こんにちは。ゆうとです。今日は、天気も良く、暖かかったので、衣替えをして半袖一枚で近くをブラブラしながら、Mr.childrenのアルバム「深海」を聞いてました。今回は、この「深海」というアルバムについて、お話をしたいと思います。

 

アルバム「深海」は、1996年6月24日に発売された、Mr.childrenの5枚目のアルバムです。

このアルバムで一番好きな曲がなんと、アルバムのトリを務める、アルバム名と同じ、深海という曲です。

このアルバムのコンセプトが、アルバムの名の通り、「深海」であるので、アルバムの中で、”シーラカンス”というワードが重要になってきます。暗い海の底に、まだ生きているのかも定かでないシーラカンスのことを、シーラカンスというアルバムの二曲目を飾る曲で「何の意味も何の価値もないさ」などと揶揄しています。

 

ある人は言う 君は滅びたのだと

ある人は言う 根拠もなく生きてると

とはいえ君が この現代に渦を巻く

メガやビットの海を泳いでたとしてもだ

何の意味も何の価値もないさ

 

このような感じで前半で揶揄しながら、後半では、

 

どんな未来を目指すもどこに骨を埋めるも

選択肢はいくつだってある

いうなれば自由

そして僕はかすかに左脳の片隅で君を待ってる

 

シーラカンス 僕の心の中に 君が確かに住んでたような気さえする

シーラカンス 時たま僕は僕の愛する人の中に君を探したりする

 

などという具合に、シーラカンスを無限の可能性の象徴のような感じで例えて、実は現代の僕らは君(シーラカンス)の「存在」を求めているのかもしれない、というメッセージが込められているように感じます。そしてこの曲から連続するように、三曲目の手紙が始まります。

この曲は失恋の歌で、暖かな春に、過ぎ去りし過去へ想いを馳せる様子が伝わります。

同じ失恋の、春の草原を思わせる、ゆりかごのある丘から、という曲も似た曲調で、どこか懐かしさを感じる曲です。

 

見どころとしてなんといっても外せないのが、アルバムの中盤のシングル曲でもある有名な、名もなき詩です。この曲はメッセージ性もありながら、メロディーが抜群によく、ギターをかき鳴らしたくなるような一曲です。

 

他にも、ありふれたLove Story~男女問題はいつも面倒だ~という曲も、ポップでとてもキャッチーなメロディーが見どころとなっています。

 

そして冒頭っでもお話しした、アルバム名でもある、深海。イントロから、水の音や、何処かはかなさを感じさせる雰囲気が漂い、深海にいるのかもわからない、シーラカンスの話へと戻ります。

 

連れってってくれないか

連れ戻してくれないか

僕を  僕も

 

という一節が最後にひたすら繰り返されて曲が終わり、何とも言えない気持ちになれるのが、このアルバムの特徴です。

 

みなさんも、ぜひきいてみてください。