KenzoからKensoへ | kenso オフィシャルブログ 「Mrs.KENSO」 Powered by Ameba

KenzoからKensoへ

 「俺、日本に帰ろうと思う」

 「…。そう」

 「いやだ?」

 「ううん。…でも、この前まで、ここに永住するって言ってたけど」

 「まあね」

 「仕事、うまくいってるみたいだけど」

 「まあね」

 「今日だって、大人気だったけど」

 「そうだったね」

 「もう決めてるのね」

 「うん」


 それは、行きつけのビストロでの出来事だった。

 その日は所属していたAAAのアニメ映画の完成試写会があって、Kensoはファンとの集いやインタビューで朝から大忙しだった。AAAはメキシコだけでなく南米全域やスペイン、アメリカ全土で放映されている世界第二位の大手プロレス団体で、その映画となれば、放映も国内にはとどまらない。

 しかし所属選手もその分多く、オフィスで小耳に挟んだ話によれば、映画にキャラクターとして出演しているレスラーはほんの10人程度らしい。そんなわけで配役を射止めるということに対してほとんど期待をしていなかった鈴木家は、その日の試写会も、内心でいささか面倒くさいと思っていたわけだが、実際に映画を見たところ、なんとKensoは準主役クラスでその10人に入っていた。

 「健ちゃん、ポスターにも出てたね。まさかあんなに台詞があるとは思わなかったわね」

 さっきまでの話をなかったことにするように話をそらしてみるが、Kensoの表情で、《話をそらせられてない》こがわかる。

 「偶然。全部、チューイのお陰だよ」 

 チューイとは、仲良しの大先輩ラ・パルカ選手のことだ。Kensoは映画の中で、主役のラ・パルカ選手の相棒として、本人《Kenso》役でバイクを飛ばし、ラパルカを助けるという大切な部分をいただいている。無論、台詞も多い。もう一人の友人レスラーは映画の中で彼を、日常同様、《ケンチャン》と日本語で呼んだりする。外国人選手のKensoがそんなお役を射止めるのは奇跡に違いが、実は、彼は実生活でも映画同様、主役のラ・パルカ選手に一番世話になっていて、それを知るオフィスの方が気を利かしてくれた感がある。


 メキシコに本拠地を置いた当初、《日本の団体からの招待選手》という肩書きもなく、全くの単身で飛び込んだ外国人のKensoは、飲み物におしっこを入れられたり、タクシーも民家もないジャングルのようなド田舎の会場で、バスに乗せてもらえずに置き去りにされたりしながら、歯を食いしばってしがみついていた。そんな彼を救ってくれたのが、既にスーパースターだったラ・パルカだった。

 偶然映画の主役と一等仲良くしていたというあたりがまた強運のKensoらしい。

 そういえば、WWEを辞めてメキシコに来た頃、同じくWWEから流れてきた他の選手に比べて、Kensoは最初から試合が多く、認知度も圧倒的に高かった。さすがに本人すらも首をかしげていたが、理由はすぐにわかった。当時メキシコでは、WWEは番組全部を放送することをされておらず、国の英雄レイ・ミステリオの試合だけがダイジェストとしてスポーツニュースやワイドショーなどで毎日報道されていた。一年間、超偶然的にベルトをかけてレイ・ミステリオとばかり連日試合をしていたKensoは、メキシコで、他の同等クラスの選手の中ではまたもや奇跡的に群を抜く知名度を得ていたわけだ。

 こんなことが多いから、私としてもKensoの《直感の決断》を一概に却下できない。

 

 それにしてもこんな成り行きの試写会だったから、私は朝から実にハッピーだった…はずだった。試写会の会場には多くのマスコミやファンが集まり、関係者やレスラーの家族も一同に招待され、私も朝からおめかしをして出席していた。

 おめかしをした甲斐のある一日だと思えていた。Kensoが大役だったことを私に内緒にしていたオフィスの方々が、

 「ヒロコ。どうだ?嬉しいサプライズだっただろう?!!」

 とにこやかに歓迎してくれて、レスラー仲間やその家族らとわいわいと楽しく語らい、会見やレセプション、サイン会やトークショーにパーティーと、一通りの内容を終えたあと、「二人で飲みなおそっか」といきつけのフランス料理店に向かったところ、風向きが急に変わった。


 「うまいな、このワイン」

 お祝いに、と店主が出してくれたスペインワインをKensoが嬉しそうにぐびぐびと飲み干していく。週に一度は訪れるこの店で、彼は決まってフォアグラのテリーヌと大なべに入ったムール貝の白ワイン蒸しを注文し、ワインのボトルを抜く。メキシコというと、《ポンチョとタコス》を思う日本人がほとんどで、レスラーですら、《メキシコは勘弁》という人が多いが、それは治安の悪いエリアしか知らないからのこと。実はシティーの中央部にある外国人居住区にはスペイン人とフランス人が多く、ハカランダの並木の続く通りには、高級ブランド店やスペインの新人デザイナーの店が軒をつらね、フレンチや本国スペインの名店が数多く並ぶ。私たちは格安で頻繁にオペラやクラシックを聞きに行き、週末にはスペイン人が持ちこんだ骨董の蚤の市をめぐるのが趣味だった。日本でこれだけ鮮度の良いフォアグラを食べようと思ったら、5つ星の、《超》がつく高級店に行かなくてはならないだろうが、ここは欧州の中でも舌の肥えている民族であるスペイン人とフランス人が多いお陰で、庶民的で、なお旨い店が多く、なにより安い。

