私は映画は好きだが数多く観るタイプではない。


でも好きなものは何度も何度も繰り返し観る。
通しで観たり、一場面だけ再生し続けたり、ぶつ切りであちこち飛びながら、色々な角度から観たりする。


好きな映画はどこの断面から観ても良い。


誰かに「一番好きな映画は?」と訊かれて必ず迷わず応える映画、


「カラーパープル」


これは、今や押しも押されもせぬウーピー・ゴールドバーグやオプラ・ウィンフリーの映画デビュー作でもある。

監督、スティーブン・スピルバーグ
音楽、クインシー・ジョーンズ


後で気付いて、実は大御所ぞろい。
良いわけだ、そりゃ。


どこをとっても私には”どストライク”の映画。


著者、アリス・ウォーカーが取り組んでいた社会運動などにも目を通したがますます素晴らしい。


黒人差別、性差別、無教育、貧困問題、等、それまで私が常々気になって仕方のなかったテーマ全てが詰まっている。
かと言って、決して重く暗くさせない軽快で陽気な場面もある。


鳴り響く黒人音楽、美しい映像。



そして時が過ぎ、黒人でアメリカ人の夫を持ち、黒人家庭の一員として馴染むほどにこの映画の理解も深まり、何だか私の身体の中の隙間が埋まって行くような気分だった。


夫のひぃおじいちゃんはまだ奴隷だった。
夫方の高齢の親戚や近しい友人達が集まると「ここから2ブロック向こう先に私達は入れなかったのよ。」なんて話になったりする。

アメリカ歴史の生き証人勢揃い。

黒人の中だけにある常識非常識。

奴隷解放、バスボイコット運動、キング牧師、公民権運動、暗殺、、その時代に実際に”当人”としてそこにいた人達の話を私ほど聴きたかった日本人はいないんじゃないかと思うほど齧り付いて聞いてしまう。

その上、この人達は、元はと言えば、奴隷解放後に南部から、黒人達にとってもっと差別の少ない北部に、良い生活を求めてやって来た人達。
そんな思い出話も、バリバリ故郷の南部訛りで話す。私自身のアメリカ体験も、アメリカの深南部から始まっているのもあって、その粗野な南部訛りはいつでも心地よい。こんな時は自分が苦手な第二ヶ国語を聴いている事すら忘れている。


ある日、たまたまその映画がテレビで放映されていたので、フリークの私に夫を付き合わせる形で一緒に観る事になった。

夫は、実はちゃんと観るのはその時が初めてだったそうだ。 


すると、それまで私だけでは気付かなかった新たな発見があった。


黒人独特の言葉遣い、訛りや方言。

夫は、その中にいる人間だからこそ共感するような、それと共に育たなければ分からない細部もキャッチする。


中でも私に印象的だったのは、

“I‘s gonna 〜” という言い回し。


本来ならば” I’m gonna〜”という” I am going to〜”を口語的にした言い回し。

タイプしても自動訂正されちゃうし、ググってもなかなか出会えない。


でも紛れもなく” I’s gonna (I is going toの口語形)と言ってるのだ。
これは文法的には明らかにアウト。


私だけがそれを日本人の誰かに言ったとしても、ただの知ったかぶりのホラ吹きだと思われるのは明確だ。


ただ、今は夫が証明してくれる、ほんまもんである。


映画を観ながら、夫が懐かしいような感じでケラケラ笑いながら一々私を突いて来た。


ほんまもん、ほんまもん。

心から本当に知りたい窮地に行き着くと、人は喜びのあまり恍惚となる。