のために前もって言っておくのじゃが、これからお主に会わそうという仏…その仏というのが、実は見た感じがちょっと…いや、かなりマニアックでアブナイ感じの奴なんじゃ。じゃが、根はとっても良い奴じゃし、化学の知識となると、それはもうラボアジエもビックリ(いや、ちょっと例が古かったかの)。ま、とにかくお主、それほど怖がらんでも大丈夫じゃ。ワシがついとるから心配はいらんぞよ」 言って、「おーい、薬師如来!じゃまするぞい」と声を掛けながら小屋の木の扉を開けた。 虚空さんに続き、私も扉をくぐって小屋に入る。  いきなり鼻をつく薬品の臭い。 内部は窓も少なく、薄暗い。 部屋中に実験器具が所狭しと置かれ、あちこちに設置されたビーカの中では、どぎつい色のついた液体がコポコポ音を立てて沸騰している。 しかも、耳に聞こえるのは部屋いっぱいに広がる不思議な響きの音楽… 視線をさらに奥へと向けると、その部屋…実験室のちょうど壁際のあたりに、こちらに背を向け、群青色の液体が入った試験管を窓からの光にかざして立っている白衣の男性がいた。 (この人が薬師如来さん…) 男性は私たちの気配に気づいてこちらを振り向くも、その視線は遠くをさまよっている。 年齢的にはどう見てもまだ20代、だけど、うつろな表情を縁取っている長くて癖のある髪は何と見事に真っ白。 呆然とする私を見て、虚空さんが耳元で言う。  「いや、お主、大丈夫じゃ、怖がらんでもええ。ま、見た目があれではお主が怖がるのも無理もないんじゃが…」 「す、素敵…」 「へ?」 私の心は感動に打ち震えていた。 まるで王子様のように、突如、私の目の前に現れた薬師如来さん! あまりにも科学者! あまりにもサイエンティスト! 私の所属する理系学部の学生はもちろん、院生、教授を含めても決して出会うことがなかったタイプ。  おお、この人こそ私が探していた運命の人だったのだ! 思えば先週までの、テニスサークルの男子達との恋愛ごっこの何てむなしかったことだろう! 気がつくと私は駆けだしていた。  薬師如来さんに向かって突進し、その白衣を着た華奢(きゃしゃ)な身体に両腕を巻き付ける。 そして、私は………  (ま、あとは皆さんのご想像におまかせいたします) …ようやく事態が沈静化し、とりあえず3人みんなでコーヒータイム。 虚空さんが実験用のガーゼを使って薬師如来さんの顔に付着した口紅をぬぐってあげている。 「それで……きみは一体……僕に……何を……望んで……いるの?」  何事もなかったかのように、うつろな目をして訊いてくる薬師如来さん。 「はい、私、〈ニホニウム〉みたいな凄い発見がしたいんです。あの…出来れば、その、薬師先生との共同研究で!」言うと、薬師さんの瞳の奥にほんの少し光が宿った。 「なあんだ…そんな…こと?……〈ニホニウム〉…なんて……僕は…もう…何年も…前に…つくって…いるよ」 「えっ?でも作るには大がかりな加速器が必要なんじゃ?」 「ううん…そんな…ことは…ない。……83番元素の…〈ビスマス〉と…30番元素の…〈亜鉛〉を…特製の…薬壷に…入れて…混ぜ…合わせ……僕が…『仲良くね』…って…ひとこと…声を…掛ければ…それで…もう…二つの…元素は…融合し…113番元素…〈ニホニウム〉の…完成さ。……実は…今…きみが…飲んでる…コーヒーの…入った…その…カップも…〈ニホニウム〉で…出来て…いるんだ」  (そ、そんなあ、それは信じがたいよ。だいいち〈ニホニウム〉は不安定で、たったの500分の1秒で壊れてしまうはず…) と思っていたら、薬師さんの言うには、この実験室は仏の御心の支配下にあって『諸行無常』を超越した空間(!)だから放射性元素が崩壊することはないし、不安定な元素も普通の物質なみに安定を保つことが出来るんだって。 (ふーん、そんなことってあるのかな?でも、とんでもなく素敵なヴィジュアルの薬師さんが言う事なら、私、もうどんなに荒唐無稽なお話でも信じちゃうんだよね)  「じゃあ…きみ…早速…何か…作って…みようか。……さあ…そちらの…棚から…いくつかの…元素を…選んで…そこに…ある…薬壷に…放り…込んで…混ぜ…合わせて…ごらん。……ただし…選ぶ…とき…には…放射性を…もつ…元素を…必ず…ひとつ…含めて…選ぶんだよ」 薬師さんの示した先の床の上には、人間がひとり入れるくらいのかなりな大きさの壷がいくつも置いてある。 さらに、その横に設(しつら)えられた大きな棚にずらり並んでいるのは夥(おびただ)しい数の薬瓶、その中には放射性元素に属するものも多数含まれていた。  「エーッ、で、でも、放射性元素を扱うなんて、やっぱり怖いよお」 私が言うと、 「おお、それなら、まずはワシが試しにやってみるぞい」 虚空さんがいきなり立ち上がって棚の方へ行き、黄色い粉末の入った薬瓶を手に取った。 ふたを開けると、ひとにぎり、素手で掬(すく)って手近の壷に放り込む。 「あ、危ない!虚空さん、そ、それ、〈ウラン〉!」 でも、虚空さんは私の警告に動じる様子もなく、今〈ウラン〉を入れたその薬壷の中に、冷凍庫から取り出したマイナス196℃(見ると白い湯気がたなびいている)、超低温の〈液体窒素〉を流し込み、さらに〈銀〉の塊を加えて上から〈ヨウ素〉の粉をふりかけた。 もう選択がむちゃくちゃ! 私の乏しい知識からしても、こんなデタラメな組み合わせで何か新しい物質が合成出来るとはとても思えない。 と、 「さあ、お主もやるのじゃ!」 虚空さんが私を振り向いて言った。 虚空さんの肩の上では、うなぎのウナちゃんが「イイイッ」と鳴きながら一緒になって頷いている。 うつろな表情の薬師さんも、今は、ためらう私をじっと見つめていた。 (ええい、こうなったら仏の御心に賭けるしかないわ、どうにでもなってちょうだい!) 私は何も考えず、まず最初に目に付いた瓶に手を伸ばした。  そのビンのラベルには〈イットリウム〉と書かれている。 中から銀色に光る金属塊を取り出し、さっき虚空さんが使ったものとは別の薬壷に放り込んだ。 さらに強力な放射線を放つ原子番号89番〈アクチニウム〉の塊(かたまり)を、もうヤケクソでわしづかみっ(!)、薬壺に放り込んで、仕上げには〈ケイ素〉の結晶をふりかけておく。 (うーん、自分で言うのも何だけど、虚空さんと大差のないムチャクチャな組み合わせだなあ。でも私の選んだ物質って、選択の仕方がちょっと化学専攻生のプライドを感じさせるでしょ?) 薬師さんは満足そうな顔をしてふたつの薬壷をのぞき込み「…仲良くね…仲良くね…」と、交互に声を掛けている。 「さあ…じゃ…出来る…まで…しばらく…待って…みようか」 言って部屋の隅に置かれているオーディオ装置に近づくと、私たちがこの実験室にやってきてからずっと鳴っている不思議な音楽のボリュームをさらに大きくした。 「あの、この音楽って?」  私が尋ねる。 「ああ…これね?……これ…物質に…聴かせると…反応…速度が…何倍にも…増す…のさ。……僕…この曲…大…好き…」 薬師さんは今かかっている曲のCDケースを私に見せてくれた。 ジェルジュ・リゲティ作曲、「アトモスフェール」…これがその不思議な響きを持つ音楽の題名。 (聴いてみたい方はここをクリック )  変わった曲だけど、薬師さんが好きな曲だったら私も好きになりたいな! そう思ってしばらくの間、鳴っている音楽に耳を傾けていると、突然、虚空さんの使った方の薬壷がガタガタと音をたてて振動し始めた。 「うん…出来た…よう…だね。……しかも…出来た…のは…どうやら…生き物の…ようだ…」 (エエエエエッ!そ、そ、そんなバカな!生き物といえばタンパク質、そして、そのタンパク質を合成するには〈炭素〉が不可欠。虚空さんは〈炭素〉なんて全然入れてなかったじゃない!) でも、そんな私の疑問など完全に無視して、壷からは黒くヌメヌメした生き物が顔を出す。 「イイイイ、イールッ!」 「え???ひょ、ひょっとして、ウナちゃん?」 でも、虚空さんの肩のところには今もウナちゃんが乗っかっている。 と、言うことは… 「そう……出来たのは…ウナギ。……ちょっと…考え…て…見れば…分かる…こと…さ。……虚空蔵…が…薬壷に…入れた…のは…〈ウラン〉…〈窒素〉…〈銀〉…〈ヨウ素〉……その…元素記号…は……U・N・Ag・I……すなわち…ウ・ナ・ギ…なのだから」 「?????」 そうだった、ここは仏の御心が支配する特殊な空間。 だから普通の科学の法則とは異なった原理がはたらいているんだわ! 後で薬師さんが語ってくれたところによると…  お釈迦さまの教えにもあるように、この世のすべての現象は縁起によって生起している。 善因善果、悪因悪果、自因自果… 私たちの心は意識に潜む煩悩のゆえに日々その潜在意識に沿った選択を繰り返し、選択に見合った結果を生み出していく。 「…だから…さ…意識に…堅く…根を…おろした…愛する…ウナちゃんへの…執着が……虚空蔵に…『UNAGI』と…いう…アルファベットを…含む…元素記号の…物質を…選ばせ……その…結果…として……壷の…中に…さらに…もう一匹の…ウナちゃんを…出現させた。……お釈迦様の…縁起の…法則から…考えれば…これは…もう…当然の…こと…なのさ…」 な~るほど、さすがは薬師先生!大学の授業よりはよっぽどよく分かる。   ん?…で、でも、ということは!? 私の選んだ物質の元素記号ってなんだったっけ?そして、今、私の心を支配している煩悩って一体? 思ううちに私の薬壷もガタガタと震え出す。 出来たのは、やはり生物らしい…  しかも、アルファベットから考えて、な、な、何とそれは、まさかの…  少しして壷の振動が止まった。 壷の口からは、何やら白いものがゆっくりと顔をのぞかせる…  その姿を見て、私は思わず叫んでしまった。 「キャーッ!!!」  ☆  ☆  ☆1か月後…  「よお、お主。元気にしとったかのう?」 ここは私の住む下宿先のアパート。 虚空さんが2匹のウナちゃんを両肩に乗せて遊びにきてくれた。 「うん、元気よ!」 「で、例の…薬師の奴はどうしとるんじゃ?」 「あ、今、ちょっと散歩に行ってるの」 そうです。現在、私は薬師さんと一緒に住んでいるのです。いわゆる同棲ってやつね。でもその薬師さんって、山小屋の実験室にいたあの薬師さんじゃない…  思い出してください、あの日、私は壷の中に3つの物質を放り込んだのでした。  〈イットリウム〉、〈アクチニウム〉、そして〈ケイ素〉。 その元素記号はY・Ac・Si……続けて書くと、『YAcSi』。  ね、もう分かったでしょ? 私の煩悩…あの時、私の心の大部分を占めていたのは、もちろん、大・大・大好きな薬師如来さんの事。だから私はあの3つの物質を選び、薬壷の中からは、何と薬師さんがもうひとり現れたのです!  あの時、私は、その姿を見て嬉しさのあまりキャーッて叫んでしまったのでした。 そして、賢明な皆さんならもうお気づきかも知れませんね。 実はこの小説の題名…『理系な私とふたりの仏っ!』の『ふたりの仏』っていうのは、虚空さんと薬師さんという意味ではなくて、薬師如来さんがふたりって言う意味だったのよ。 だって、虚空蔵さんは菩薩さんだから厳密には仏じゃないものね。 さて、薬師さんがふたりになってしまったのだけれど、壷から出てきた方の薬師さんには住む場所がないから、とりあえず、あの日は私の部屋に来てもらうことになりました。そして日が暮れ、夜も更けて、ああなって、こうなって(ここは皆さんのご想像にお任せしますね)、そんなわけで私たちは今日、めでたく入籍する運びとなったのです! 私は今、とっても幸せ! キュリー夫妻のように、薬師さんとふたり科学の研究に打ち込んで、いつの日か連名でノーベル化学賞をもらうのが夢なんだ! 虚空さんが訊いてくる。 「ところでワシは人間界のことには疎(うと)いのじゃが、婚姻届ってのは一体どこに提出するものなのかのう」  私は答えます。 「それはね、役所~」 「なるほど、そうなんじゃな…ってことは今日から、お主の名字は…」 私は天にも昇るようなウキウキした気持ちで叫んだのでした。 「そ・れ・は・ね、薬師(やくし)よ~」《終わり》です[あとがき] 読んでくださってありがとうございました!  ダジャレ一発の、コント的なショートショートを書くつもりだったのが、またまた長くなってしまいました。すみません。 ツッコミどころ多数の作品かと思います。 科学的な部分の記述の不自然さに関しては、もうこれは「仏の御心のはたらく特殊な空間だった」という事でお許しいただくとして、「薬師如来さんが婚姻届を出すって言ったって、仏さまには戸籍が無いじゃん」というツッコミには、ごもっともと言うほかありません。 きっと若いふたりは、役所で窓口の人に「戸籍を得てからまた来てください」って言われて門前払いを食らうのでしょうね。 ではまた、よろしくお願いいたします。        マルティン☆ティモリ

  • 05Jun
    • 仏教ミステリ小説「なむあみだ仏っ!殺人事件」の画像

      仏教ミステリ小説「なむあみだ仏っ!殺人事件」

