昨日は晴れて暖かく、街を歩いてたら汗ばむくらいでしたが、今日は一転、晴れても冬らしい寒さとなりました。

 

 

なんたって、師走ですからね。今までが暖か過ぎました。寒さ慣れしてない・・・うーん

 

 

先生が走り回る師走とあって、試験の採点や成績をつける作業に追われています。加えて、再開した翻訳クラスの課題が昨日〆切だったので、とても眠い…ぐぅぐぅ

 

 

冬休みまであと1週間。朝早く起きずに済む生活が待ち遠しい今日この頃です。

 

 

さて、今月配信された「アジドキュ」のお話。

 

 

『ビューイング・ブース -映像の虚実-』というタイトルです。

 

 

 

 

 

監督は、アメリカの大学で学んだことがあるユダヤ人男性。その大学でイスラエルパレスチナに興味がある学生を数名募って、ある映像を観てもらい、その様子を撮影しています。

 

 

監督が、興味を持った、あるいは問題作だ、と思った映像の中から自由に選んでもらい、観ながら自由に意見や感じたことを語ってもらう、というちょっと変わった趣向のフィルムでした。

 

 

私たちは、学生が観ている映像と、それを観ている学生を見せられるわけです。

 

 

前回の 『美容室』といい、この作品といい、ちょっとこれまでにない、面白い撮り方をする作品が出てきてるなあ、と感心しました。

 

 

 

 

何人か呼んだ学生の中で、監督が用意した映像に、他の学生とは違う反応を示した女子学生マヤがいました。

 

 

あるパレスチナ人の家庭に、夜中だか明け方に、銃を持ったイスラエル兵士たちが突然入ってきて子供たちの身元を調べるという映像です。

 

 

彼女も初めは「子供たちがかわいそう、これはひどい」と言うのですが、だんだん、「この状況がよく分からない」と言い始めます。

 

 

「ひょっとしたら、この家に爆弾があるとか何か通報があったのかも。そうでなければ、いくら兵士でも理由なくこんなことはしない」と、イスラエルに同情的なコメントをします。

 

 

また、起こされた子供が自分の名前を聞かれて間違えたのを見て「やらせ」なんじゃないかと言います。イスラエルがひどいことをしている、というプロパガンダ映像だと。

 

 

さもなきゃ、そんな時間に兵士がくるところをどうやって撮影できるのだ、と。

 

 

彼女は両親がユダヤ人なので、イスラエル寄りの見方をしていたのです。

 

 

この監督は、彼女のコメントに少なからずショックを受けます。同じドキュメンタリー映画を撮って事実を伝える者として、自分の訴えたいことが素直に伝わらない人がいること、そういう人たちには映像も無力なのか、と思うのです。

 

 

でも、私はマヤの考え方を理解できました。

 

 

映像は一方的だし、撮る方は撮りたい方法で撮りたいものを撮っているので、本当に全容が見えているのかどうか、観る方には分かりません。ある一部の映像だけを切り取っているかもしれないし、うまく編集しているかもしれないし、周りやその映像の前後は分からないこともあります。

 

 

真面目に撮られた本物のドキュメンタリーフィルムもあれば、悪意に満ちて作られた映像やフェイク映像は、インターネットの世界には(時にはTVニュースでも)いくらでもある。その真偽を見抜く目を私たちは養っているか…。

 

 

そう問われているような気がしました。

 

 

TVで放送されたりネットで映像が流れると、つい本当のことだと思ってしまいますが、確かに「リアリティー番組」のように 本物のようでフィクション(大まかにでも)、台本がある番組もあります。

 

 

その場にいて、自分の目で見てみないと分からないことがたくさんあるのに、すべてのことを見るのは不可能です。

 

 

たくさんの情報が巷に溢れる現代、情報を送る側の意図、それを受け取る側の意図もさまざまで、真実を伝えること、受け取ることの難しさを感じました。