書く事が好きなので、単語やフレーズ、文章もとにかく、まずは、書きます。
独学英語を初めてからは、「音」がいかに重要なのかがわかったので、読んだり、聴いたりも意識して行ってきました。
勉強のやり方について、あるときアメブロでその人の感覚によってやり方も量も異なってくる、、という記事(※ソースは出典元調査中で分かり次第、明記する予定です。すみません。)を目にしました。

記事の中では「コーヒー」と聴いてどんなことを連想するか?
コーヒーやコーヒーカップのイメージ?
コーヒーを淹れる時の音?
コーヒーの香り?
私の場合は「カップのイメージ」と「コーヒーの香り」でちょっと悩んで「コーヒーの香り」だったのですが、その記事によると「書く」事が有効なタイプだということでした。

とても勇気づけられました。
何かに取り組んで居るときは自分の好きなことがリンクしているというのは心強いものです。
なので、私は行き詰まると自分の「好き」とつながる何かを必死に探すのかもしれません。

独学英語を始めるに当たって、「まずよさげなテキストを買う」という従来の思考回路から一旦離れることにしました。
そのかわりに、図書館で様々な外国語習得の為の勉強方法の本を読みました。
何冊も何冊も読んでたどり着いたのが「英文法」の本と「音読」の本とバイブルとも言うべき國弘正雄先生の「英語の学び方」という本でした。
その後、「英文法」の本に似た形態のテキストが書店で平積みになり、「音読」がもてはやされるようになり、自分の選んだ道は何となく有効だったのではないかな、と心穏やかになったのでした。

それと同時に、「外国語にマスターはない」、または「何をもってマスターしたというのか?」という超現実にぶち当たり、結果、一生続けていこう、焦らず・でも・やめず、などと誓いをたてます。

ところがまだまだ猪口才。
時々、「費した時間対効果」を考えてくだらなく落ち込むことがあるのです。

そうなったら、独学歴も無駄に長くなってきた私は、一度テキストを小脇においやります。

精神的にマッチョでありたいと思いつつ実はヘタレなので自力で我が身を奮い立たせることはあきらめているのです。
そして英語コーチングメソッドに通じている方やお教室の先生方のブログを巡ってお知恵とお力を拝借します。
スクロールによって濁った目からウロコをぽろぽろ落としては自分に問いかけます。

今の自分が「足りないと感じているのは何だろう」
そして、「それを増補するにはどういう方法がいいんだろう」
それをやる為に「自分の中で障害になっているのは何だろう」
その障害は自分で勝手に作ってるの?見えない何かに支配されちゃっているの?
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最後に自分に尋ねます。
「で、英語のある人生つづけたいの?」

それでもノッてこない時は椎名林檎さんの曲にあわせてエアギターしたり小沢健二さんのメロディに乗って踊ったりします。

でも、まだやめませんよ。(笑)
とりあえず、書きます。