微かに蝉の声が聞こえる。
久しぶりに会った親戚達との話も尽きて、母の火葬を待つ間、手持ち無沙汰になって、僕は待合室の窓から何とはなしに外を眺めていた。
葬儀の打合せや段取りでドタバタと過ごして来たので、母の死後、初めて訪れた静かな時間だった。
不意に蝉の声が止んで少し耳鳴りがした。目を閉じるとまぶたの裏が一瞬真っ白になったような眩しさを感じた。
頭を振ると、耳鳴りは直ぐに止んだ。瞬間、子供の頃のある日の出来事が鮮明に思い出された。
今まで一度も思い出す事の無かった、遠い夏の日の記憶。
その日、僕は母と兄と3人で海水浴に来ていた。下北半島の南側、陸奥湾に面している為、波が小さく穏やかな海岸だった。地元の人が何人かいるだけで、監視員もいない、海の家も無い、裏手に松林をたくわえただけの小さな海岸。
母は眩しい砂の上に広げたシートに座って日傘をさしていた。僕と兄は飽きること無く、一日中泳いでいた。
僕達家族は父の仕事の都合で、一学期が終わると同時に、千葉から引越して来たばかりだった。学校が休みでは、新しい土地で友達が出来る筈も無く、また街というものが殆ど無い「ど」のつく田舎なので、話し相手も遊び相手も、自ずと母か兄しかいなかった。
そんな僕を不憫に思ったのかどうかは分からないけれど、引越して直ぐに、母は生まれて初めて腕時計を買ってくれた。
今思えば、当時の感覚だと小学四年生の僕には、腕時計はまだ早過ぎる気がするので、きっと母は遊び相手が作れないこの時期に転校させてしまった事を、どこかで後ろめたく感じていて、その穴埋めのつもりで時計を買ってくれたのかも知れない。
それはエメラルドグリーンの文字盤も鮮やかなSEIKOの腕時計だった。まずモダンなデザインと色が気に入った。
値段はその店にあったSEIKOの腕時計の中では、最も安い7,000円だった。何故かそれは今でも鮮明に覚えている。
自分で選んだという記憶はあるが、どこか遠慮して少しでも安いモデルにしようと思っていた。そういう風に僕は少し大人の顔色を伺う子供だった気がする。
それから毎日飽きる事もなく緑色の文字盤を眺めては、はぁーと息を吹き掛けて、大事に大事に洋服の隅で磨いていた。
その時計が見つからない。
帰る時になって気が付いた。海に入るので外した事は確かだ。心当たりのある場所は何度も歩き回り、あちこちで砂を掘り起こしてみたけれど、結局どこにも見つからなかった。
やがて日も暮れて、心残りのまま家へ戻って来た。僕が酷く落胆していたからか、母は少し寂しそうな顔をしただけで、全く叱らなかった。時計を買って貰ってから、まださほど日は経っていなかった。
火葬が終わったという案内人の声でふと我に返った。不思議なもので、何故か骨になってしまうと、力が抜けたような感覚がして、気持ちが癒されて行くことを実感した。
それからというもの、何かのついでに、その時計と同じモデルがどこかに売っていないものか探して歩くのが、僕の密やかな楽しみになった。
時計屋は勿論、質屋の看板を見つけると、質流れ品の棚に同じ時計が無いか探してみたり、リサイクルショップを見つけると必ず覗いてみた。
しかし記憶が曖昧なこともあり、ピンと来るモデルが見つからない。インターネットでも探してみたが、いかんせん型番か名前でも分からないと、腕時計というものはメーカーが分かったくらいでは、種類が多過ぎて、探す手掛かりは無いに等しい。
はっきりと記憶にあるのは形と、文字盤の色と、定価だけ。
もしかしたらSEIKOではなくてシチズンやALBAだったかも知れない。記憶がぐらつき始めた頃、セイコーミュージアムという博物館があることを知った。ここなら何か手がかりが見つかるかも知れない、と思って早々に見学を申し込んだ。
セイコーミュージアムは浅草方面の江戸の町外れ、という感じの場所にある。案内の人が、太古の日時計から現在のGPS電波ソーラーまでの仕組みや歴史、人が正確な時を知ることで生活がどう変化して来たのか、そんなことを事細かに解説してくれた。
ほんの数十年前までは、一日に何分、何秒も狂うのが当たり前の時代。今のように正確な時間で社会が進んで行くようになったきっかけは、やはり鉄道のダイヤの影響だった。
とても素敵な展示と解説だったが、残念ながら展示品の中には僕の探しているモデルは見つからなかった。
しかし当時のカタログは全て保存してあるという事なので、時計を買って貰ったであろう1974年を含めて、少し遡った数年分と、念の為に1976年辺りまでのカタログを何冊か、応接室でゆっくりと見せて頂いた。
「これだ・・・」
カタログを見る限り、70年代半ばに数年間に渡って販売されていたモデルのようだ。
「・・・現物は無いんですよね?」
「はい。全てのモデルを保管している訳ではありませんので。」
仕方なくその日はカタログの写真を撮らせて頂いて、ミュージアムを後にした。
それからまた暇を見つけては、古そうな時計屋を見つけるとカタログの写真を見せて、この時計について何か知らないか聞いて歩き、ネットオークションで、質屋で、リサイクルショップで、あちこちと暇を見つけては探し続けたが、どこにも見当たらなかった。
見つからないからといって、それが辛い訳ではなくて、探すこと自体が楽しみになって来て、探している間は、どこか冒険をしているような、童心に帰ったような、不思議と暖かい気持ちでいられた。
そして探し始めて三カ月。遂に同じモデルをネットオークションで発見した。
あれだけ探しても見つからなかった超希少なモデルだ。
幾ら注ぎ込んでも絶対に落札しなければならない、と一人勝手に意気込んだが、結局ライバルは現れず、当時の定価にも満たない金額で呆気無く落札出来た。
どうやらこの時計を探していたのは、日本中で僕だけだったようだ。
もう探す必要が無いのかと思うと、何だか見つかってしまったことが、ちょっと残念な気がした。
そっと持ち上げてみると、当時より少しだけ軽く、小さく感じる。各部の作りは、ざっくりとした機械加工で、手仕事の高級品とは比べ物にならない荒さが目立つ。
それでも僕は昔と同じように、はぁーっと息を吹きかけては、大事に大事に洋服の隅で文字盤のガラスを磨いて、飽きることなくこの時計を眺めている。

