《Super Fly》ではないんです… | kenso オフィシャルブログ 「Mrs.KENSO」 Powered by Ameba

《Super Fly》ではないんです…

 昨年、帰国してからのKENSOといえば、リング上からトップロープを飛び越えて場外へ飛んでいくのがお決まりの決めムーブだ。

 あれがビチッッッッと決まる試合は、本人も気分が良いらしい。トップロープをふわりと飛び越えて、なおかつ着地でうまくストンっと立てた時などは、思わず

『ッッ…オォォォォォ~~~~~……』

と、内心で身勝手なオルガズムに襲われるほどらしい笑。一方で思い通りに飛べなかったり、着地にいまいち失敗したりすると、気分も急落。その試合自体が、彼の中で

 《Just a little bichitto(ジャスト ア リル ビチット)》

になってしまう。

 本人もそれほど大切にしているあのとび技だが、当初、その技の《呼び名》となると、なかなかビチッとは決まらなかった。新聞記事も解説もまちまちで、《スーパーフライ》とか《ケンソーフライ》とか、挙句に《フライ》とか汗、なかなか足並みが揃わない。

 『どう呼ばれても、まぁいいさ』

と、どんな呼ばれ方にも否定はしなかったKENSOだが、違う呼び名で呼ばれるたびに、彼は内心で《ジャスト ア リル ビチット》なテンションに気分も急落していたらしい。

 そこで今年に入ってから、彼も重い腰を上げ、あの技とポーズの名は共に、何があろうが

《El Aguilla Imperial(エル アギラ インペリアル)》

だと主張をはじめた。先月発売されたKENSOの全日本一発目のTシャツは、彼のデザインで、前面には大きく、

 《EL AGUILLA IMPERIAL》

と《これでもかっ!!!》なラメの赤インクで書かれている。背中にはお決まりの両手を広げたあのポーズのKENSOと、その頭上で翼を広げる鷲が一匹。

 つまり、AGULLAは英語でEAGLEだ。アギラ インペリアルとは皇帝ワシというか、鷲の王様というか(…説明してくれる人によってここも色々意見が分かれるところなのだが…)、いずれにしても彼の両手を広げる鳥のポーズも、あのダイナミックな飛び技も、両者ともEAGLEなのだ。

 『俺はあの瞬間、Imperial Eagleになって飛んでいる』

というのが本人の主張。

 とはいえ、このフレーズはいささか呼びづらい。英語と違い、スペイン語に馴染みの薄い日本人には、それがどんな意味なのか、正直、字面から連想することすら難しいに違いない。第一ここは日本で、それがImperial Eagleだと知ったところで、

 『…。…で?』

と言われて当然。そんなよくわからない名をつけてファンや解説者を混乱させるくらいなら、もっと呼びやすい名で早く定着させた方が親切ってもんだということも、本人はよくわかっている。

 それでも、どうしても、KENSOがゆずれない、

 《EL AGUILLA IMPERIAL(エル アギラ インペリアル)》。

 KENSOがこの技とその名にこだわるのには、それなりの、わけがある。


 メヒコで
の月日の中で、もっとも感謝を寄せる人の一人に、街で出会ったと或るメキシコ人がいる。

 私たちは彼を《アステカのおっちゃん》と呼んでいる。名前も知っているのだが、彼の人柄には、《おっちゃん》という響きが実に似合う。

 私たちがおっちゃんと初めて出会ったのは、KENSOがメヒコに住むようになって一年ほど経った頃だった。AAAに移籍して、まだまだ悪戦苦闘し、もがいていた頃だ。既に定住していたKENSOに続き、私も遅ればせながらようやくメヒコに引越しを済ませた時期で、あの日は二人で観光がてらにソカロを歩いていた。

 ソカロというのは中央広場のことで、メヒコは各都市ともソカロを中心に街が出来上がっている。シティーのソカロには古い石造りの大聖堂や遺跡もあって、その景色に感動していると、その周囲にはなにやら褐色の肌に古代の民族衣装を着込んだ怪しい人たちがおびただしい数たっていた。

 『何なの?この人たちは?』

 《衣装を着込んだ》と言っても、その姿は半裸に近い。アメリカのインディアンの姿を想像してもらうといいと思う。頭には大きくてカラフルな羽の飾りをつけて、女性は真っ白の麻布をまとい、男性はほぼ裸。下半身は短いスカートの様な皮製の腰巻一枚で、そこには、石や羽で骸骨や鳥などの様々な模様が描かれている。

