お立ち寄りくださいましてありがとうございます。
本日は、ミセスグリーンアップルさんの『天国』という楽曲について。
Mrs. GREEN APPLE 『天国』
映画『#真相をお話しします』を観てから、発信するということについて考え込んでしまっています。
正直、今も、答えは出ていません。
そこに届いた、『天国』の配信開始。
今の私にはまだ、受け取る強さが足りないようです。
軽く言葉にはできなくて。
今の未熟な私には、重すぎる。
ミュージックビデオ(MV)も実は、2回ほどしか観ることができていません…。辛い気持ちが湧き上がってくるような気がして。
『天国』も、テレビ出演のものと、映画は観れていますが、配信後も苦しくて何回も何回も聴くことができてなくて、そんなにたくさん聴くことができていません。ごめんなさい。
今まで見ないようにしていた自分の心と向き合いなさいと、心を揺さぶられているような気がして。怖くて。
でも『天国』という楽曲を、私はとても大切に思っています。
この楽曲がどう届いているのか、元貴君は聞きたいのかな、どうなのかなっていうのも、見えなくて…。
元貴君の、配信に対する想いがこんなに見えない曲も初めて…。不安。
ただね、昨日のミセスロックス(ミセロ)で。
元貴君がこう語られているのを聞きまして。
『でもなんか「うー」って重たくなるような楽曲なんだけども、そんなにそこに対して発言したり感想を述べることに億劫にならないでほしいな、と思っていて。』
楽曲としてリリースしてる以上、今のJAM'Sなら大丈夫と信じて、届けてくれている。
楽曲を掘り下げることは彼へ踏み込むことにもなってしまうのではと思っているけれど。
彼はきっと、自分の想いを分かち合いたいという思いがあって、世に送り出してくれている。
そう思いました。
ですので今回は、『天国』という楽曲を、映画『#真相をお話しします』の主題歌という立ち位置でなく、ミセスグリーンアップルの新曲として受け取った感想などを、書かせて頂きたいなと思います。
映画の主題歌として受け取ったことは、先日のネタバレ有り映画感想ブログでちょっとだけ触れさせて頂いています。
映画の主題歌として、ストーリーに合わせて書かれた歌詞と捉えるならまだ受け止めることができるのですが。
大森元貴という人物としての『天国』は、今の私にはまだ重すぎて、あくまで『天国』という楽曲を聴いて思った、感想などを。
ただね、私はこうやって、ブログを書かないという選択をしようと思えばできてしまうような人。
でも元貴君は、そういう立場にはないんですよね。
彼がそれを承知のうえで選んで就かれた職業と言ってしまったらそれまでなんですが、彼は、自分の名前で自分の心の中もさらけ出し、周りに自由に解釈され、愛されも傷つけられもすることを受け入れざるを得ない立場に在るのだということも…。
私達は知っていかないといけないんだなって、改めて思いました。
そして私、『音楽と人』で元貴君が『天国』についてインタビューを受けられていたことを知ったのが遅れ、まだ読むことができていなくて…。今日くらいに届くはず…。
GWもお仕事の皆さま、本当にありがとうございます!
という状況で、『天国』から受け取ったこと、書かせて頂きます。
もし『天国』が映画の主題歌でなかったとしても、『天国』という楽曲について語ることについて私は、躊躇していたと思います。
『天国』について何か語ること自体が、この楽曲の持つ意味に反しているような気持ちにもなってしまって。
ただ、『天国』について語らないことは、語ることと同等のような気もして。
語らないのは、語れないのか。
受け取ってないのか。
目をそらしているのか。
どの結果からも、『語らない』という行動は取れるとも思ったので。
感想を書こうと思いました。
…と、前置きが長くてすみません!笑
やっとここから『天国』から私が受け取った内容です。
『天国』、それを最期に到達する地点と仮定するならば。
私は、走り続けている時よりも、『答えが出てしまう瞬間』(『天国』という楽曲の場合は現世との別れなのかな)が一番怖いのでは、と思ってまして。
そこで全てが止まって固定されてしまう。
もうそれ以上の変化も、前進も。赦しもなくなってしまう。
『無』の境地に到達してしまう。
走り続けることの苦しさよりも。
全てが終わって結果が突きつけられてしまう瞬間の方が、ずっと怖いのかもしれない。
私達の普段思い描いている『天国』…。
苦しみや痛みから解放され、美しい場所。
それすらも幻想かもしれない。
人間が勝手に思い描いて、意味のあることと定義し、意味付けしているのかもしれませんし、真実なのかもしれません。
私には答えは分かりません。
『天国』という楽曲は私にとって、答えが出てしまう場所のようにも感じてしまって…。
『終わり』でもあり、『はじまり』でもあるかもしれない。
そこにあるのは『歓び』かもしれないし、『静寂』かもしれない。
