2回連続で日本人と英語の事について書いたら、それに付随して色んな思い出が蘇って来た。

その中の1つはこんな思い出。

前にも書いたように、私達の娘は小学校5年生まで日本の公立学校に通っていた。
学校では少しずつ英語教育も始まっていて、そして同時に彼女の私生活では親子3人棲家を1つに纏めるべくアメリカ移住を控えていた。

ある日娘が学校から帰って来て「今日は英語の授業でアルファベットの書き方をやったよ」と言った。
「小ちゃい方の”a”を書いたら直された。何でかな?パパもグランマもあんなふうに書かないよね?」

娘はこうやって書いた↓↓



だけど先生から間違いだと言われ、こう書けと直されたそうだ↓↓




娘はちょっと困惑気味💦

だって、彼女はほんまモンの英語圏の生粋のネイティブと直接やり取りしていて覚えた書き方を、英語使用者でもない学校の先生から間違いだと指摘されてバツをつけられる。そりゃ混乱するわな😅


現実には、そんなの誰も気にしないよ🤣

それどころか、気付きすらしないのにさ🤣


お習字の時間じゃあんめーし、たかが小文字の”a”におたまじゃくしのしっぽはやかしてるかどうかなんかどうでもよくなくない?そんな事より先進まんかい?そいで、そういうのにこだわる方がいっぱいマルがついて優等生になっちゃうんかい?


机に向かってよく分かってない人が決めた基準に合わせて間違い探しに脳ミソ使うより、顔を上げて、広い世界に目をやる。極端に言うなら、メチャクチャでも構わないからとにかく色んな形と中身を持った人達と関わる、それが英語教育の根本だと私は思うんだけど。


先生も仕事だから日本の教育路線の範囲内に留まるよう教えなくちゃいけないのかもしれないけどね。

んじゃあ先生達が従わなくちゃいけない日本の教育路線ってどーなってんの?あーそれつくってる人達もそうやってマルいっぱい貰って優等生になった人達の集まりだよなぁ、その様式を崩そうとすると外されんのかね?それって大人の事情じゃん?教育って子供達の為にあるんだよね?って、、、、、


たかが小ちゃい”a”から始まって、どんどんどんどんどんどん思考が展開してしまう。


ちなみに当の娘、無事アメリカに渡り、現地の小学校5年生の途中から通い始め現在の大学に至るまでアルファベットの書き方を注意された事は1度もない。