今日も痛いニュースから
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先日,キヤノン電子の酒巻久社長に,桜が満開となっていた同社の秩父工場を案内していただいた。酒巻社長は『椅子とパソコンをなくせば会社は伸び る!』(祥伝社)の著者であり,職場から「いす」をなくすという大胆な改革を実行した人である。秩父工場内には,応接室など一部を除き,会議室にも,開発 部門や管理部門のオフィスにもいすがない。

現代社会はとかく合理性を要求される時代だなぁ...と感じるけれど、キャノンの椅子のない工場にはちょっと恐ろしいものを感じてしまった。正に人間は一定の生産活動を行う機械であることを要求されているように思う。

合理性は重要な概念ではあるけれど、それだけでは人間は動かないんじゃないか。

まず人間は生きているだけでも非効率だ。息をすれば二酸化炭素は吐くし、腹が減るので飯も食べる、その上汚い排泄物までだすのだから、はじめからいない方が合理的だともいえる。
じゃあなんで生きるのかというと、やはり生き甲斐を感じる為なんだと思う。生き甲斐を感じるために人間は生産活動を行って、他者とも関わり、人を愛し、子供を育てるんじゃないかと思う。

この生き甲斐自体も非合理的なものだ。しかしこの考え方を否定したら人間は生きている価値がない。このキャノンの工場も職員の生き甲斐というものを否定しているように思えてならない。

環境問題や経済問題を論じる時によく感じるのが、この非合理的なものを否定する論調。人生を謳歌するために贅沢品を購入することや、同僚と馬鹿話をすること、エアコンなど快適にすごせる文明の利器を使うこと等を地球環境に悪い!とか生産効率が悪い!とかお金の無駄だ!とかの理由で切ってすてる。

しかし、これらの一見無駄と思われる人間活動が、働く人のモチベーションを高めて最終的に生産活動を高めることになると思う。これらを否定することこそ、働く人のモチベーションを下げて、最終的に非合理性を生むんじゃないかと思うんだけど。