幸せについて~未来のシアワセ~ | 世界一、俺はシアワセもん

幸せについて~未来のシアワセ~


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最近すげー幸せです。


シアワセならシアワセって言いたいし。 

おいしいもの食べたらおいしいって言いたい。

楽しかったら楽しいって言いたい。


アメリカに行ったときに、最初の感じたのは、前回も言ったかもだけど、彼らはシアワセをシアワセってちゃんと表現する人だってこと。



楽しければ、すごく楽しそうにするし。

シアワセなら、笑って歌って、陽気になってってすごいシンプルだった。



俺はそういうのがすごく好きです。


だからもっかい言います。俺はすげーシアワセです。






最近、恵まれてるなって思った。


最近雨の日ばっか、

そんなある日学校から帰ってきて、ドアを一旦開けば、もうそこにはもちろん雨はなくて、濡れた髪を拭くタオルもあるし、シャワーもある。



何かと比較して、そこにあるものに初めて価値を見出す俺もすげーかっこ悪いけど、

実際、ドアを開いたらそこには雨をがないなんて恵まれた環境で生活できない人もこの地球には沢山いる。







少し内容がずれたけど、今日話したいことはタイトルにもあるように「未来のシアワセ」




今、すげーシアワセが変化していると思う。



戦後日本の日本のシアワセは物質だった。


私たちの先輩たちは、本当に何もないところから鉄道を作り、車を作り、沢山の工場を建てて一気に日本経済は世界のトップクラスにまで上り詰めた。


1950年代後半になると、三種の神器と呼ばれる3C(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)が宣伝され、
1960年代になると、新三種の神器と呼ばれる(クーラー、カラーテレビ、車)と彼らはそれらの物質的なものに価値を見出し、シアワセになるために一生懸命に働いては稼ぎ、それらの物質的なものを購入し、シアワセを感じていたと思う。





つまり彼らのシアワセは「.....が欲しい」だった。






でも、今はそうではないと思う。



物質的なシアワセから今は精神的なシアワセにシフトしている気がする。





欲しいものは持ってるし、買えるし、だからってめっちゃめっちゃ欲しいものもあるわけではない。


ケータイもあればPCもある。したいことは大体不自由なくできる。


車だって家だってそこそこなものは手に入ると思う。 がんばれば。




日本は物質的に豊かになり過ぎた。 


シアワセが分からなくなってる。






物質的に豊かな日本(つまりGDPが高い)と物質的に貧しい国でシアワセ度調査をすると



物質的に豊かでシアワセだとされる日本のシアワセ度は貧困国よりも低いことが良くある。



日本人は物質的なところでなく、精神的なところで何か新しい未来のシアワセを求めているのかもしれない。



今、シアワセが変化してる。


今日はこの辺で


世界一、俺はシアワセもん。