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愛媛県の県都松山市には、「市駅」という駅を中心にして、市内環状線と郊外線(3路線)に分かれた電車が通っている。
市内環状線は、1両編成の俗に言う路面電車が走り、郊外線は鉄道上に3両編成の電車が走る。
我々がよく使う「鉄道」というのは、実は、「狭義の鉄道(以下、単に「鉄道」という)」と「軌道」に分類される。鉄道は専用の敷地にレールを敷設して人や貨物を運ぶ運輸機関の総称である。軌道は道路交通の補完的な役割を果たす鉄道を指すもので、道路上にレールが敷設される。それぞれ管轄する法律も違っていて、鉄道は「鉄道事業法」で、軌道は「軌道法」で管轄されることになっている。最大の違いは、カーブを設ける際の半径の規制で、鉄道の場合は「最小160m」という制限があるのに対して、軌道はカーブの半径として11m程度と急カーブが許容されている。
松山市の市内環状線を乗っていると、「城北線」と呼ばれる電車道だけ他と風景がかなり違うことに気づく。上にある写真を見ればお分かりの通り、A の写真では路面電車が民家の間を通っており、レールは道路の一部ではなくて専用の敷地に敷かれている。Bの写真は道路上に敷かれたレールの上を行く普通によく見る路面電車である。城北線の一部であるが、下の動画を見ると普通の路面電車と様子が違うのがよく分かる。
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【伊予鉄城北線入り口付近(JR松山駅停留所〜宮田町停留所付近)
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【伊予鉄城北線の様子(高砂町停留所〜清水町停留所)】
もうお分かりのように、松山市の市内環状線は城北線が「鉄道」となっており、城北線以外が「軌道」となっていて、管轄する法律もそれぞれ違っているのである。それはなぜかというと、城北線の前身は明治時代に敷設された道後鉄道の路線となっているからである。
伊予鉄道は1888年(明治21年)に開業し、三津浜港から松山市内への旅客輸送の便を図ったが、道後温泉までは別の手段で温泉浴客を輸送する必要があったため、1893年(明治26年)に道後鉄道が設立された。しかし、経営難から1900年(明治33年)に伊予鉄道に吸収合併された。合併後に線路が移設された区間も多く、かつての道後鉄道の路線を引き継いでいる一部区間として城北線の一部が今も残っているのである。
下の地図は、100年以上前の松山市街地の地図に、道後鉄道の線路(赤の線)位置と現在の線路(青の線)位置を示したものである。これは、伊予鉄の公式ホームページからダウンロードした。


