エル アギラ インペリアル | kenso オフィシャルブログ 「Mrs.KENSO」 Powered by Ameba

エル アギラ インペリアル

  5年ぶりに日本のリングに本格参戦して、一年になる。慣れないリングで、とにかく自分のプロレスを着実に続けていくという一心で望んだ一年で、彼にとってはあっという間だったに違いない。

 『変わったね。KENSO』

 この一年、至る所で聞かされた言葉だ。

 確かに髪型も体つきも、それこそ名前すら変わってしまったけれど、中でもやはり、彼のプロレス自体が大きく変化していたことは、ファンにとっても周囲の人間にとっても、一等大きな変化だったに違いない。

 先日、友人らと一緒にKENSOの試合を見に行った時のこと。友人の一人が彼の試合を見て言った。

 『KENSO君は随分テレビ慣れしてるね』友人は、ほぉ、と感心するように続けた。『メキシコで、コンスタントにTVショーに出てたんだろう?見りゃわかるよ。彼のプロレスが昔と変わったのは、多分、このせいじゃないの?』

 実際には、その試合はTV中継はなかったのだが、長年、番組制作の仕事をしている彼の視点で見ると、KENSOはTV中継を自ずと意識した試合をしているということだった。

 プロレスファンのその友人いわく、プロレスにとってテレビは集客面だけでなく、レスラー一人ひとりの技量にとっても実に大切なものらしい。

 テレビに取られることを意識すると、余計な動きが減る。テレビとなれば、会場にいるコアファン以外の不特定多数の視聴者にも受け入れられるものを放映しなければならず、責任感が沸き、集中力が高まる。

 ここでTVと言ってもダイジェストでは意味がない。一試合が丸々放映されることが重要だ。そうなると、

 『うわ、これじゃカットされるかな』

なんてことを自ずと考えるから、そうしたことを繰り返しているうちに、試合全体や対戦相手、会場の沸き具合を即座に考慮して、必要な技を必要なところでガツンとあてられるようになるらしい。

 だって、会場に来ているお客様は、わざわざ来てくださっているわけで、何があってもそこそこは沸いてくれる。しかしテレビはそうはいかない。会場の歓声が本物かただの《驚き》《ヤジ》かも見極められず、自分本位にやりたいことをやっちゃうなんていうマスターベーションみたいな試合をすれば、テレビの場合、視聴者が飽きるだけの問題ではなく、視聴率的にも大惨事になる。公共の電波を使っていらん部分をたらたらと垂れ流すことを局側だって許してはくれない。

 結局は、番組自体が縮小されるか、選手個人的に試合がなくなるかだ。

 全日本の武藤前社長の試合が、どれだけ怪我で本調子でなくても、常に最低限の絶対値を保持できるのも、長年トップでTVのメインエベントを務めてきたというキャリアがあるからだという。逆にいえば、テレビがなければ、選手のほうも沸かない会場にも慣れていき、反省も修正も難しくなる。これがTVの効果だと友人は語っていた。

 友人はプロレスを見に行くと、職業柄どうしても

 『この試合は商品になるかな』

 と、ここを念頭に試合をみてしまうらしい。

 確かに、本当の《沸き》を知らなければ、その良し悪しを見極めることも難しい。


 しかし、こうして指摘を受けた私は、友人に即座にこう返した。

 『当然よ。そのために彼がどれだけきついどさ周りをしてきたことかっ』


 メキシコでの選手生活は、とにかく…きつかった。会社の後ろ盾もなく単身乗り込んだ先で、KENSOは完全に《外国人》扱いを受けた。外国人といえば丁重におもてなしするのが日本だが、海外では、《所詮外国人》で、スターになるのは国の人間だし、重要ポストや大きなチャンスも優先的にそちらにまわる。