      『女子高の音楽室で英語教師の死体が発見された。室内にはなぜかクラシック音楽が流れており、現場からは裏に謎の言葉が書かれた楽譜が発見される。果たして事件の真相は?仏の御心に触れる仏教ミステリ!』<まえがき> こんにちは、僕はamebaのスマホオンラインゲーム「なむあみだ仏っ」がとても気に入ってます(女性向けゲームのようですが…)。それで毎日プレイするうちに、ゲームに出てくる仏たちの名前を借りて推理小説を書いてみたくなりました。 でも厳密に言うと二次創作ではありません。登場人物はゲームキャラクターの仏たちをベースにしてはいますが、すべてがその通りというわけでもなく(特にお釈迦さまはゲームのキャラクターよりもかなり年配のイメージです)、内容も本家のようなドタバタコメディ風とはなっていません。よってオマージュ作品と呼ばせて頂きます。 一応、本家(是非アニメ化してほしいものです)のホムペURLも貼っておきますね。ここをクリック                     マルティン☆ティモリ【登場人仏】釈迦如来観音菩薩(観音太郎)文殊茂樹普賢清二弥勒健太阿川淑子(阿しゅく先生)阿弥陀幹夫(理事長)  オマージュ作品=「観音さまは名探偵!?」      (なむあみだ仏っ!殺人事件)      《1.仏国土にて》  それは日差しの暖かいある日のことでございました。 ハスの葉の浮かぶお池のほとりに、お釈迦さまは物憂げなお顔で佇(たたず)んでおられたのでございます。 「如来さま、いかがなされました?」 観音さまがお釈迦さまのご様子に声をおかけになると、 「うむ、観音よ、これはまたよいところに現れたものじゃ。如来は先ほどからこの蓮池を眺めておった。蓮池は人間界を映す鏡、いや恐ろしいことには今、その水面(みなも)が風が吹きもせぬのにいきなり波立ちおったのじゃ。これはどうやら人間界で、近々またひとの殺(あや)められる事件が起こるものとみえるの」日が陰り、穏やかな観音さまのお顔にも陰がさします。「それは悲しきことでござります」お釈迦さまのお顔も曇りました。「うむ、実に悲しいことじゃ。人の抱く煩悩の深きこと、幾千年、幾万年経とうとも何も変わってはおらぬ。そこで改めて訊くが観音よ、観音は文字通りの菩薩、即ち衆生を救うことを第一の使命として日々励んでおるのじゃの?」 聞いて観音さまは、怪訝な表情をなされ、お釈迦さまのお顔をのぞき込まれたのでございます。 「何をお尋ねになるかと思えばこれはまた、仰せの通りわたくしは、如来さまのような卓越した覚者と成らせていただくべく、日々衆生を救う菩薩行に励み、身を粉にしておる者でござります」 お釈迦さまが静かにうなずかれ、それにあわせるかのように、お池の蓮の花がひとつ、ぽかりと開いたのでございます。 「うむ、観音よ、今の言葉を聞いて如来はその思いに迷いがないと知ったぞよ。そこで、観音にはひとつ頼みがある。人を殺(あや)める所行とは、苦汁に塗り固められた人間界においてももっとも耐え難き苦しみをもたらすものじゃ。殺められる者の苦しみ、残された者の苦しみ。じゃが、もっとも苦しんでおるのは誰あろう、実にその殺めた犯人自身の霊に違いあるまい。さて今、人間界ではひとつの殺人事件が起こらんとしておる。しかも如来は、この殺人においては、どうもその犯人の正体が容易には定かにならんと予見した。よって如来は願う、観音よ。観音は今から人間界に赴(おもむ)き、その殺め人(あやめびと)をつきとめよ。その者の名を暴き、自ら犯した罪の重大さを自覚させることによって、罪に苦しむ霊を救うのじゃ。さあ、行きなされ、観音!」 「仰せの通りに」 お釈迦さまの命を受け観音さまが人間界へと続く長い長い石段を下りて行かれると、身にまとっておられたサリーは次第に変化して、観音さまのお姿は、スーツを着た美しい若者へと変わって行ったのでございます。        《2.人間界(日常)》 「キャーッ、死んでる!」 その日の夕方、早めの夕食を終えて職員室でちょっとウトウトしていたわたしは、そんな生徒の悲鳴に眠気を吹き飛ばされた。 わたしの名は観音太郎(かんのん・たろう)。三年前に大学を出、物理教師としてここ私立煩悩学園女子高校の教壇に立っている、と、まあ、一応はそういうことになっているのだが、皆さんお察しのように、実際には、今、観音太郎の身体に宿っている「わたしの心」のうちの半分は、お釈迦さまの命を受け仏国土から下ってきた観音菩薩である。 悲鳴があがったのは上の階からのようだ。わたしはスリッパを履くのも忘れ、急いで職員室を飛び出した。 この煩悩学園は県内でも有数の進学校である。そのため定時を過ぎ夜になっても多くの生徒たちが補講やら何やらのために居残っており、わたしたち教師のうちの多くも、授業や質問対応に備えて学内にとどまるのが常となっている。 外は既に暗く、階段を駆け上がると明かりの点いた廊下の奥、3年1組の教室に隣接する音楽室の扉の前に、早くも数人の先生方が集まっていた。 「あ、観音先生!」 足音に気づいてわたしの方へ振り向いた数学教師、文殊茂樹(もんじゅ・しげき)が驚いたような顔で声をかけてくる。 物問いた気な私を見て、 「中を覗いてみてください」 音楽室の扉についたガラス窓を指さした。 言われたとおりにすると、部屋の奥、グランドピアノのそばに女性がうつ伏せに倒れているのが見える。 ピアノの陰になって頭から背中にかけての身体の一部しか見ることは出来ないが、ショッキングパープルに染めた豊かな髪と大柄でグラマラスなボディ、個性的な外見は見間違えようもない。 「あ、阿しゅく先生!」 倒れているのは生徒たちが親しみを込めて阿しゅく先生と呼ぶ英語の教師、阿川淑子(あがわ・しゅくこ)であった。 その背中にはナイフが突き立てられ、ピクリとも動かない様子から最早こときれているとみて間違いない。 「な、なぜこんなことに!」 わたしの中の人間である半分、観音太郎の心に怒りが燃え上がった。 扉を開けようと取っ手をつかんでガチャガチャやってみたが開かない。 「あ、それね、それ、鍵が掛かってるのさ」 後ろから声をかけてきたのは世界史の教師、普賢清二(ふけん・せいじ)。ふだんは豪放磊落なイメージの普賢先生だが、この時はどこか戸惑ったような表情に今一つ切迫性のない物言い。わたしの怒りが爆発する。 「何を落ち着いてるんですかっ!それなら鍵を取りに行かないと」 怒鳴ると同時に、急いで職員室にとって返そうと体を反転させる。 「いや、もう理事長が取りに行っておられるから」と文殊先生。 一瞬、なぜ理事長が直々(じきじき)にと思ったが、すぐに合点が行った。 学校のセキュリティ対策に保護者の厳しい目が注がれる昨今、音楽室のような時間外に空き部屋となる教室の鍵は、一括して理事長が自室に置いて管理する決まりとなっているのだ。 程なく、廊下の向こうに、長身にして偉丈夫、私立煩悩女子学園のトップ=阿弥陀幹夫(あみだ・みきお)の威厳ある姿が現れた。 特に急ぐでもなく悠然と歩きながらこちらにやって来、私を見てわずかに目を見開くと、徐(おもむろ)に持ってきた鍵を鍵穴に差し入れる。 このときになってわたしは初めて、音楽室の中で小さくクラシックの音楽が鳴っている事に気が付いた。 理事長が鍵を回して扉を開くと、鳴っていた音楽がより大きく聞こえるようになる。 まず部屋に飛び込んだのは音楽室の前にいたあとひとりの人物、地学と情報の授業を兼務している弥勒健太(みろく・けんた)先生。小柄な身体が少年のような素早さで扉を通り抜け、急いでわたしもそれに続く。 室内にはぎっしり並んだ机や椅子のすきまの狭い通路に、弦楽合奏部の生徒たちが使った後なのだろう、ケースに入ったヴァイオリンやチェロが乱雑に置かれていて非常に歩きにくい。楽器を蹴飛ばさないよう足下に注意し、阿しゅく先生の倒れている方へと進みながら、わたしはなぜかちょっと場違いな事を考えていた。 (…今聞こえているこの音楽…これはそういえば弦楽合奏部が文化祭で演奏したのを録音したCDだな…ヴァイオリンの旋律を別のヴァイオリンが模倣して追いかける、この颯爽とした音楽はそのときわたしも客席で聴いているぞ…曲名は確か…) と、突然音楽が途切れ、辺りが真っ暗になった。 「停電だ!」背後から普賢先生の叫ぶ声。 だが、ほんの数秒ですぐに明かりが点き、室内はまた元の明るさに戻る。そして、 「あれっ?」 見るとグランドピアノのそばの床に死体がない。 まさか、明かりが消えている間に誰かが素早く運び出した? しかし、ほんの数秒の間にこの歩きにくい教室内を横切って、わたしや他の先生方のそばをすり抜け外に出るなどというのは不可能に近い。 では死体を隠したのか? いや、この室内にそんなに大きなものを隠すほどのスペースはなさそうだ。 (注*ここで一言添えておくと、古今の推理小説の中にはグランドピアノの中に死体を隠すなどというものもあるようだが、楽器に詳しい方はご存じと思うが、グランドピアノの内部にはとてもそんなスペースはない。また、室内にはチェロやコントラバスなどの弦楽器も置かれているが、全長にして2メートルを越える大きさのコントラバスの胴の部分にしても、その内部は小さな子供が入るのがやっとという大きさである。第一、弦楽器の胴の部分は簡単には開ける事は出来ないし、まして大柄な阿しゅく先生の死体を隠すなど全く不可能といって良い) と、遅れて入ってきた普賢先生の声、 「あれっ?ここにこんなものがあるぜ」 振り返ると先生は、ピアノの上に閉じて置かれていたノートパソコンから、隙間に挟んであったらしい一枚の楽譜を引っ張り出し、指につまんでヒラヒラさせている。 楽譜の裏には手書きの文字で何やら短い文章が書きつけられているようだ。 「どれどれ」 どこか名探偵コナンを思わせる風貌の文殊先生が、その紙片を受け取って興味深げにのぞき込んだ。 「何が書かれているんですか?」 わたしがたずねると、 「これはどうやら犯人を暗示する言葉のようですね」 言って次のような文章を声に出して読み上げる。 『この災厄を用意せし者、 そは、百五十年の昔、西方にてホトケと戦いし者、  さらにはまた、如来の最後の苦しみを乗じし時に現れし者なり。 麗しき音曲の指し示す者こそが殺め人(あやめびと)ならん』 私達の背後で経緯を見守っていた理事長が深々とした低声を響かせた。 「うむ、何やら妙な成り行きになってきたようだな。だが、死体が無いというのでは警察を呼ぶわけにも行くまい。とりあえずここは引き上げ、理事長室にてこの事態について皆で考えてみようではないか」 かくして音楽室は現場保存のために再び施錠された。わたしたちは廊下を理事長室へと移動を始める。 わたしの横を並んで歩く文殊先生が、ささやくような小声で話しかけてきた。 「観音先生、実は僕、あの楽譜の裏に書かれていた文章を見てこの奇妙な事件の真相へと通じるカギをつかめたように思うんです」 「えっ?コナン…じゃなくて文殊先生、それは本当ですか?」 文殊先生はうなずきながらメガネの位置を直す仕草をする。 「ええ、まず、文章の前半の部分、『百五十年の昔、西方にてホトケと戦いし者…』この『西方』と言う言葉なのですが、観音先生はこれをどう解釈されますか?」 わたしはしばしの間思いを巡らせた。 「ああ、西方ですか、確かわたしはあの文を目にした時には、そのすぐ後にホトケという言葉が出てくるから仏教でいう西方浄土のことじゃないかと思ったのですが」 「ええ、僕も最初はそう思いました。でも特に根拠はないのですが、僕の直感によれば、この『西方』とは西洋、それもヨーロッパという意味ではないかと思えてならないんです」 「ヨーロッパですか?」 「ええ、さらに文章の後半です、『如来の最後の苦しみを乗じし時…』。この『如来の最後の苦しみ』とは?」 「如来と言うのがお釈迦さまの事を言っているのだとしたら、当然その苦しみは有名な生老病死、即ち生苦、老苦、病苦、死苦。だから最後の苦しみとは『死苦』と言うことになりますね」 「そう!僕も同じ事を思ったんですよ!さすが観音先生、ご明察です」 と、ここまで話したところでわたしたちは理事長室に到着し、文殊先生との会話もここでとぎれることとなった…      《3 仏国土にて》 お釈迦さまが蓮池を眺めておられます。 と、風が動き、お釈迦さまの傍にはいつの間にか観音さまが佇(たたず)んでおられたのでございます。  「観音、帰ったのか」 観音さまは静かに頷かれました。 「はい、観音はいまだ覚者とならぬ身ゆえ、あまりに長い時間、人間界に身を置き続けることができません、煩悩にとらえられそうになるのでござります。池の亀が息をつごうと時おり水から顔を出しますように、そのように観音も、ひとたび仏国土へと戻って参りました」 陽光が仏たちの姿を明るく照らします。 「それで観音よ、事の真相は、そして殺人者は見いだせたのかな?」 梢からはチチチッと鳥の声。 「ええ、おそらく」 観音さまがお答えになり、この時にお池の蓮の花がまたひとつ、ぽかりと開いたのでございました。      《4.人間界(日常)》  急いで理事長室に戻ってくると、室内には先ほど音楽室にいた4人、阿弥陀理事長、普賢先生、弥勒先生、そして文殊先生がソファに腰かけてわたしを待っていた。 先に、わたしたちは皆で連れだって、音楽室から一階にある理事長室へと移動してきたのだったが、文殊先生の話を聞いてわたしは、ふと「あること」を確かめておきたくなり、一度理事長室の前まで来た時、皆にひとこと断わって再び二階へと取って返した。そして二階の教室でわたしの『用事』を済ませ、今また、この理事長室へと戻ってきたのだった。 部屋に入ってきたわたしの方へと顔を上げ、阿弥陀理事長が言う。 「ああ、観音くん、今、ちょうど文殊くんから『ヨーロッパ』だとか『死苦』だとかそんな話を聞かされておったところだよ。きみもその話は聞いているのだな?」 わたしはゆっくりと頷いた。 「それで?聞いてきみはどう思ったのだね?何か急いで二階に引き返していたようだったが」 阿弥陀理事長を前に、わたしは少し緊張を覚えながら答えた。 「はい、文殊先生の話を聞いてわたしは、阿しゅく先生を殺した犯人、そして今回のこの事件の真相が分かったような気がいたしております」 意を決して言ったつもりだったが、阿弥陀理事長の表情にさほどの変化はない。 「それは本当かね?」 「はい、それで今からその謎の解き明かしを行いたいと思うのですが、皆さん、聞いてくださるでしょうか」 「うむ、話してみたまえ」 座にしばしの沈黙が訪れる。四人はソファに座っており、わたしだけが立っていた。推理小説に出てくる名探偵の謎解きの場面のようだな、などとと思いながらわたしはゆっくりと一同を見回す。 そして語り始めた。 「ありがとうございます。それでは、例の楽譜の裏に書かれた言葉の解き明かしから始めることにいたします。で、まず『西方』、文殊先生はこの言葉がヨーロッバを意味するものではないかとおっしゃいました。あの時はわたしもそれが正しいのかどうかは分からなかったのですが、わたしはとりあえず、その方向で考えを進めてみることにしたのです。百五十年前にホトケと戦った者、その者とは一体誰のことを指しているのか?わたしは文殊先生の話に基づき、百五十年ほど前にヨーロッパにおいて繰り広げられた戦いについて考えてみたのです。するとどうでしょう、1870年から1871年に行われた戦争、プロシアとフランスの間で戦われた戦い、即ち『普仏戦争』に思い至ったのです!そうです、この戦いにおいてホトケ(仏)即ちフランスと戦ったのはプロシア国(普)でした。