「父親」 | 〜ある夫婦の物語〜О夫妻に問いたいこと

〜ある夫婦の物語〜О夫妻に問いたいこと

夫さんは、もう居ません。
妻と息子二人が残されました。
夫の死後、10日余りでブログを引き継いだ妻。
夫の思いを繋ぐブログにしたい。初めはそうだったのかも知れません。
でも、違ったのです。

こんばんは😌

毎日なかなかの気温ですが、体調はいかがですか?

毎年この時期は、娘が卒園した保育園の「夏まつり」があるのですが(卒園したのは何十年も前の話です)、今回初めて欠席してしまいました。

去年の「夏まつり」で少し思うところがあった事、あとは…、

自分の事は自分で守ろう、そう考えて欠席しました。

(勿論、他の幹事の方には、前もって連絡済みです)

自分だけ良ければいいのか?と悩みましたが、結果これで良かったと思っています。

なにかあって、迷惑をかけたくはないですから。

夏まつりは、なるべく園舎の中で出来るようなプログラムに先生方が工夫して行われ、無事に終わって何よりでした。

(何もしていないのに、なんか偉そうだ…😖)



すでに故人ですが、私の父は「下三白眼」で、少し近寄りがたい雰囲気のある人でした。

近寄りがたかったのは、別に容貌のせいだけではなく、子ども達に対して厳しかったからでもあったと思います。

金曜日が「一学期・終業式」の所が多かったようですが、子どもの頃は通知表を見せるのが、嫌で仕方ありませんでした😔

たいていの方が、そうだと思います。

あれっ?もしかして私だけですか?(笑)

私は「算数」が大の苦手で、5段階評価の【3】しかもらった事が無く、いつも父に叱られていたのです。


夏休み、2kmちょい歩いて学校に行かなくていいのは嬉しかったけど、父に通知表を見せるのは、毎回憂鬱でした。

勝ち気な所があるくせに、「算数」に関しては【3】でも全く気にならない私も、ちょっとどうかとは思いますが😁

(算数と数学の苦手意識は、その後、高2まで続きました)

今でも、テストで1問も解けない「夢」を見る事があります。


父は、何故か私のアタマを過大評価していて、教員になって欲しかったようなんです。

私には全くその気が無く、アタマも無く、ある教科の教員免許は取りましたが、一度も採用試験を受けずじまいで…。

卒業してそのまま就職、結婚相手も勝手に決めて、地元には戻りませんでした。


そんな娘の事を、父はどう思っていたのだろう?

もっと父と話し合って、時にぶつかったりすべきだった?

(勿論「取っ組み合いのケンカ」はしません😁)

私は父が大好きでしたから、うっかり馴れ馴れしくして「親は友達とは違うんだからな!」と、ピシャリと言われた事が忘れられませんでした。

なんとなく父との間に距離をおくようになり、大人になってもそれがそのままになってしまったように思います。


何年生の時の事か忘れてしまいましたが、ある晩、父と私だけが起きていた時に、玄関のドアを「トントン」と叩く音に気付きました。

父はイヤホンを着けてテレビを見ていましたが、昔のイヤホンですから、長いコードで片方だけで使用するものです。

当然、父の耳にも聞こえていたはずなのに…。

何時頃の出来事かも覚えていないのですが、母や姉・弟達が先に寝た後ですから、8〜9時の間ぐらいでしょうか?

机に向かっていた私は、「誰か来たみたいだよ?」と、父に言う事が出来ず、「トントン」(🐼か!)が怖くて、トイレも我慢して、タオルケットを頭から被り、寝てしまいました。

(翌朝、風が吹いて「何か」がドアにぶつかって、音を立てた可能性が低い事は、自分で確認済みです)


あの時、父に話して、もし音の正体を知る事が出来たら、恐らく記憶にすら残らないような出来事だったと思います。

私はきっと、

「誰かドアを叩いているよ?」

「んっ?何も聞こえないぞ?」

というやり取りになるのが、怖かったんでしょうね。

自分も親になり、以前よりは父の気持ちが分かったような気がした時に、可能なら訊いてみたい事が沢山ありました。

勿論、少し怖いですが、この時の事も…😱


母について、沢山の後悔がありますが、父に対してもいくつかありまして…、

「〇〇温泉・Y川屋に宿泊する」

「満州に連れて行く」

いずれもタイミングが合わなくて、願いを叶えてあげられませんでした。

「満州」は特に、代理店に旅行計画を立てに行くには行ったのですが、簡単ではないらしく、やんわりお断りされたような感じで立ち消えに…。

父は「満州」で、恐らく苦労して来たはずなのです。

楽しい思い出など少ないであろう場所を、再び訪ねたいと思ったのは何故なのか?

誰かに尋ねたくても、本人は勿論、頼りの母も鬼籍に入って数年が経ち、父をよく知る人物は、もう誰もいません。

変な意地を張らずに、もっと父と話せばよかったな…。


東日本大震災の前年に他界した父は、来年5月に「十七回忌」を迎えます。

身だしなみに特にうるさかった父に叱られないよう、遊びに行く時みたいな「ラフ」な格好でなく、きちんとした格好・髪で(白髪もきちんと染めて)臨みたいです。

それが、父の思う様な娘に育たなかった私に出来る、小さな孝行だと思うから…。



知っている話ばかりではありませんが、「学校」を離れてから読む【教科書】案外面白いものだなぁ、というのが感想です。

じゃあ数学の教科書を読みたいかといえば、う〜ん(笑)



今日もお読みいただき、ありがとうございました✨