 《いつここを出るかわからない外国人に重要ポストをくれてやったところで…》

ということもあるだろうし、厳しさの根底には、

 《外国人レスラーはリングのにぎやかし。代わりはいくらでもいる》

ということもある気がする。

 そんな中でも、なんとか誠意を見せて、一生懸命に良い試合をして、チャンスを得ようと頑張るしかない。といっても、団体の中が小さなポストを大勢で取り合う厳しい競争社会になっているだけに、選手間でもよそ者に対する風当たりは相当強い。ちょっとだけ参戦している日本人なら、その場は楽しく仲良しこよしもするだろうが、契約したとなればライバルだ。特にメキシコ人は政治的にも歴史的にもアメリカ人が嫌いで、WWEにいたとなると、それがメリットになったようなデメリットになったような、とにかく当初は悲惨ないじめも受けていた。(今考えれば、いじめられたということは相手にされていたということ。仲良くされていたら、相手に《見込みなし》と思われていたということになる。彼ら、ほんとにあからさまだから)

 そうしてようやく、TVショーの大きな舞台に立つ機会を与えられる。

 試合をする。

 沸かない。

 …こうなると、次週、試合はない。TVだけの話ではない。通常の試合でも、現地のプロモーターが気に入らない試合をすれば、次の試合は入らない。それが若手や新入りだけの話ではないからさらに恐ろしい。大御所や、メインエベントの常連になっても、つまらない試合をすると、翌週の試合はなくなる。その後与えられたチャンスで挽回できなければ、その状態が延々と続き、結局そこが定位置になってしまう。一度トップになってしまえば、というほど簡単ではない。メインエベントの常連になり、街で子供たちに『KENSO~~!!』と鳥の物まねをされるようになった後ですら、数週間も試合が入らなくなったこともあった。

 会社の後ろ盾があれば、そのお付き合いで適当な試合を入れてくれることもあるだろうが、単身乗り込んだ人間には、驚くほどどストレートに結果を見せ付けられる。   

  『客は何をみたいのか』

  『どうしたら沸くのか』

不動のトップ選手の試合を見て思う。

  『この試合にあって、自分にないものは何か』

KENSOはそんな中で、一生懸命試合を続けた。客も会社もとにかくあからさまだから、内心はひやひやして落ち着かない。 一万人クラスの会場で、毎週のTVショーで、本当の《沸き》を目の当たりにして、何度も何度も失敗して、先輩の作り出す《客の沸き》を生で感じて勉強して…。

 そうこうしているうちに、ふりかえると順調に試合が入っていることに気が付いたのは、4年近く経ってからだったと思う。

 体で覚えた感覚は、何物にもかえられない。

《若いうちは、とにかく一試合でも多く試合をすること。プロレスを勉強しようと思ったら場数しかない》

先輩からのこの言葉を胸に、メキシコへ飛んだKENSOだが、今ではこの言葉の重さを痛烈に感じている。


 考えてみると、KENSOだって日本にいれば、そんな思いをすることはなかっただろう。プロレス界だけではない。とにかく日本人はとどめを打たない。以前、ぴあバトルの連載でも幾度か書いたが、相当の失敗をしたところで、大きな咎めがガツンと落ちることがないのが日本社会だ。

 相当の不祥事でも、どストレートに大きな咎めを食らうことは少ない。『これが許されるの?!!』と思うんだけど、結局みんなもそれは許されないと内心では思ってるから、なんとなぁ~く自然と端に追いやられて…とゆるい感じで遠回りに咎めを受けることになる。

 《和》と尊ぶ日本だけに、とどめをうたないというのは相手への譲歩というか思いやりだろうし、いづれにしても結局咎めを受けることには代わりはないのだけれど、私達の様にそうではない世界を体験した人間にしてみると、これは、優しいようで実は本人には酷なことだとも思えてくる。

 だって、気づくチャンスも、成長するチャンスも奪われてしまうわけだから。

 例えば、

 『こういう仕事をされたら、君を使うわけにはいきません』

 とはっきり言われれば、本人だってさすがに考える。要するに、大人になれば性格も癖も変えられないけど、《これでは仕事が入らない》とわかれば、隠すことは出来る。

 『仕事をするためには、こうしなくてはいけない』

ってことがわかってくる。これが社会人だと思うわけ。

 ところが、直球で咎めをうけないとなると、なんとなぁ~く周囲が冷たくて、なんとなぁ~く仕事が減って…では、結局はじかれたところで、自分がなぜはじかれたのかわからない。だからKY(空気が読めない)なんて言葉がでてくるんだろうけど、勘が悪くて気づかない人なら、同じ事を繰り返して、付き合う周りも迷惑だ。