そして今回の事件にかかわった人たちの中で『普』に相当する人物といえば…」 普賢先生がわたしの言葉にかぶせ、声を荒らげて言う。 「なるほど、つまりはオレが阿しゅく先生を殺したと、そう言いたいのかい?」 わたしは即座に首を振った。 「いいえ!ちがいます」 そして続ける。 「まだこの文章は続いていますよ。続いて文章にはこう書かれていました、『如来の最後の苦しみを乗じし時に現れし者』と。文殊先生はこれについて、最後の苦しみとは『死苦』の事だと解き明かされ、またわたしも同じ結論に至りました。しかしその後の『乗じし者』とは一体どういう意味なのか?死苦を乗じるとはどういう事でしょう?乗じるといえば最初に思い浮かぶのは大乗仏教の乗、しかしこの漢字は他にも別の意味を持っています。何かというと、それは掛け算をするということ。死苦…しく…シクを掛けると、四、九、三十六…36…ミ・ロクとなるのです!」 今度は弥勒先生が少年のような甲高い声で叫ぶ。 「じ、じゃあ、観音先生は僕が殺したって言うんだね!」 「いいえ!」 わたしは再び否定した。 「そうじゃないんです、もう一度あの楽譜の裏に書かれた文章を思い出してください。あの文章の今読み上げたところまでは、それが災厄を用意した者だと書いてあるだけで殺した者とは言っていない、いま名前を挙げたお二人が今回の事件に何らかの関わりを持っておられることは確かですが、殺人の犯人はお二人ではありません」 「では、観音くん。阿川くんを殺した犯人は一体誰だというんだね、早く言いなさい」 阿弥陀理事長のいらだちを含んだ声が室内の空気をふるわせた。 わたしは答える。 「はい、阿しゅく先生を殺した犯人、その殺人者は…」 わたしは大きく息を吐き、また吸った。  目を閉じ、ため息をつくように次の言葉を絞り出す。 「…その殺人者はわたしです、わたしが、観音太郎が阿しゅく先生を殺したのです!」       《5.観音太郎の独白》 そうだ、わたしはもっと早く気づくべきだった。 みんな仏様だったのだ。 わたしが観音太郎であると同時に観音菩薩であるように、普賢先生もまた普賢菩薩、弥勒先生は弥勒菩薩、そして文殊先生は文殊菩薩。 これは、皆が仕組んで作り上げた架空の事件だったのだ! おお、そんなことは少し考えれば分かることではないか。そもそもの始まりはあの蓮池のそばで釈迦如来さまがわたしにおっしゃった言葉だった。「近々、人間界で人を殺める事件が起こる」と。 そして、そのお言葉は実現したかのように見えた。 だが、人間界で起こったこの事件の関係者とは誰だろう、普賢先生と文殊先生、即ち普賢菩薩と文殊菩薩。この二仏は釈迦如来さまを本尊とする釈迦三尊の脇侍ではないか。それに、もう一人の関係者である弥勒先生、即ち弥勒菩薩も、いずれ如来となる身の言わば釈迦如来さまの後継者と言って良い存在。 三人ともが釈迦如来さまの傘下にあるのだから、如来さまは彼らを手足のようにお使いになることが出来たはずだ。 さらにもう一つ言えば、この事件を画策なされたのはどうやら釈迦如来さまご本人ではないようだ。釈迦如来さまもまた、あるお方の指示によって動いておられた。そのお方とは余りに偉大なお方、釈迦如来さまのお師匠さまに当たられるお方、阿弥陀理事長、即ち阿弥陀如来さまこそがこの事件を中心にいらっしゃったのだ!  思えば、すべてはわたしに殺人事件が起こったと思わせる為の工作だった。 まず、釈迦如来さまは、人間界で近々殺人があると言うことをお告げになって、わたしの心にその先入観を植え付けられた。 そして三人の菩薩、普賢・弥勒・文殊の三菩薩は、前もって音楽室の床に、わたしが死体だと勘違いするよう弦楽合奏部所有のチェロをケースから出して横たえておく。そのチェロには阿しゅく先生が着るような種類の服をまとわせて背中にナイフが刺さっているかのように見せかけ、ショッキングパープルのカツラをかぶせておいたのだ。 子供だましのような偽装だが、釈迦如来さまから与えられた先入観のために、わたしはこれを死体だと思いこんでしまった。 さて、わたしが音楽室の外に到着し、阿弥陀理事長がカギをあけたところで最初に音楽室に飛び込んだのは弥勒先生。続いてわたしが室内に入った時点では普賢先生はまだ部屋の外にいた。先生は意図的に音楽室と廊下の電灯のスイッチを切って「停電だ!」と叫ぶ。  …そう、あれは停電ではなかった。暗くなったのは廊下と音楽室のみ。もし本物の停電であれば学校中が真っ暗になったはずだから学内に残っていた生徒たちが騒ぎ出すはず。だがあの時、そのような声は全く聞こえてはこなかった…  室内が暗くなったところで、わたしより先に死体、いや、横たえたチェロのそばまで到達していた弥勒先生がチェロから服とカツラをはぎ取り、チェロは弦楽器が多数置かれている壁際に、他の楽器の紛れるように横たえておく。 そして、先ほどチェロを取り出してカラになっているチェロケースの中に、はぎ取ったカツラと服を隠した。チェロのハードケースには人間の死体を入れるほどのスペースは無いが、カツラと服ぐらいなら余裕で隠すことが出来る。  程なく明かりが点き(即ち普賢先生が明かりのスイッチを入れ)、死体消失のトリックは完成した。  さて、わたしがこの真相に思い至ったのは、計画の中でただ一つの番狂わせが起こったためなのだ。 思い出してほしい、あの時わたしが音楽室に駆けつけたのは、女生徒の「キャーッ、死んでる!」という叫び声を聞いたからだった。 しかし菩薩たちがこの計画の実行に生徒を巻き込むとは考えられない。 だから、あれは菩薩たちが演じるはずだったシナリオには無かったはずだ。 本来ならわたしはカギを取りに来た理事長に声を掛けられ、おそらくは理事長と一緒に音楽室へ向かうはずだったのだろう。 ところが、わたしは悲鳴を聞いたことにより彼らの予定よりも早く音楽室の前に現れてしまった。よって、わたしが現れたとき、菩薩たちの態度にちょっとした違和感があり、わたしはそこから考えて真相へと導かれたのだ。 ではなぜ生徒は悲鳴を上げたのか? しかも、わたしが音楽室に駆けつけた時には、不思議なことにその生徒の姿は音楽室周辺のどこにもなかったのだ。  これについては、わたしが理事長室に入る前に音楽室に隣接する3年1組の教室にとって返し、生徒たちに直接質問することでその真相が明らかになった。 これもまた、わたしの抱いた先入観のなせる技だった。 皆さんもご存じのように、年頃の女生徒というものは他愛ないことにもすぐに叫び声を挙げる。 そうだ、生徒が叫んだ「しんでる」と言う言葉、あれは「死んでる」と叫んだのではなかった。  あれは3年1組の教室内で、ある生徒が自分の壊れたシャープペンシルを、手先の器用な友人に直してもらったときに感激して発した言葉だったのだ。  そう、「きゃーっ、芯出る!」と。     《6 仏国土にて》 仏の国に金色(こんじき)の陽は照り、お釈迦さまと観音さまのおふたりが懇ろ(ねんごろ)に語り合いながらお池を巡っておられます。 お釈迦さまがおっしゃいました。 「殺(あや)めたのは観音か?」 観音さまがお答えになります。 「殺めたのは観音でござります」 そしておふたりはしばらくの間、沈黙なさいました。 観音さまが先に口を開かれます。 「殺めたのは観音、人間である観音太郎の心。ありもせぬ亡骸(なきがら)を見、死んでもおらぬ女性(にょしょう)を心で死なせたのは観音太郎の心。実体なき殺人に怒り、同僚の教師に激しい言葉を浴びせたのも観音太郎の心でござります。感覚で受取り、心で覚えしもののすべては空(くう)。空とは即ち実体なきもの。釈迦如来さま、そして阿弥陀如来さまは、菩薩たちを用いて架空の殺人事件をお作りになりました。有り難きことに、未(いま)だ覚者とならぬ観音に空(くう)の覚りを伝えんと、このようなお戯れをなさったのでござりますね?」 聞いてお釈迦さまが穏やかに微笑まれました。 その微笑みからは妙(たえ)なる調べが生まれ、仏の国を包んで響き渡ります。 その調べは耳に快く、まるでお釈迦さまの御教え(みおしえ)を表すお言葉ようにも聞き取れるのでございました。 五蘊皆空(ごうんかいくう) 色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき) お釈迦さまがおっしゃいます。  「観音よ、改めて問う。観音が真実を知れるよう、如来が観音に与えた示唆の数々を感じてくれたか?」 観音さまは大きくうなずかれます。 「はい、如来さまは観音が真実を知れるよう、亡骸を工作した二人の菩薩の名を示唆する書置きを備えてくださいました。如来さまは文殊菩薩の口を通して、観音がその書置きの意味を知ることが出来るよう、『ヨーロッパ』と『死苦』のふたつの手掛かりを与えてくださいました。そしてもうひとつ…」 「うむ、そしてもうひとつ」とお釈迦さまも言われます。 観音さまは続けられます。 「…如来さまは菩薩に命じ、あの現場に音楽を鳴らしておいてくださったのです。裏に例の文章の記された楽譜もまた、その同じ音楽を演じるためのものでござりました。その音楽を通じて観音が自らを殺め人(あやめびと)であると悟らせるため、観音自らの五蘊(ごうん)に曇れる心の目を開かせるために」 言うと観音さまは、人間界からそのまま持ってこられた例の楽譜を、懐(ふところ)から出してこられたのでございます。 「うむ、それで間違いない。残念ながら、えぬがひとつ足らぬがな」 観音さまもおっしゃいます。 「ええ、えぬがひとつ足りません」 そしておふたりは顔を見合わせ、仏国土の空に向かって高らかにお笑いになったのでございます。 …麗しき音曲の指し示す者こそが殺め人(あやめびと)ならん… あのとき音楽室のCDから流れていた音楽。 今、観音さまが懐から出してこられたその音楽の楽譜の表(おもて)には、作曲者の名前としてJohann Pachelbel(ヨハン・パッヘルベル)と記され、すぐ下にドイツの言葉でこの音楽の題名が印刷されていたのでございました。    その音楽の題名は…『Kanon(カノン)』だったのでございます。                      【おわり】                                    《あとがき》読んでくださってありがとうございました。もっと短いものを書くつもりだったのが意外と長くなってしまいました。すみません。推理小説なんて呼ぶのもおこがましい作品ですが、出演してくださった仏さまたちに免じてお赦しくださいませ。最後のオチは頭文字が『C』じゃないの?と思われた方がいらっしゃるかもしれませんが、パッへルベルはドイツの作曲家で、この題名はドイツ語だと頭文字が『K』になるんですね。『K』じゃないとオチがちょっと変になるもんで一言付け加えさせていただきました。では、また懲りずに何か書くかもしれませんが、ご迷惑とは思っておりますが、その節はよろしくお願いいたします。 ↓ヨハン・パッへルベル作曲『カノン』ここをクリック

  • 24Jul
    • 「ヘルツの問題」…アシモフ黒後家蜘蛛の会の贋作の画像

      「ヘルツの問題」…アシモフ黒後家蜘蛛の会の贋作

      《まえがき》こんな企画に参加させてもらってます ↓ ↓ ↓(ノヴェルゲーム「黒後家蜘蛛の会贋作集2」)http://www.geocities.jp/kgtzzz/kurogoke/index.htmlそして、下の小説はこのノベルゲームのシナリオとして書いたものです。『絶対音感』をテーマにして推理小説を書きたいなと思って書いた作品です。でも、推理小説だと思って読まれるとちょっと…いや、かなり肩透かしかもしれません。悪しからず…「ヘルツの問題」(アシモフ「黒後家蜘蛛の会」の贋作)  マルティン☆ティモリ作化学者ジェイムズ・ドレイクは、指に挟んだシガレットから立ち上る紫煙に僅かに目を細めると、ゲストに向けてお決まりの文句を口にした。「ジローネさん、あなたは何をもってあなたの存在を正当となさいますか?」 食事の始まりから終始無表情を貫いていた当夜のゲスト、フェルディナンド・ジローネは唐突な質問に動じる様子もなく、ぶっきらぼうに答弁を返す。「わたしの存在理由?それは、言ってみれば、ある種の黒い箱にはたらきかけることによって、内部のエントロピーを出来うる限り小さくするということですな」週末の陰気な雨の夜。この日の黒後家蜘蛛の会も、例会の流れだけを言うなら特に滞りもなく進行し、今、まさに会のクライマックスとも言うべき「尋問」の時間を迎えていた。ジローネの回答がちょっと謎めいて響いたため、ブラック・ウィドワーズの面々は暫しゲストの発した言葉に思案を巡らせる。 ややあってドレイクが尋ねた。「というと…量子力学とかそういった方面の研究に携わっておられるということですか?」腹の出た中年体型とはいえ、物理学者とは見えないスッキリした身なりのジローネは、一瞬表情を崩すもまた元の無表情に戻って言う。「いや、確かにわたしがワザとそんな誤解を導く答え方をしたといえばその通りですがね、まったく違います。黒い箱とはピアノ。そしてエントロピーの減少とは、博識な皆さんならご存じでしょうが『無秩序な状態が秩序ある状態へと移行すること』です。音律がバラバラに狂ったピアノに秩序ある音律を与えてやる…つまりわたしの職業はピアノの調律師というわけですよ」これはたしかに、尋問への回答としては中々に気の利いた答え方だったに違いない。だが、使い古したネタだったのか口にした当のジローネが左程に愉快そうな様子でもなく、残念ながらこのちょっとしたやり取りが、座の空気を活性化させるという事にはならなかった。そう、当夜の例会は、このジローネというどこか不機嫌そうな人物が醸し出す、何とも重苦しい気分に汚染され続けていたのである。実際、食事の始まりからデザートまでの間、ジローネは、黒後家のメンバーが頻りに話しかけるも気の抜けた生返事を繰り返すのみ。メンバー達の議論にも全く乗ってこないばかりか、時に小声で「ふん、くだらん」と、これだけは実に的確なタイミングで合いの手を入れて座を白けさせる。そんな空気のせいで、シェフの腕によりをかけた料理の味は四割がた減じられ、月例会に欠くべからざる存在、我らがヘンリーの行き届いた給仕ぶりをもってしても場の空気を変えるまでには至らない。 