私たちの住んでいたマナヘブンは半島にあるのだが、この半島のさらに奥にSands Point(サンズ・ポイント)という地区がある。ここは、Google mapで見るとよく分かるが、道が細かく分かれていない。つまり、大きなお屋敷が多い地区なのだ。

 

 

 

 

フィッツジェラルドの小説 The Great Gatsby 『華麗なるギャツビー』2013年にディカプリオ主演で映画にもなった)に出てくるイーストエッグという場所のモデルらしい。(ちなみにウエストエッグは西隣の半島、グレートネック)

 

 

 

 

この辺りの豪邸は、道路から門しか見えない。冬に葉っぱが落ちると奥がかろうじて見えるが、それでも屋敷に通じる道か屋敷の一部しか見えない。その奥にプライベートビーチ付きのお屋敷があるらしいが、それは海からしか見えないようになっている。

 

下の写真は、サンズ・ポイントではないが、もう少し東に行ったところにある、Old Westbury Gardens といって映画 "Love Story" 『ある愛の詩』の撮影にも使われた豪邸の1つである。こちらは一般に公開されていて、中に入ることができる。

 

 

 

 

うちのlandlord (家主)のオスカーは、その豪邸地区のサンズ・ポイントにお住まいになっている。超お金持ちらしいが、ふだんは作業着にピックアップ・トラックで回っているのでそれらしく見えないし、基本的にケチである。

 

ケチだからお金持ちでいられるのだろうけど、一度水道が止まらなくなったとき、オスカーに連絡が取れなくて電話で業者を呼んだら後で怒られた。業者を呼ぶとそれだけで50ドル取られる。ただのパッキンの取り換えだったりすると、自分を呼んでくれれば数ドルで済むというのだ。

 

ということで、基本的に何かが壊れたり困ったりした家のトラブルは、電話するとオスカーが飛んできて直してくれる。英語は少しなまっていて名前からしてドイツ系ではないかと思うが、口数は少なくてぶっきらぼうな感じはするが、まあ基本いい人だ。

 

あるとき、修理に来てくれたのでお茶を出して話をしていたら、娘さんが大学に行くので奨学金を取ったという。お金持ちなのに奨学金をもらうの?と聞くと、「私は私、娘は娘だ」という。ビックリした。いい人だけど、やっぱりケチだ。

 

でも、プライベートでは、ベンツに乗ってスーツを着て高級レストランでお食事をするらしい。ここぞ、というときに自分のためにお金を使う、これぞアメリカ的生活。親は親、子供は子供。

 

子供は早くから親に頼らずアルバイトをする。典型的なのは、ベビーシッターだ。1時間5ドルくらいで頼める。ニューヨークでは、10歳くらいまでは1人で留守番をさせてはいけないようで(州によって年齢が違う)、ちょっとの買い物でも連れて行くか、ベビーシッターを頼む。夜の観劇など、長い時間の場合は大人を頼むだろうけど、少しの間見ていてもらうなら、高校生くらいの方が安くて気軽に頼める。

 

そして、大学生になるとたいてい奨学金をもらったり自分で稼いだりして学費を払い、家も出る。ただ、最近は生活費も学費も年々あがっているので、家を出ない若者もいると聞くが、基本的に高校を卒業したら家を出て、親元から独立するというのが多くのアメリカ人の考え方だ。

 

驚いたのは、通りをはさんだお向かい(つまり奇数番号のおうち)のおばあさんだ。すぐお隣りが実の娘夫婦だという。隣りならなぜ一緒に住まないのかと日本人なら不思議に思うだろう。わざわざ、隣り同士の一戸建てに別々に住むなんて光熱費や維持費を考えたってもったいないし、普段の暮らしも一緒の方がにぎやかだし安心だろうに、と思って聞いてみると、すぐ隣りにいるからさみしくはないし何の心配もないと。むしろ大事なのは "independence and privacy" (自立心とプライバシー)だと言っていた。

 

確かに、この2つはすでに赤ん坊のときから培われていてアメリカ人が最も大切にしているものと言えるかもしれない。

 

アメリカでは、ベビーが生まれるとベビーベッドは夫婦の寝室とは別の部屋に置く。泣き声や異常が分からないと困るから、モニター(トランシーバーのような器具)を置いておき、泣いたら夫婦の寝室に声が聞こえるようにしておく。日本のように川の字で一緒に寝たりしないのが普通だ。アメリカ人は物心つくと、すでに親とは別の部屋で寝起きして、夜寝る時は夫婦の邪魔をしないような環境を整えられているのだ。

 

 

*写真はインターネットより

 

 

大人同士の会話には割り込まないのがエチケットとされるし、何か失礼なことをすると親から Excuse me, MR. とか Miss とか言われて他人のような突き放された言い方で注意をされることもある。早くから、1人の人間としての扱いをされるようである。

 

欧米でよく聞く、ある年齢までは子供を人で留守番させない、というのは日本より犯罪が多くて危険だからということではなく(まあそれもあるかもしれないけど)、キリスト教的な考えに基づくものではないだろうか。子供は神様からの授かりもの、社会できちんと見守る、という意識があるように思う。

 

子供が人で家にいたり、虐待されていると思ったら、近所の人が迷わず通報するし、虐待の疑いがあればすかさず当局が子供を保護する。日本みたいに「しつけの一環」や「家庭のことに口を挟むな」では済まされないのである。

 

それに、公共のTVでは、ダーティワードや暴力シーンは徹底的にカットされ、子供を社会で守っていく、という意識が強い。特に昔はインターネットなどない時代だから大人が子供の見るものをコントロールできた。

 

今の時代ではこれはなかなか難しくなってしまったが、以前ブログに書いたアメリカ版 "The Good Wife" では、子供が変なサイトを見ていると分かったとたん、自室でのパソコン使用を禁止し、大人の目が届くリビングでの使用を命じていた。子供は当然反発するが、きちんと母親が説明して「そうするのは大人の義務だ」と言っていたのが印象的だった。

 

子供は親の所有物ではなく、一人の人間として大人や社会が守り、一定の年齢になったら自立させる。そういう考え方なのだと思う。

 

日本で最近多い、親からの虐待。子供は親のもの、とばかりに家の中に閉じ込めて暴力で言うことを聞かせたり、泣き止まないからといって放置したりすることは、早めに通報するなどして社会全体で防がなければいけないだろう。

 

そして、その逆に子供を甘えさせて欲しいものは何でも買い与え、先回りしていろいろなことをやってあげ、いつまでも家から出なくても子供の世話をしてしまう(自分で言っていて耳が痛い)日本人の考えかたも、少しアメリカ風にドライに変わっていっていいのかもしれない。