 『やっぱりアメリカと地続きね。インディアンみたい。古代の民族衣装かしら』

 『だろうね、アステカ文明の頃の衣装かな』

 『観光客相手に記念写真とか、撮るのかしらね』

 と、言ったものの、どうやら写真は撮っていない。というより、その情景は更に怪しく、そんな古代人の格好をした褐色のメキシコ人が、太鼓を叩いたり、何やら臭いのする石を炊いて煙を上げながら観光客相手にその煙を吹き付けて、セージの葉の束で、肩や腰を払っている。彼らの立っているところには、決まって地べたに円が描かれていて、食べ物や植物、時にはどくろなんかも置かれ、小さな紙の看板に《Linpio》の文字がある。『でも撮ってないよね、写真』

 『撮ってないよな』

 『足元見て。なんか看板があるよ。《Limpio》って書いてある』

 『リンピオって…』と言って、KENSOの足が止まる。『待てよ…』

 『何?リンピオって?』

 『《掃除》って意味だけど…』

 『こんな格好で、どこを掃除してくれるの?』

 『いや、そりゃ違うよな』

 『待って、もしかして《掃除》って…』

二人で顔を見合わせた。

 『…お祓い?』

 《Limpio(リンピオ)》

 これは《掃除》とか《浄化》という意味で、つまり…《お祓い》だ。私も最初は驚いたが、ソカロの大聖堂のあたりには、そんな民族衣装を着た《呪術師》のような人が何人も立っている。彼らは通常、《それ用》の特殊な石で煙を炊き、その煙とセージの葉をつかって、観光客相手に簡単なお祓いをしているのだ。

 初めての光景に見入っていると、なにやら時間が来たらしく、あたりにいる同じ格好をした仲間が集まりはじめた。太鼓を鳴らし、のろしの様な煙を上げ、神への捧げものを取り巻くように輪になってその種族のダンスを踊りはじめる。皮製のわらじの様な履物には沢山の胡桃の殻がついていて、ステップを踏むたびに、辺りには迫力のある太鼓と共にシャカシャカという音が響き渡る。

 ダンスは神にささげる儀式らしく、それを見ていた私はすっかり入り込んでしまい、時代を超えタイムスリップしたような心地になった。

 『やってもらってみようよ、お祓い』

私のこの発言に、KENSOの顔色はびびるほど明らかに曇ったが、ここで却下すれば、その後どうしたところで私の旺盛な好奇心が収まらないことは彼が一番知っている。

 『一回だけ…だからね』

と言われながら、私は手当たり次第にリンピオを試した。10回試してリサーチした結果、どこでもまずは煙を体の周囲に炊いて、何か唱え、生のセージの葉の束でパンパンと頭から足元まで払っていくという感じで、概ねやることは同じだった。かかる時間も一、二分程度。更に、お代は《気持ち》。頼んだ観光客たちは、一通り終わると、二、三口を聞き、足元に置かれた小さなかごに小銭を一枚入れていく。誰しも払うのは日本円で100円程度だった。

 『ま、観光だし。お遊び程度って感じだね』

と言いながら、横で半ギレのKENSOに『もう十分だろうが』と無言の圧力をかけられて、それでもなお私は最後の一人を試すことにした。

 『お願いっ!!!今度こそ本当に最後っ!!!このおじさんで最後だからっ!!!』

こうしてKENSOに小銭をねだり、私はそのおじさんの前に立った。

 なんとなくそのおじさんにだけはお願いしたかった。お客さんが驚くほどいなかったからだ。おじさんの立ち位置はソカロの一等端っこで、他の仲間に比べても一等地味で、空いていた。しかも歯はほとんど抜け落ちて、片方の黒目が白濁している。いたって慎ましい佇まいで、大きな声で何かを唱えたりという派手な演出も、辺りには目を引く飾りも看板もない。所詮一回百円以下だ。偽善といわれりゃそれまでだが、せっかくだから、このおじさんにもいくらか落として帰りたい。

 『彼は君の亭主か?』

 一通り終わると、おじさんが言った。地味なんだけど、他のお祓いに比べてどことなく丁寧で、施術を始めたおじさんの印象は、一見するイメージとは違い、どこか強そうな気がした。おじさんは私の片言のスペイン語では話が出来ないと思ったらしく、最初に頼む時にスペイン語を話していたKENSOを呼んだ。

 なにやら話した後、KENSOが言った。

 『ひろ、湿疹あるの?』

 『湿疹?』

私が思わず聞き返すと、KENSOはいぶかしそうに私を見ている。

 『この人が、《体に湿疹が残ってるだろう》って言ってるけど』KENSOは不思議そうに首をひねって続けた。『全部、ストレスと悩みからきてるから、あんまり考え込むなって言ってるよ』