暗号専門家トーマス・トランブルが、当夜のホスト、画家のゴンザロの方へ顔を寄せ、小声で訊ねる。 「おい、マリオ、一体あの御仁はどうしたっていうんだ、いつもあんな風なのか?」 ゴンザロが首を横に振る。 「いや、実はわたしも彼とは今夜が初対面なんだよ。当初予定していたゲストの都合が悪くなってね。それで、わたしの知り合いに私営の小さなギャラリーに勤めている若い女性がいるんだが、彼女に声を掛けて急遽、紹介してもらったのが最近結婚したという彼女の夫…ジローネ氏というわけさ。ただ、旦那の方は再婚と聞いているから幾らか年上の男性なんだろうなとは思っていたけど、彼女とのつり合いから考えてもう少し若い男を想像していたんだがね…」ゴンザロの言うには、その知人女性が夫のジローネに例会への出席を打診したのは一昨日の夜のこと。その折、ジローネは上機嫌で承諾し、会をとても楽しみにしている様子だったという。だが、昨夜、仕事の上で何らかの不快に遭遇したらしい。恐らく、食事会に出かければ気分が変わるだろうと考えこの場にやっては来たものの、結局は未だ昨夜の不快を克服するには至っていないというのが現況のようだった。 「にしても、わたしのゲストだからね、わたしが何とかしなくちゃな」ゴンザロが言う。 「何しろずっとあんな不機嫌な顔ばかり拝まされていた日にゃ、トム、そのうちきみのその仏頂面さえもが満面の笑みに思えてきそうだよ」 ゴンザロはゲストの方へ体ごと向き直ると、少し上ずった声で訊ねた。 「あの、ジローネさん、失礼を承知でお尋ねしますが、何か問題を抱えておられるのではありませんか?」 ジローネは「ふん」といった様子で首を横に振った。 ゴンザロが続ける。「聞く所によると昨夜、何か不愉快な事を経験されたとか」ジローネの表情に微妙な変化が現れた。「妻が喋ったんですね?ええ、確かにおっしゃる通りです。ですが、昨夜のあれはわたし個人の仕事上での事、あなた方には何の関わりもないことですよ。それに、もう済んだことです」聞いて、作家イマニュエル・ルービンの疎らな髭が小刻みに震える。「わたしの物書きとしての卓越した観察眼によれば、どうやら、あなたの内部ではまだ『済んだこと』にはなっていないようですな」 ハイスクールの数学教師、ロジャー・ホルステッドは既に広い額を怒りでピンクに染めていた。「それに、我々にだって無関係だとは言わせませんぞ。何しろあなたの仏頂面のせいで、せっかくの料理がまずくなっちまったんだから」、 弁護士ジェフェリー・アヴァロンは六フィートの高みから厳かに宣告する。「ご覧のようにジローネさん、あなたはあなたの不機嫌のためにこのささやかな会食の場を台無しにしてしまったようです。となれば、不機嫌の原因を皆の前に開陳する必要がありそうですな。ここに出席された以上、あなたは我々のすべての質問に答える義務があります。それに、ひょっとしたら我々があなたの問題に何らかの解決を与えられるかもしれない。いえいえ、ご安心頂きたいことには、ここで話されたことは一切表に出ることはありません。それは勿論ここに控えているヘンリーも含めてです」 ジローネは暫く前を見据えたままで黙っていたが、ややあって、大儀そうに口を開いた。 「ええ、ええ、わたしがこの会食の場を台無しにした元凶であるというのはまさしくおっしゃる通りでしょうな。そう言えば前の別れた家内も、自分でレストランを切り盛りするような女だったから、よくそんな客の事でこぼしていましたよ…ま、それはともかく、となれば、その張本人たるわたしが何か話題を提供することで、多少なりともこの場の不快感を取り除く努力をしてみるのも意義あることと言えなくもないですな。いいでしょう、お話しいたしましょう。ですが、左程あなた方の興味をそそる話とも思えません。話した結果,さらにこの場が白ける事になっても私の責任ではありませんからな」 「何を今さら」と呟くホルステッドを無視して、ジローネはヘンリーに声を掛けブランデーを持ってこさせると、徐にグラスに口をつけた…           ★   ★   ★「昨夜はコンサートの仕事でした」ジローネが語り始める。「妻がギャラリーの関係者を通じて取ってきた仕事だったんです。内助の功ってやつですな。まあそれはともかくとして…ご存知かとは思いますが、わたしの役割はコンサートが始まる前にピアノの調子を演奏家の要求通りに整えておくこと。コンサートと言っても中身は様々でね。昨夜のは一応クラシック歌曲のコンサートという触れ込みにはなっていたんだが、普通、歌曲のコンサートと言えば歌手が一人にそれを伴奏するピアニストが一人。ところが、昨夜は奇抜な出で立ちのテノール歌手が一人で現れて、シューマンの歌曲を自分で歌い伴奏ピアノも自分で弾くのだといいます。しかも歌いながらちょっとした演技もするらしい。想像するにかなりエキセントリックな舞台のようだが、わたしにしてみれば報酬さえキチンともらえるのなら、まあそんなことはどうだって構いません。え?どんな衣装だったかですって?どこかのベースボールチームのユニフォームを着ていましたな。彼が言うにはそれが舞台衣装なんだそうです。わたしは野球なんて興味がないからどのチームのユニフォームなのかは知りませんがね。会場は街はずれにあるちっぽけなホール。ホール付のスタッフはたった一人(そう、音楽や楽器の事なんて何一つわかってない、見るからに頭の弱そうな若い男が一人だけ!)。聴きに来る客にしても、確実なのはそのちょっとイカれた歌手の固定ファンらしき中年の婦人が三人と、後はさて、通りがかりの物好きが何人来てくれるかって感じでしたね。さて、開演の一時間半前にホールに入ったわたしは早速、通例に従ってその歌手に要望を訊ねました。すると、そいつはラララ~と可笑しなメロディをひとくさり歌った後に、『440ヘルツで頼む』と言ったんです」ここでトランブルが口を挟んだ。「あの、ちょっとお訊きしますがジローネさん、そのヘルツというのは何かの振動の回数ですかな?」ジローネが答えて言う。「ああ、ヘルツね。わたし共にとってはあまりにも日常的な言葉なものなのでつい…ここではヘルツというのは音の周波数です。簡単に言えば基準となる音、CDEFGAの『A』の音の高さを表す単位でしてね、標準的には440ヘルツ。演奏家の要求してくるのが下はその440ヘルツから上は443ヘルツあたりまで。だから昨夜のテナー歌手は一番低くて最もありきたりの440ヘルツの音高を所望してきたということですな。さて、昨夜もわたしの熟練の技は冴えわたり、一時間強の作業を経て調律は見事に仕上がった。作業の間、テナー歌手は一度も顔を出すことなく楽屋に籠っていたから、私はホールスタッフの若者に作業が終了したことを告げて歌手を呼びに行かせました。するとピアノの前にやってきたテナー先生、慣れた手つきでポロロンと鍵盤を鳴らすや、驚いた事にいきなりこう言うじゃありませんか、『これじゃピッチが高すぎる、440ヘルツでお願いすると言っておいたのに』とね」ジローネはここで一旦言葉を切り、一同を見回した。が、ジローネが憤懣やるかたない表情だったのに対し、座のブラック・ウィドワーズ達にしてみれば、それが一体どの程度に腹立たしい事態なのかがわからない。「あのジローネさん、申し訳ないんだが…」言いかけたドレイクを、ジローネの声が横柄にさえぎる。「ええ、ええ、これだけじゃ分からないでしょうな。今、説明してさしあげますとも。すなわちテナー歌手は私の合わせた音が自分の注文した音高とは違う、音全体が高めに調律されているからもう一回作業をやり直せと言いたいわけです。そのイカれたテナー歌手は、自分が音の高さを耳で感じ取ることのできる所謂『絶対音感』を持っていて、自分の耳の方がわたしの熟練の腕よりも確かだと、こう言いたいわけなんですよ!」トランブルが言う。「で、実際にはあなたの腕の方が正しかったと?」「勿論です!」ジローネの声の音圧が約10デシベル増大した。「当然のことながら私も絶対音感は持っている。だが、私はそんな感覚的なものだけを頼りに仕事をしているわけじゃない。わたしの道具鞄には440ヘルツから443ヘルツまで1ヘルツ刻みに4種類の音叉が入っています。わたしはこの音叉の中から演奏家の注文に応じて必要な一本を取り出し、ピアノの『A』の音を、鍵盤をたたきながら慎重に時間をかけて、その音叉と同じ高さに合わせるわけです。『A』さえ合わせてしまえば、他のすべての音もその『A』との相関関係で順次合わせていく事が出来る…」ゴンザロが口を挟んだ。「失礼ながらジローネさん、その音叉をうっかり選び違えたという事はなかったのでしょうね?」ドレイクはやや声を低めて隣のホルステッドに話しかける。「そういえば昨晩は随分と冷え込んだぞ。音叉って金属でできているんだろ?ということは音叉も温度変化による収縮で僅かに短くなり、振動しやすくなっているはずだよ。だから正しい音叉を選んだとしても、きっといつもより高めの音に…」ブラック・ウィドワーズたちの発言を耳にして、ジローネの声が怒りに震えた。「では、そんな初歩的な間違いを私がやらかしたとでも?わたしはこれまで音叉をうっかり間違えたことなんて一度もないし、確かに寒い日に音叉の音が少し高目になることはあるが、そんな日には暫く音叉を掌で握って、温めてから使用するんです。こんなことはこの仕事をする者にとっては常識だ。わたしはもう何十年もこの仕事でメシを食っているんですぞ!」座に沈黙が訪れる。やや間をおいてアヴァロンが口を開いた。「つまりはそのテナー歌手の音感の方に問題があったという事ですな。それで、ジローネさん。結局、調律はやり直されたのですか?」気を取り直してジローネが答える。「ええ、依頼者の要求は絶対ですからね。わたしはテナー歌手に彼の納得のいく『A』の音を声に出してもらい、その声の高さにピアノの音を合わせました。それはわたしが最初に合わせた音高より2ヘルツほど低かったですな」「2ヘルツの違いって一体どの程度のものなのかな?」つぶやいたのはホルステッド。ジローネの口元が皮肉にゆがんだ。「素人が聴けばほぼ同じ音に感じるでしょうね。でも歌手は少しでも低いピッチ…ああ失礼、少しでも低い音高を希望するのが普通です。その方が声が楽に出せるから…まあ、わたしに言わせればそんなのは気分的なものにも思えるんですがね。ところが、そんな事のためにわたしは大変な労力を無駄に使わされる結果となったんです。何しろピアノという楽器は最近の電子楽器のようにツマミをチョチョッと弄ってピッチを変えるというわけにはいきません。『A』の音をひとつ、ほんの2ヘルツでも変更すれば、それに合わせて他のすべての音も調律し直さなければならない。ピアノの弦は全部で二百数十本。これをすべて合わせ直すとなるとまた一時間近い時間が必要となります。このためコンサートの開演時間を約一時間遅くする必要が生じ…いや、あんなコンサートの事なんてわたしにとってはどうでもいいんだが、昨晩は仕事の終わる時刻が妻とほぼ一緒でしたから、妻が夕食を外で一緒に食べようと店の予約を取ってくれていたんです。ところがこの余分な仕事のお蔭で待ち合わせの時刻に間に合うことが出来なくなって予約もキャンセル、妻をがっかりさせる結果となってしまった。まったく、昨夜のあれは報酬を倍もらっても割に合わないクソ仕事でしたよ!」当夜のホスト、ゴンザロはジローネに向けて形ばかりの哀悼の表情を作って見せた。「あなたの不機嫌の原因については何となく理解できた気がしますよ」言って皆の方に向き直る。「じゃあ、もうこの話はおしまいだ。何の謎もない。ただ単にそのテナー歌手がイモで、自分が高い声を出す自信がなくて、ジローネさんに理不尽な要求を突き付けただけのようだからね」と、ここで、この時まで大人しくしていたルービンが甲高い声を発した。「ちょっと待った、マリオ、ぼくにはひとつ考え付いたことがあるんだよ。あの、ジローネさん、少し質問させてください。そのテナー歌手が着ていたというユニフォームなんだが、ひょっとして胸のところに我らが街の名前が書いてあったりしたのではないですか?」ジローネが頷く。「ええ、その通り、確かにNEWYORKと書かれていましたな」「ではあと一つ。あなたがクレームに応じて二度目の調律をしている時、テナー歌手はあなたの傍におりましたか?」「いいえ、また楽屋に引っ込んでしまって、わたしが作業を終えてもう一度スタッフを呼びにやるまで出てこなかったですな。おおかた取り巻きの三美神とくだらんお喋りにでも興じていたんだろうが…」ルービンの口元がほころんだ。「やっぱりね、どうやら今夜はヘンリーにご登場願わなくても済みそうだよ。皆ももう察しがついただろ?ヤンキースさ、着ているユニフォームから考えてもわかる。そのテナー歌手はニューヨーク・ヤンキースのファンだったんだ」ゴンザロが面白くもなさそうに言う。「それがどうしたって言うんだ、マニー。ヤンキースのファンなら、この街には掃いて捨てるほどいるぜ。これがもし偶然、きみの書く小説のファンに遭遇したっていうんなら、隕石が『自由の女神像』のトーチに命中するに等しい位の確率なんだろうがね」ゴンザロの憎まれ口にもルービンは涼しい顔。「まあ最後まで聞けよ、マリオ。多分ここに集っているお歴々はベースボールにはさほど興味はなさそうだし、ぼくも家内がたまたまヤンキースファンだから知ってるんだが、昨晩はちょうどコンサートが始まるくらいの時間帯に試合があってね、ラジオがこの試合を中継していたんだ。そのテナー歌手も恐らく楽屋にいてこのラジオ中継を聴いていたんだと思う。そこへ、調律ができたとスタッフが呼びに来る。もう間もなく本番が始まる時刻だ。だが、もっと試合の続きを聴きたい、いやもう聴きたくてたまらない。さてどうするか?いくらそのテナー歌手がイカレた兄ちゃんだったとしても、野球中継を聴きたいなんて理由のために本番の時間を遅らせるなんてことは考えられない。で、彼は思いついたのさ。ピアノの調整に不備があるってことになれば本番を遅らせる正当な理由になるって事にね。彼もピアノを弾く人間として調律のやり直しに一時間くらいの時間がかかることは知っていた。だから、ジローネさんにいわれのないイチャモンをつけて…」「弱いね」ドレイクが口を挟む。