(続きです。)

 

前回の記事では、当時23歳の私が母に電話をして世界一周することを報告し、それを聞いた母が取り乱しました。

 

今回は、そんなやり取りから少し経って私が帰省した日のことを書きます。

 

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帰省した私と母がリビングに居ると、父が部屋に入って来ました。父は帰省した娘に「おかえり」の一言もなく、開口一番とても高圧的な態度で、キッパリとこう言いました。

 

 

父)

おい!世界一周するっていう話だけどな、ダメだ。

 

 

 

…は?ダメってなに?

父には、私の人生を決める権利なんかないはずです。

 

それなのに、いきなり有無を言わさずに「ダメだ!」と命令してくるなんて、私は酷い侮辱だと感じました。

 

父から、まるで「お前には自分の人生を生きる資格がない」と言われているように思えて、はらわたが煮え繰り返る思いでした。

 

そもそも私は、父に相談なんかしていないんですよ。既に決めたことを、念のため報告しただけなんです。

 

だってこれは私の人生なんです。

このとき私はもう大人で、自立していました。世界一周に伴う責任だってもちろん私が取るんです。

 

 

(周りから見れば世界一周なんてただの旅行なんでしょうけれど、私にとっては本当に大切なことだったんです。幼少期から両親によって意欲と希望と自信を奪い取られてきた私にとって、唯一最後まで残っていた希望、自分らしさ、心から求めているものだったんです。だからこそ父親の振る舞いには、心の底から怒りが湧いてきました。許せませんでした。はらわたが煮え繰り返る思いでした。)

 

 

 

 

もしも親心として心配なんだったら「心配だ」と言えば良いんです。

どうしても心配で止めて欲しいんだったら「心配だから考え直して欲しい」と言うべきなんです。

 

成人して自立した娘が決めたことなのに、娘の言い分を一切聞こうともせずに「ダメだ」と父親が決めるなんて、どう考えたっておかしいです!

 

母もそうだったけれど、父だって私のことを完璧に自分の所有物だと思っているんです。

私から生きていく力を取り上げ続けて、自信を奪って、支配し続けて、それを当然の権利だと思っているんですよ!

 

ふざけるなと思います!

 

 

 

 

私はこの時、本当に腹が立ちました。

 

だけど「父が何と言おうと、私が世界一周することには変わりがない」とキッパリと考えていました。だから父に向かってあえて私から反論することは、ありませんでした。

 

世界一周は私にとってはもう決まったこと。だからわざわざ「お父さんが何と言おうと私は行くから!」とか何とか、反論や反発をする意味なんか一切ないと思ったのです。

(何度も言いますけれど、そもそも私がしたかったのは【報告】だったので。)

 

 

だけどもう一波乱、起こります。

 

 

(続きます。次で最後です。)