22歳、母は父と結婚した。
好きな人と結婚出来ないし、家を出る事が出来るなら誰でもよかった。
父がしつこかったし。と母は言っていた。

いつもどこかで見ているかのように、困ったとき急に現れたり、仕事が終わると外で待っていたり。
まるでストーカーだ。

母の結婚生活はこれが1回目。

父は自営業、農業をしている父の両親と同居、父の妹も結婚前で数年一緒に生活した。

わたしからみても本当に大変な結婚生活だったと思う。

「私は女中じゃない」よく母が言っていた。
わたしも母ばかりが大変だと思っていた。

父の両親は母をお手伝いさんのように扱った。
嫁に人権はなかった。

「嫁に貰ってやった」ここでもこんなふうに言われていた。

朝昼夜の食事も、出したものには文句を言われ、
「こんなもん息子は食べない」

子供が残したときには
「お前の作るものが美味しくないから残す」
こんな事を言われ続けていた。

母と父が結婚した翌年にわたしは産まれるのだけれど、わたしと弟は6歳の年の差がある。

母はわたし1人産んで、“この家を出ていこう”と思っていた時期があったらしい。

でも実家には帰りたくないし、行くところもない…。

借家住まいをしたり、また同居したり、その後わたしは三人兄弟になった。

わたしや弟が幼い頃、時々祖父が母を怒鳴り、母が泣いていた。

アイロンをかけていた母が祖父に怒られて、わたしの給食ナプキンで顔を覆い泣いていた。

兄弟喧嘩した時、兄が弟を押した事に怒った祖父が、母に言った。
「お仕置きとして兄を外に出せ」

その日は雪が少しだけ積もっていた。
母は仕方なく外に出し、窓の鍵をかけた。

裸足で薄着のままの弟は窓に近づき大泣きしていたが、
祖父が怒っているので、皆見ていることしか出来なかった。

祖父はとても権力が強かった。自分が家長だ。そう思っていたから誰も意見出来なかった。

こんな時いつも父はいなかった。

トラブルが起こった時、仲裁することもほぼなかったと思う。
母の話しを聞くこともほとんどなかったと思う。

実際はわからないけれど、少なくとも母から聞いていた父の対応はよいとは思えなかった。

自分の親に逆らえず意見も言えずに逃げているだけのように感じた。

祖父はこうして怒る、怒鳴る、もあったけれど、
動物が好きだったり優しい人で、周りの人から慕われていた。

昔の時代はこういう人は珍しくなかったのかもしれない。

祖母はわたしからみても良い人間だとは思えないことばかりで、
母がいないときは毎回母の悪口を、台所で祖父に話していた。

大声がわたしの部屋まで聞こえてくるので、
階段にそっと座って母の悪口を言っているのを聞いたりした。

「お母さんの悪口ばっかり言わないでよ!」直接言った事もあった。
「悪口なんか言ってない」いつもそう誤魔化してきた。

母の留守中に勝手に部屋に入り、あちこち物色したり、そういう人だった。

飼い犬や猫を蹴ったり、縫うくらいの怪我をして血を流している弟を見た時に、
汚い。血で汚れた。と言ったり、本当に意地悪な人だった。

夫が早死にする方法。みたいな本が部屋にあったのを見たことがあるし、
わたしも優しくしてもらった記憶が全くない
ひとつもないかもしれない。