「もし、それほどにまで試合が気になるなら、元々ヤンキースの試合がある日に自分の主催するコンサートを計画なんてしないだろう。つまり、その日にコンサートをすると決めた以上は、彼はその時点でラジオ中継を聴くことは諦めていたに違いない。今になってわざわざ偽りのイチャモンをつけてまで中継を聴きたがる根拠としては弱すぎるな」ルービンの度の強い眼鏡がキラリと光る。「だが、もしも、中継を聴くうちにどうしても続きを聴かずにはおられない状況になったとしたら?」一瞬、間を置くルービンに、ホルステッドがこらえきれず言葉を発した。「それは一体、どんな?」ルービンはゆっくり時間をかけて一同を見回した後、言った。「ヤンキースタジアムでは昨晩、球史に残る完全試合が成立しようとしていたのさ」誰かの息を呑む声がする。ルービンは続けた。「ジェーンの聴くラジオの音が時々、別室で仕事をするぼくのところにも聞こえていたんだ。昨晩の試合の相手はシアトル・マリナーズ。ヤンキースにとっては落とせない試合だった。ところが先発が予定されていたエースピッチャーが腹痛でダウン。代わりに出てきたのは無名のアジア系新人投手アイリッシュ・ウィー。だがなんとこの無名投手がマリナーズ打線を見事に抑え込む。ぼくも途中から仕事を放りだして聴いていたんだが、6回を過ぎたあたりからの投球は、それはもう殆ど神がかりだったね。試合が進むにつれスタジアム全体が異様な静けさに包まれていくのが、ラジオを通して聴いているぼくにも十分に伝わって来たよ。結果的には9回1死でマリナーズの俊足バッターに内野安打を打たれて惜しくも完全試合とはならなかったんだが、あの試合なら、無理にでもラジオの傍に張り付いていたい気持ちも十分に理解できる。これが真相に違いないよ」ジローネが尋ねる。「あの、ひとつ訊いていいでしょうか。その完全試合がおじゃんになったのは一体何時ごろでしたか?」「ああ、試合開始が夕方だったから、午後7時半ごろでしたね。正確な時刻はわからないが、コンサートなら丁度今から開演ってくらいの時間帯であったことは確かです」「じゃあ駄目だ」ジローネは俯きがちに首を揺らした。「え?」「だからですね、そのテナー歌手っていうのはとにかく変なやつだったんです。コンサートの開演は慣例に反して何と8時半からでした。で、わたしの最初の調律が終わったのが8時ごろで二度目の終了が9時。となると、テナー歌手がイチャモンをつけた時刻には、もう試合はとっくに終わっていたことになる。確かにルービンさんのおっしゃる通りテナー歌手はヤンキースの熱烈なファンだったのかもしれない。だから開演時間を決定する時に、わざと試合が終わりそうな時刻の後にもってきたとも考えられる。ともあれ、開演時間を遅らせることになったのは試合が終わった後なのだから、残念ながらその推理は成り立たないですな」「そ、そんな、でも、きっとテナー歌手は試合の余韻に浸りたかったんだよ、それでラジオの傍から離れがたくて…」「そこまでだよ、マニー」口をパクパクさせているルービンに向かってアヴァロンが宣告する。ジローネは幾分さばさばした表情になって言った。「いや、もういいんです。結局否定することにはなったけれど、ルービンさんの推理はこれはと思わせるような中々のものでしたよ。色々聞かせてもらって、わたしも何だか憂さが晴れたような気がする。それじゃあ、この話はもうこれくらいにして…」「あの、ひと言よろしゅうございますか?」座にいる男たちが一斉に声の方へと振り返る。その視線の先、サイドボードの傍らに佇む給仕ヘンリーの口調には、いつになくどこか秘めた厳しさのようなものが感じられた。ゴンザロが言う。「ああ、ヘンリー、何か考えがあるんだね。あ、ジローネさん、ヘンリーは私達の大切な友人で、ブラック・ウィドワーズのメンバーでもあるんです。それじゃ、ヘンリー、きみの意見を聴かせてもらおうか」「ありがとうございます、ゴンザロさま。では、まずわたくし、ジローネさまに幾つか質問をさせていただきたく存じますが?」ジローネは無言のままヘンリーに向って横柄にうなずいた。「ではジローネさま、ジローネさまは先ほど、これまで仕事に際して音叉をうっかり間違ってお選びになったことはないとおっしゃいました…」「ああ、その通り」ヘンリーの声にかぶせて、ジローネが言う。「言ったように、昨晩も含めわたしは一度としてそのようなミスを犯したことはないね」頷くヘンリー。「はい、それはおっしゃる通りでございましょう。ですがジローネさま、《うっかり》間違えられたことがないのは事実としても、《わざと》間違えられた事はおありなのではありませんか?それもたった一度だけ、さらに申し上げますならば、それはまさに昨晩の事なのでございます」「何だって!」ジローネが叫ぶ。「なぜわたしがそんなことを?」ヘンリーは動じる様子もなく続けた。「はい、それは先ほどルービンさまがテナー歌手の動機として論じられましたのと同じ理由、即ち時間をずらせるため…ジローネさまはご自分の仕事を長引かせる必要があったからでございます。先ほどジローネさまは、ご自分がテナー歌手に音の高さの要望をお尋ねになった時、テナー歌手はラララ~と歌った後で、440ヘルツに、という注文を出されたのだとおっしゃいました。その時、ご自身も絶対音感をお持ちのジローネさまは、そのラララ~という歌声が正確に440ヘルツの高さで歌われているのを聴き取られ、テナー歌手が確かな絶対音感を身に着けていることに気付かれたのではないかと思います。そこで、ピアノをわざと高めの音に調律なさることで歌手からクレームがくるような状況をお作りになり、さらに調律をもう一度やり直さなければならなくなる事で、仕事の時間を長引かせることができるとお考えになったのではないでしょうか」ジローネが言う。「ふん、それで?そうすることでわたしが何か得をしたとでも?」「はい、お話のなかで昨晩はお仕事の終わりました後に、奥さまとの外食のお約束がおありだったとの事でした。ですがジローネさま、ジローネさまは実はそのお約束に全く乗り気でなかったのではございませんか?出来れば…いいえ、無理に理由をおつけになってでも、この約束を反故にせずにはいられないご事情を、何かお抱えになっておられたのではございませんでしょうか?」「……」ジローネは暫く答えない。代わりにトランブルが口を挟んだ。「おい、ヘンリー、そうは言うがジローネさんは昨晩余分な仕事をさせられた上、奥さんとの約束までが駄目になったといって、今夜は会食の間じゅうずっと不機嫌だったんだぜ。きみのいうとおりだとすると、わたしにはあの不機嫌な態度が全く解せないんだが」ヘンリーが少し躊躇ったのちに口を開いた。「はい、それなのでございますが、わたくしが思いますに、恐らくジローネさまのその不機嫌なお振舞は…」「演技だったのさ!」ジローネがヘンリーの言葉を遮って言った。「もういい、分かった。ヘンリーの言う通りだ。わたしには、はっきり言ってあんなイカレたテナー歌手のコンサートなんかどうなろうと構わないように思えた。だから妻との約束を反故にするための時間稼ぎに利用させてもらったんだよ。よく見抜いたな、ヘンリー。どうしてわかった?」「はい、と申しますのも、まずジローネさまは、昨晩、奥様が外食の予約をなさった、とおっしゃっておられました。予約をなされたのは奥様、つまり《奥様がご自分で適当なお店を選ばれた》のでございます。そしてまた、ジローネさまは会話の中で、《離婚された前の奥様がレストランを切り盛りしておられる》と、ふと漏らされました。そこでわたくし、このふたつの事柄を頭の中で繋げてみたのでございます。そうしますと、自然とそこにジローネさまがその外食を無理にでも避けたいと考えられた理由が、おぼろげながらも浮かび上がってまいる思いがしたのでございます」ジローネが自嘲気味の笑いを浮かべる。「なるほどね、給仕さん、きみには全てがお見通しだったってわけだ。いいだろう。きみの慧眼に敬意を表して何もかも白状する事にするよ。そうさ、昨日の朝、妻が出がけに、仕事が引けたあと落ち合う場所を書き置いていったメモを見るや、わたしは愕然としたんだ。何しろそこには、偶然にも、別れた家内が経営するレストランの名前が書かれていたのだからね。今の妻とは、妻の勤めるギャラリーが企画したある音楽イベントの仕事を通して知り合った。出会った瞬間、わたしは三十以上も歳の離れたその女性に一目惚れし、強引にアタックして何とか交際へとこぎつけたんだ。そして約一年半ののちに結婚。だがわたしは彼女に嘘をついていた。既婚者であったことを隠していたのさ。離婚が成立したのは今の妻と結婚するほんの半年前の事。わたしは彼女の存在を元の家内に隠しながら、慎重に、一年間かけて少しずつ夫婦の関係を壊していった…もちろん離婚をして一定期間ののちに再婚したのだから法律的には何の問題もない。しかし、妻と元妻、このふたりがもし私のいる目の前で鉢合わせするようなことがあれば、それはもう何が起こるか知れたものじゃない。君子危うきに近寄らず、だよ。そんなわけで元妻のレストランに行くという事態だけは何としてでも避ける必要があった。で、わたしは考えたんだ。妻が紹介してくれた昨晩の仕事、その仕事上でトラブルが起こって約束を守れなくなったとなれば、下手な仮病を使うよりもずっと自然で説得力があるんじゃないかとね。だから、会場の中で私と歌手の二人だけが絶対音感を持っているという昨晩のあの状況は、わたしにとってはまさに渡りに船だった。元妻のレストランに行かずに済ますためには、絶対にこれを利用しない手はないぞと思ったのさ。夜になって帰宅したわたしは、まず約束を反故にしてしまった事を妻に詫びた。そしてコンサート会場での出来事を説明した上で、わたしの打った策をさらにもっともらしく見せるため、『あの歌手にプライドを傷つけられた上、きみとの約束まで守れない羽目に陥った、これはもう当分の間腹の虫がおさまりそうにないよ!』と声を荒らげて、妻の前でワザと怒ってみせておいた。実際のところは、今夜のこの会に出るのも気が進まなかったんだがね、昨夜の約束を反故にした上に、今日また妻が紹介してくれたこの会食まですっぽかす訳にもいかなかった。歳の離れた妻のいる男のすべてがそうなのかどうかは知らないが、若い妻には結構気をつかうものでね。だが、出席するとなれば昨夜妻の前で怒ってみせた手前、会食の場でもそうそう機嫌よくしているわけには行かない。何しろここにおられるゴンザロさんは妻の知り合いで、ここでのわたしの様子が妻の耳に入らないとも限らない上に、妻はわたしが一旦機嫌を損ねると、何日も元に戻らないことを知っているからね。となれば、もうわたしは不機嫌を装い続けるしかないじゃないか。まあ、ちょっとやりすぎたせいで座の雰囲気を壊してしまって、皆さんには申し訳なく思ってはいますがね」 言い終わるやジローネはゴンザロの耳元にさっと顔を寄せ、『今夜話したことは妻にはくれぐれも内密にお願いしますよ』と囁いた後、「じゃ、わたしはこれで」と逃げるようにして出口へと消えた。「倫理観のカケラもない男だったな」ドアの閉まる音と同時にホルステッドが言う。「それにしてもヘンリー、今夜の謎解きはさすがにちょっと賭けだったね。きみの仄めかしを受けてあの男が全部白状してくれたから良かったようなものの、結局はあの男がわざとピアノの音を高くしたという決定的な証拠はなかったのじゃないか?それともきみには何か確信があったのかい?」ヘンリーが微笑む。「はい、ホルステッドさま。わたくしといたしましても特に強い確信があったわけではございません。ただただ、我がシェフが腕によりをかけて用意致しました『マンハッタンの奇跡』とも呼ぶべき料理の数々を前にしながらの、あの妙に機嫌の悪そうな振る舞いが、如何にも不自然に感ぜられるという状況証拠を信じたばかりでございます。とは申せ、わたくしはもしわたくしの謎解きが見込み違いでございましても、それはそれで良かろうと思っていたのでございます。何となれば、ジローネさまは…いえ、ジローネは、理由はどうあれこのブラック・ウィドワーズの皆様が毎月楽しみにしておられる会食の雰囲気を自らの不機嫌な態度によって台無しにし、にもかかわらず、そのことに対して何の痛痒も感じていない様子が窺われたからであります。実に不快な男であり、結婚なされたばかりの奥様が愛想をつかされるのも恐らく時間の問題でございましょう。従いまして、わたくしは、たとえわたくしの推理が間違っていましょうとも、あの男がその事で腹を立ててこの場から出ていってくれるのなら、それはそれで構わないと思っていたのでございます」ルービンが我が意を得たりという顔で拍手をした。「言うねえ、ヘンリー。でもぼくは思うんだが、ジローネは何もあそこまで不機嫌そうな演技をする必要はなかったのじゃないかな?折角こんな素敵な席にゲストとして招かれたんだから、『昨晩はちょっと嫌なことがあったけど、料理を味わっているうちに機嫌がなおったよ』なんて言いながら、この会食の場を好きなだけ楽しみゃあ良いものを…」ヘンリーが穏やかに言う。「おっしゃる通りでございます、ルービンさま。しかし、わたくしには、あの男にとって、あの不機嫌な振る舞いが必然であったかのように思われてならないのでございます」「と言うと?」「はい、と申しますのはジローネは今夜、演技だけではなく幾分かは本当に不機嫌であったと考えられるからでございます。何となれば、昨夜、あの男はテナー歌手にクレームをつけさせるために、自分の持てる技術を偽って用いたのでございます。ジローネがどのように見下げ果てた倫理観を持った男でありましょうとも、自分の職人的技能に対しては誇りを持っていない筈はございません。その誇りを、あの男は自らの過去を隠さんとして踏みにじったのであります。ジローネにとって、それは苦々しい、実に嫌な思いのする選択であったと想像されます」ゴンザロが呟く。「なるほど、ジローネの職人としてのプロ意識が、会食の間も彼のハートで疼き続けていたと云う訳か」ヘンリーは神妙な顔で頷いた。「はい、さらに蛇足ながら付け加えさせていただきますれば、今夜ここで問題になりました音の振動の単位はヘルツ(Hertz)でございました。綴りに多少の違いはございますれど、『ヘルツ(Herz)』とはドイツ語で『心(ハート)』の意と存じております。そしてジローネにとっての昨晩の、正しい音叉を選ぶか否かという選択こそは……まさに『ヘルツの問題』だったのでございます」【終わり】《あとがき》犯人(というのでもないのですが)が最後に全部自分から真相を白状し、トンズラして終るという一番芸のない幕切れのお粗末でした。『ジローネ』という名前は、奇人であることでも知られる往年の名ピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのお抱え調律師の名前が『タローネ』だったので、その名前から借りて作りました。

