1980年代は“アイドル全盛期”などと良く言われているが
その時代に青春時代を過ごし、多くのアイドル歌手たちの楽曲を
リアルタイムで聴いて来れたことは、非常にラッキーだったと感じている。
さて、1980年に松田聖子さんがデビューしてブレイクすると
アイドル歌手たちが続々とデビューしたわけだが
特に、1982年にデビューした女性アイドルたちが、ルックスも歌も
レベルが高く「花の82年組」と呼ばれ、中森明菜さんはその一員だった。
まずは、松田聖子さんのシングル曲はすべて、キーが長調であり、
中森明菜さんのシングル曲はすべて、キーが短調であったが
その理由は、なぜだろうか・・・
80年代の時代背景として、戦後の高度経済成長により、日本経済が
軌道に乗って来て、第二次ベビーブームに生まれた子どもたちが学生に
なったその時代、それまでの暗い世相を明るいものに変えようという
ムードが政治経済界から芸能界にまで拡がっていた。
恐らく、松田聖子さんはそれを一身に背負ってデビューし、
明るい曲を歌うことを使命として与えられたのではないだろうか。
一方、遅れてデビューした中森明菜さんは、当初から松田聖子さんを
ライバル視しており、対抗心から聖子さんとは逆の楽曲のキーで
勝負したのだろう。
さらに、お二人の歌い方も、まったく異なる。
松田聖子さんはキャンディーズ直系ともいえるような
しゃくりを多用した、いかにもアイドルらしい歌い方なのに対し、
中森明菜さんは、山口百恵さん直系のアイドルというよりも
一アーティストとして楽曲の世界を表現しており、歌い方は楽曲によって
変化する。
最後に、1970~80年代に特に活躍された作曲家の筒美京平さんは
松田聖子さんにも、中森明菜さんにも楽曲を提供されていないが
その理由は、なぜだろうか・・・
推測だが恐らくは、お二方ともとんとん拍子にスターになられたので
お声がかけ辛くなってしまったのではないだろうか。
また、筒美さんは歌手やアーティストのデビュー曲や
売れ行きがイマイチな歌手やアーティストに楽曲を提供して
ブレイクさせることを特に念頭に置いていたのではないかと感じるのだが・・・