赤い絆
1997年大映テレビ制作作品

私が暮らしていた渋谷がドラマの舞台だった。
百恵ちゃん演じる恵子は、
「渋谷のおケイ」と呼ばれていた不良。
私が渋谷から埼玉へ引っ越すには、
バッドタイミングだった。
この再放送に気がついた時には、
半分放送を終えていたんだけれど、
久しぶりにガン見してしまった。
スタッフも、
私がお仕事をご一緒した方々も多くて、
テロップを見ながら、懐かしかったし、
記録さんは、
「あれはお姉さん」と笑っていたこともあったのだった。
百恵ちゃんのアパートのロケ地は、私の通学路だった。
その場所を知っていることは、私には普通だったんだけれど、
埼玉の人たちには、
まるで異国のような驚きを感じたようでした。
このドラマのテーマも良くなかった。
赤線で働く母親から生まれた恵子。
渋谷から来た転校生が母子家庭なんだから、
母を見る目が違っているものだ。
最高視聴率29.5%の人気番組だったから、
同年代はみんな見ていたのだ。
中学生の私は、私の体の中を流れる『血』を、
悩む時期でもあった。
なんと言っても、
母が、父を悪くいうことに耐えられなかった。
その葛藤を、百恵ちゃんが演じる姿と重ねていたわけで、
実際の百恵ちゃんも母子家庭だったし、
私には学ぶところが多かった。
父を嫌っていた兄も、すんなりと相続したし、
親子って実の子供だってだけで遺産を受け取れる。
45年間、離れて暮らしていても。。。なのだ。
子供達に残すために、独りで守り抜いた父の気持ちは、
あまりにも切なかった。。。
今、母は、生活に困っているようだが、
本当なのか?も、疑わしく、同情ができない。
いつも、脅かしてお金を巻き上げる人なんで、
一緒に暮らしていた頃は、有り金全部渡したけれど、
今は、毎日、催促されないんで、無視が出来ている。
私は妹なんで、
兄を差し置いてする理由もないのだし、
私の体に流れている『父の血』が、拒否をするのだ。
母は、父を悪く言いすぎた。
私の目つきが父に似いているから「こっちを向くな!」と、
言われることも多くあった。
その都度、
「その男の子供を産んだくせに!」と思うのだ。
私が埼玉で暮らした2年間は地獄のようだった。
その記憶が、蘇ってきて、
こんなに重いドラマを見てたんだぁ〜ってね。。。
死ぬことしか考えていない日々だったもんねぇ〜。
母は今、90歳になって、苦しんでいるのだろうとは思う。
父も、私たちが出て行った時、苦しかったと思う。
この大都会な危険な街で、独り守り抜いたこと。
江戸城下で、地震が来ても被害が少ない土地。
父は遊んだけれど、家族のお家はちゃんと選んでいたんだ!
と、土地を調べた時に、父の深い家族愛を感じたのだ。
ある日、母が、長生きしたらお金が足りなくなるから、
「やがて、六本木に住むことになるわよ!」
って言った時、
「六本木を捨てた女が住みたがらないで!」と言い返した。
家族を壊したのは父ではなくて、母なのだ!
と。私は思ってきた。
母さえ我慢したら、私の人生は別のところにあった。
当時の母子家庭は、本当に居ないんだから。
本当に、苦しい思いをしたのだから。。。
もう、解放して欲しいのだ。。。
人間は平等で、
誰もが苦労をするし、楽しいこともある。
今まで好き勝手にあっちこっちお家を変えて、
子供に苦労をかけてきたんだから、
今度は、母が、
我が罪を受け止める時なのかもしれない。
私の喉は、最近調子が悪い。
やがて声が出なくなるかもしれない!と、
言われた声帯が、いうことを聞かない。
「人の死に様は生き様」なので・・・
母の生き様を見届けたいと思うのです。
赤い絆の赤は、親から受け継いだDNA。
ドラマでは、家族が和解するけれど、
我が家は、長男がその度量がないで・・・
はてさてどうなることやら。。。
大映テレビって、
すごいドラマを作ってたんだよねぇ〜。。。
今でも活躍されているスタッフ、監督もとても多い。
ドラマが社会を作り、人を育てるものなのだ!!!
こうして、ドラマな世界に入っていく。。。
大映テレビは、
マネージャー時代は、2時間ドラマに参加していて、
編集時代では「デパート物語」に数本、
2時間ドラマ数本に携わっています。
あの悶々とした中学時代の関係者と、
ご一緒している自分が嘘のようでした。。。
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ケアーンテリアは希少犬種になりました。
1日1回のPON!とねぇ。