尾崎の曲は、爽やかなメロディに乗せて、
人と人との関係性の哀しさを歌っているのが多いと思います。
この「街角の風の中」は、メロディも歌詞も気に入っています。
ねえ今日の僕は運がいい
それぞれにあるわけの中
たった一言でも君に傷つかずにいるなんて
優しさから発した言葉でさえも、相手を傷つけ、傷つけられているという想いをこの歌の中でも
「僕が僕であるために」の中でも、尾崎は歌っています。
だから、傷つかずに過ごせる一日があるなら、それはとても運がいい一日なのだと思えるのですね。
私はだいたい運のいい一日を過ごしているのですが
最近、久しぶりに傷ついてしまった自分を発見しました。
どんな言葉でも、カチンと来てもだいたい早い時は2時間ぐらい、
遅い時でも一晩寝ればそんな言葉はどうでもよくなる能天気な私なのですが
今回は、1週間ぐらい引きずりました。
コーラスグループのステージで、30名のうち6名が前に出てきて歌いながらダンスをします。
ダンサーを選ぶとき、私の近くに座っている人たちは
「先生、はななさんがいいと思います」と推薦してくれましたが、私は選ばれませんでした。
でも、練習を始めて一ヵ月ぐらいで、初めに選ばれた人たちは、「腰が痛い」とか、「回転すると目が回る」とかで、
辞退されました。
ほかに代わりにダンスが出来そうな人がいないので、私が踊ることになりました。
発表会までもう時間がないし、私は歌いながら踊るのは慣れていないので、練習中に
「ダンスしていたら、歌を歌うのが難しいです」と言うと
「あなたの歌は戦力と思っていないから」と先生が答えました。
「戦力と思っていない」、どういうこと?それ以来その言葉がず~~っと頭から離れなくなってしまったのです。
私なりにいつも一生懸命歌っているし、ボイストレーニングもやっているし・・・。
冷静に考えると、きっと「ダンスの方をしっかりやってくれればいいから」と言いたかったのでしょうし
それが彼女の優しさなのでしょうが
気になる言葉だけが、頭の中で鳴り響いてしまうものなのですね。
戦力になっていない、情けない自分が嫌になりました。
そして、おまけにダンスについても「はななさんは色気が全然ない」と言われるし。
あとから、ダンスメンバーになったので振付をきちんと教えてもらえず、人のを見ながらやっているので
色気を気にして踊るところまで行かない段階でした。
「歌は戦力と思ってない、ダンスは色気ない」と言われたら、気持ちが折れそうになって
歌にもダンスにも自信が持てなくなって「もうこのグループを辞めるしかない」とまで考えてしまいました。
ただ、12月にステージがあるし、それまでは辞めるわけにはいきません。
親しい仲間に相談すると「あの先生は、ああいう風に言う先生だから、私もカチンときたこといっぱいあるよ。
気にしない方がいいよ。はななさん、絶対やめないでね。私たちは楽しく歌うために集まっているのだから」
と励ましてくれました。
そうですね、練習の後の仲間とのランチタイムがすご~く楽しいから、やっぱり辞めないことにしましょう。
趣味のコーラスというのは、一人ひとりの力は少なくても、みんなの力が集まって、いいハーモニーができるものだから、「戦力」なんて言葉はおかしいのでは?と思いますが。
だから十分な戦力にはならなくても、片隅で歌わせていただくことにします。
そして、私はこのグループに歌を歌いに来ているのであって、ダンスをしに来ているのではありません。
ダンスはあくまでステージを楽しくするための余興なのです。
楽しめる範囲で踊らせていただくことにします。
という風に一週間もたって、やっと自分を納得させた次第です。
いつか機会があれば、先生にもその旨伝えるつもりです。
言葉の力って、ほんとに恐ろしい。
一瞬で人をノックアウトしてしまうこともあります。
尾崎は私なんかよりももっと繊細だから、いつも色々なことで心が傷ついていたのでしょう。
この、ブログでも、調子に乗って皆様のブログにひとりよがりなコメントを書いたりしていますが
知らずに傷つけていたらごめんなさい。
他人にとってはどうでもいいような、ちっぽけなコップの中の嵐の話を
最後まで読んでくださった方はほんとにありがとうございます。
尾崎豊の動画をみていると、色々なアーティストが尾崎に敬意を表し、カバーを歌っています。
宇多田ヒカルの「アイラブユー」やミスチルの桜井さんの「僕が僕であるために」や福山雅治の「卒業」。
今日はコブクロの黒田さんのダンスホールを見つけました。
2013年に、大阪でトリビュートライブがあったそうです。その頃はまだ全然知りませんでした。残念!
昔からのファンの方は、観に行かれた方も多いでしょうね。
凄い豪華メンバーなんですよね~~。槇原敬之さんも「15の夜」を歌っています。
「なんかもう尾崎さんにお会いしたことがないんですけど、歌やめるなよって言ってくれているような気がして・・・。」
泣きながら語る黒田さん。みな、尾崎に励まされているのですね。
尾崎豊さんに憧れた10代。「I LOVE YOU」に出会い、憧れ、ギター片手に、ストリートに出て歌い始めました。
あの頃、深夜の街に出れば、どこかでストリートミュージシャンが尾崎豊さんを奏でていました。
そんな人たちと尾崎さんの歌について朝まで話したものでした。
そしてプロになった20代、大勢の人の前で歌うようになり、プロのミュージシャンの葛藤や壁を感じるようになりました。
そんな時もマンネリズムのかけらもない、まるでいつも生まれたての初期衝動のような、尾崎さんの歌は、
歌の本来持っている力、在り方を僕に教えてくれました。
尾崎さんのいない30代、もし彼が30代を生きていればどんな歌を歌ったのだろう、47歳の尾崎豊さん、どんなI LOVE YOU」を歌うのでしょう。
尾崎さんには聞きたいこと、話たいことがたくさんあります。そんな思いを持っていきます。
入りきらないほどの想いを目いっぱい詰め込んで歌います。こんな日がくるなんて、尾崎さんありがとう。 黒田俊介
コブクロのインディーズ時代、私はその頃イベントの仕事をしていて、和歌山で町民祭りを開催した時
ステージの催しでお笑いはリンゴモモコ、歌はコブクロにしようという話になりました。
私は当時、コブクロを知らなくて「どういうグループ?」と尋ねると
「大阪ではかなり人気があるよ、追っかけもいるくらいで、知る人ぞ知る、ほんとに人気者。堺市の商店街での路上ライブはいつも満員になるよ」という話でした。
「コブクロ」って変な名前!というのが私の最初の感想でした。
夏祭りなので、ステージはとても暑くて、リンゴモモコが日傘が欲しいというので、私はあわてて買いに行きました。
帰ってくると、ステージは和歌山の小さい町のステージとは思えない凄い熱気。
「コブクロ」が演奏していました。
「な、なんだこれは~~!」とびっくりしたのを思い出します。
誰かが「この二人、これから、メジャーになるよ、もっと人気がでるよ」と言ったので、私は激しく同意したものです。
その後まもなく、「桜」がラジオで聴けるようになりました。
コブクロ結成時まもなくに歌った「桜」。でもシングル発売は2005年なのですね。
これからも、尾崎の分まで、いい歌を歌ってね。