雑誌「文藝」の2014年春号に、中原清一郎という人の『カノン』という長編小説が掲載されています。
中原清一郎? 聞いたことがない名前です。Who is he?
表紙には、次のような文字が見えます。
「北帰行」から37年--。
外岡秀俊が沈黙を破って放つ
長篇650枚一挙掲載
外岡秀俊という名前なら憶えがあります。
1976年に、東大法学部在学中に『北帰行』によって文藝賞受賞した大型新人作家!
多くの人が次回作を待っていたのではないでしょうか?
しかし、『北帰行』受賞の翌年、朝日新聞社に入社しジャーナリストになりました。
ジャーナリストとしての著書は何冊か出していますが、創作の筆は折ったのではないかと思われていました。
「文藝」誌の表紙によれば、37年ぶりに小説を書いた、ということになります。
実際は、外岡氏は中原清一郎名義で、1986年に『未だ王化に染はず』という作品を福武書店から出版しています。
それにしても27年ぶりということになります。
十分に長い沈黙を破って、外岡氏は何を問おうとしたのでしょうか?
ネタバレにならない程度に小説の紹介をしましょう。
『カノン』の主人公は、氷坂歌音(カノン)という32歳の一児の母である女性です。
彼女はジンガメル症候群という記憶が急速に退化していく病気に罹ってしまいました。
4歳の息子のためにも、もう少し生きていたいと考えた彼女は、58歳の末期癌に冒され余命幾ばくもない男性・寒河江北斗と「脳間海馬移植」の手術をすることに同意します。
手術は成功しました。
ということは、<32歳の女性の身体+58歳の男性の海馬=A>と、<58歳の男性の身体+32歳の女性の海馬=B>という2つの人格が新しく誕生することになります。
海馬というのは脳の器官で、記憶に対して重要な働きをすることが分かっています。
私たちが、日常的な出来事や勉強などを通して覚えた情報は、海馬で一度ファイルされ、整理され、その後必要なものや印象的なものだけが残り、大脳皮質に溜められるといわれています。
つまり、新しく誕生した2つの人格(AとB)は、身体と記憶が別の履歴を持っているということになります。
誰でも、一度は「自分は何者なのだろうか?」という疑問を持つのではないでしょうか。
自分は何者なのか、という「何者」を難しい言葉ですが、アイデンティティといいます。
会社のアイデンティティすなわちコーポレート・アイデンティティ=CIによって、ビジネス界では広く使われるようになっています。
海馬移植後のアイデンティティをどう考えるか、が小説のテーマだと言ってもいいでしょう。
Aの身体は末期癌ですから、間もなく死ぬことになります。
しかし、32歳の母親の海馬が、朦朧とした状態で一人息子のことを気にするようなうわ言を口に出すシーンは、ちょっと切ない感じです。
問題がより大きいのはBの方で、小説の多くがBの身体と海馬の葛藤に費やされています。
考えてみれば、作者の外岡氏も、ジャーナリストの自分と作家としてのポテンシャルの間で揺れ動いたのではないでしょうか?
『未だ王化に染はず』を、ペンネームでひっそりと刊行するのには、それなりの事情があったものと推測されます。
58歳という年齢は『カノン』の執筆時に、32歳という年齢は『未だ王化に染はず』の執筆時に、ほぼオーバーラップするはずです。
それに、カノンという名前にも暗示があるようです。
カノンは歌音の音読みですが、音楽にカノンという形式があります。
複数の声部が同じ旋律を異なる時点からそれぞれ開始して演奏する様式の曲を指します。
いわゆる輪唱ということになりますが、さまざまなヴァリエーションがあるようです。
身体と海馬が融合して新しいアイデンティティが形成されるという主題が、カノン形式を想起させるということだと思います。
(T)