  • 10Feb
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      エス氏の交響曲(ショートショート)

       マルティン☆ティモリ作・ショートショート小説    『エス氏の交響曲』 仕事から帰ると、ミルコがぼくの顔を見るなり言った。 「ねえ、大変よ。この間買ったCDの作曲者のエスさん、曲を自分で作ってなかった疑いがあるんだって。それで今からテレビで記者会見があるみたいなの」ミルコが昼の報道で知ったところによれば、エス氏にはゴーストライターが付いていて、作品のすべてはそのゴーストライター氏の作曲だった事が、今日、明るみに出たのだという…☆  ☆   ☆エス氏は現代クラシック音楽界では人気の作曲家だ。ほんの数年前までは無名の存在だったが、最初に自費で制作したCDがクラシック音楽としては異例の販売実績を上げると、次第にメディアへの露出も増えて、いつしかマスコミはその作風や立ち居振る舞いから、エス氏を『現代のモーツァルト』と呼ぶようになった。エス氏の作品の中でもとりわけ彼を有名にしたのは交響曲第1番ト短調…だが、誰もこの交響曲を第1シンフォニーとは呼ばない。現代に書かれた曲としては異例の明確な調性を持っており、古典的な形式の枠内を、優雅なロココ趣味に包まれて一抹の悲しみが駆け抜けていく…そんな曲想がモーツァルトのト短調で書かれた有名な交響曲を想起させるため、巷の音楽ファンたちはこの曲に『ネオト短調』という呼び名をつけた。もちろん現代の作曲家が古典派のような音楽を書くなどということは普通では考えられないし、もし仮に書いたところでそんな作品を誰も相手にしはしないだろう。 しかし、どんな事柄にも例外は存在する。 エス氏の成功の要因を挙げるとすれば、まず何より『ネオト短調』をはじめとするエス氏の作品そのもののクオリティが飛び抜けた高さに達していたからであり、加えて、このエス氏なる人物のキャラクターがまた、世の人々の話題に上るに十分な、何とも奇矯な雰囲気を醸し出していたからであった。☆  ☆   ☆「へえ、本当かい、そりゃすごいな」言いながら、ぼくはネクタイを緩めもせずにミルコの傍へ腰かけた。テレビの中の映像は、行き来する多数の報道陣と、林立するマイクスタンドに囲まれたまだ誰も着席していないテーブルを、漠然と映し出している。やがて司会者が立ち上がり短く挨拶すると、程なく衝立のかげから派手な衣装を身に付けた小男が転がり出るように現れた。幾度も音楽雑誌の表紙を飾ったその風貌は、紛れもない『現代のモーツァルト』=エス氏である。ビロード地の真っ赤な服に、頭にかぶっているのは長い髪の先をきれいに編んでカールさせた銀色のカツラ。そんな、まるでモーツァルトのコスチューム・プレイのような出で立ちも、毎度のことであってみれば、報道陣の側に特別な驚きはない。せかせかした動作でまず椅子の埃を手で払い、子供みたいに勢いをつけてドスンと腰をおろすと、「ヘイ、おれの尻をなめろ!ケケケッ」開口一番、最前列に陣取っていた女性リポーターに向けて下品な言葉を放つや、エス氏は、例によっていつもの糞尿話を驚くべき早口でまくしたて始めた。その姿は、かつて大ヒットした映画『ウォルフガング』に登場するモ-ツァルトのキャラクターにそっくり。画面の中では報道陣の一人がスッと立ち上がり、エス氏の止めどないお喋りを制して言う。「そのくらいになさいませんか。今みたいなあなたの特異な立ち居振る舞いも、実のところは『現代のモーツァルト』を演出するための演技だと、今日発売の週刊誌には書かれているんですがね、まあそれはさておき…お尋ねします、あなたの書いた音楽は、本当はすべてゴーストライターが書いたものなのですか?」大写しになったエス氏は一瞬きょとんとした顔で記者を見つめたが、またケケッと耳障りな笑い声をあげて言った。「そう・ゴーストライターが・書いた。ケケケケッ」報道陣がざわめく。「じゃ…じゃあ、認めるんですね?」エス氏は頷く。「うん・認める」フラッシュがマシンガンのように焚かれた。画面に《エス氏、認める!》と大きくテロップが流れる。良い写真を取ろうと一斉に前方へと詰めかけるカメラマン。何やら叫びながら、メモを片手に出口へ走る記者もいる。会場は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。と、その時だ、最前列にいた記者のひとりが誤ってマイクスタンドの1本を倒してしまった。マイクはひな壇横に据えられていたスピーカーに接触してハウリングを起こし、聴くに耐えない高周波音を会場全体に響かせる。「ヒエエエエエエエーッ」エス氏が大げさに耳を押さえて悲鳴を上げた。そして次の瞬間、ぼくはテレビ画面のなかに信じられない光景を見たのだ。エス氏の体がガクンと脱力し、上半身がテーブルに突っ伏したと思ったら、その背中から煙のようなものが立ちのぼる。しかもその煙、いや、どうやらエクトプラズムと思われるその白いモヤは、明らかに人の顔の形をしていた。くっきりした二重瞼に大きめの鼻をもった西洋人の顔。あの有名な、ランゲ描くところのモーツァルトの肖像画にそっくりな顔。その顔は、しばらくエス氏の背中のすぐ上の空間を悠然と漂った後、一度ゆっくりと会場内を見回し、いたずらっぽく「ケケッ」と笑ったかと思ったら、間もなく天井の換気口に吸いこまれるようにして消えて行った。呆然とテレビ画面を見つめ続けるぼく。ぼくの傍で同じくテレビの画面を見つめたままのミルコが小さくつぶやく。「たしかに…どうやら曲は本当に《ghostライター》が書いていたらしいわね」【終わり】 ≪あとがき≫ 読んで下さってありがとうございます。 この作品がアメーバに来ての第一作となります。 テレビで例の記者会見をみて、最後の一行を思いついてからは、もう一気に書きました。 何か誰でも思いつきそうなオチなんで、早く書かないと誰かに書かれてしまう、なんて思ってひそかにあせりました。   ところで、何をかくそう僕は例の交響曲第一番「HIROSHIMA」の全国初演を客席で聴いているんです。 数年前に京都コンサートホールで全曲初演が行われて、客席には広島市長やノーベル賞の益川教授、辰巳琢郎氏の姿も見えました。最後に拍手にこたえて例の作曲者氏が、ステージでお辞儀をしてましたね。 もう一回あの曲聴いてみたいけどCDは品切れ状態の様です。 ついでに、これに出てきた「ネオト短調」も聴けるもんなら聴いてみたい。 ではまた モーツァルト=交響曲ト短調(40番)  http://www.youtube.com/watch?v=l45DAuXYSIs

  • 09Feb
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      音楽伝奇小説「アマデス・源内・ゆいかおり!」

      【ゆいかおりさんたちの歌うエネルギッシュな曲が好き(!)。 もしモーツァルトが聴いたら、きっとモーツァルトもゆいかおりさんの歌が好きになったに違いない(!?)、そう思って書きました。 モーツァルトの『ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲』、 独奏者の扱いがゆいかおりさんたちの曲に似てる気がして、 彼女たちの人気曲『SHOOTING☆SMILE』と繋げてみた。(それと、平賀源内は何とモーツァルトの同時代人だったんですね、すごいっ!) ゆいかおりさんたちの益々のご活躍をお祈りしています。】 マルティン☆ティモリ作 小説『アマデス・源内・ゆいかおり!』 …1778年、オーストリア。  「旦那さま、お目覚めでございますか」 ザルツブルグの自宅のベッドで深い眠りから覚めたモーツァルトは、傍らに、そんな召使いの声を聞いた。 年齢を重ねたしわがれ声。 聞きなれない声だ。 新しく来た召使いなのだろう。 外国から流れて来た男なのか言葉にオランダ語のような訛りがある。 「おかしな夢を見たよ」 モーツァルトはベッドに横たわったままで、その男に話しかけた。「東洋人らしい少女がふたり、奇抜な衣装を着て踊りながら、斬新な響きのするオーケストラに合わせて、聞いたことのない言葉で歌っているんだ…」   ☆    ☆    ☆   その前夜、十六か月にもわたる長旅を終え、二十一歳の若き作曲家は故郷ザルツブルクに帰り着いた。 旅の間に訪れた地方は三か所。 パリ、マンハイム、そしてミュンヘン… 音楽家としての新たな活動の場を求めての旅だったが、彼の筆から流れ出す飛び切り上質の音楽も、結局は土地の聴衆に理解されることはなく、しかも旅の途上でソプラノ歌手に恋をして振られ、その上、共に旅をしていた母は病に倒れて、ほんのひと月ほど患ったのちに死んでしまった。 馬車を降り、心身ともに疲れ切って自室に戻ったモーツァルトは、くずおれるようにベッドに倒れこんだ。(負けない。これしきの事で負けたくない。僕には夢があるんだ。強くなりたい、だが今は眠りを…)そして、落ち込んだ泥のように重い眠りの中で、モーツァルトは奇妙な夢を見、その特異な音楽を聴いたのだ。           ☆    ☆    ☆ 「…E-dur、アレグロ・アッサイ、エ・コン・ブリオ(ホ長調、とても速く、そして生き生きと)…夢の中で聴いたその曲っていうのがね、オーケストラ伴奏つきの二重唱曲には違いないんだが、それが何とも刺激的な響きだったんだ。まず何より曲全体のピッチがF-dur(ヘ長調)かと聴き紛うほど異常に高かったし、シンコペーションを多用したリズムに、聴いたことのない音色の楽器で編成されたオーケストラ。例えて言えば、そう…まるで、遠い未来から響いてくる音楽みたいだったよ」 「遠い未来から…ですか」 召使いの男がぼそりと呟いた。 モーツァルトは思う。 (いや、寝起きのせいでついつい意味の無いことを口にしてしまったな。召使いを相手にこんな話をしたところで通じるはずもないのだが…) ところが、男は、続けてとんでもない話を滔々と語りはじめたのだ。 「確かに…旦那様、わたくし考えますに、旦那様がおっしゃるような時を超えてやってくる音や光というものも、遠い未来のからんだ話となりますと、全くありえない事柄とも申せなく思われます。何となれば、恐らく何百年か後の未来には、人は、音や光を〈エレキ〉のシグナルとして取り置く事が出来るようになると考えられるからでございます。 実はわたくし、そのような不思議な力をもった〈エレキ〉の正体を、極々小さな粒子のはたらきではないかとにらんでおるのでございますが、ひょっとするとそんな粒子の中には、時を逆さまに進むものが含まれておるやもしれませぬ。 それゆえ、旦那様のように優れた感覚をお持ちのお方でいらっしゃいますならば、未来から飛んできた微量の粒子を受け止め、その粒子が運んで来たシグナルを、頭の中で再び音や光として感受することがお出来にならないとも限りませぬ。となれば旦那様は昨夜、夢の中で遠い未来の様子を垣間見られたということになるのでございます」 聞いて、モーツァルトは思わず上体を起こし、初めて正面から男の顔を見た。 黒い髪にのっぺりとした黄色い顔。 その男も夢の中の少女たちと同じく東洋人だった…いや、どうやら東洋人のようだ。 モーツァルトはこれまで、東洋人というものを、絵画を通してしか見たことがなかった。 それにしてもこの男の教養の高さはどうだ。その顔、表情、言葉の抑揚からも、そこはかとない知性の高さが輝き出ているではないか。 「きみは一体、何者なんだ?」 男は答えた。 「わたくしはただの召使いでございますよ、旦那様。あなたさまのお留守の間にお父様に雇われた、あなたさまの召使いでございます」 「名前は?」 「ヒラガと呼んでくだいまし」 「ヒラガか、承知した。では、きみもぼくを旦那様と呼ぶのはやめにしておくれ。アマデウスと呼んでくれればいい」 「かしこまりましてございます、アマデス様」 「アマデスか…まあそれで良かろう。ところでヒラガ、きみはどこから来たんだい?」 「はい、アマデス様、わたくしは遠い東洋の小さな島国から参りました。言葉はその途上の船の中で覚えたのでございます。故郷にいたころに、多少ともオランダ語の心得がございましたものですから」 ヒラガの言うには、彼は故郷ではそこそこに名を成した人物だったらしい。だが、閉鎖的な島国の暮らしがほとほと嫌になり、オランダ船にもぐり込んでこちらへと渡ってきたとの事だった。 聞いてモーツァルトは考える。 (ひょっとしてこの男なら、夢の中で聴いた、あの少女たちが歌っていた不思議な言葉の意味を解き明かしてくれるかもしれないぞ) そして記憶が薄れないうちにと、頭の中で夢の再現を試みた。 聴覚の良さは言うに及ばず、記憶力もまた、モーツァルトは常人が及びもつかない程に優れているのだ。 (そう…たしかあの夢は、まず少女たちの前口上のような語りから始まったのだった…) コンニチワ ユイカオリデス ユイカオリノ オグラユイデス ユイカオリノ イシハラカオリデス そして、斬新な音楽が始まるhttp://www.youtube.com/watch?v=D6ujDzgGyxg  オーケストラの力強い前奏に続いて、まずソプラノと思われる繊細で特徴的な声を持った少女が歌い、次に張りのある深い声持った、もう一方のアルトの少女が同じフレーズを繰り返す。 やがて二人の歌声はユニゾンとなり、その後の音楽の高まりに呼応して和声に分かれる。 オーケストラのみの間奏ののちに後半中間部、モーツァルト自身もしばしば用いる平行調への一瞬の翳りを経て、リュートのような擦弦楽器がE-durの音階を一気に高い第五音まで駆け上がると、曲は再び二人の力強いユニゾン。