高校時代は高知市内で下宿生活をしていたが、高校が市の郊外にあったため市内中心部で遊ぶために時々電車を使った。特に中心部でよさこい祭りや他の祭りなどがある時は、電車で出かけるのを楽しみにした。
田舎から出てきて電車に乗ることで分かったことは、自分は電車内などで多くの人といることが好きであるということである。電車内で混雑して人に揉まれても、それほど気にはならない自分に気づいた。別に人を観察するのが好きだというのではないが、なぜか分からないが電車内で多くの人といるのが好きである。
ある時、祭りに行くための大学生でギューギューに混雑した電車に乗ったことがある。私は5、6人の女子大生に囲まれてつり革を握って立っていたが、どうもお尻の辺りに女子大生のお尻が当たっていて、そのお尻がモゾモゾ動いているのを感じていた。しばらくそれは続いたが、ふと隣の女子大生を見ると、彼女はニヤリと笑って流し目で私を見ながら、隣の女子大生に「ねえ、この子よ・・・」と話していた。何が「ねえ、この子」なのか分からなかったが、咄嗟に、「あっ、痴漢と間違われたのではないか?」と判断した私は、非常に恥ずかしくなって予定していた停留所より1つ手前の停留所で降りたのを覚えている。
高校の時は、田舎から電車が通る都会に出てきたということもあり、日常的に踏切と出会う機会が増えた。私は「カーン・カーン・カーン」という踏切音に都会を感じる。踏切なら私の育った田舎にもある。しかし踏切音と出会う機会は極端に少なく、遮断機が降りて列車が通過する姿を見ることなど年に4、5回ぐらいしかなかった。それだけ踏切の数も、通過する列車の数も少ないということである。今思えば、この踏切との出会いも鉄道好きになった遠因なのかも知れない。今でも踏切音を聞けば心が弾む。「カーン・カーン・カーン」と鳴れば、思わず電車が来そうな方向に目をやる。時には、踏切を通過していても、踏切音が聞こえてきたら電車が通過するのをわざわざ待ったりする。
高校卒業後、大学受験予備校に通うために大阪に出た私は、さらに踏切と出会う機会を多くした。大阪の住之江に住む伯母の家から堺市にある予備校に通うのに、15分かけて自転車で我孫子駅まで行き、和歌山行きの国鉄阪和線に乗って堺市へと向かう日々を1年間経験した。田舎丸出しで恥ずかしいことだが、国鉄の列車と言えば「汽車」と呼ばれるディーゼル機関車だと思っていたが、都会では「電車」が主流であることをこの時初めて知った。この時期も別段鉄道に興味を持つことはなかったが、踏切で長い時間待たされたり、満員電車で人に揉まれたりすることを嫌だと思ったことは1度もなかった。むしろ、そんな都会の雰囲気が好きだったような気がする。
特に、踏切音が消えて遮断機が上がった時、向こうから一斉に大集団が踏切を渡って来る光景は、田舎や地方都市では見られない景色なので、大都会をヒシヒシと感じさせてくれてワクワクした。そういう光景を何回も見ていると、ふと、踏切音が鳴り遮断機が降りて電車が通過する時、踏切の向こうとこちら側では別世界がつくられてしまうのではないかという錯覚を覚える時がある。電車が通過して向こう側が見えた瞬間、電車が来る前の光景とは全く違う景色が展開していて、遮断機が上がると思わぬ事態が発生してしまうという事はないだろうか?例えば、電車が風のように過ぎ去った後、踏切の向こうには、大将格の武将が厳しい兜を被って床几に座り、その側には馬に跨った側近と槍部隊が構えているという戦国時代の光景が現れたりするとどうだろう?遮断機が上がると、大将が「かかれー!」と叫んで采配を振り、馬と槍部隊が一斉にこちら側に突進して来るという事態になれば、私の人生は大いに変わってしまうに違いない・・・浪人生という負い目を払拭するために、そんなSF的な想像をするのが楽しみだったりした。
この浪人時代に少しでも 鉄道に興味を持っていたら、大都会の中で列車と出会う機会に大いに恵まれていたのだが、今となっては、それを嘆いても仕方がない。
大学時代は再び四国に戻ることになった。今度の居住地は愛媛県松山市である。ここには国鉄の電車と伊予鉄道という私鉄の電車がある。四国で国鉄が電化されているのはごく一部で、予讃線の一部である高松-松山間はそれに当たる。ただ、松山市というのは昔から私鉄の伊予鉄道が公共交通機関として幅を利かせていた地域で、私は地方都市の私鉄ながら環状線と郊外線があることに驚いた。高知市の電車はそのような区分がなく、ただ東西に長い電車道であった。環状線という言葉が大阪の環状線と重なって、松山が結構都会のような印象を持ったものである。
この大学時代も鉄道に興味を持つことは全くなかった。この当時の松山市は人口40万で、市の中心部で大学生活を送るには自転車で移動すれば事足りることが多かった。郊外へ出て行くことも少なかったので、それほど電車を必要としなかったのである。盆や正月に高知の田舎に帰省する時は少し難儀をした。松山から高知の佐川まで国道33号線を国鉄バスで行き、佐川から土讃線の急行に乗り換えて西の窪川駅まで行った。そこでまた汽車を乗り換える必要があった。帰省先の駅は普通列車しか停まらないが、佐川から乗り換え無しの普通列車で行こうと思っても、時間がかかるのとうまく接続する便がなかったのである。つまり、普通列車も窪川停まりの便が多くて、窪川から西の中村方面に行く便は少なかったのである。窪川から中村にかけての路線は、この頃から少し経てばJR四国を経て直ぐに第三セクターの運営となってしまう。もう私が大学生だったこの頃から経営的には厳しいものがあったのではないかと推測する。ともあれ、窪川駅で接続の悪い普通列車を約1時間も待って帰省していたような記憶が残っている。