そう思い描いて走り続けている瞬間より、答えの出てしまう恐れを感じました。
でもそこに、『あなた』がいると想像することで、その場所は優しい意味を帯びていく。
幻想かもしれない。
都合の良い願いなのかもしれない。
それでもなお、その優しさにすがることで、私はすくわれるのかもしれない。
人が壊れていくこと、醜く変わってしまうこと。
だけど、その中にすらまだ残っている、美しいもの。
それは誰かの愛であり、記憶であり。
祈りのようなものかもしれない。
人は、他者の存在によって苦しみも認識するけど、
他者の存在によって、愛も認識する。
『あなた』がいてくれたからこそ、私はまだ、正気を保っていられるのかもしれない。
そしてそんな『あなた』がいる場所だからこそ、優しい場所なのかもしれない。
私達は死に意味を与えようとするけれど。
行き着く先を『天国』という場所として、救いの場と捉えようとしているのかもしれないけれど。
けれど、彼は『天国』という楽曲で、そんな私の幻想を、静かに、でも鋭く問うているのかもしれません。
生きている私達に向けた問いかけではなくて。
既にこの世を去った誰かに向けて、 「あなたに天国があってほしい」と願う、祈りなのかもしれない。
私がどれだけ壊れても、心に蛆が湧いても。
あなたの愛と記憶だけは、香りのように残っている。
そして、あなたが今、現世の苦しみから解き放たれて、 静かに笑っているのだとしたら。
それだけで、『天国』は私にとって優しい意味を持つ場所になる。
もう会えないあなたを想うことで、 壊れそうな日々をつなぎとめるための、 音楽という名の祈りであり、愛。
死の意味が、他者という存在によって、変わっていく。
それこそが『天国』という曲が持つ、最も深くて静かな核心なのかもしれないと思いました。
『天国』に向き合おうとする時、言葉にすれば簡単に踏み込むことができてしまいそうな危うさ。
言葉にすることで崩れ去ってしまう儚さなのか。
逆に、姿を現していく確かさなのか。
私にはまだその境地を、掴むことができていません。
ミュージックビデオの最後、一瞬だけ映る場面。
それを観た瞬間また、自分の心が、自然と意味を探し始める。
何かに意味を与えようとすること。
意味付けしようとすること。
その行為自体が、人間が行きているという証なのかもしれない。
意味を読み取ろうとするこの心、痛みを探しに行ってしまう、この心。
それは、まだ自分が『こちら側』にいるということ。
あのMVの放つ静寂と、私たちがその静寂に意味を重ねてしまう行為。
その対比こそが、『天国』という楽曲の、『答えがない』という、答えなのかもしれない。
でも確かにそこに、真実を映しているように思える。
もしかすると、何かを踏んだこと自体には、もう意味なんて存在しない世界だったのかもしれない。
『綺麗なものを踏んだ』という感覚すら、そこにはもう存在していないようにも感じる。
美しいとか醜いとかいう概念もない境地。
それはただ、地面を踏んだ一歩。
ただそれだけ。
美しいとか醜いとかいう感情すら、人が人であることの証。
それから解き放たれたのか…。
ただ私、ほとんど観ることができていないあのMVの最後、服が袖口にも見えてしまって。
倒れ込んだ手…?(違う気もします、すみません。)
倒れ込んだのであったらまた、違う意味が生まれてくるのかもしれませんね。
そして、私は、元貴君は楽曲を生み出すたびに、 「あぁ、また自分の思いは受け取られなかった」と確認することを、確認してるような気がしました。
人の思いを完全に理解することなんてできない。
自分のことですら、分からない。
だからまた期待通り、『完全に受け取られることはなかった』。
それこそが、人が生きているということ。
それでもなお、彼は人への希望も手放さない。
いつか、わかり合える日が来ることを信じて、 また新しい楽曲を生み出す。
そして、私がこうして言葉を尽くして読み取ろうとすることはもしかして、彼の願いに反しているのではないか、とも考えてしまいます。
ぐるぐる回る、答えのない思考。
そして『天国』という楽曲に触れた時に感じる、 知らないはずの懐かしさ。
その懐かしさを怖さと呼ぶのかもしれないとも思いました。
静かで残酷で、それでも美しい風景が、確かに脳裏に映っている。
そして元貴君は、最後まで完全に描ききらないということで、聴き手に想像の余地を残してくれている。
天国は本当にあったのか。
そう思うことすら、人間が人間である以上行ってしまう、意味付けでしかないのか。
答えはどこにも出ていない。
『天国』は、不完全であるからこそ、完全。
美しいのだと思います。
いつも以上に何が言いたいのか分からないブログですみません💦
言語化するのが難しいです。
お付き合いくださりありがとうございました。
少し心の整理を付けることができたので、MVも、心の目をそらさず、観れるようになりそうな気がします。
お読みくださいましてありがとうございました。