 ぞっとした。実は私は日本を発つ直前に帯状疱疹になっていたのだ。帯状疱疹といえばストレス性で、確かに引越しや仕事の事で疲労困憊になったところを襲われた感じだった。とはいえ早い段階で病院に行ったので、湿疹も少なく、化膿したり、痛くなったりもせずに治まってしまったので、心配をかける必要もなく、KENSOにも報告していなかった。おじさんはそれを知っていたのだ。

 『俺もお願いする』

 事情を説明すると、あれだけ半ギレだったKENSOも自ら一目散におじさんの前に立った。おじさんはKENSOの体に《参った…》を繰り返し、『こりゃそう簡単には治らないな』と言いながら、なにやら念入りに触られ、さすられ、塗られ、払われた。

 『君の仕事は何?』

 『普通のビジネスマンだよ』

 『・・・・。そう』

日本でもそうなのだが、KENSOは人様に自分をプロレスラーだと誇示するのが嫌いだ。どこにいても一般人の振りをしたがる。当時はまだKENSOの認知度も、プロレスファンだけの《知る人ぞ知る》という程度だったから、KENSOはあの体格で図々しくサラリーマンだと嘘をついた。おじさんは明らかに納得していない表情だったが、《そう》と答えただけで突っ込まない。

 『首も腰も悪いぞ』

 『うん、わかってる』

 『特に腰、ここ、痛いだろ』

 『まあね』

 『君の仕事は何?』

 『だから普通のビジネスマン』

 『じゃあボールを放ってたのはいつだ?この腰を痛めたのはボールを放ってた時だろう』

 『大学だよ。ラグビーフットボールをやってたんだ』

 『今はやってないのか?』

 『やってないよ』

 『お前の仕事は何だ?』

 『だからビジネスマンだよ』

 『ここでか?』

 『いいや。日本だよ。ただの観光客だから』

 『観光客。…か?』

 『そう。ただ観光客だよ』

 『そうか…』

 『そうだよ』

 『明日。首、ここ、気をつけろよ』

 明日また来るといい、と言いながら、おじさんは淡々とKENSOの首を何度も念入りに触り、さすり、何か塗り、払った。

 翌日の試合は最終的に乱闘になり、KENSOとパートナーが同時にリングに飛び出すと、背後から対戦相手に不意打ちを食らい、KENSOは軽く首を痛めた。とはいえ、その瞬間KENSOは偶然にもなんとなく斜に構えていたために、その視界に背後の敵が映っていたのでそれで済んだのだが、同時に同じ技を食らったはずのパートナーの方は、とっさに身構えることができなかったため、思い切りリングに頭を打って脳震盪を起こし、首に全治1ヶ月の怪我をした。

 

 『セニョールっっっ(おじさん)!!!』あくる日の休みに、KENSOがおじさんのところに駆け込んだのは言うまでもない。『ごめんっ!!ボク嘘ついたっ!!俺、観光客じゃない。ルチャドール。ここで働いてる。昨日の試合、首、やっぱりやばかったよ』

 それ以来、KENSOは休みのたびに足しげくおじさんの元に通い続けた。《アステカのおっちゃん》と呼ぶようになったのもこの頃だ。

 おっちゃんは念入りにKENSOを診てくれて、大抵の問題は本人が口にしなくても見通されていた。いつしか私たちが行くと、どういうわけだが《招きブタ》のごとく後ろに行列が出来るようになり、私たちが足元のかごに硬貨ではなく札を入れると、後ろの人たちも吊られて札を入れるようになっていた。KENSOはこの頃から鳥のポーズを取るようになり、直後から、どこに行っても両手を広げた子供たちに『KENSO~~!!!』と声をかけられるようになっていった。

 それからしばらくして、有名な霊能者の先生が日本からわざわざKENSOの応援に来てくれた。日本でも事あるごとに長らくお世話になってきた先生だが、観光でソカロに寄った時、私はその辺りにいるおびただしい数の《リンピオ》についてさらりと説明してみた。好奇心旺盛な先生は《私もやる》と言って、早速、私同様、数人のリンピオを試した。特なる感想はなかったが、続いておっちゃんにお願いすると、心臓の手術を繰り返し、血圧にも問題があった先生の持病をおっちゃんは見抜き、最後にこう言った。

 『セニョーラ(ご婦人)。これじゃ体がもたないよ。人を祓ったら、それを自分が貰わない様にきちんとガードしないといけないよ。

 あなたは僕と同じ商売なんだから』

 持病だけでなく、自分が同じ霊能者であることを見事に言い当てられた先生は大喜びで、これで旅行の数日をおっちゃんとお祓いし、話し込むことに費やした。最終的に先生は『御礼に目の治療をしてあげたいし、彼を日本に連れて行きたい』と言ったが、それを聞いたおっちゃんはにこにこして土産の薬草を先生に手渡し、『僕はここがいいよ』と笑った。

