まず。

わたしは三人きょうだい。兄がいて妹がいる。


親はわたしが5歳くらいの頃に離婚していつのまにか母がいなかった。


離婚する前母とも生活していた頃の

記憶としての母は、

よく寝ていた。


そして父の帰りはいつも真っ暗の夜。


あとよく覚えているのは

父がどこかへ行くといって

さみしくて沢山泣いていたら一緒に連れて行ってくれて本を買ってくれてすごく嬉しかった。

その本を夢中で読んでいるといつのまにか父がいなくて、車を降りて

向かったところはパチンコ屋。(つまりパチンコ屋の駐車場の車内に取り残されていたということ)

パチンコ屋の中を懸命に父を探した記憶。


あとは、

兄と暗闇の中テレビの光がある部屋にいて

鍵の音がすると

あっ!やっとお父さん帰ってきた!と安心した記憶。


そんなまだらな記憶から、



いつのまにか、ばあちゃんの家にいるようになっていた。

そしてそこになぜか母がいなかった。

寂しかった。

小学低学年の頃、

ばあちゃんから、離婚したときいた。

低学年の頃だったが、離婚という言葉になぜ意味を分かっていたのかわからないが、

とてもショックうけた。

それも「やっぱり離婚してたって本当だったのか‥」というショック感だったのは今でも鮮明に覚えている。


父は、いつもパチンコや、賭けごとざんまい。

家にいることはほぼほぼ、なかった。


きっと小学低学年から、中高年になるころにはとても悲しくて悲しくて。

いろんなことがわかるようになってきていたのか、

とにかくすごく悲しかったのは覚えてる。


ばあちゃんは、いつもパチンコに行って帰らない父に何十回と、電話し、腹を立てて

わたしも何度も電話をした。

そのせいで父の番号を今でも覚えてる。

でもいつも、電話にでることはなく、帰ってくるのは23時を回っていた。

(今思えばパチンコ屋が閉まる後の時間帯にいつも帰ってきていた)


友達の家にいくと、いつも、お母さんとお父さんの姿がある当たり前の光景がいつも、いっつも、羨ましくて

いつも父がいなくて、心配してイライラしてるばあちゃんと、じいちゃんの家にいる時間はとても孤独でいずらかったのも覚えている。


高学年の頃か、中学かわからないが、ばあちゃんから聞いたこと。

「あんたたちは親が離婚するとなったとき、お父さんは、あんたたちを施設にいれるっていった。それはむいなか(かわいそう)だから、こっちに連れて帰ってきなさいってゆった」

と聞いた時は更にショックと衝撃だった。


中学の頃、運動会に父はこず、

1人隠れたところでお弁当をたべた。


父は何度にわたり何百万の借金をし、

その都度祖母や、叔母が肩代わりしてくださり、

その都度泣いて私たちやみんなに

「今度こそやめるから」

そう何度も言い、

その言葉を信じ

そして何度も裏切った。

家計簿をつけていると思えば、

その家計簿をひらけば

気色悪い、女性関係事情まで記していたり。




とぎれとぎれだが、そんな記憶しかなくて。

どれもがとても悲しくてきもくて、思い出したくもなくて真っ暗な記憶。

楽しい思い出はきっとあったのかもしれないが

記憶に残っていない。



挙げ句の果てには自己破産したと。





だからね。

わたしは中学から高校と、

まともに父と話さなかった。

むしろ目もあわす時間も瞬間もないほど避けて、

家にいるより遅くまで友達と遊んでは

本当に周りに恵まれたおかげで

友達の家で夜ご飯をいただいたりとあたたかい時間をすごさせてもらって

何一つ。父への感情はなかった。

ただ、ただ。

お前の身勝手な行動で子供作るだけ作り産んでその後知らん顔。そんな人間を無としか、おもえなかった。

大嫌いとか、憎しみとか、

なんでこんな家族なんだろう‥とか、

もうそんなのは通り越し

ほんと、無。




でもわたしは友人や周りの人で会う人に恵まれたおかげで、友だちと過ごす時間や、好きな人と過ごす時間、そして、自分で選択し過ごせる時間に幸せを感じれるようになり、

こうやって、出会えたり過ごされているのも、

あの時施設に預けられていたら今出会えているみんなに出会えていなかったと思うと

たまらないほどのばあちゃんに対しての感謝の思いが生まれ始めた。


幸せを感じることがすごく怖くも思うこともあった。

きっと、辛いことばかりが当たり前だったから幸せという感情になることが

逆に怖かったのかもしれない。




だからわたしはずっと決めていた。


大人になったら絶対に同じように悲しみや苦しみをわからせてやる。


手がかかるようになっても、

絶対にわたしは面倒みるきもぜったいない。



そう。

ずっっとおもっていた。



だけど、30歳なる前ごろから、

歳を重ねてからなのか。

父が「ご飯作ったからたべにこんか?」

とか、ちょこちょこいうようになって。

最初は面倒だけど仕方ないっていくようなってからいつのまにか、

父がわたしのこと、大切にしてくれているのかな‥?

とおもえるようになってきだして。

その間にも酒癖の悪さや本気で喧嘩してまぢで絶縁するってほどゆるせないこともあったり、

一年間顔もあわさなかったこともあったが、


やっぱり

わたしが息子を産んでから

息子をかわいがる姿をみたときに

すごく嬉しかった気持ち。

ようやく、

30歳超えてほんとようやく、

父と娘、本音ではなしができるようになり、

ようやく、家族とは‥と思えて

これから、ようやく今までできなかった

家族としての思い出がつくれていくのかな‥と

思った矢先の父の癌発見には

本当に辛くて悲しかった。


いまでも心底絶望する行動、言動あったり

果てしなくあるけれど、


でも。

やっぱりわたしにとっては、

たった1人の親であり、父だから。



学生のころ「無」の感情のころに

縁でもきってれば

今こんなに辛くなかったのに‥


あのまま施設にでも預けてれば今こんな辛くなかったはずなのに‥


とか。もうね、ほんとそんな底辺な考えしかできなかったなー。


そして父と同世代な方が元気そうに過ごされているのを見るとなぜ、わたしだけこんな悲しみを‥

とまだ周りと比較しては悲しくなり、そんな考えな自分が更に気持ち悪かった。



三月告知。四月悲しみ。五月絶望的な孤独感苦しさ不安。

ざっくりいえばそんな月日だったな。