ランチタイムに車の中でお昼ごはん食べながらAbema primeを観るのが平日の日課である。

「努力は報われるのか」というトピックで話し合っていた。なんか短絡的。私は努力しないと住人並みの生活すらできない欠陥人間なんで、努力なしでは毎日の生活にすら支障をきたす知能だから努力というのは嫌でも強いられるものである。報われるかどうかを問うている人達というのはそもそも、そんなに頑張らなくても既に住民並みの生活が出来てしまう平均的であり平凡かもしれない、ただ私から見たら羨ましいくらい至極優秀な人達なのだと思う。

例えば、盲目だったり車椅子だったりの人達は、毎日が努力じゃないかな。言語障害があれば、1日の会話に詰まりがないだけで「努力は報われた」となるわけで。ごく平均的な生活をするためだけにも大変な努力が伴ってくる日常なのだ。

報われたかどうか考える余裕がある人達は、そもそもそれを考える余裕があるくらい既に恵まれた状態にあって、ただ大谷選手みたいに社会に認められた人達と自分を比較して「努力して到達出来る場所じゃない」と言ってるだけみたいに感じる。

お金と同じで、有効なものを見極めて投資すれば何倍もの成果がでる。

努力は、するかしないかではなくて、「どう努力するか」「何に努力するのがもっとも適切なのか」を見極めれば成果は出るし、その時にある人は「努力は報われた」と言うだろうし、またある人は「それは努力ではなく元々の才能だ」と言うだろう。

入れるべきギアが決まってないのに、行き先が定まってないのに、エンジンをブンブンふかしたところでガソリンを無駄に燃焼するだけ。

努力が報われないと感じるのは、単純に自分自身のマネージメントを怠っていただけだろう、というのが私の意見だ。