コーダは短い偽終止を経てシンコペーションのリズムであっさり終わる。 (素晴らしい…) モーツァルトは思った。 (ヘンデルの音楽にも通じる尽きることのない活力、そして天才モンテヴェルディを思わせる絶え間ない躍動感!) モーツァルトは記憶の中から、その曲のいくつかの箇所をヒラガに歌って聞かせた。 「こんな歌曲だったんだがね、ヒラガ、これはきみの国の言葉なのかな?もしそうなら、どんなことを歌ってるのか、きみに解らないかい?」 ヒラガが答える。 「はい、アマデス様。(多少はシェイクスピア氏の国の言語も混じっておるようですが)、全体としてはわたくしの故郷の国の言葉であると言って間違いないようです。しかし、やはり未来の言葉であるらしく、知らない単語や言い回しがたくさん含まれておりまして、わたくしには殆ど意味が取れません。恐らく『何としてでも貴方の思いびとになって見せましょう』とか『貴方の夢を応援しますゆえ、共に頑張りましょう』などと云う事を歌っているのではないかと思われますが…」 モーツァルトは笑った。 「ははは、いや、ありがとう。それで十分だよ。そうだったのか。聴いてるだけで、ずい分元気の出てくる歌だなとは思っていたが…それにしても東洋でも、遠い未来でも、女の子たちの一番の関心事と言えばやっぱり『恋』なんだね!」 異郷での挫折と母親の死。失恋。 だが、そんな旅の途中、彼を邪険にしたソプラノ歌手のそのすぐ下の妹に当たる娘が、失意に沈む彼に何くれとなく優しく接してくれたのをモーツァルトは思い出した。 (…コンスタンツェという名前だった。ひょっとしてあの子、ぼくのことが好きなのかもしれないな) 以後、彼はコンスタンツェの事を思うたび、いつも心に温かいものが流れ出す思いがした。そして、長旅から帰宅した昨夜、夢の中で聴いたのがあの不思議な音楽… (ああ、ぼくもあんな音楽が書きたいよ。もちろんモンテヴェルディやヘンデルのようなバロック時代の様式でじゃなく、ましてや夢の中の歌のような未来の様式でもなくて、ぼくは、ぼくの時代の様式で、《そう、ロココの様式で!》苦しみを喜びに変える魔法の音楽を書きたいんだ!)                                                    ☆   ☆   ☆ それから一か月ののち、モーツァルトはある新作のコンチェルトを演奏会にかけた。 新曲はこれまでモーツァルトがまだ一度も用いたことのなかった形式…2つの独奏楽器をもつ協奏交響曲(シンフォニア・コンチェルタンテ)で、オーケストラをバックに独奏を受け持つのはヴァイオリン奏者とヴィオラ奏者の二人。 この演奏形態は彼がパリ滞在中に身に付けた最新の音楽様式を取り入れたものだが、それに加えて、彼は密かに例の『夢の曲』から得た発想をも取り入れていた。調性についても、あの夢で聴いた曲の調、E-dur(ホ長調)とわずか半音違うだけのEs-dur(変ホ長調)を選んでいる。 今、舞台上ではオーケストラの前面に二人の独奏者が立った。客たちはおしゃべりを止め、モーツァルトの合図で前奏が始まる… http://www.youtube.com/watch?v=FqHfVHa1UEQ オーケストラに続いて、まずソプラノのヴァイオリンが軽やかに歌い、その同じフレーズを深みのある音でアルトのヴィオラが繰り返す。夢の中で少女たちが歌っていたデュエット曲と同じ展開だ。 …曲が終わると、会場からは疎らな拍手。 パリでの時と同様、聴衆に評価されることはなかったけれど、モーツァルトは新しい様式を取り入れたこの曲の出来映えに大いに満足していた。 (いいんだ、これで。皆は気に入ってくれなくても、ぼくには気に入ったんだから) 晴れ晴れとした表情で深くお辞儀をし、舞台を降りたモーツァルトは、客席の隅にヒラガの姿を見つけると真っ先にそちらへと駆け寄る。 「どうだった?ぼくの新作」 「大変結構でございました、アマデス様」 普通であれば召使いの身分では演奏会の客席にいるなどという事は考えられないのだが、この日はモーツァルトが特別に彼を招待していた。 「ありがとう!曲を無事完成することが出来たのも、ヒラガ、半分はきみのお蔭だよ。旅の日の苦しみを引き摺っていたこの辛いひと月を、きみはいつもぼくの傍にいて励ましてくれたんだからね。新しい音楽と新しい恋、そして、きみという素晴らしい友達がいてくれたお蔭で、ぼくは立ち直る事が出来たんだ。ぼくは子供のころ、父親に連れられ演奏のための旅行ばかりしていた。だから学校にも行けなくて、人並みの教養も満足に身についていない。どうかこれからもずっと傍にいて、ぼくに学問を教えておくれ」 ヒラガの表情が曇る。 「アマデス様、そのように仰っていただけるのは身に余る光栄でございます。しかし、わたくしはそろそろお暇をいただかなくてはなりません」 「エッ、どうして?何かぼくに不満でもあるのかい?」 「いいえ、滅相もない、そうではございません。実を申しますと…わたくし、元居た故郷の国で、わたくしを理解しようとしない周囲の者たちの言動に苛立ったあげく、人を殺(あや)めてしまったのでございます。それで捕えられそうになったところを、ひとに金をやって身代わりを立て、わたくしはオランダ船にもぐり込んでこの地へと逃れて来たのでございました。しかしこの地では東洋の顔を持っている者は目立ちます。ましてやアマデス様のような有名なお方のお傍におりましては、わたくしの噂が、遠く東洋にまで及ばないとも限りません。わたくし、やはり捕まりとうはございませぬ。よって今宵を限りに、この地を去る所存でございます。アマデス様、これまでの数々のお取り計らい、ありがとうございました!」 言うと、ヒラガは素早く身をひるがえして劇場外の夜闇へと消えた。  以後、ヒラガの消息は杳として知れない… それから3年たってモーツァルトは、かねてより恋仲だったコンスタンツェと結婚し、さらにその9年後にはわずか三十五年の短い生涯を閉じる。 因みに、オーストリアから遥かに遠い東洋の国、日本(ヤーパン)で、2人組のアイドル・声優ユニット《ゆいかおり》が誕生するのは彼の死から二百年あまりを経た2009年。夢の中でモーツァルトが聴いたと思われるデュエット曲『Shooting☆Smile』が世に出たのはその二年後の2011年の事であった。    (終わり)

  • 08Feb
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      疑似ラノベ「ヘンタイ王子と蒸かさない芋」

            マルティン☆ティモリ作=「ヘン猫」のオマージュ作品『ヘンタイ王子と蒸(ふ)かさない芋』留守隠ルナ子(るすかくれ・るなこ)はなぜ無表情なのか?その陰にはまさかの驚愕の真実が!?『ゆいかおり』の二人が声で出演してたアニメ『ヘン猫(変態王子と笑わない猫)』のオマージュ作品です。ラヴコメだけど、読むと音楽と地学の勉強にもなるよ!  《登場人物》 ☆余所寺羊人(よそでら・ようと)…ぼく(=ヘンタイ王子)。 ☆留守隠ルナ子(るすかくれ・るなこ)…外見も性格も『ヘン猫』の筒隠月子風、声質は『ゆいかおり』の小倉唯ちゃんです!!! ☆鍬菜スギナ(すきな・すぎな)…「鉄の帝王」と呼ばれている。『へん猫』で言うと顔は小豆梓で胸と性格は「鋼鉄の王」の筒隠つくし風かな。声はもちろん『ゆいかおり』の石原夏織さんで!  ☆ポリ太…羊人の幼馴染。     ……………………… ぼくらは振り向いた。 するとそこに、焼き芋屋のオヤジが立っていた…      ☆    ☆    ☆  「…ムフフフフ…」 土曜の午後、ぼくは音楽室の扉の陰にかくれ、口の端を伝うよだれを拭いもせずにその光景に目をこらしていた。 室内では我がセント・ゲオルグ学園高校合唱部のメンバーが、コンクールに向けての猛練習の真っ最中。10月に入っていまだ暑い音楽室に空調はなく、真剣に声をしぼりだす女子部員たちの白い首筋には汗が光っている。 力強くも荘重に歌い始められたその合唱曲は、今、ボルテージが頂点にまで達したと思ったら、譜面の休符に従って音楽は総休止。ぴたと全員の歌声にブレーキがかかった。 午後の音楽室内に訪れた一瞬の静寂。 …さあここからだ… ぼくはゴクリと唾を呑む。 「いくわよっ!」 張りつめた空気を震わせ石原夏織さんみたいな声でそう叫んだのは、合唱部部長で指揮も担当する3年女子、『鉄の帝王』の異名をとる鍬菜スギナ(すきな・すぎな)。指揮棒を大きく振りおろすと、彼女の胸がブルルン揺れて、それと同時に合唱部男子たちの低い声が新しいテーマをユニゾンで歌いだす。 扉の陰に潜むぼくの口から思わずため息がもれた。 …んもおおお、たまらんなあ… と、 つんつん 誰かがぼくの背中をつついた。 振り返る。 だれもいない。 いや、いた。 ぼくの目線よりだい分と下の方から、一対の大きな目がこちらを見上げている。 その大きな目の持ち主が小倉唯ちゃんのようなひそやかな声で言った。 「先輩は変態さんですか?」 茶道部の後輩で学園1年生の留守隠ルナ子(るすかくれ・るなこ)だ。 茶道部の後輩…ってことは、そうだよ、ぼくも茶道部です。 いやお茶には全然興味ないんだけどね、その茶道部の部室が音楽室の隣なんだよなー。入部動機はそれがすべて。 ほんの半月前にそんな不純な動機で入部した新入部員なわけだけど、幽霊部員の多い茶道部の中で合唱部の練習時間だけに限れば見事に皆勤のぼくは、顧問の覚えめでたく早くも次期部長候補に挙げられていたりもする。 「先輩は変態さんですか?」 聞こえなかったと思ったのか、留守隠(るすかくれ)が同じ言葉を繰り返した。 変態?…へんたい…あ、ヘンタイね。これまであまり会話したことなかったけど、この留守隠(るすかくれ)って子、なかなか上手いこと言うなあ。 「そう、ぼく、ヘンタイ!」 ぼくはニッコリ笑って言葉を返した。 「おお、自分で認めましたね」 留守隠(るすかくれ)がちょっと意外という顔をする。 といってもこの子、前から思ってたんだけど、外見はちっちゃくて可愛いのに、表情も言葉の抑揚もほとんど変化しない。 今だって言った言葉に見合うほどの表情の変化はなくて、ただ元々大きな目の面積がほんの10%ほど広がっただけだ。あ、目の直径じゃなくて面積がだからね。だから長さにすれば…っと、約4.88(%)ほど拡大したことになりますね。それはともかく… 「うん、もちろんヘンタイだよ、つまりぼくはヘン…」 言いかけたその時、 「ちょっと、そこの変態王子!扉のかげで何をごそごそ喋ってるの?気が散って練習に集中できないじゃない!」 音楽室の横開きの扉がガラッと開いて、扉のかげから鍬菜スギナの美形の顔と立派な胸が現れた。 ヘ、ヘンタイおうじぃ? 今日はまたずいぶんと色んな呼び方される日だなぁ。 そう思いながらも一応あやまっとこうと思ってぼくは鍬菜スギナと向き合った。 「ごめん、その、あんまし合唱部の演奏が素晴らしかったので、つい…」 「つい、ですって?!」 鍬菜スギナの眦(まなじり)が吊り上る。 「あなた、そんなこと言って、毎日あたしの事…あ、いえ、あたしたち合唱部の事、この扉のかげから覗いてるじゃない!だから女子部員は皆、あなたのこと変態王子って呼んでるわよっ!」 これ聞いて、ぼくはようやく理解した。 鍬菜スギナも、そしてぼくの傍らに立ってふたりのやり取りを聞いていた留守隠ルナ子も、ぼくの思っていた『ヘンタイ』ではなくて、明らかにフツーの、いわゆる漢字で書く『変態』という意味でこの言葉を使っていたのだ。 「あ、違うんだよ、聞いてくれ。ぼくは何も合唱部の女子部員の事を覗いていたんじゃないし、確かにぼくは紛(まぎ)れもなくヘンタイなんだけれど、ヘンタイはヘンタイでも、そーゆー意味のヘンタイじゃなくってさ…」 鍬菜スギナはとんでもない勘違いしてるんだ。ぼくは純粋に彼らの歌う素晴らしい『音楽』を聴いていただけなのに。 素晴らしい音楽…そう、我がセント・ゲオルグ学園はミッション系の私立高校。だから今回コンクールで歌われる自由曲もキリスト教音楽から選ばれていた。 で、その曲というのが18世紀の作曲家、ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル作曲のオラトリオ『メサイア』から『アーメンコーラス』! 特に、ぼくはこの曲の後半、合唱が対位法的に絡み合うフーガの所を、聴けば失禁してしまうくらいに偏愛している。 「…そうだよ、ぼくは対位法的に絡み合うフーガの所を…」 口に出して説明し始めると、 バシッ! ぼくの頬に鍬菜スギナの平手が飛んできた。 「皆まで言っちゃだめ!ここには幼気(いたいけ)な1年生も同席してるのよ。これ以上、た、た、『体位』とか『絡み合う』なんて変態言葉を口にするんだったら、今からアンタを私の部屋に…じゃなくて職員室に連れてくからねっ!」 何だよ、この子(といっても上級生だけど)。『たいい』って聞いて『体位』なんて漢字変換してる時点でアンタこそ変態だろうが。 そう思ったけど、これ以上、鍬菜スギナを逆上させると、本当に職員室に直行ということにもなりかねない。 (合唱部部長のくせに知らないんだな、この言葉) そう思いながらも、ぼくは鍬菜スギナに『対位法』の意味を説明してやった…                                             ☆    ☆    ☆ 僕がこの曲、『ヘンデルのアーメンコーラス』に心底惚れ込んだのは、今年の夏の事。そう、あれは幼馴染のポリ太の家に遊びに行った時に聴いたこの曲のCDが切っ掛けだった。 ポリ太は昔からちょっと変わったヤツで、小学生のころからのクラシック音楽のオタク。それも特にバッハが好きで『対位法マニア』を自称している。 あ、このさっきから何度も出てきてる『対位法』っていうのは作曲技法のひとつです。 フーガみたいないくつかのメロディが複雑に絡み合って同時進行する曲に使われる。 で、この対位法ってのを英語でいうと『ポリフォニー』なもんだから、あいつ、自分で自分の事をポリ太なんて呼んでるうちに、周囲のみんなにも自然とその呼び方が定着してしまった(あれ?ポリ太の本名ってなんだったっけ?)。 