2022/12/25 新生活
実家には、父、母と、母屋の隣に父が建てた一軒家に兄夫婦が住んでいた。食事や風呂は母屋で4人で済ませていた。
2年前に母が他界し、次いで2ヶ月前に兄が他界した。義姉は、親戚、近所でも評判の良妻で、母や兄を自宅で献身的に介護した。お陰で2人は最近では珍しく病院ではなく、自宅で息を引き取ることが叶った。
実家は先先代より続く会社経営のため、父も兄も一人暮らしをしたことがなかった。そればかりか、母や義姉に甘やかされて育ったためひとりでは何一つ出来ない、考えない悪習慣が身に染み込んでしまっている。
外にオンナを作るような父や兄でなかったことは幸いだったと思う。ふたりは家をこよなく愛した。ただ家以外に拠り所を持たなかっただけかも知れないが、兄に至っては外出しても家に帰ることが目的かのように、途中で食事によることもなく直帰した。それは、兄が家族で出かけても同じであった。帰れば家に食べるものあるんだから、外で食べなくたって良いじゃん。それが口癖だった。帰ってから食事の支度をする母や姉のことは考えていないのか?と少し腹立たしく感じることもあった。
兄が他界し、義姉は家を出た。僕はひとりぐらしをしていたが、残された父の世話をして欲しいと義姉から頼まれて、実家暮らしが始まった。いまでも1人になった高齢の父に電話はくれる。ときどき実家によってはオカズを数品つくってくれる。
父は高齢だが大きな病気はない。父と話ができたり、時に買い物兼ねてドライブしたり、探し物したり、ゴミ出ししたり、仕事と家事の両立は大変だけれどどうにか慣れてきた。
90になって、お父さんが元気で居てくれないと、僕は一人ぼっちになるんだよと、子供に叱咤され毎日お散歩に出掛けて脚を鍛えている。率先してゴミ出しをしてくれる。仏壇のお茶、お水、ご飯は欠かさない。素晴らしい家族である。
穏やかに ただそれだけ
兄は放射線治療の後、暫くして口数が減った
そして右手、右足が不自由になった
4センチだった脳腫瘍は、6センチになっていた
兄は、思っていることが言葉にできないことが辛い どうにかしたいと手術を決心した
お兄ちゃん強いね
当たり前
そんな言葉が兄から返ってきた
とっても心強かった
手術から帰ると、兄は歩けるようになっていた
不自由だった右手も上がるようになった
入院先の看護師さんがどれどけ酷かったか
怖かったの言葉を繰り返した
暫くすると歩くことは少なくなり、ベッドで過ごす時間が増えた
ドライブ行きたい?と聞くと頷いた
兄のクルマでドライブした
ガソリンスタンドで、一旦クルマから降りて、身体を支えてトイレにいった
帰り道、鰻食べる?と尋ねたら
いいね
食べたいね
と兄が少し笑った
土曜の丑の日 混んでいて、予約でいっぱいだった
翌日、兄と姉と3人で鰻を買いに行った
家に戻って、父も揃って鰻を食べた
美味しい?ってきくと
美味しいって答えた
兄に頼まれてもう一台のクルマのバッテリーを交換した
タイヤの空気を入れようと、兄とガソリンスタンドまでドライブした
シフトノブを握らせて、一緒にシフトチェンジした 動きづらい右手を伸ばすのは痛そうだった
2週空けて兄にあった
少しだけ目を開けるけど、ずっと寝ていた
守る人がいるんだから、薬が有るんだから頑張らないと!
兄は大きく頷いた
今日、検査の結果を聞いた
6つの脳腫瘍
大きさと速度からいつ何が起きても不思議ではない もうクスリは飲まなくて良いです
兄と一緒にいたい
姉と旅行させてあげたい
ずっとお祈りしてきた
大逆転を信じる
兄は運がついてるから
