出版に際しましては、多くの方に応援・ダウンロードいただきまして、ありがとうございました!
去年あたりから書籍化を考えていたのですが、やっと2冊、形になったのでほっと一息でした
ただ、その一方で我が家はとんでもないことになっていました・・・ 以前、息子の発熱については書きましたが、あの後、市販の検査キットでコロナ感染が判明し、夫が代理でかかりつけのクリニックで薬をもらってきました。
抗生物質とカロナールで熱が少しずつ下がり、喉のひどい痛みが取れ、先週の初めからほんのちょっとですが、ご飯が食べられて回復に向かっていると思っていました。
私はちょうど息子の発熱前日から、ドラマの仕事がはいり、また私だけ症状がなく未感染かもしれないので、近づかないほうがいいと夫が主に看病してくれていました。
それで、先週はほぼ昼間は近所の仕事場に避難して仕事に邁進していました。後半にはドキュメンタリーの仕事もきて、2本目のドラマとダブルになりましたが、楽しくやっていたのです。
が、金曜日の夜に、ご飯を食べさせようとしたところ(私は夜だけマスクしてご飯担当)、全く受け付けないし、目もうつろでぐったりした様子。いつもと違うと思い、午後7時半ごろ救急車を要請しました
救急車の中で1時間ほども待たされて、やっと受け入れ先の病院が決まりましたが、病院での検査の結果、軽い肺炎で入院基準に満たないということで、点滴だけしてもらい真夜中に帰されました。。。(ちょっと遠い大宮。夫が車でお迎え)
その後も、近所のクリニックにも行ったのですが、食べられなくても飲めていればいいと言われ、また肺炎を治す薬はないから自宅で静養してくださいと言われ、週末は家で様子を見ながら、看護しました。
とにかくぐったりして体に力が入らなくて、40度の熱でも自分でトイレに行けていたのが、37~8度なのに支えていないと全然歩けないのです 夫と交代、時には2人がかりで連れていきました。
週明け、月曜日は調子がよかったみたいで、お昼にパスタを食べるというので少量食べさせたのですが、午後戻してしまい、その夜中にまたぐったりしました。そしてまた救急車要請(午前3時)
今度は別の北浦和の病院でしたが、こちらはすごくケアがよく看護師さんたちも優しくて、ずっと病室で付き添えました。顔が見られて声もかけられたので安心。ただ、ここも満床で「入院させてあげたいのだけど・・・」と言われつつ、朝7時ごろ帰されました
昨日はその後、ずっと悲惨。何度かもどしてしまい、持病の発作も何度か起きて、でもそのあと疲れたのか、久しぶりにぐっすり寝たので寝かせておきました。でも、夜になって起こして薬を飲ませようとすると、もう水を飲み込むこともできなくなっていました。
3度目の救急車要請 そして、朝方までお世話になった北浦和の同じ病院で入院できることになりました。3度目の正直。よかった。これでひとまず命の危険はなくなったので、ほっとしました。
もう途中で何度も心が折れそうになり、そんな中で仕事も2つ仕上げないといけないのもつらかったです。。。
今朝、点滴を受けて落ち着いていると夫から連絡があり、私も2つ無事に納品して、これから午後は病院に向かいます。
今は、入院用の着替えやタオルなどを用意して、今後の連絡待ち。
それにしても、数日でこんなに急変、悪化するとは思いませんでした。本当に恐ろしいコロナの後遺症。何か月も寝込む方もいらっしゃると聞いています。
さいたま市ではどの大病院も患者で一杯だそうです。満床と断られ続け、日に日にぐったりする息子を見ているのがつらくて怖くて。コロナ重症・中等症が多かった時はもっと恐ろしかったことでしょうね。救急車さえ来なかったんだから。
今回も、救急車あと2台とか聞こえて、かなり出払っていたようです。来てくれて点滴が受けられただけよかったです。
今後、まだ予断を許さず、元の生活に戻れるのか不安ではありますが、無事を祈りたいと思います。
しばらく何も書けないかも、と思いましたが、書くことで気が紛れるというか、心の整理ができるので、こんな話が多くなるかもしれませんが、また書くかもしれません。すみませんが、よろしければおつきあいください