 「そうすると、このフォアグラもしばらくお預けになるわね」

 「そうなるな」

 せっかく出していただいた上等のワインも、なんだがどす黒く見えてくる。ごくっと喉を通すと、生々しい葡萄の香りと共に、ふとこの4,5年の彼との会話が思い起こされる。


 『おれ、してやられちゃったみたい』

 『このどん底を抜け出した自分を楽しく想像するのよ、さもなくば寝ろ』

 『もう帰りたいよ』

 『今、あきらめて日本に帰ったら、この先ずっと世界に目をそむけて生きていくことになるわよ。それを見ないふりして《俺はすごい》と思うような裸の王様の道連れは御免』

 

 考えてみれば、テレビ局をあっさりと辞めてプロレスラーになり、東京ドームで鳴物デビューを果たしてWJで転落。そこから復活してWWEに華々しく入団して、内臓の手術で退団。

 確かに色々あったけれど、それでもメキシコでの4年で起きた出来事に比べれば、こんなのはまるで赤ちゃんだ。そこからこの4年で、信頼する人に裏切られ、会社から干され、ビザも金も失い、夫婦の危機、更にそこからメキシコにしぶとく残り、大逆転の契約をとって一躍ヒールのトップスターになるとは、本人だって想像していなかったにちがいない。

 いや、案外想像できていたのか…。

 喉を通るワインは妙に渋くて、彼の言葉が更に鮮明によみがえる。

 

 『ホテル代、おれがまたテレビに出られるまで待ってくれるって。あきらめるなってオーナーが言ってくれたよ』

 『AAAのオフィスに飛び込んだら、社長が会ってくれた。俺を使ってくれることになった。ビザも取り返してくれるって』

 『週に10試合、全部メインエベント。これで一年連続だ』

 『どうせどれだけここで有名になったって、アメリカの時のようには報道されないんだ。絶対に実力をつけてやる。大切なのは中身だよ、実力なんだ。客が求める本物のプロレスが出来るレスラーにならなくちゃ駄目だ』

 『なんだあの試合は。あれじゃ海外まで来て参戦する意味がない。それでも日本じゃ大歓声だったなんて報道するんだろう。ばかばかしい。本当の海外参戦ってのは身一つで一からやるもんだ。会社の後ろ立てつきでちょこちょこ海外参戦したってなんの意味もない。みんな褒めるばっかりで、誰も本当のことを言わないんだから』

 『びっくりしたよ。あの選手、あんなに空気の読めない試合してたっけ。こうなると、ひとたび海外に出て、外から内を眺めるってのも成長すいるに大切なことだと、我ながら思えてくるよ』

 『俺、メキシコの永住権をとることにした。日本に戻って役所で二人分の書類を取って来て』

 『俺、お前と別れたい』

 『行かないでよ、ひろ』

 『できたみたい』


 いつからだろう。私は彼の仕事の一切に関与しなくなっていた。彼のことは彼が決める。私はそれに付き合う。七転八倒、実に派手だったこの4年間で、彼は表面に騙されない洞察力や、物の真価を測る目を養ってきた。というより、あまりの辛さと厳しさの中で、生きていくためにはそれを身に付けざるを得なかったというべきかもしれない。

 楽な選択肢なら他にもあるのに、どうして彼が、そこまでしてもこのメキシコでのサバイバルを選んだのか。

 

 彼が自力で手に入れたその信念と生き方に、今の私は絶大な信頼を寄せている。これまでの私たちを知るファンにとっては想像できない変化かもしれないが、この4年をここで徐々に語っていくことでわかってもらえるのではないかと考えている。


 「帰国となると、徐々にお礼とご挨拶をして歩かなくちゃいけないわね。お友達や毎度お世話になってたレストランだけでも何件かあるし。お別れと知ると、なんだか別れがたくなるわ」

 「来週なんて、ここにいるかわかんないよ」

 「はい?」

 「来週はいないだろ、ここには」

 「もしかして。…いつ帰る気?」

 「すぐ」

 「すぐ?」

 「決めたから、すぐ」

順調な朝に喜んでいたのも束の間、夕刻には急展開で、私は残ったフォアグラの欠片を慌ててほおばった。早く食べなくては、うかうかとしているうちに既に大半を食べ尽くされている。

 「この味もしばらくお預けね」

 「大丈夫だよ。もっとうまいもの食わせてやるから」

残念だったが、私にとってメキシコでの最後の一かけらは美味しいともまずいとも味がなかった。そんなことより頭の中は、すでにこの先のことで一杯だった。


 ケンヒロの人生は、ジェットコースターでなければ味気ない。