暖かい1日でしたね。昨日の東京の初雪雪の結晶 がうそのようです。

 

 

今日は、先月亡くなった母の納骨でした。

昨年の3月に父が亡くなったので、父の一周忌も合わせてお経をあげて頂きました。

 

 

 

 

実は、うちの実家の宗教はよくわからなくて(父が早くに認知症になってしまったので)、父も母も、夫の実家の宗教である「浄土真宗」で送りました。

 

 

浄土真宗のことはよく知らなかったのですが、法然が浄土宗を開いたのち、その弟子である親鸞聖人が開いた宗派だそうです(そういえば高校の歴史の時間に習ったような…)。

 

 

阿弥陀仏を信じていればすぐに成仏できる、という万人救済が唱えられた絶対他力の教えであり、唱えるのは「南無阿弥陀仏」。浄土真宗の葬儀は他の宗派と異なり、「死者への供養」という概念が存在しない事が大きな特徴です。

 

 

ここから先は、「お坊さん便」のHPから引用させて頂きます(お坊さんもネットで頼む時代なんですね~)

 


浄土真宗の門徒は死を迎えると同時に阿弥陀如来によって極楽浄土へ導かれると考えられている為、わざわざ葬儀で成仏を願う必要が無いとされています。
これに伴って礼拝の対象が故人ではなく、死者を導く阿弥陀如来となっている事もポイントです。他の仏教宗派では葬儀において仏弟になる為に戒律を受けて戒名を授かる「授戒」や、死者を仏道へ正しく導く「引導」という作法があります。
しかし浄土真宗の葬儀では「絶対他力」「往生即身仏」という考え方が根幹にある為、授戒と引導が存在しません。戒名が無い代わりに仏道に帰依した証とし「法名」を授かるという事も覚えておきましょう。

 

 

 

他にも、特徴としては、

 

  • お焼香はお香をつまんで1回(または2回)香炉にくべるのみ。
  • 死者は「忌むもの」ではないので、会葬礼状に清めの塩は入れない。

  • 亡くなると同時に極楽浄土へ旅立つので、喪中という概念はない。

  • 線香を焚いたり、朝晩の供養、お盆の送り火・迎え火の儀式はない。

 

などがあり、一言でいうと(言葉は悪いですが)超お気軽な宗教です。

 

 

仏教には昔からの先人たちの教えや考え方が込められていて、とてもありがたいものではありますが、あまりにも形式やしきたりに縛られるのも本末転倒で、死者を悼む気持ちが一番大切だと思いますので「こうしなければならない」「これをしてはいけない」とルールが多すぎるのは気が重いものです。

 

 

親しい家族が亡くなると、悲しみに浸る間もなく、葬儀屋の手配や他の親族への連絡と並行して、あれしてこれして、と怒涛のようにやることがたくさん続きます。

 

 

うちの場合は、葬儀屋さんが来てくれて葬儀までに準備する一覧をくれたのですが、「浄土真宗で」と告げると、じゃあ「燭台、花瓶、鈴、香炉、一膳飯、枕団子、など一切要りませんので」と言われ、とても気が楽になったのをよく覚えています。(悲しみにくれながらお団子の材料を買いに行くのもなんだかなあ…と思います)

 

 

亡くなってすぐに極楽浄土へ旅立つので「喪中」はないそうですが、今日お経をあげて下さったお坊さん(実は奥様の方でしたが)は、「喪中ではなくても、四十九日までは亡くなった方の生き方を思い、供養をする気持ちが大切です。そして、これからは残されて生きていく人間が故人の思いを伝えながら、その生を活かして生きていくことが大切ではないでしょうか」と説いてくださいました。

 

 

お墓は我が家の近くにあるのですが、今日までは母が長年暮らしていた実家の方にお骨を置いて妹夫婦が供養してくれていました。

 

 

極楽浄土に行ったわりに、ちょこちょこ降りてきていたのか、時々誰もいないはずの1階に何か物音がして気配があったというので、実家で四十九日の間、のんびり昔を懐かしんでいたのかもしれません。

 

 

ちなみに、我が家の和室のクローゼットには本を置くために付けた棚があるのですが、これが祭壇にぴったりなので、今のところ仏壇代わりに使っています。

 

 

下段には母の得意だった手芸の作品や頂き物のお花・ぬいぐるみなどを飾ってあります。母を偲ぶのにいい空間になっているので、仏壇を置かずにこのままにしておこうと思います。

 

 

また時々降りて遊びに来てくれるかもしれません。

 

 

 

 

 

参考:「お坊さん便」 https://obousan.minrevi.jp/jodoshinshu-sogi/

  「小さなお葬式」https://www.osohshiki.jp/column/article/53/