こんな時の待ち時間も、さほど私は苦にならない。よく窪川駅の近くの寂れた食堂で油濃い焼きそばやうどんやおでんを食べたものである。特に焼きそばが美味しかった記憶がある。窪川駅は田舎の駅らしく、古い汽車の軋んだ音が響き渡るほどに老朽化した建物である。中央だけ明るくて、周囲が薄暗いホームの隅でじっと汽車を待っていると、色々な事を考えてしまう。周りに人はほとんど居ない。しかし寂しい雰囲気というより、誰かが黙って一人芝居の舞台を用意してくれたような空気が漂う。こんな時間は貴重だと思う。これも鉄道がもたらしてくれる例の「余白」なのかも知れない。こんなことを鉄道に興味を持った今になって思うのである。
今は第三セクターになった土佐くろしお鉄道中村線は窪川駅が起点となっている。その窪川駅の次は寂れた無人駅の若井駅である。この駅は、土佐くろしお鉄道の中村線と、JR四国の予土線が乗り入れており、予土線はこの若井駅を起点としている。しかし、予土線の列車はすべて中村線に直通して窪川駅発着で運転されている。何ともややこしい話になっているが、私は難しく考えず、土佐くろしお鉄道中村線と予土線の分岐点は窪川駅であると勝手に決めている。というか、若井駅の存在を知ったのは恥ずかしながら鉄道に興味を持ってからのことで、それまでは土佐くろしお鉄道中村線と予土線の起点はずっと窪川駅であると思っていた。いずれにせよ、土佐くろしお鉄道中村線も予土線も、大赤字のローカル線で、放っておけば廃線の悲劇が待っているような路線である。窪川駅というのは、そんな瀕死の重症を負った2つの路線の起点駅(正確な言い方ではないが)である。
この駅は全国の赤字ローカル線の象徴としても良いような駅だと思う。そんな窪川駅を活気付けるような企画が欲しいものである。思えば、中学生の時から赤字の鉄道路線を見てきた私なので、社会問題に正面から向かい合う年齢になると、嫌が上にも鉄道に興味を持つようになったのかも知れない。そんな思いに気づいた今、近いうちに窪川駅を訪ねてみたくなった。その時は、大学時代とはまた違った感慨が湧くことだろう。
社会人になってからは、さらに鉄道から遠ざかっていたように思う。大学卒業後、そのまま松山市で就職した私は、車を購入したおかげで、市を出て遊びに行くにも帰省するにも列車を利用することはなくなった。駐車場完備の会社だったので通勤も車である。
しかし、私は車好きではない。社会人になっても鉄道好きではなかったが、「鉄道と車のどちらが好きか?」と問われたら、おそらく若い時であっても「鉄道だ」と答えていたであろう。
車はとにかく「余裕」がない。運転をしていたらあらゆる方向に注意を向けなくてはいけない。運転をしなくても、座席に縛られて窮屈な空間に閉じこもることを強いられる。列車のように余裕のある空間や、適度に間を取った人々とのコミュニケーションなど、望むべくもない。従って、鉄道では容易だった「余白」づくりが車では難しいのである。1人で余裕のある気持ちで居られる状態は、動いている車ではなかなか作れない。車は余りにも日常的である。しかも大抵は忙しい日常の中で動くのが車なので、車が鉄道のように非日常を作り出したり、情緒的な余韻を生み出したりすることはほとんど無い。
また、車は他人の日常にも介入し過ぎている。離合が困難な狭い道でも大きな車同士が歩行者を無視して平気ですれ違おうとする。松山市は特にそんな狭い道が多い街であるが、至る所に車が侵入して来る。こんな光景を嫌というほど見ているので、どうしても私は車の横暴さが許せない。
「車が他人の日常に介入し過ぎている」というのは、都会だけのことではない。田舎に行けば、車無しでは生活できないという高齢者が大勢いる。これは、見方を変えれば、田舎の生活に車が入り込み過ぎているということである。昔は間違いなく鉄道が人々の交通手段であった。鉄道は、かなりの制約を受け入れないとうまく利用はできないが、それが利用者に社会的な秩序とルールをもたらす。しかし、車は個人が自由に利用できる便利な乗り物なので、社会的な秩序やルールなどは軽視されがちなのである。従って、運転が難しくなっている高齢者にも運転免許が容易に渡され、時に悲惨な事故が生じてしまう。歩いて十分行ける距離であってもすぐに車を使おうとして、狭い道に横暴な侵入を試みる。もう、車のわがままは地球規模で規制される段階に来ていて、それを補完する形で鉄道が見直されるべきだと私は考えている。
鉄道は非日常的な空間と一定の制約を共有しながら、人々がそれぞれの時間を過ごし、それぞれのコミュニケーションを形成するモビリティである。車は日常的空間で個々人が自由に操るモビリティであるが、他人の日常にも平気で侵入してくる迷惑な存在にもなり得る。これからは鉄道を復活させて、車社会の歪みをうまく補強してゆく時代になっていって欲しいものである。
長い間車を利用していながら、鉄道に興味を持ち始めた今は、以上のような車への批判的感想を持つようになった。いや、この関係は逆かも知れない。つまり、車への批判的感想を持つようになったから、鉄道に興味を持ち始めたのかも知れない。
(次回へ続く)