この夏、そのポリ太の家に遊びに行った日に、あいつ、多少はクラシック音楽が好きといえなくもないぼくを餌食に、ひたすらバッハのCDを一曲一曲、講釈付きで何時間も聴かせ続けたのだ。 バッハの生真面目を絵にかいたようなフーガ…しばらくはぼくも悪くないとは思ったけど数時間となるとね。 「おい、もう疲れちゃったよ。どっか外に出ようぜ。何?留守番しとかないといけないからダメって?そんならせめてちょっとは違う作曲家のCDでも聴かせろよ」 ぼくが言うと、ポリ太は「じゃこれにしよう」と持ってきたのがヘンデルのCD。さすがにポリ太だけあってやっぱりフーガだったけど、スピーカーから流れ出した清流のようなみずみずしい響きに、思わずぼくは目を見張った…じゃなくて、こんな場合、耳をかっぽじったって言うのかな? その曲が今、合唱部がコンクールに向けて練習してるヘンデルの『アーメンコーラス』だったんだ。 ぼくはこの日を境にヘンデルが用いる対位法の虜(とりこ)になった。 今ではぼくの部屋にはヘンデル大全集の数十枚にも及ぶCDが積み上げられ、壁ぎわにはヘンデル・コスプレ変身用バロック風長髪カツラをはじめとするヘンデル系お宝グッズの山が… ではそのヘンデルの魅力とは? 常に厳密さを重んじるバッハと違って、ヘンデルはいつも対位法をあくまで演奏効果を高めるための技法として使う。 だからヘンデルの曲ではしばしば、対位法が使われる場面でクライマックスが訪れることになるんだ。おお、その瞬間の言葉にならないほどのエクスタシー! さて、もうわかったかな? さっき、留守隠(るすかくれ)に「ヘンタイ」って呼ばれた時、ぼくはてっきり「ヘンデル的対位法の心酔者」という意味で「ヘン対」って呼ばれたんじゃないかって思ったのさ。だって、何でもよく縮めて言うだろ、就職活動を「シューカツ」とか。この小説の元ネタだって縮めて「変猫」って呼ばれてるしね。       ☆    ☆    ☆ …ぼくは早速その場で鍬菜スギナの誤解を解くべく、『対位法』の意味についてしばらく懸命にレクチャーした。 だが、彼女はそんなぼくの努力にもかかわらず、 「ふん、そんなこと言って誤魔化そうったってダメだわよ。毎日のように音楽室の扉のかげからこちらを見つめてるあなたって、もう紛れもなく素敵…じゃなくって変態、変態、ヘーンタイ!何が何でも変態って言ったら変態なのっ!」 なぜか真っ赤になりながら、そんな言葉を投げつけるや、音楽室の扉をピシャンと閉めてしまったのだった。                                            さて、ここは茶道部の部室、すなわち和室。 ぼくは今、留守隠ルナ子と二人きりでさし向かいに正座している。 え?二人だけ?他の部員たちは? うん、それが、ルナ子の話では他の部員たちは毎回最初だけ顔を出すと、連れだってさっさとカラオケに行ってしまうのだとか。 合唱部の連中も今は練習を終えて帰宅してしまい、音楽室は静まり返っている。 作法通りにお茶を点ててぼくに差し出すルナ子。 ぼくはと言えばいつも合唱部の練習終了と共にソッコーで部室を引き上げてたから作法なんて全然わからない。とりあえずその茶碗を受け取って口に持って行った。 「先輩はいわゆる『変態』さんではなかったのですね」 ゲフッ、抹茶が気管に入ってむせるぼく。 「当たり前じゃん。まあ人並みには女の子にも興味はあるけどね。たとえば、白いブラウスに透けて見える下着の線とか、女子更衣室の近くを通りかかった時に中から漏れ聞こえてくる女の子たちの笑い声とかには…」 「ああ…やっぱり、変態さんですね」 言いつつも、ルナ子はことさらぼくを避けることもなく、茶道の基本動作についてのあれやこれやを丁寧に説明してくれる。そうこうするうちに時は過ぎ、遠き山に日は落ちていつの間にやら下校時間となっていた。     ☆    ☆    ☆ 夕暮れの帰り道をルナ子と肩を並べて歩く。といってもぼくの肩と彼女の肩との間には、垂直成分においてとても大きな落差があるのだけれど。 特に話す内容も見つからなかったから、ぼくは前から気になっていたことを口にしてみることにした。 「ねえ、ルナ子ちゃん。ルナ子ちゃんはどうしてほかの女の子たちみたいにキャピキャピしてないのかな?あ、いや、そんなの個人の勝手なんだけどさ、何かぼくには君がいつも感情を押し殺してるみたいに見えるんだ」 ルナ子が小さくため息をもらす。「あの、『ルナ子ちゃん』なんて呼んでほしくない…ですけど、下の名前で呼ばれたことについては嬉しくなくもなかったから許すです。実はちょっと前までは、わたしも高1の女子っぽくキャピキャピしてたですよ。でもわたし、ひと月ほど前、ちょうど余所寺(よそでら)先輩が入部してこられる少し前に両親から大変な事を聞かされてしまったです。で、それ以来、生き生きした感情を失ってしまったです」 ふうん、何だろ?両親から大変な事を聞かされるって、なんかそれって、もうこれ以上突っ込んで聞いてはいけない事のような気がする。 ぼくは変な方向に行きかけた話題を変えようと、とっさに東の空を指さして言った。 「あ、ほら、あそこに一番星。あの一番星ってホントは地球のすぐ内側を回ってる金星なんだよね!」 ルナ子は今度は大きいため息をつき、冷ややかな目で僕を見た。「先輩は地学分野はあまり得意じゃなさそうですね」 あれ?何かぼく、おかしなこと言ったかな? ぼくは乏しい記憶をたどる。 「でも、一番星は金星の事だって中学校の理科で習ったんじゃなかったっけ?」 「ええ。確かに夕方、はじめに空に輝き始める一番星は金星であることが多いです。ですが、あの星は断じて金星ではないです。ほぼ黄道(こうどう)上に位置してはいますが、もし金星なら西の空にあるはずです。内惑星である金星が夕方に東の空に見えることはないですよ…」 そう答えるルナ子の声が心なしか震えていることにぼくは気づいた。 ルナ子は続ける。 「…そして、わたし、あそこにあるあの星の正体を知っているです。あの星は何かというと…実は、それがさっきの話とつながってくるのですけれど…でもその前に、先輩、なぜわたしの名前はルナ子なのだと思いますか?」突然、変な質問をしてきた。 「え?そりゃあ、生まれたとき、おっきな目がとてもかわいくて、まるでまんまるなお月様みたいだったから、ご両親がその名前にしようと思ったんじゃない?」 「はずれです。実を言うとわたしの両親がともに天文学者なのです。それで父は子供の時にテレビで見たアポロ宇宙船の月着陸のようすが未だに忘れられず、ひとり娘であるわたしにルナ子と名づけたです。で、その天文学者である両親が一年前に、今、東の空に明るく輝いているあの星を(そのころはまだとても暗かったですが)発見したです。そしてNASAと共同でその軌道を厳密に計算した結果、何とあの星は間もなく地球に衝突するルートを進んでいるということが分かったです。しかもその大きさからみて、衝突すれば人類は間違いなく滅びるです。白亜紀の終わり、6500万年前に地球に巨大隕石が落ちてきて、栄えていた恐竜が完全に滅んでしまったように」 え?何言ってるんだろ、この子。そんな話、初耳だよ。 ぼくは言った。 「冗談だろ。だってもしそれが本当なら今ごろ、新聞やテレビが大騒ぎしてるはずじゃ…」 「だから、パニックを避けるため関係者以外には秘密にするよう、アマチュア天文家も含めて世界中で厳重な箝口令が敷かれてるですよ。発表したところで、いくら全世界の人たちが力を合わせ頑張っても、今の時点で人類が手にしている科学技術では、あの隕石の衝突を回避する手立てはないですから。公表してもパニックが発生するだけ無駄というものです」 そう言われてもまだ実感がわかない。 ルナ子はさらに言葉をつぐ。 「わたし、この話を一か月前に両親から聞いたです。それ以来、あまりの恐ろしさに高1女子的キャピキャピができなくなってしまったです。でも…それでも部室でお茶の練習をしている時と、それと…ているときだけは心が落ち着いたです」 「え?何か途中で声が小さくて聞こえなかったけど?」 「だから…その…お茶の練習をしている時と…あの…余所寺(よそでら)先輩の姿を目で追っている時だけは…」 ぼくにしてもポリ太にしても、クラシック音楽を愛好する男なんて女子に好かれるわけがないし、むしろオタクっぽいところが気持ち悪がられるものと思っていた。だがこれはひょっとして苦節17年、『捨てる神あれば拾う神あり』を地で行くようなドキドキな展開と言って良いのではないだろうか?今、ルナ子の言葉聞いて心には喜びが、夏のTシャツに滲みてゆくワキ汗みたいに、ジワジワとしかし確実に広がっていくのをぼくは感じていたのだった…って、そんな青春系ラノベみたいな悠長なこと言ってる場合じゃないよっ! 「その衝突の日って一体いつなの?」 ルナ子はしばらく沈黙したのち、意を決したように口を開く。 「たかだか直径20㎞(それでも地球は壊滅的な打撃を受けるのですけれど)、そんな小さな天体が今、ほぼ地球大の金星と同じほどに大きく見えているのですよ。もう確実に月の軌道半径より内側に来ています。隕石は秒速10㎞以上の速度で突っ込んできますから、たぶんもう数時間もすれば…」 「エエエエーッ!!!」 何なんだ・何なんだ・何なんだ・これは? あまりの急転直下の展開にぼくはもう言葉も出ない。 ルナ子は立ち止まり、ぼくに向き合うと、その大きな瞳でぼくを見上げてペコリと頭を下げた。 「ごめんなさい。先輩、知らないままでいたほうが良かったかもしれません。でも、そろそろ全世界では、この事実があらゆるメディアを通じて発表されているはずです。わたしの両親も、たぶん今頃はJAXAの施設に出向いて記者会見に臨んでいるところで…」 ルナ子はそこで言葉に詰まったように黙り込んだ。 でもぼくにはその次にどんな言葉が来るかは想像がつく。 即ちそれは…『今、家に帰っても誰もいない』という事。 さっき、ルナ子は自分がひとり娘だと言っていたのだ。 …先輩は変態さんですか?… 思えば今日、あの音楽室の扉の前でそう言ってぼくに声を掛けてきたのも、この終わりの日をぼくと共に過ごしたかったということなのじゃないだろうか。 ぼくと会話し、一緒にお茶を吞みたかったのじゃないか。 ルナ子は怖かったのだ、そして淋しかったのだ。 ぼくはルナ子を見下ろし、その海のように深く大きな瞳を覗き込んだ。 「ど、どうしてそんなに見つめるですか。何だか恥ずかしいです」 ルナ子が顔を赤らめる。 肩に手を置くと、ルナ子はぼくの胸に頭をあずけてきた。 ルナ子の髪の匂いがする。 東の空ではあの星が、心なしかさらにその大きさを増したようだ。と、突然、ぼくの耳の奥で、ヘンデルの『アーメンコーラス』が壮大に鳴りはじめる。 http://www.youtube.com/watch?v=nlfxe8ujn7M ああ、これは何とも素晴らしいエンディングテーマだな。 ルナ子も今はまるでぼくと同じ音楽が聞こえているかのように目を閉じ、このひと時を味わっていた。その口元に幸福そうな微笑みさえ浮かべながら… 【終わり】 ………って、終わりじゃないよっ!!! ぼくたちはその時、すぐ背後に男の声を聞いたんだ。 「よお、ルナちゃん、お帰りなさい」 振り向くとそこには、人のよさそうな中年の男性がニコニコ笑って立っている。 毎日このあたりを通りかかる焼き芋屋のオヤジさんだ。 ルナ子の知り合いだとは知らなかった。 今も屋台を牽(ひ)いているところを見ると、間もなくやってくる人類の滅亡についてはまだ聞いていないらしい。 オヤジさんはぼくを見ると目を細めて言う。 「おお、隣りのイケ面の彼は、ルナちゃんのカレシかい?」 ルナ子は恥ずかしげにうつむく。 「もうっ、そんな事…おっきな声で言うのやめてよね、お父さん」 ナ、ナ、ナヌ?お、お、お、お父さん????? 「あ、あの、ルナ子ちゃん。ルナ子ちゃんのお父さんって天文学者だったんじゃなかったの!?」 そしてぼくは見た。ルナ子がこれまで貫いてきた無表情を大きく崩す瞬間を。 「エエッ、先輩。まさか、ひょっとして地球滅亡の話、本気にしてたんですか?わたし、先輩もホラ話と分かってワザと調子を合わせてくれてるんだと思ってました!」 「で、でも、じゃあの星は?」 「ああ、あれは木星です。木星なら東の空に見えることもあるし、木星って地球からは遠いけれどその分、赤道半径が金星の10倍以上も大きいから、結局、金星と同じくらいに明るく大きく見える日もあるんですよね」 かくてすべては判明した。 ルナ子のこれまでの無表情が単にもともとの人見知りのせいであった事。 また、それは多少、ぼくのことを意識してくれていたせいでもあったらしい事。 地球が明日も続くであろう事。 人類は明日も継続して種の保存に努めていくであろう事。 「ほれ、あったかいぞ、食べなさい」 ルナ子の親父さんがぼくに焼き芋を手渡しながら訊く。 「余所寺くんは焼き芋と蒸(ふ)かし芋のどちらが好みかな?」 ぼくはありがたく受け取ったホッカホカの芋を一口かじって答える。 「そりゃ甘くておいしい焼き芋の方っす」 親父さんは嬉しそうに頷いた。 「そうだよな、やっぱりウマいのは蒸(ふ)かさない芋の方だよな」 それ聞きながらぼくのとなりではルナ子が、はむはむはむと口いっぱいに焼き芋をほおばり笑っている。 それまでの無表情に慣れていただけに、ぼくにはこの今のルナ子が、もはやヘンデルをさえ忘れ去ってもいいくらいに魅力的に映る。 だからぼくは、いつかぼくがルナ子と二人して、人類という種の保存に寄与するその日を、妄想せずにはいられなかったんだ。  【終わり】             ≪あとがき≫ 読んで下さってありがとうございました。 これ読んでくれたある人が、1回目の【終わり】のところで終わっといた方がよかったかな、なんて言ってました。 本当いうと実は最初は僕もその積りだったんです(僕は最後をどうするか考えずに書き始める事が多いので)。 ところが、元ネタの「笑わない猫」という言葉のモジリを考えてたら、何故か「蒸かさない芋」ってのが思い浮かんで、無理やりそんな結末に持って行った次第です。 もしあれが本当にルナ子ちゃんの作り話だったとしたら(そうなんですけど)、ルナ子ちゃんはすっごく機転の利く頭のいい少女ということになりますね。 ではまた。