新潟でパートが決まらなかったわたしは元職場とまた御縁があって東京の病院で不定期に働くことになった。
恐る恐るゆうくんにも聞いたら嫌な顔をしながらも反対はしなかった。
月5〜7日実家に帰省し東京に出稼ぎに行く。
新幹線代も貰って日給も優遇してもらってすごくいいパートだった。
わたしが出稼ぎに行く間、ゆうくんには少しでも迷惑かけないように冷凍できるものを作り置きしたり、お弁当やおにぎりを冷凍したり、レトルトのものを買ったり自分なりに努力した。
ちょうどこの生活が始まったのはは2月。
ゆうくんはスノボ大好き人間だから新潟の2月は天国。
今思えばわたしがいないのが都合よかったからパートを許してくれたのかもしれない。
わたしに許可もなくシーズン券を買って毎週のように朝からゲレンデに足を運ぶゆうくん。
🙋♀️「また行くの?」
というと返ってくる答えはいつも同じ、
🙋♂️「俺の趣味まで取るのか?」
🙋♂️「俺の稼いだ金でシーズン券買ってなにが悪い。」
🙋♂️「お前は普段家で好きなことしてるんだから休みの日くらい好きなことさせろ。」
そう言われたらわたしはなにも言い返せない。
シーズン券が悪いわけではないが、一言相談してほしかった。
スノボのシーズンが終わり暖かくなるとゆうくんの週末ゴルフ生活が始まった。
今思うと週末出かけた記憶がほとんどない。
そんな夫婦生活でも程よい距離感でわたしたちはうまくいっていたのかもしれない。
干渉し合わなかったから。
週末ゆうくんはいないしわたしは月5〜7日の出稼ぎ生活を2月から7月までやり遂げた。
もちろん5月のGWはゆうくんと帰省している間だけ。
2.3.6.7月は1人で出稼ぎに行った。
そして7月に悲劇が起こる。
