昨日のカウンセリングのことを、少し書きたいなと思いました。中身をまとめるのは力を使うので、それを書くのはもう少し先になると思うのですが…。今回はカウンセリングの一部と、私の気持ちを聞いてほしいんです。

 

 

昨日は、あるきっかけで両親のことを話していました。(きっかけも何も、私の苦しみの根本は全て両親からきているらしいので、どんな話も少なからずそこに繋がるのですけれどね。)

 

それで父と母のエピソードを幾つか話した後の、先生との会話です。

 

 

グリーンの文字が先生、黒が私です。

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やっぱり、すごい家庭環境だよね。お父さんもよっぽどだけど、お母さんも相当おかしいよ。一番安心できるはずの家庭の中で、あなたはいつも1人ぼっちじゃない。小さな頃から、ずーっと。

 

生きるために、あなたは何か自分なりの哲学を持つ必要があったでしょう?どんな風に思ってた?

 

どんな風に…。生きるための哲学…。うーん…

 

あなたはその家庭環境で育って、ここまで何とか生きてきた訳だよね。

日々生活していくためには、あなたは自分なりの哲学をもつ必要があったはずだよ。

きっと、何か自分の中に作り上げてきたものがあると思うんだけど。

 

…質問の答えになるかわからないですけど。

『生きていることに意味なんかない』と思ってます。みんな、自分の生きている意味を求めようとしているけど…私はそんなのはない…と思います。


ただの、生物の繁栄というか。地球が回っていて、そういう自然活動の一つとして、偶然生まれて、死んでいく…。ただそれだけで、別にそこに意味なんてものはないと思ってます。

 

〜〜中略〜〜

 

じゃあ、それと反対の思いも教えて?

もしあなたが持っているのがその思いだけだったとしたら、すごく殺伐とした人間が出来上がってると思うんだけど。

だけどあなたは、それ以上に別の思いも持っているから、こうして悩んでいる訳だよね。

 

……。

自分が自分であることが嬉しい…って感じたいです。自分が自分らしいって、感じたいです。

 

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この後に色々と話が展開するのですけれど、私はこの部分についての気持ちを、いつもブログを読んでくださっている皆さんに聞いてほしいと思いました…。

 

先生は、私の両親の話を聞いていて「その環境だったら死にたくなったはずだ」と捉えたという事ですよね。

 

私は、カウンセリングで「死にたい」とかそういう話はした事がなかったんです。それなのに先生は「それは死にたくなるはず」という意味あいの事を言いました…。

これ、私はすごく嬉しかったです。自分の気持ちを「当然だよ」と認めてもらえた気がしました。

 

 先生、そうなのよ。私、死んだ方がマシと思うほど苦しかったの。

(「死んじゃだめ」とか「死にたいなんて言ったら生きられない人に失礼」とか、闇雲に言う人ばっかりじゃないですか!こんな気持ちを受け止めてくれる人って、いないんです。それどころか、ほぼ確実に否定される。)


図らずもそんな気持ちを認めてもらえて、誇張じゃなく、私は微かに感動すらしました。




だけどその感動の後に襲ってきたのは、『私は、当然死にたくなるような家庭環境で育ったのか』という愕然とした思いでした。

 改めて苦しい気持ちも湧き上がってきました…。

 

 

 

 

昨日は、先生から「その環境で育ったら当然死にたくなるはずだ」と認めてもらえた嬉しさと安堵、その現実に対する悲しい気持ち。

 

それから、私が当たり前のように『生きることに意味なんかない』と強く思っていた事が、まさか自分の心を守るために必死で作り上げた哲学だったなんて。

 

なんて言えばいいんだろう…。

 

苦しくて、モヤモヤして、ぐるぐるして。

昨日は本当に疲れました。

 

だけど先生が気付いてくれて、認めてもらえた気がしたのは、喜びだった。

 

 

 

…うーん、同じことばっかり繰り返し書いていますね。

まとまらなくて…。

 


でも聞いて欲しくて。