私には絶対に思い出したくない日、二度と戻りたくない日だって存在する。これは実話だ。

それは、10年前の明日なのだが

2016年5月25日

私は…この日だけは何年経っても後悔したりする。

一応言うと私はこの年の私は小学生だ。しかし、心のなかではかなり悩んでいた。

それは、親しい友達がいなかったのだ。

友達ではなく…親友と呼ぶ親しい友達だ。

俺は、いなくて周りはいる。

まるで郷に入っては郷に従えみたいに絶対に親しい友達がいないといけないような雰囲気があった。それは俺の心がかなり苦しく痛みつけられる気分だった。それは、時間が経てば治まったことだが良かった。だが、俺はその出来事から今でも同じような考えを持っていることがある。

それは、もしかしたら「これまで見ていたのが夢」で「今から見ているのが本当に進まないといけない現実」という考えだ。この考えは、その出来事からずっと思っていることだ。一度も変えたことはない。しかし、今ではその雰囲気で不登校になる人が存在するらしい。不登校になる理由は、人それぞれで言えないことだってある。それはいわば、「雰囲気が思っていたよりも違ったり、夢から目覚めて現実という壁に突き当たってしまった」のかもしれない。だが、それの解決法は人それぞれで見つかっている場合もあるが見つかってない場合もある。

それと実は、この出来事がある前も心を痛みつけられる出来事はあった。ちょっとした数日前のことだ。

もし、これが無かったら私のオリキャラはいなかったかもしれない出来事だ。それが分かるのがある。

私が前、赤冨銘兎(せきふうめいと)について説明した時に考案年と制作年があったはずだ。

そこで、考案年が2016年になっていたはずだ。

それが止まったのがこの日だ。

このときの俺はぬいぐるみを捨てられる危機があった。それは、俺にとっては心が痛みつけられることだ。

「男の子なんだからぬいぐるみは捨てたら」

これを言われた俺は心を傷つけられた。普通の話、今では差別だって思う人もいるかも知れない。だが、よく考えてほしい。

「男子はおもちゃ。女子はぬいぐるみ。」

みたいな決めつけを今していたら差別だとわかるだろう。いまでは男子でもぬいぐるみを持ったり女子の遊びが好きだって人だっているし、女子でもおもちゃや男子の遊びが好きって人はいまでは多く存在する。
だが俺は10年前にこれを受けている。それでぬいぐるみを捨てられてかけた。それもアンパンマンのぬいぐるみをだ。
これを読んでいる人もたぶん考えは分かれていると思います。

「アンパンマンは幼少期までだろ?」

「アンパンマンはいつでもよいでしょ?」

今は下が多いだろうが昔は上のような感じでアンパンマンが好き=赤ちゃんって考えだったのかもしれない。しかし、その考えをよく考えてみてほしい。アンパンマンを作った作者…やなせたかしさんは戦争の体験からアンパンマンを作っている。今では、子ども向けのアニメになっているがやなせたかしさんの戦争の体験から生まれたと考えるとおとな向けでもおかしくないレベルだ。実際に大人でもアンパンマンが好きって人はいる。
俺は、アンパンマンのぬいぐるみは普通に大事なものだし俺は兄弟がいない。兄弟のかわりとして4体いたのに捨てられるなんてバカげている気がした。
それに俺は話せないぬいぐるみはないと考えている。話せないぬいぐるみでもぬいぐるみには気持ちや心はあるに違いない。そのため今どう思っているのか自分で考えてみたりなどをした。それがどんどんぬいぐるみに尋ねてるぬいぐるみがどう答えるかを脳内で考えて遊んだりもした。
それはいわば今の対話型AIチャットに似たようなことだってしている。
その当時の俺は、しっかりと「ぬいぐるみは捨てない」と反論して今でも持ち続けて今に至りオリキャラ化をした。しかし、もし反論ができなかったら…俺はかなり深い傷を負っているかもしれない。そう考えると…少し怖くなった。