生まれてから今に至るまで、思い起こしてみると、多くの人に育てられてきたものです。
お母さんのおっぱいを飲んで(お母さんが飲ませてくれて)、
ミルクを飲んで(誰かに飲ませてもらって)、
ごっくん、もぐもぐ、かみかみして(誰かに教わって)、
おしっこ、うんちで泣いたらオムツを替えてもらって、
寂しくて泣いたら抱っこしてくれて、
兄弟や友達と一緒に遊んで冒険したり、
けんかしたりして、
人との関わり方を教わり、
小さい子の面倒をみる経験をし、
学校では先生、先輩、同級生、後輩と、世代の違う人たちとの関わり方を学び、、、
数えきれないシーンで、本当に多くの人たちに育てられてきたのですよね。
仕事でも、右も左もわからないところから始まって、、
教わっているときは、教わることで精一杯なので気付きにくいですが、
こういう時はああして、
ああいう時はこうして、
とルーチンワークの実務から始まり、
レポートをレビューしてチェックしてもらったり、
プレゼンの予演を聞いてもらったり、
会議や交渉に同行して学ばせてもらったり、
ロールプレイングしてもらったり、
相談にのってもらったり、
プライベートの悩みも聞いてもらったり、
たくさんの人が貴重な時間を割いて、育ててくれたのです。
そして今、少しは自分の裁量で判断して、物事を動かせるようになった。
今度は、あなたが人を育てる番です。
まだまだ自分は人を育てる器でない?
自分が勉強しないといけないことが山ほどあるからそんなヒマはない?
いえいえ、今のあなたにできる範囲でいいのです。
あなたが人に育てて頂いた感謝の気持ちがあるなら、
時間と労力をかけて、
後輩や部下のために、人育てに取り組みましょう。
あなたがこれまで育ってきた経緯を思い出して、
普段の実務をわかりやすく教えてあげて、
レポートをレビューしてチェックしてあげ、
プレゼンの予演を聞いてあげ、
会議や交渉に連れて行き、
ロールプレイングしてあげ、
相談にのってあげ、
プライベートの悩みも聞いてあげましょう。
誰でも始めから何もかもできた人はいないのです。
教える側に必要なことは「できない人」を「今はできない人」と思うことです。
今はできない相手に寄り添って、どうすれば「できる人」に育てれるのか、
教える側の問題として考えることです。
一方で、教える立場になって初めて気付くことがあります。
それは、自分がわかっていることと、まだわかっていないことが明らかになること。
人に教えてみて初めて自分の未熟さがわかるのです。
だから、その未熟なところを努力して補強する。
必要な免許や資格があれば積極的に取りましょう。
それは、あなた自身のためである以上に、あなたに教わる後輩や部下のためでもあるのです。
人を育てる、というのは、自分を育てることなのですね。
そして、正に、子育てにも同じことが言えます。
ここで、ドロシー・ロー・ノルトの詩『子は親の鏡』 をご紹介します。
『子は親の鏡』
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子にはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもは、やさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、
子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる
教える、なんて、とてもとても、
充分に知識と技量を磨いて誰にも負けない自信がついてからしか、
というのではもったいない。
今教わっていることを、人に自分が教えれるくらい本気で教わって、
人に教えながら、一方で、自分も研鑽を積むのです。
親が子供を育てる一方で、自分も親として育つのと、何ら変わりありません。
育ててもらった感謝の気持ちは、今度は自分が育てて恩返し。
ただ教わって楽しむよりはるかに、実りある人生につながるに違いありません。