さて、昨日は軽井沢の話を書きましたが、新型コロナ感染に対して何の規制もなくなったので、どの観光地も賑わいを取り戻しつつあるようです。

 

 

が、毎年のように、楽しいはずの観光地で起こる悲しい事故。

 

 

昨日、北海道の知床半島沖合で遭難・沈没した「KAZU1」の船体がついに陸揚げされたというニュースが入ってきました。

 

 

現在、乗客・乗員26人のうち、死者14名、行方不明者12名と報道されています。お子さんも2人いらして、1人はまだ3歳だとか。うちの孫とそれほど変わりません。どれほど心細くて怖かったことでしょう。犠牲になった方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

昨日は、奇しくもアジアンドキュメンタリーズで『潜水日誌』という作品が配信されました。これは8年前の4月、韓国で沈没した大型観光フェリー船「セウォル号」犠牲者の捜索活動を追ったドキュメンタリーです。

 

 

 

 

原題:Logbook
2018年製作/作品時間98分
撮影地:韓国
製作国:韓国

セウォル号沈没事故が発生した当時、ニュースの第一報が伝えたのは「全員救出」。しかしそれは全くの嘘で、船長と乗組員は一人も救出せずに脱出していた。事故後、韓国全土から潜水士が集まり、292人の遺体を回収。この作品は彼らの潜水日誌や証言をベースに救助活動の現実を描き、潜水士や遺族の苦悩、悲しみを克明に記録したものだ。潜水士たちが現場に到着した時、何百隻もの船が海上にいたが、指揮系統がなく命令も下らない。彼らは自分たちで話し合い、計画を立てて救助活動を始めた。視界が悪く潮流は速い、命の危険と引き換えに続く救出作業。ついには仲間のダイバーにも犠牲者が出た。しかし彼らは活動を止めることはなかった。犠牲者と遺族のために捧げた、信念の80日間だ。(「アジアンドキュメンタリーズ」より)

 

 

当時、毎日のように報道されていたので気になってはいたのですが、政府や特に朴槿恵 (パク・クネ) 大統領への批判が話題となり、肝心の救出活動についてはどうなっていたのか、よく分かりませんでした。

 

 

今回、詳しく調べながら翻訳をしましたが、大変な捜索活動だったということが分かり、かなり衝撃を受けました。この作品は、これまであまり焦点が当たることがなかった遺体回収作業に従事した潜水士たちの記録です。

 

 

事故が起こったのは2014年4月16日のことでした。乗客476人のうち、高校生が325人。彼らは修学旅行で仁川(インチョン)から済州島(チェジュ)へ向かっていました。引率の教員は10名。

 

 

その日の朝9時には済州島に到着する予定でしたが、直前で転覆してしまいます。ご存じのように、船長はじめ船員たちは、乗客に部屋から出るなとアナウンスを続け、1人も救出しなかったため、ほとんどが船内に閉じ込められたままでした。

 

 

しかも、KAZU1と違ってセウォル号は7000トン近くもある超大型フェリーです。そんな丈夫な船が沈むわけはないと誰もが思っていて、実際生徒たちが直前まで「沈むぞー」などとふざけている動画がネットにアップされて残っています。

 

 

が、実際には船は沈んでいきました。その地点から海底までの深さは約42メートル。セウォル号までは約20メートルでした。全国からダイバーたちが集まって、必死の回収作業が始まりますが、20メートルはビルで言えば7~8階にあたり、周りは真っ暗。またそこは潮流がとても急な所でプロのダイバーでも命がけの作業でした。

 

 

生徒たちはライフジャケットを着ていたので、多くは部屋の天井あたりで見つかりました。特に女子は10人も20人も固まって、手をつないだり体を寄せあった状態で浮いていたそうです。

 

 

一度に1人ずつしか運び出せないため、硬くなった体同士を引きはがすのは大変だったし、手をつないだ友人を置いていくのがかわいそうだった、と海の男たちが涙を流しながら当時を振り返っている様子に、回収作業が体力的にはもちろん、精神的にもどれだけ辛かったかが分かります。

 

 

彼らは4月の事故直後から、7月中旬までの3か月近く、来る日も来る日も海に潜り、300人ほどの遺体を回収しました。最終的に、アメリカ海軍の長時間潜水が可能な装備が入り、彼ら民間のダイバーは突然、撤退を通告されます。

 

 

最後の1人まで見つけ出し、全員を早く家族の元に返したいという思いで、潜水病にも苦しみながら必死に活動を続けてきた彼らは、政府から突き放され、しかも世間から心無いバッシングを受け、体も心も病んでいきます。

 

 

長い間、強い圧のかかった海にもぐっていたため、血圧は高くなるし、中には酸素不足で骨が壊死してしまい、人口関節を入れる手術を受けた人たちもいるし、透析を受け始めた人もいました。

 

 

夜、なかなか寝付けない、寝ても悪夢にうなされる、ということが続き、睡眠薬がないと生活できない人もいるし、鬱病になり希死念慮に取りつかれる人もいました。

 

 

身近な人の死や多くの死を目の当たりにすると、生と死の境界が近くなり、死にたいという願望が生まれてしまうそうです。毎日、何十人もの遺体(しかも若い子どもたち)を見るという異常な体験、また全員を見つけられなかったという無念な気持ちが彼らを蝕んでいきます。

 

 

その後、セウォル号犠牲者のお母さんたちが開いた集いで「遺体ではあったけれど、大切な息子や娘たちを見つけてくださって、本当にありがとうございました」という感謝の言葉を言ってもらえたことで、彼らはやっと救われた気持ちになります。

 

 

山や海、航空機事故など、救助や遺体回収が困難な場合、家族や関係者はもちろんのこと、捜索する人たちの苦労や苦しみも並大抵のものではなく、後々まで続くのだと思い知らされました。

 

 

しかも、今回KAZU1が沈んだあたりの海底はセウォル号の6倍の120メートルでした。日本でも、海保の技術ではそこまで潜れる人はおらず、民間の「飽和潜水」という技術をもったところが請け負ったようですが、人間が普通に潜れる限界を超えていました。まだ全員ではありませんが、よく遺体回収と船体の引き上げに至ったものだと思います。

 

 

たくさんの漁船も、ボランティアで捜索にあたりました。多くの方々のご苦労があっただろうとお察しします。トラウマになる方もいらっしゃるかもしれませんが、十分に休息をとって心身ともに徐々に回復されることをお祈りしたいと思います。