ミスターMの気まぐれ日記 -60ページ目

OSAKA光のルネサンス

今年も、12月1日から中之島の市役所や図書館や中央公会堂付近を中心にライトアップしています。


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市役所の正面はこのようにツリーが…。


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横の通りにはこのようにライトアップをしています。


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中央公会堂はこんな感じのライトアップです。


メインイベントは12日から、東会場と西会場も同日からオープンします。また、その模様はその時々に。

曲がれ!スプーン

昔、テレビで「スプーン曲げ」を見た時は自分でも曲げられるのではないかと何度も挑戦したものでした。
止まっている時計を動かせるという超能力者が現れた時はテレビの前に壊れた時計を置いてワクワクして見ていたものでした。


ぼくはUFOも超能力も歳をとった今でも信じているのですが、それは小学生の頃に読んだ本に「人間が考える(空想する)事は必ず実現(実在)する。」というような事が書いてあったのです。
逆にその範囲しか考えられないという事でもあるのですが。


この作品は子供の頃からの夢(思い)を諦めかけている主人公に中途半端な超能力者達が夢を取り戻せるように力を合わせるコメディーです。


CGもアクションもサスペンスもホラーもありませんし、劇場の客席も三分の一も埋まっていませんでしたが、見に行って損をした気にはなりませんでした。

ゼロの焦点

この作品原作を読んでから見に行きました。というか、学生時代に松本清張作品の「点と線」や「砂の器」等を読んだ記憶があります。

2時間程度の長さの作品にするために、登場人物に原作では別のことからわかる事実や出来事をセリフとして言わせたり、原作にない人物が登場したりして犯人のイメージが原作とは少し違ってくるのは仕方がないのでしょうか?背景をあのようにいじると犯人に対する見ている側の感情が違ってきませんか?。

推理小説として大筋では違いないので問題ないようにも思えるのですが、わざわざラストで無理矢理原作に近づける必要は無いのでは、取って付けた様になっています。その前の設定が変えられているため付け足さなくても良かったような気がします。

僕としては広末涼子さんが意外に主人公の人物像に合っていたように思ったので良かったかな。
2009-11-15 02:38:32