生きることの強要 | 救済

救済

愛と憎しみ


ある友人が、私に言ったんです

あなたが明日死んでも、それは私のせいだと責任を負っても、あなたの味方になりたいから、死にたいなら死んでいいんだよ

って

どんな形でも
みんな知らず知らずのうちに私に生きることを強要し、それは愛でもあり、という


ただ、生きて欲しいと願っているあなたは私の人生を、生きたことがないじゃないですか


連絡手段を断つ常習犯なんだけど、ある日おばあちゃんから心配の連絡が来たとママに言われまして。

でも、教えたくなくて、

そうしたらママに言われました


おばあちゃんがいなかったらあなた生まれてないのよ


ってね


生まれてない?、産んでくれて感謝してるとでも勘違いしてるのかと思って、その時私はママに、そう言ってしまったんです、感謝なんてしてないけどって、


ただ、ママが私のこの気持ちを理解できないのと同じように、私はママの気持ちを理解できない、所謂親の気持ちは親にならなければ分からないというものであって、私は私の考えを母親に強要し、悲しませたことがあります




働きたくない、動きたくない、外に出たくない、ご飯食べたくない、なにもしたくない、

唯一したいことは、死にたい


そんな日があったけど、


どうせ死ぬならこれしてから死ねば良くない?って思うと、あれしたい、これしたい、あれもしてみたい、なんて思う、


つまり死ぬことが原動力になる日々

どうせ死ぬなら、どうせ死にたい時に死ねるんだから、あれ今しちゃえば良いかもしれない

そうやってしぶとく生きてる矛盾した人生


この人生を理解できない人に私はこの人生を強要して、他人のキラキラ輝いた生きることを目的にした人生を強要されて生きてます。



※この文章は特定のあなたに向けて書いたものです