8月初旬、爽やかな風を求め、西伊豆の松崎町までドライブしました
その時の写真をアップいたします。
田んぼの緑がきれい。
伊豆・松崎町にある道の駅「三聖苑」に立ち寄り、見学してきました。
『「道の駅 花の三聖苑伊豆松崎」は、郷土の三聖人の業績を中心に、松崎の歴史、文化を紹介する複合施設です。
三聖人とは、幕末の漢学者である土屋三余、明治期の実業家として名を馳せた依田佐二平、その弟で北海道 十勝平野の開拓者である依田勉三という、幕末から明治期にかけて活躍した松崎出身の3人の偉人たちのこと。 敷地内には、3人のたぐい稀な業績をはじめ、松崎の歴史などを紹介する「三聖会堂」が設けられており、彼等の足跡をアンティークな雰囲気で辿ることができます。
「大沢学舎」は明治6年に三聖人の一人である依田佐二平が私財を投じて開校した公立小学校で、その後歴史を経て、平成5年にこの場所に移され、開校当初の姿に復元されました。館内には郷土の資料も展示されており、いにしえの素朴なロマンに浸れます。』
(伊豆・松崎町HPより)
依田家は400年の間、当地で名主として地域を支え、代々家を守り続けていたとのこと。
この邸宅の主屋は3百年前に建てられたもので、2百年前の離れなど全部で5棟が文化財として大切に保存されています。
幕末の漢学者である土屋三余氏は、侍に虐められる農民を救いたいという強い信念の人でした。
『弱い農民を救うために
6歳のとき父を、8歳のとき母を亡くして孤児となった宗三郎は、母の実家である道部の斎藤弥左衛門宅に引き取られ、浄感寺の住職本多正観や帰一寺の名僧岳鳳和尚を師として学ぶ。当時このあたりの27カ村は遠州掛川藩の領地で、江奈陣屋の役人が横暴をきわめていた。善良な農民たちが、この「掛川ざむらい」に苦しめられる有様を見ながら成長した宗三郎は、士農の身分の差別をなくすため農家の青少年を教育し、知徳をみがくことによって、成人のあかつきに武士と対抗させることが大切だ、との信念を持つようになった。文政12年(1829年)14歳のとき勉学のため江戸に出たが、翌天保元年いったん帰郷。天保2年再び江戸へ。そして高名な神田お玉ケ池の儒者、東條一堂の門に入って漢学を学び、東大の前身・昌平こうの学究と交わったり、和学者大沢赤城について国学、算術、剣法に励み、この赤城塾では勝海舟と知り合い、机を並べて勉学にいそしんだと伝えられている。数年後、学業を修めた宗三郎は、諸大名に招かれて諸藩の顧問となるなど、江戸における碩学としての名声は次第に高くなった。…』(松崎町HPより)
現世の政治家、国会議員の方々にも学んでいただきたいものです…(ため息)
依田勉三氏は、明治期の実業家として名を馳せた依田佐二平の弟で、北海道十勝平野の開拓者でした。
明治初期には、東京の外国人宣教師の塾で英語を学び、その後、慶應義塾で福沢諭吉に学んでいる。そこで北海道開拓に目覚め、家族と小作人総勢27名で北海道十勝に辿り着くも、干ばつ、長雨、虫害と思わぬ災害に見舞われ、食糧にもこと欠く壮絶な挑戦の40年でありました。
*2002年には映画化:邦題「新しい風ー若き日の依田勉三ー」米国ヒューストン交際映画祭でグランプリ受賞
キャスト:北村一輝、古谷一行、三浦智和、きたろう、風間徹、富田靖子他
十勝平野で初めてバターを作った依田勉三、現在も人気のお菓子 六花亭「マルセイバターサンド」はその成果品。美味しいよね。
当時の学校で使われた教材の算盤
ご来訪者による俳句も展示されています
次は依田邸も見学したくなりました。
帰りに農協のお店と地元産直ショップに立ち寄り、新鮮野菜を物色。
なんとこの猛暑の時期に赤紫蘇がありました(喜)
柴漬用に4束購入。
ここ松崎町の特産品は桜の葉っぱ、生産量は日本一
「桜の葉餅」もおいしかったです。
おいしい町のケーキ屋さんでティータイム♪
猛暑ゆえ、道ゆく人は少なく、静かでしたが、空が広く、空気がきれいで、癒されました。
また行きたいです。
今度は依田邸を訪問したいなぁ