 そう考えると、直球でとどめをうたないということが、日本人の優しさなのか、それとも下す側の《個人的に恨まれたくない》という保身のためなのか、わからなくなってくる。

 

 数ヶ月前だけど、超有名ブランドのデザイナーがとんでもない差別行動をとって捕まった時、そのブランドのイメージキャラクターを務めていた有名ハリウッド女優が即刻その契約を降りた。

 『こんな人権を無視した行動は人としてあるまじき行為』

とその時の、それこそビチッとしたコメントには私も驚いた。

 これが日本で、彼女が日本の女優さんだったら、このコメントを出すことははまずなかっただろうと思う。きっと、角を立てないようになんとなぁく降りて、なんせ超一流ブランドだけに今後の付き合いも考慮して、周囲も波風を立てないように気をつけて、引き潮のごとく、わからないようになんとなぁく引いていく…なんて感じになるんだろうな、と。

 日本にいると、ニュースを見てもそう思う。薬物で捕まっても、犯罪を犯しても、責任逃れの東電や官僚にも、とにかく日本は何をしてもとどめをうたない。

 『断固として、受け入れません。なぜならあなたは○○をしたからです』

 なんてことは起こらない。

 だから一生懸命まっとうにやってる人もやるせなくなるし、《所詮世の中なんて…》ってやさぐれちゃうし。

 なんとなく、最近の日本を見ると、世の中が灰色になっちゃってる気がするのはそのせいもあるんじゃないかなぁ。

 …なんて。

 

 しかし鈴木家はそんな風潮にも、 

 『これが許されるんだもんな…』

 なんてぼやくことはない。人間は残念ながら平等ではないと身にしみて知っている。問題は、その不平等をいかに生きるかなのだ。

 結局それだけ大変な思いをしてようやくトップになったKENSOも、日本では全く評価されなかった。評価どころか、報道もされない。アメリカにいた頃には、ニューズウィーク日本語版の《世界で活躍する日本人100人》に選ばれたりしたけれど、彼にすれば、あの頃よりも、メキシコでの方がよっぽど選ばれるべき活動が出来ていたと思っているらしい。

 だけど、それでも思い通りにならなかった。だから考えた。

 《自分は、何のためにこんなに頑張っているのか》

 そう考えて、泣けてくる夜が何度もあって、それでも評価も報道もされないから、自問自答を繰り返し、ようやく一番大切な部分にたどり着いた。

 誰の評価も関係ない。自分は、自分で決めた目標のために、人生を生きている。 実力をつけることが目標。

 実力があれば、必ず日の目を見る時が来る。どれだけ上手に世渡りしても、はりぼてでは打ち上げ花火になるだけで長続きしない。お天道様は全て見ている。


 大切なことは、続けることなのだ。のんびりやっていれば、それでいい。そのうちチャンスは必ず来る。

 鈴木家は、良くも悪くもたくましい。


 KENSOは今、あの頃をどう思っているのか。

 今となっては、メキシコは良い思い出に違いない。AAAは彼にとってもっとも長く所属した《ホーム》で、そこで艱難辛苦を超えて一緒に頑張ってきた仲間を今でも一番大切に思っている。あの時の苦しさが、この気持ちや信念を生んだなんて私が言えば、

 『ひろはまた、くそまじめには考えて』

 と言われるだろう。 

 そんな気楽な考え方も、メキシコで学んだことの一つかもしれない。

『今考えてみると、メキシコでのどさ周りはまんざら無駄でもなかったかな』

いつか、彼の口からその言葉が出たら、その時こそ、このどさ周りが正解だったといえるのだろう。