友人のお父さんが病気をしてしまった、という話を聞きました。大きな病院での治療が必要だけれど、友人の実家は田舎なので、近くに該当する病院がなかったそうです。

入院治療後も長く通院する必要があったので、お父さんは治療する病院をどこにするか、困っていたそう。

 

友人は結婚していて、現在は実家から車で6時間ほどの距離に住んでいます。そして、大学病院に勤めています。

 

友人は「お父さんの治療を自分の勤める大学病院でしたらどうか」と提案し、お父さんも喜んでくれたので、実際にそうしたのだそうです。

 

お父さんは入院前後を友人宅で過ごし、現在は実家に戻っています。だけど定期的にその大学病院に通院する必要があるため、今でも時々友人宅に泊まるのだそうです。

 

 

その話をしている時、友人が私にこう言ったんです。

 

「やっぱり自分のいる病院で治療してくれた方が安心だからね。それに私も、お父さんに会えたら嬉しいから。

 

 

 

 

…ん?

お父さんに会えたら……嬉しい…???

 

 

これは、私にとっては本当に思いも寄らない言葉でした。

私は咄嗟には、友人の言っている意味がわからなかったんです。少しフリーズして、それから戸惑いました。

 

そうか…。お父さんに会えたら嬉しいのか。

 

 

 

 

 

最近、『2分の1の魔法』って映画のcmをやってるじゃないですか。あのcmを初めて見たときも、私はふと思ったんです。「お父さんをわざわざ蘇らせるの?せっかく居なくなったのに…」って。

 

あの映画は主人公の少年が生まれる前にお父さんが亡くなってしまっていて「ひと目で良いから会いたい」という事らしいので、私がcmで抱いた感想はそもそもから的外れなんですけれどね。(そもそもも何も、まるっと全てが的外れですけれど。)

 

でも、私の場合はね。

せっかく親が居なくなったのに、わざわざ蘇らせてまで会うなんて、想像しただけですごーく心が重たくなります。

「やめて。お願いだからこれ以上苦しめないで…。」と思います。

 

 

 

会いたいと思える親、居なくなって欲しくないと思う親って、どんな感じなんだろうな。