LGBTQ、本当に世の中は多様化してる。

でも日本ではまだまだかな?


アメリカ、北カリフォルニアの私のいる所では、例えば先日、スーパーのレジの、私よりも確実に年上の人だって「私の離婚した旦那はこうだった、私の今のワイフはこう」みたいな感じで、公然と、もう性別なんて無くていいんじゃないか?と思うくらいの勢いで、普通に世間話をする。もちろん、聞いている方も普通に聞いてる。

こういう環境が当たり前になってくると、多様化が叫ばれるこの期に及んでLGBTQって、まだ型作ってない?もしかしたら、人権を主張するにはそういう名称を付けざるを得ないんだろうけど、多様化には性別だけじゃない、身体的なマイノリティとか、人種的なマイノリティとか、生い立ち的なマイノリティとか、、どうせやるなら、全部が一体となって欲しい、と思えて来ちゃう。そして、今時ありがちな、マイノリティがマジョリティをちょっと敵っぽく言ってる感じが余計。

アメリカでは「ストレートだって多様性の一部じゃん?敵対視するマイノリティだっておかしいでしょ」とマイノリティを逆に批判している同性婚カップルだって少なくない。

マイノリティの中にだって更にマジョリティとマイノリティに分かれたりする。

そうやって区切ると落ち着くのが人間の性質なのかな、なんて思ったりもする。

その力を全部まとめて、主張をする力もなく、世間から忘れられている、お腹の空いた子供達の口にパンの一欠片でも運んであげられたらな。