『映画字幕の作り方教えます』という本は、字幕スーパーの第一人者、清水俊二さんが書かれたエッセイ集だ。

 

 

「作り方教えます」というタイトルだが、字幕翻訳者になるための指南書でも字幕作りの "How to" ものでもなく、清水さんの覚え書きという感じのエッセイである。

 

 

戦前から戦後にかけて、パラマウントで映画と関わってきた日々のことを書いておられ、洋画と字幕スーパーの歴史を知ることができる非常に貴重な記録となっている。

 

 

清水俊二さんは、1906年(明治39年)生まれ。昭和4年に東大経済学部を卒業したものの就職難で仕事につけず、知り合いの口利きによりワーナー・ブラザーズで台本翻訳のアルバイトを始める。

 

 

その後MGMに移るが、日本で字幕第1号となった映画『モロッコ』の翻訳者、田村幸彦さんに誘われてさらにパラマウントに移り、そこから50年以上映画字幕作り一筋で昭和の時代を駆け抜けた方だ。

 

 

本書には何度も「スーパー字幕」と出てくる。「すごい字幕」のように聞こえるが、「スーパー」は「すごい」ではなく(確かに黎明期の字幕はいろいろな意味ですごいけれども)、  "superimpose"(スーパーインポーズ:重ね合わせる)という英語からきている。だから、この場合の "super-" はラテン語由来の「上に」という意味だろう。

 

 

昔はフィルムで映画を上映していて、字幕はそのフィルムに焼き付ける形だったので

英語では "superimposed caption / subtitles" (重ねづけられた字幕)という。それを略して「スーパー字幕」と呼んだのだろう。

 

 

今では字幕はただの「字幕」、字幕の合成技術のことを「字幕スーパー」と呼ぶらしい。「スーパー字幕」という言葉は聞かれなくなった。

 

 

英語のカナ表記も、「ビバリーヒルズ」が「ベバリーヒルズ」、「ゴルフ」が「ガルフ」、「メジャー」が「メイジャー」と、できるだけ英語の発音に近い形で書かれていて時代を感じる。

 

 

戸田奈津子さんが猛烈にアプローチして清水さんに弟子入りしたのは有名な話。もっとも、清水さんのほうは「弟子にしたつもりはない」と本に書いているが、戸田さんの出世作『地獄の黙示録』の時には、字幕を1つ1つ一緒に見てあげたそうだ。

 

 

現在のように、翻訳者がSSTという字幕制作ソフトを使って映像を観ながら文字数を計り、一瞬で「何秒のセリフだから何文字の字幕で」と簡単に分かり、自分のパソコンで字幕を作れる時代ではない。

 

 

清水さんが仕事を始めた昭和6年当時は日本でまだ字幕が作れず、飛行機もないので船でアメリカに渡り、さらに汽車で大陸を横断、1か月近くかけてニューヨークに行って作ったそうだ。(まったく気が遠くなる話である)

 

 

その後、日本でも字幕が作れるようになったが、最初はもちろん家庭用ビデオなんてないから、映画会社の試写に行き、映画を観ながら台本をチェックして字幕にするセリフを選ぶ(昔はけっこう字幕にしないセリフも多かったらしい)。

 

 

それを元に、映画会社のほうで「スポッティング」という秒数を計って文字数を決める作業をし、その後、翻訳者が字幕を作る。

 

 

セリフを1枚1枚紙に書き、それを映画会社がフィルムに焼き付ける、という手順で本当に時間がかかっていた。

 

 

家庭用ビデオが普及する1980年代までは劇場版映画の上映が中心で、翻訳者は10数名程しかいなかったようだ。本当に大変な仕事だったと思う。

 

 

私が3年間通ってお世話になった翻訳スクール、フェロー・アカデミーの前身「日本翻訳学院」ができたのが1981年とあるから、その後はおそらく字幕翻訳者の数も増えていき、SSTができた1998年以降は、スポッティングが翻訳者の仕事になっていったのだろう。

 

 

昔からやっている方たちは、スポッティングまでやらされることに嘆いておられるようだが、私はそこから習い始めたから、自分でセリフを入れる場所や長さを決められるスポッティングの作業が好きだ。

 

 

自分がタイピングした文字がそのまま映像に載るのが見えるので、ただの翻訳をしているだけではなく「字幕を作っている」という実感が湧く。

 

 

字幕の出し方も、昔は変わっていた。今なら横下に出すセリフは縦字幕が普通だった。だいぶ映像(特に顔)にかかってしまっていたことだろう。

 

 

興味深いのは文字の出し方だ。縦10~13文字が一般的だったようだが、清水氏の字幕として紹介されていたのが、以下のようなものだった。

 

 

神様 こんどは冗談

じゃないんです

 

教貧農場につれてかれ

てしまうんです

 

そこで申し上げておき

たい事があるんです

 

 

改行の位置がおかしい。今なら

 

 

神様 今度は

冗談じゃないんです

 

教貧農場に

連れていかれてしまうんです

 

そこで 申し上げて

おきたい事があるんです

 

 

などと、ちゃんと文節で切らないといけない。

 

 

昔は10文字なら10文字のところで切って改行していたのだ。字幕の歴史が分って実に面白い。

 

 

このエッセイには章がなく、記事が今で言うブログのように独立していて話題は多岐にわたる。それぞれの記事がいつ書かれたものか分かるとよかったのだが、出版された年しか分からない。

 

 

出版は1988年8月。それまで『翻訳の世界』(バベルプレス)に掲載された「スーパー劇場」の記事からの抜粋だそうである。

 

 

清水さんはその年の5月にお亡くなりになった。あとがきの解説は戸田奈津子さんが書かれている。

 

 

 

 

 

 

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