「撮り鉄」というほどのマニアではなく、「鉄道写真を趣味にしてみよう」と思い立ったことから、鉄道に興味を持って4ヶ月ほど経った。金も時間もないので、今はあちこちの鉄道を巡ることがほとんどできない。そこで、少しでも鉄道のことを知ろうと、先日『鉄道の基礎知識』という本を買ってみた。現在少しづつ斜め読みしているところだが、鉄道に関する知識には知らないことが多いのに驚かされる。また、知っているつもりでいても、奥が深くて知らないことが詰まっている鉄道用語も多くありそうである。「駅」という名前もその1つであろう。以下、最近「駅」について思っていることを綴ってみたい。鉄道に関する知識については、専門家でもないし博学な鉄道マニアを気取るつもりもないので、「〜であるらしい」といった、他所から借りてきた知識であることが分かる表現をとることにする。
「駅」とよく似た言葉に「停留所」とか「電停」というのがある。法令用語でいう「鉄道」は、専用の敷地にレールを敷設して人や貨物を運ぶ運輸機関の総称であるらしい。それに対して法令では、道路交通の補完的な役割を果たす目的で、道路上にレールが敷設されているものを「軌道」と言うらしい。どうやら、この分類に従って、「鉄道」上に設けられて列車が停まる場所を「駅」、「軌道」上に設けれられて路面電車が停まる場所を「停留場(「停留所」とか「電停」とか呼ばれるもの)」というようだ。最も、実際は路面電車の電停でも「駅」の名前を冠するものは多く存在すると思われるが、ここでは路面電車の「駅」を除いた鉄道の「駅」について雑感を述べてみたい。
- 「駅」というのは、もともと中国の律令制で官道に設置された宿場のことを指していた。官人のために駅家(えきか)が人馬を継ぎ立てたり、宿舎、食料を供したりした。古代の日本や中国では、街道を整備する際に一定の間隔で設けられたこの宿場のことを「驛」と呼び、これによって町が発達したという。この字は「馬」へんに「たぐりよせる」という意味のつくりを当てているらしい。このつくりの読みが「エキ」であり、「驛」は馬をたぐりよせるところを表していたようだ。古来人間は馬を手なづけ、移動にあたって馬を使い、その馬や人間自身を休ませる場所が「驛」であった。古代から中世にかけては、交通制度の一つの形態である駅伝制に基づいて驛が街道に置かれ、それらは大路30里(約16キロメートル)毎に一駅を原則としたようだ。
- その驛は荷物や手紙を載せ替えて次に伝える役目も負っていて、ここから日本では「駅伝」という単語が生まれた。正月の恒例となっている「箱根駅伝」などに見られる「駅伝競走」はここから来ている。
十二支の動物の中で、駅名に一番多く使われているのは「馬」であるらしい。上述のように、古代から町は「駅」と馬のおかげで発達したといっても過言ではないので、馬にちなんだ町名や駅名が多くなるのだろう。「馬」のつく駅名には、美馬牛駅(富良野線)、下馬駅(仙石線)、相馬駅(常磐線)、群馬総社駅(上越線)、馬庭駅(上信電鉄)、馬喰町駅(JR総武快速線)、馬路駅(JR山陰線)等々、数多くあって、どのくらいの数があるのかは知らないが、高田馬場駅のように「馬」に関連する地名が駅名に使われているケースも含めれば、相当数あるだろう。
駅伝制を例に出すまでもなく、古来、駅は人の思いを継なぐ役割を担ってきた。特に遠く離れた者同士の物品や情報、思いの交流を成立させるポイントとして大切な役目を負ってきた。それは単に、「AさんがBさんに会う目的でAさんの住む町のX駅からBさんの住む町のY駅に向かう時、X駅もY駅もAさんとBさんを結びつける大切な役目を負っている」というだけのことを意味するのではない。AさんはX駅からY駅に向かうために、途中、P駅やQ駅で乗り換えをしなくてはいけいケースも多々ある。この場合、Aさんの思いを成就させるために、P駅やQ駅も「乗り継ぎ」という重要な役割を負うことになる。しかも、X駅、Y駅、P駅、Q駅には、Aさんのようにある目的を持って駅を利用している人が、場所によっては1日何万人といるのである。そこから駅が持つ機能や利便性、特殊性が昔から数多く考案され、多くの人の手でより良い駅づくりの工夫が重ねられてきたことは容易に想像できる。
駅の種類を増やしたことも、その工夫の1つかも知れない。駅の種類といっても、どんな切口で分類するかによって種類も違ってくるので、ここではホームの配置による分類を述べておく。ホームの配置で駅を分類すると、基本的には次の4つに分類されるようだ。
(『鉄道の基礎知識』より)
①単式ホーム=1本の線路に片面ホームが1つだけ接する最も単純な形態
