今日は、7年前に亡くなった父について話そうと思います。

なぜ・・急にそう思ったかと言うと・・・・


昨日、テレビをつけたら「大和」という戦争映画がやってて

後半だけだが少し見て思い出したの。


私はうちの父が54才の時に生まれたかなり遅い時の子供です。

妻子ある身なのに、私が出来てしまったのです。


初めてその事を知ったのは小学校の3・4年だったかな。

母は働いていたし父も、たまに顔を見せにくる感じで、

家庭の温かみとか知らないで育ったけど、

たくさんの友達といつも遊んでたから、

あまり寂しいとは感じなかったかと思う。


けど、それがあるから人一倍、子だくさんで温かい家庭が理想なのかな。


・・で、話は「大和」に戻って、そんな父は戦争経験者だ。

海軍として「飛龍 ひりゅう」の船で壮絶な戦いをして、

沈没する船で、小さな穴から奇跡的に脱出して生還した人なのです。



父が戦争で死なずに「生きる」ことができて


私が生まれた。




子供が出来ない苦しさから、いろんな事を考えさせられたのですが

やっと気づいたんです。


今までは、皆が子供いるから・・とか、赤ちゃん可愛いから・・とかで

普通に子供がほしいと思ってたけど、


今は、父の死を無駄にしてしまいたくない。

私が子孫を残さなかったら、そこで途絶えてしまう。


そう子孫を残していくって重要なんだと・・



なんで子供がほしいのか


本能なんだよね~!!



子供が出来ないで14年経つけど、

いつしか、周りに振り回されなくなった。


前は、友達に赤ちゃんが出来ると、何であたしは~って泣いたり、

子供は?なんて聞かれたりたりすると

まだ子供いらないんです~なんて強がったりあせるで・・


それがいつしか、自分の親から始まって、

じいちゃん・ばあちゃん→そのまたじいちゃん・ばあちゃん

→顔も知らない、ずっとずっと昔の先祖さま・・

その人達のことを思うと、今現在の周りの他人様のことは、

もうどうでもよくなってしまったのです(笑)


そう考えると 楽 ビックリマーク


そうだ、お墓参り行こうあし明日はお中日だよ~

今まで子供が出来ますようにってお願いしてたけど、

これからはあたしがこの世に生まれさせてくれて、


ありがとうって感謝したい。



最後に、私の母が父が亡くなる年

正月に(死ぬとは思ってなく言ったんだけどね)


泣きながら、私達皆にこう言った。

私を身ごもった時、初め産むか産まぬか迷ったけど

戦争で日本の為に戦った、そんな尊敬する父の子供を産んでも

バチは当たらないと思い産む決心をしたの・・と。


私が産まれたことによって、本妻の方達にご迷惑をかけてしまったけど、


産んでくれて、ありがとぅ。


本妻については、又お話します。