 『困ったことがあったらこのおっちゃんを頼りなさい。私がいないから心配していたけれど、このおっちゃんがいれば大丈夫ね』

 先生いわく、おっちゃんの頭上には鷲の様な大きな鳥がいるということで、それがこの土地の古い神様で、医学や治療が専門らしいのだ。その大きな鳥は両手に《お道具》を持って、おっちゃんの上でそれをチャカチャカと動かし、治療をしているのだという。

 この時期のKENSOにとって、困ったときに頼る先はおっちゃんしかおらず、言ってみれば確かに守り神だったが、その頭上にいるのが《大鳥》だと聞いて大いに驚いた。知らず知らずのうちにリング上で《鳥》のポーズをとり、人気が上がっていた頃だったからだ。

 『セニョール。僕はね、リングに上がると、こうして鳥のポーズを取るんだよ』

 先生から聞いた話の真偽はともかく、KENSOはどういうわけがそれが嬉しくて、リング上でいつも《鳥》をイメージしていることをなんとなくおっちゃんに伝えた。するとおっちゃんは、『ほぅ』と、一瞬大きく目を見開いて、一本しかない前歯で豪快に笑った。

 『アギラ インペリアルか』

 『アギラ インペリアル?』

 『エル アギラ インペリアルだよ。そりゃいい!!今日も思い切り大空を飛ばせてくれ、と願うのさ』

 確かにアステカの遺跡には鳥の絵が頻繁に出てきて、神格化されている。アステカだけの話ではない。メキシコの国旗にも中央には鷲がいるし、USAの紙幣にも同じく鷲が描かれている。アメリカ大陸で広く神格化されているのが鷲だ。

 メヒコで働くようになったKENSOは、知ってか知らずか、土着の古代神《エル アギラ インペリアル》を意識していたわけだ。

 

 こうしてKENSOは5年の月日をかけ、自力でテレビショーのメインエベントの常連になった。街を歩けばKENSOにむかって鳥の真似をする人が増え、いつも人ごみでごった返すソカロにも、迂闊に足を運べなくなった。

 しかし当のおっちゃんは人気者になったその姿を喜ぶどころか、KENSOが有名になればなるほど、その体を心配していた。時に、落ち込むKENSOを

 『のんびりやればいいさ』

と言葉少なに支え続けてくれたのもおっちゃんだ。その姿は相変わらずで、変わらぬ半裸で民族衣装を着込み、日本円でなんと一回百円足らずで観光客相手にお祓いを続けている。


 こうしてKENSOはおっちゃんに支えられながらメヒコで戦い続けた。いつしかKENSOのそれを、やもするとKENSO自体を《アギラ インペリアル》と呼ぶ人も増えた。そうして日本への帰国が決まった去年、私達は帰国の直前までそれをおっちゃんに伝えられずにいた。

 《アステカのおっちゃん》は私たちがもっとも別れ辛かった大切な友人の一人である。ギリギリになって帰国を知らされたおっちゃんは、一瞬大きく目を見開き、見えない瞳でじっとKENSOを覗き込んだ後、ひどく心配そうな顔をして、一番の持病の腰を何度も撫でた。

 『いいか、KENSO。困ったことがあったら、あのセニョーラ(ご婦人)によく頼むんだぞ。あのセニョーラなら大丈夫だからな』おっちゃんは小さな体で、KENSOの大きな背中に回りながら言った。『お前は俺の家族だ、KENSO。いつでも戻って来い』

 私はそこで不覚にも号泣してしまい、周囲が不思議そうに凝視したため、二人はそれ以上何も口を聞かないまま別れてしまった。

 《最悪じゃん、私…》

 とマキシマムの後悔をする中で、おっちゃんがぽそりとつぶやいた一言を、私は聞き逃さなかった。

 『参ったな…。日本じゃ俺がいないじゃないか』


 というわけで、だからKENSOにとって、あの技も、あのポーズも、絶対に《エル アギラ インペリアル》なのだ。KENSOは、あのポーズをとった瞬間、アステカの大空を悠々とはばたくアギラ インペリアルを浮かべ、支えてくれたおっちゃんを想っている。遠く離れた地球の裏側でみまもってくれている《アステカのおっちゃん》と《エル アギラ インペリアル》のお陰で、KENSOは今を生きているのだ。

 『おっちゃん、今日もアギラ インペリアルになってるよ』 

 いつ訪ねて行っても、おっちゃんにそう伝えたい。

 だから、あの技は、スーパーフライでも、ケンソーフライでもない。

 唯一無二の、大切な、《エル アギラ インペリアル》なのである。