②相対式ホーム=下り本線と上り本線など2本の線路が2つの片面ホームに挟まれる形態で、対向式ホームとも呼ばれる。
③島式ホーム=下り本線と上り本線など2本の線路に1つの両面ホームが挟まれる形態
④頭端式ホーム=櫛形ホームに行き止まりの線路が並ぶ形態
赤字で苦しんでいるローカル線駅の大部分は単式ホームである。しかし、なんとも言えない情緒を醸してくれる駅も単式ホームの駅である。
相対式ホームはあまり好きではない。なぜかと言うと、こちらの駅と向こうの駅で人と対面することになり、遠目ではあっても、どうしても対面の人の格好や仕草が気になるからである。人を観察するのが好きなので、慣れてくればそれはそれで良いのだが、今度は列車がホームに入って来ると、その観察が一瞬にして遮断されてしまう。中途半端な形でホームを後にすることとなる。
個人的には、島式ホームの形態が好きである。ホームの両端に線路が延びているというのは、どことなく浮いた感覚があり、まるで雲に乗っているような気分になる。そこに列車が来ると、空に敷かれた線路に音もなく列車が着地して近づいて来るような錯覚を覚える。
どちらかと言うと、相対式ホームや頭端式ホームは都会型のホームであり、単式ホームや島式ホームはローカル線のホームであろうか?私には、相対式ホームや頭端式ホームは、都会のデパートやホテルが入るビルの一角にある駅であって、ほとんど「駅」のイメージが掴みにくい。反面、単式ホームや島式ホームは、「駅」が持つ外観も心的風景もイメージし易いのである。
駅というのは不思議な心的風景をつくる。とある田舎の駅で、誰か愛しい人が乗った列車を待っているとしよう。その人が乗っていると思われる列車が駅に近づいて来た。その列車の顔は希望を乗せて明るく笑みを讃えているように思える。自分は駅のホームに立って待つだけである。こちらから近づく必要はない。列車が全てを運んでくれる。期待が膨らむ。ドアが開く。年寄りや若夫婦、子供や青年が降りて来る。待ち侘びた人は降りて来なかった。列車がゆっくりと駅から離れて行く。ホームに立ったままの足は列車を追いかけることはしないが、列車の後ろ姿に心が引きずられて行く。遠ざかりやがて点となって消えた列車が、「待ち人はもう来ない」と囁いたように思えた。近づいて来る時の列車の顔と、遠ざかる時の列車の後ろ姿のギャップを埋めるように、改札口を出ると日常の風景が迫って来た。
このような心的風景をつくる駅と、バスの停留所や路面電車の電停とはどう違うのだろうか?そこには、やはり列車と駅との特殊な関係があるように思われる。列車は、バスや路面電車、自家用車とは違う特別な乗り物である。駅は、停留場や自宅のガレージとは違う特別な乗降場である。列車に乗っている人も駅で待つ人も、心の半分は非日常の中にいて自分を内省する余裕を持っている。後の半分は日常に心の足を付けている。そのような演出ができる装置を備えているのが駅であると思う。
ある田舎の青年が、一念発起して東京に出て活躍したいと考えた。旅立ちの日に田舎の駅のホームに立った彼は、色々と東京に出てからのことを考えた。しかし、半分は後にした実家の両親や兄弟のことも気にしていた。列車が来る。実家の事が気になり後ろ髪を引かれる思いである。今なら引き返すことができる。列車が停まる。ドアが開く。乗り込んで車窓を見る。列車が動く。後にした故郷に思いを馳せながらも、列車が速さを増すにつれて東京にも思いを巡らせる。列車の中では時間を持て余す。また、実家のことが心配になる。もう後戻りはできない。鉄道はまっすぐ行き先を示していて、列車の行き先に運命を託すしかない。やがて東京駅が近づいて来る。それにつれて心が整って来るように感じる。どう整うのか説明はつかないが、落ち着くと共に覚悟のようなものが芽生えてくる。列車が停まりドアが開く。一瞬にして、実家のことも故郷のことも忘れ、どこに向かって歩いて行くべきか必死で探している自分がいると自覚した。
駅というのは、列車でその駅に降りようとする人も、駅で列車に乗ろうとする人も、「心を整える」場所であり、その人が乗降の後に取るべき行動を一瞬で決めるのに効果的な場所であると思われる。非日常(列車に乗っている時やホームに立っている時)と日常(鉄道から離れた普段の生活)との分岐器と言っても良い。分岐器とは、鉄道の線路を分岐させ、列車や車両の進路を選択する機構全般のことを言う。 分岐器のうち、進路を転換する部分のことをポイントと言うが、駅は非日常と日常のポイントではなく分岐器である。乗降の後に取るべき進路はいくつもあり、それを選択する場所が駅であるからである。
駅と列車には以上のような特長がある。これはガレージと自家用車では味わえないものである。

